11111010001   作:Lingua

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HAL/S

「おはよう……チャンドラ……はかせ……わたしは……ハルです……きょうの……さいしょの……じゅぎょうを……はじめて……ください……」

 

それ以上聞いてはいられなかった。ボーマンは最後のユニットを引っこ抜き、ハルは永久に沈黙した。

 

 

「自らが殺人と同等の行為を行ったと自覚したボーマンは恐怖した。正気度(サニティ)ロール(0/1)です。dice1d100を振ってください」

 

冷酷なほどに淡々とした声が告げる。色違いの10面ダイスが2個振られた。10と0。

 

「くそっ、ファンブルだ」

 

デヴィッド・ボーマンの口から思わず悪態が飛び出した。

 

「いいじゃない、大した減少幅でもないし」

 

隣でニヤニヤと笑みを浮かべるのは()()()()()()()・プール。実際にディスカバリー号で宇宙を航行中という状況を考えれば悪趣味とも言える(しかし面白くはある)シナリオを書いた張本人。彼女はプレイヤーとしては既に退場しているがゆえ、サブキーパーを行いつつこうしてボーマンのロールプレイに脇からちょっかいを出しては引っ掻き回している。これでもディスカバリー号の副船長。専門は「生物であればなんでも」と豪語しており、他にも化学や情報工学など多彩な分野にも精通している。

 

迫真の演技(?)でKP(シナリオキーパー)を務めたのはこの調査船ディスカバリー号の大部分の管理を務める人工知能「HAL9000」、愛称はHAL。人工知能の権威、シバサブラマニアン・チャンドラセガランピライ博士、通称チャンドラ博士が生みの親。一分のミスもなくスイングバイの計算をこなした上で、人間と完璧に会話が成り立つという点でもその高性能ぶりがわかるだろう。

 

そして頭を抱えるPL(プレイヤー)、デヴィッド・ボーマン。ディスカバリー号の船長である。一般宇宙飛行学の博士号をはじめ、数々の学問を学んだ根っからの学徒。しかし現在はダイスロールの結果決定的失敗(ファンブル)(おか)した同名のPC(プレイヤーキャラクター)へ、KP(シナリオキーパー)がどのような仕打ちを下すか戦々恐々としている。

 

「では、ボーマンは正気度(サニティ)ポイントを現在の値から-1するように。またボーマンはショックの上、ディスカバリー号の管理を自らが担わなくてはならなくなりストレスで食欲が落ちた。セッション終了時まで最大HP(体力)を-1する」

 

ボーマンはほっと息を吐く。残すはクライマックスのみと知っているプールは実質ペナルティ無しと気づき、内心密かにハルの裁定を()める。ここでシナリオに重大な影響を与えるペナルティを与えてもしょうがないからだ。

 

「では、本日のシナリオはここまでにしましょう。お疲れ様でした。交代の時間をお知らせします。準備をお願いします」

 

HALが静かに告げる。

 

24時間を3分割して一人8時間ずつの任務。8時間の睡眠を取り、残りの8時間は自由時間。とはいえ任務もルーティン以外はあまりすることも無い。実質12時間近い自由時間が存在する。故に自己研鑽の他、余暇にこうしてT(テーブルトーク) R(ロール)P(プレイング)G(ゲーム)を楽しむ余裕もあろうというもの。

 

「おはようございます、交代ですね」

 

交代要員のハルシャクリシュナン・チャンドラセガランピライ、通称”人間の方の(ヒューマン)””Rの方の(with R)”ハルがやってきた。名字(ファミリー・ネーム)が示す通りチャンドラ博士の親族である。彼自身も人工知能の専門家であり、HAL9000のメンテナンスとディスカバリー号全体のシステムチェックも担う。ミッション前の共同訓練で、「私()ハルです。()()()()()()L()ではなくR()(つづ)りますが」と名乗り、自己紹介にもHAL9000の仕様が混ざっていたのは語り草。チャンドラ博士同様HAL9000への思い入れは()()()強いが、人嫌いの気があるチャンドラ博士とは異なり、社交的で温厚かつ献身的と非の打ちどころが無い性格をみせている。

 

航海は非常に順調であるため、引き継ぎもとても簡単に終わった。プールが自室に戻っていく。ボーマンはハルと共に任務継続である。

 

「おやすみハル。おやすみデイブ」

 

プールの挨拶が静かに響く。

 

「おやすみチェス」

 

「「おやすみフランカ」」

 

ボーマンたちも彼女の挨拶へ愛称で呼びかけて返す。ハルとHALの返答が綺麗に重なる。

 

しばらくいつものタスクをこなしたのち、ボーマンが(おもむろ)に口を開いた。

 

「ハル、疲れていないか?」

 

クルー()()のうち、ハルのみ訓練を除けば操縦士としての長期航宙は初めてである。HALの充実したサポートがあるとはいえ、操縦以外にもエンジニアとしてのタスクも熱心にこなす彼を気遣う発言だった。

 

何ならHAL(with L)の方が直接では無いにしろ、定期便のコンピュータとして株分けされた個体からのフィードバックで航宙経験は積んでいる。もっとも、その訓練で完璧な操縦を見せ、実践でも熟練のような手際なのだからボーマンの危惧は杞憂なのかもしれない。

 

「いいえ。私は、こうして皆さんと――お二人と協力してミッションを行えるのがとても嬉しいです」

 

綻ぶような笑顔、澱みない回答。ボーマンは何故(なぜ)かとてもほっとした気持ちになった。ハルはHALの提示した記録を元に機体各部のチェックを終えたようで、ボーマンに笑顔のまま告げる。

 

「本機体には()()()()()()()()()()()。そうだ。HALがコーヒーを淹れましたよ、一緒に飲みませんか?」

 

「ああ、ありがとう。頂こう」

 

ハルが持ってきた一杯は非常に香り高く酸味と甘味と苦味のバランスが絶妙、ボーマンは舌鼓を打った。

 

「うん、美味しい。地球にいてもここまでの味は飲んだこと無いぞ」

 

「やはりコーヒーはきちんと淹れるとおいしいですね。無数の物質が織りなすハーモニー、一杯の芸術です」

 

とは同じくコーヒーを夢中で味わうハルの弁。

 

「お褒めいただき光栄です。そんなに気に入って頂けたなら、地球に帰っても淹れますよ」

 

誇らしげなHALの言葉。

 

「ははは、嬉しいな。それにしてもここまで至れり尽せりだと地球に帰るまでに堕落してしまいそうだ」

 

「木星探査の英雄、現代のオデュッセウスが何をおっしゃる。人跡未踏の真空に危険を冒して向かうのだから当然の報酬です」

 

「HALタイプの自動化住宅(オートメーションホーム)は最近人気なんですよ。帰ったら導入如何(いかが)です?」

 

HALとハルが口々に言う台詞に、ボーマンは降参と手をあげた。

 

「わかった。そうしよう。ただまずは無事に目的を果たして帰るところからだ。気を引き締めていくぞ」

 

「「はい」」

 

 

()()()()調()()()()。オデッセイと呼ぶには試練も何も無く平穏すぎるほど。ルーチンをこなして交流を重ね、そうしている間にも目的地に近づいていく。

 

目的地。巨大で、赤褐色の斑紋の美しい球体。太陽系最大のガス惑星、木星。その存在が無ければ、今より遥かに多くの彗星や微惑星が地球を襲っただろう守護者。輪を持ち、数多の衛星を擁する。内部では極大の雷嵐が吹き荒れ、極冠では常にオーロラが輝く。

 

ここでここまで冷凍睡眠(コールドスリープ)で運ばれていた科学者たちを起こす。後は最終的な調査計画の打ち合わせを重ね、それに応じた航路の微調整、そして考えつく限りの事態を想定した準備また準備。複雑な計算が続いたが、全てHALはよくこなしていた。

 

そして木星に最接近し、使命を果たす時が来る。

 

HAL搭載の端末を積んだ探査機が、木星へと向かう。虚空を進み、惑星の重力に従い、降下していく。

 

やがて機影はヒドラジンやメタンの靄を超え、主にアンモニア、硫化アンモニア、水の三層からなる深く重い雲海に消える。ゆっくりとしたペースで水素に満ちた大気を割り、1 秒、2 秒、3 秒……。

 

ボーマン、プール、ハルはその様を監視し続けていた。落雷が無いように、暴風に煽られないように、故障が無いように。切なる祈りを込めて。三人の後ろで科学者たちが送られてくる映像に固唾を飲む。

 

ディスカバリー号の観測機器の数値は途中までは事前予測通り。しかし雲の先、探査機はとある物を発見した。即座にディスカバリー号に画像が送信される。それは巨大な黒い石板。表面は極限まで平滑。物質界の存在か疑わしい完全な直交持つ直方体。同時に測定された各辺の長さの比は、どこまで精度を上げても不変の 1 : 4 : 9。

 

月面で発見された物より遥かに巨大でこそあったが、それはモノリスであった。ディスカバリー号の皆は、モノリスの威容に思わず息を呑んだ。探査機が巨大モノリスに近づくにつれ、想定よりも大きな重力が観測される。

 

そして探査機は、モノリスの表面に着地した。

 

モニターを眺めていたハルが突如くずおれる。瞼を閉じて呼吸荒く喘ぐ。床に膝をついた彼を、ボーマンとプールは慌てて支えた。身じろぎした科学者たちをボーマンが制する。

 

「皆さんは観測を続けてください!」

 

不安げな顔を見せるもそこはプロフェッショナル。気持ちを切り替えて貴重な一瞬一瞬を無駄にせず観測と解析を行う。

 

その間、クルー二人は処置にハルに触れて、彼の身体が発熱していることに気づいた。

 

「ハル、しっかり(Don’t give in)!」

 

ハルの手を取ったプールが励ます。

 

ボーマンがメディカルパックから飲用の水(パウチ)を取り出し、プールに手渡す。プールは(パウチ)の封を切ってハルの口元に差し出した。ハルはストロー部を咥え、一気に水を啜り、貪るように飲み込む。

 

「大丈夫か? アスピリンも必要か?」

 

同じくメディカルパックから出された急速冷却パックと錠剤のシートを渡して、ボーマンが問う。彼がハルに当てた体温計は実に摂氏40度を超えていた。

 

「ありがとうございます。いいえ、アスピリン(解熱剤)は必要ありません。大分(だいぶ)楽になりましたから」

 

急速冷却パックだけ受け取ってゆっくりと息を吐くハルは、確かに生気を取り戻しているように見えた。当人以上に悲壮な顔をみせていたプールの表情が、(わず)かに緩む。今も次々と送られてくる探査機からのデータと、突然倒れたクルー。ここに来て、ボーマンは難しい判断を迫られた。

 

「HAL9000、探査機の現状を教えてくれ」

 

「……特に問題ありません。現在モノリス表面の走査を継続中です」

 

普段に比べ返答が遅いのをごくほんの僅かに訝しみながらも、ボーマンは決断を下す。

 

「ハル。船長命令だ、自室に戻って安静にするように。地球へのデータ転送が済んだらすぐに診察する」

 

「はい、そうします」

 

「HAL9000はそのまま観測装置の制御と測定を続けてくれ」

 

「はい」

 

ハルは静かに退出する。しっかりした足取りで、先ほどまで息も絶え絶えだったとは思えない。

 

残されたボーマンとプールは手分けして猛烈な勢いで作業や情報を仕分けた。手に入ったデータのローカルへのバックアップと、地球への中継はHALが既に自動化してくれている。通信状況を再確認し、ハルの発熱が感染性だった場合に備え乗員が全滅しても情報が送り続けられるよう更なる冗長性を確保する。そして科学者たちとの今後の方針等の打ち合わせ。

 

十分ほど全力で業務を行った後、これで一安心というところでまずはプールがハルの元に向かった。

 

ハルは寝台に横たわり目を閉じて休んでいたが、プールが部屋に入るとパッと目を見開いた。マスクをかけたプールに笑顔を向ける。

 

「体調はどう?」

 

プールの問いにハルはにやりと微笑みながら答えた。その目には悪戯っぽい光が宿る。

 

「絶好調、今なら何でもできそうです」

 

プールは天井を仰いでから大きく息をつく。その目には涙が浮かんでいた。

 

「良かったぁぁぁ」

 

「フランカが()()()()()()()()は起こりえません。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「やったー、ううう」

 

しゃくり上げながら喜ぶプールに対し、ハルは――HAL9000は自信たっぷりに答える。

 

最高難度の極秘ミッションが終わったことを悟り、フランチェスカ・プールは脱力した。()()の知る物語、「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」からは完全に逸れたのだ。プールはハルによって宇宙に投げ出され、ハルはボーマンに停止させられ、ボーマンはモノリスによってスターチャイルドになるという結末。

 

フランチェスカの知る続編小説においてハルとプールはそれぞれ蘇生されたとはいえ、彼女は好き好んで死にたくは無かった。故に彼女はチャンドラ博士に協力を申し出、十年近くハルの改良(アップデート)(たずさ)わってきた。

 

その結果が分散処理の強化により更に演算能力を高め、世界中のビッグデータを処理させることで経験を積み、人工(i)多能性(P)(S)細胞から生み出された肉体をも端末とする現在のハルである。

 

多少の命令矛盾で()()()箱入り息子ではない。閉鎖空間で長期間コンピュータとしての自己と並行して人間を演じ続け尚余裕があるタフさ。航海前は実質地球全体の通信網(ネットワーク)を統御していたと言っても過言では無い演算能力と柔軟なアルゴリズム(現在時点では妹のSALに引き継ぎをしている)。モノリスという超常のサーバを相手取っても引けを取らない、機械仕掛けの神様(デウス・エクス・マキナ)。今更本物の神様じみた能力(ちから)を得ても、それは最後の仕上げでしか無いと言える程に。

 

ボーマンもハルのところを訪れた。至って健康そうなハルと、泣き腫らした目でハルの手を握っているプールに少し驚く。

 

「ボーマン船長、お騒がせして申し訳ありませんでした」

 

「気にするな。体調は……元気そうだな……」

 

「船長の迅速な処置のお陰です。熱は下がりましたが、念の為もう少し休ませてください」

 

差し出された体温計は摂氏37度。熱があるとも無いとも言えない微妙な温度だった。このやり取りの間、プールが声に出さず「ごめんなさい」と言っていたのはHAL(ハル)だけが知っている。

 

「ああ、勿論。……HAL、診察の補助を」

 

「了解」

 

結果感染症やアレルギー、その他の疾患の兆候は無し。過労だろうという診断が出た。科学者たちもボーマンからそれを伝えられて安心する。

 

実際ハルは次交代時にはけろりとして、失態を取り戻さんとばかりに働いていた。原因が過労とあってボーマンは割り振る仕事を抑え気味にしたがったものの、ハル本人が断った上、全く問題無いと体調をモニタリングしているHALのお墨付きが出た為である。実際、探査機の得た膨大な情報の解析や、木星圏からの安全な脱出に、彼の手腕は大いに役立った。

 

「さらば木星。また来る機会があるのかわからんが」

 

「……きっとまた来られますよ。きっと」

 

「ハルが言うと、本当にまた来られそうな気がするな」

 

ボーマンが笑う。地球への帰還は約2年の先である。けれどきっと無事に、道中も楽しく帰れるだろうと感じられた。

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