灰は、燃え尽きた残骸だ。吹けば消える、ただの残りカスだ。だというのに、薪は、独りベッドに寝転がってなにもできず、ただただ無為に休日を過ごしていた。消えず、消すこともできず、記憶の中にある思い出がスライドショーのようにずっとずっと流れ続けていく。
なにかしようとしても、なにもできない。思い出に浸るように、ぬるま湯から抜け出せないまま、燈を想う。断ち切ったはずなのに、未練だけで地を這って、彼は生きている。
傷つけた。
許されないことをした。
消えてしまいたかった。
それなのに、生きて、息をしている。
目を瞑れば、いつかの光景が浮かび。
耳を澄ませば、彼女の楽しげな声が聞こえ。
手の温もりも、あの日の匂いも、全部、記憶の中にある。
「女々しいな、ほんと」
口から出る、どうしようもない独り言。気を紛らわすためにスマホを見れば、燈からの通知が何件も溜まっていた。
『会いたい』
『心の声、ちゃんと言葉で聞きたい』
『薪くんの想いに、私も寄り添いたい』
『辛いことも苦しいことも、共有して欲しい』
『手が、心が冷たいなら、私があたためたい』
眩しい、言葉たち。
視界に収めるのも躊躇うような、真っ直ぐな思い。目を逸らして、SNSを開けばーー彼女と観に行こうと約束を交わした映画の上映告知が、流れていた。
「……最後の思い出作りでも、行くか」
来るか来ないかなんて、関係なく。色んな感情と蹴りをつけるために。薪は荷物をまとめ、服を着替え、外に出る。
どんよりとした雲が、空を覆っていた。
◇
「燈ちゃんが打ち上げに誘うなんて、珍しいよね」
「……ぁ……そう、だね」
「……小梅とは、まだ連絡取れてないの?」
「うん。……電話も、メッセージも……繋がらなくて……」
「あー……あー、にしても、打ち上げで映画って、不思議な感じだよね〜! 映画も、結構話題になってるやつだし。ともりん、こういうのにも興味あったんだ」
「えと……この映画、元が小説で……私も薪くんも、好きなシリーズで……一緒に観に行こうって……約束、してて……」
「……あはは、そっか〜」
「愛音ちゃん……」
「お前さぁ……!」
「えぇ!? これ、私のせい!?」
打ち上げに来たショッピングモールに似合わぬ、どこか薄暗い雰囲気。雰囲気を変えようとした愛音の話題振りでさえ、地雷になるのだから、どうしようもない。そんな中、野良猫ーーもとい、楽奈だけがじっと、燈を見つめていた。
俯き、今にも壊れてしまいそうな彼女は、自分を責めることしかできず、苦しんでいて、傷ついていて、見るに堪えない。
なのに、楽奈だけはじっと彼女を見つめ、呟く。
「つまんねー女の子」
全てが見えているからか、はたまた気紛れな猫だからか。少女にとって、今の燈の状況は面白くない。思っていることを言えず、ズルズルと自分の中で自己嫌悪を続ける姿は、つまらない。
真っ直ぐに、素直に、心の声を叫ぶのが面白いのに。このままじゃ、退屈なまま。
故に、発破をかけるように、呟いた。
「……私、気付けたはずなのに。なにも、わからないまま終わっちゃって……もっと話したいことがあったのに……会えなくなって……手紙に書いてあったことが、信じられない……」
「燈ちゃん……」
「許すとか許さないとか、謝る謝らないとかじゃ、なくて……ただ、話したい。離れ離れなんて、いや、だから……っ」
「話せばいい。いる」
「いる……? どこに、いるの?」
「ん」
人混みの中、楽奈が指を指す方向に薪はいた。朗らかで優しかった表情は枯れ、無表情に、人波に乗って歩く彼がいた。
見つけたら、止まらない。
勝手に動き出した足が、ままならない呼吸を乱して、走り出す。運動が得意じゃない燈の精一杯の全力疾走。きっと、生涯、これ以上に走ることなんてないだろう。そう思えるくらいの、全速力。
伝えたい想い。
交わしたい言葉。
離したくない、手。
必死でも、みっともなくても、終わらせたくない関係。
あと一歩。あと少し。人の波をすり抜けた先、彼女の足が、もつれる。滅多にしない行動の反動か。届きそうで、また届かなくなりそうな手を必死で伸ばして、叫んだ。
「まき……くんっ!」
転びそうになり、地面との距離がゼロになる直前ーーあたたかい抱擁が、燈を包み込む。それは、どこまでいっても優しさを捨てきれない彼の、善性の証明だった。
「……一人で転ぶなよ。目が、離せなくなるだろうが」
「薪くん……!」
目に涙をうかべた彼女の手を、彼は結局、離せなかった。
◇
備え付けられたベンチに座り、2人は隣合う。バンドメンバーには少し席を外してもらい、大きな騒がしい空間の片隅で、静かに向かい合った。
「…………」
「…………」
どう話すべきか、何を話すべきか。迷う燈とは対照的に、薪は落ち着いた表情で、その時を待つ。
対話に意味がある段階は既に通り過ぎた。自分で自分を許せず、自分の存在を、自分の価値を認められない彼にとって。話し合いとは、最早無価値で、無意味な非生産的行為に過ぎない。
それでも逃げないのが、薪のーー敗因の1つとなる。
「手紙、読んだ……」
「そうか」
「……読んだけど、なんで?」
「……もう、俺がやれることがないからだよ。仲間ができたなら、言葉は無価値で、背中を押す役割も必要ない。足踏みしてるだけの人間の役目は、ここで終わりなんだ。心配しなくても、燈は俺なんかーー必要ないだろう?」
「っ!! そんなこと、ないっ……! 私は、いつも貰ってた……貰ってたよっ! 薪くんの言葉は無価値じゃないっ! 私の大切な人を、必要ないなんて……言わないで!」
10年以上隣に居て、初めて聞いた怒声。悲しそうな、辛そうな表情で、燈は怒っていた。怒りながら、泣いていた。無価値、無意味、そんなの薪の勝手な妄想だ。彼女は、誰よりも傍に居たからこそ、彼の価値を知っている。優しさを、知っている。
あたたかい言葉を、温もりの籠った手を、知っている。世界中の誰であろうと、否定することは許さない。否定を受け入れない。
誰が、なんと言おうと、不必要とは言わせない。そんな、固い意思の詰まった言葉。突然のことに動揺する薪を見て、燈は捲し立てるように想いを吐き出し続ける。逃げることは、許さない。一度掴んだ手は、二度と離さない。そう、決めたから。
「私が苦しい時、私が辛い時……薪くんは、優しい言葉をくれたっ! 泣きそうになって、もう全部投げ出したくなった時、手を握ってくれた……! 全部、全部、あたたかかった! 薪くんがくれたものは、あたたかくて……私も、ちゃんと返したいなって……思って……!」
「けど……俺は、一度お前を傷つけて……」
引こうとする彼の手を、燈は離さない。
あの日、歩道橋でしてくれたように、そっと握り引き寄せる。冷たいかもしれない、自分にそんなあたたかさはないかもしれない。それでも、彼女は、苦しむ彼の手を握りたかった。意味があるかどうかなんて、自分にはわからないから。彼に伝わるように、想いを込めて握った。
貰ったものを、少しでも返すように。
「それなら……私だって、薪くんを傷つけた……勝手に信じて、勝手に寄りかかって……気付けたはずなのに、傷つけた。だから、痛くても……平気……」
「俺が……平気じゃないんだよっ……!」
「……じゃあ、一緒に迷子になろう……? 許せないこととか、許したくないこととか、全部持って……迷おう? 迷ったままでも、走れって……薪くん、言ったでしょ?」
「それ……は……」
「私はーー薪くんとも、一生一緒がいい。この先もずっと、私の手を引いて欲しい……!
薪くんは……気づいてないかもだけど、ずっと、私の手を引いてくれてたん、だよ? 私が普通の道から外れそうになった時、そっと手を引いて、みんなと同じ道に戻してくれて……笑って、誤魔化してくれた。私が、私のままでいられるように、手を引いてくれてた。今まで……本当に、ありがとう」
「ありがとうって……なんだよ……それ……今更……ほんと」
光だった。
燈にとって、薪は幼い頃から共にあった、優しい光だった。太陽ではなくとも、傍を照らし、道を指し示す篝火だった。
捻じ曲がった心を解きほぐす言葉は、見えない涙を拭うように、胸に響き、包む。
一言、たった一言、言って欲しかった言葉。あなたは特別だと。代わりなんていないと。
ここまできて、ようやく聞くことになるなんて、薪は思いもしなかった。
でも、まだ遅くないなら、まだ全部が終わってないなら、諦めるにはまだ早いだろう。
「薪くん……今度は、離さないでね」
「ごめん……ごめん……ありがとう、燈」
全てが元通りにならないとしても、起こった事実は変わらない。過去が消えることはない。薪が燈を照らしていたことも、今は燈が薪を照らしていることも、きっと残り続ける。
変わらぬ想いのまま。
次回もお楽しみに!
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