血よりも深く ―地方都市“黒神ヶ淵”異譚―   作:くにゅたろ

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第3章 第3話:地下への鍵

 

 黒神邸は、丘の上に孤独のように佇んでいた。

 瓦屋根と石造りの壁が混在する不統一な建築様式は、どこか不安定な印象を与える。過去と現在が交わるはずのない時間軸で、無理やり抱き合っているような構造。

 

 門を開けたナギの手が、鉄の軋む音を生んだ。

 それはまるで、眠っていた何かを起こす合図のように響いた。

 

 敷石の上を歩くたびに、微細な砂が擦れる。風がない。草も揺れない。

 まるで、この邸全体が、呼吸をしていない。

 

「この家は、代々の封印管理者が住んでいた場所だ」

 ナギの声は、少しだけ湿っていた。

 

 玄関をくぐると、空気が変わった。

 屋内の湿度が異常に低い。古い書物、乾いた木材、そして金属の酸化した匂い。

 空間全体が、時間の“外”にあるかのようだった。

 

 廊下には額縁入りの刺繍が飾られていた。精緻な幾何学模様。

 中心に、円。周囲に歪んだアルファベットと、見たことのない数字。

 

「封印術式の基本構成だ」ナギが言った。

「形を保つために、“思念”を織り込んである。ここを通る者の無意識に、緩やかな抑制をかけるんだ」

 

 その説明を聞きながら、僕の背筋にうっすらと寒気が走った。

 自分がこの空間に歓迎されていない――いや、逆に、

 “長い間、待たれていた”ような気さえしてきたからだ。

 

 廊下の突き当たり、重々しい階段の先に地下への扉があった。

 鉄製。黒く、冷たい。

 その表面には、見慣れない記号と術式の文様が刻まれていた。

 

「この扉の封印は、黒神家の血によってのみ開く」

 ナギは懐から小さな刃を取り出した。

 装飾のない短剣。手慣れた手つきで左手の指先を切る。

 赤い血が静かに鍵穴に垂れる。

 

 その瞬間、術式の線がゆっくりと光り始めた。

 まるで生き物の血管が拍動するように、赤い光が広がる。

 

 そして。

 

 扉が、音もなく開いた。

 

 そのときだった。

 僕の心臓が、ひときわ強く脈打った。

 理由もなく、喉の奥が灼けるように熱くなった。

 指先がしびれる。胃のあたりが、逆流するように疼いた。

 

 「……なんだ、これ……」

 

 言葉が漏れると同時に、視界がわずかに歪んだ。

 壁が波打っているように見える。足元の床が、わずかに沈む。

 

「君の血も反応したんだよ」

 ナギは、僕の反応を観察するように、静かに言った。

「混血種としての因子が、術式と共鳴した。それがこの場所の“鍵”と化している」

 

 僕は息を整えながら、目を閉じた。

 脈拍は異様に速い。けれど、内側から沸き立つ感覚には、どこか快楽に近い何かが混じっていた。

 

 それが、“僕”のものではない気がしていた。

 この身体の奥で、“別の何か”が微笑んでいる。

 

 ナギは僕の前に立ち、階段を下り始めた。

 

「この先が、“黒神ノ穴”へ続く最深部だ」

 

 彼の声が、普段よりも低かった。

 それは恐れでも緊張でもなく、まるで、祈りのように聞こえた。

 

 階段は、石でできていた。

 人ひとりがやっと通れる幅。壁には照明がない。

 それでも、目は見えていた。

 光のない闇の中で視覚が働く。

 その事実に、僕は改めて“人間ではない”ことを悟った。

 

 数十段、数百段、いや、時間の感覚が失われるほどの長さを降りていった先に、それはあった。

 

 広大な空洞。

 岩盤が削られ、球状に広がる空間。中心にぽっかりと開いた深穴。

 そこから、黒い“何か”がゆっくりと立ち上るような気配。

 

 音がなかった。

 風もなかった。

 ただ、“重さ”だけがあった。

 空気に質量がある。呼吸するたびに、胸が締めつけられる。

 

 ナギが一歩、前へ出た。

 その姿は、あまりにも静かで、まるでこの場所に溶け込むようだった。

 

「ここが、“獣”が眠る場所」

 

 その言葉の響きが、脳内で何度も反響した。

 “獣”――その正体を知らぬまま、僕の中の何かがそれに応えていた。

 

 脈が早い。

 熱がある。

 皮膚が内側から裂けそうだった。

 

 僕の中で、何かが目を覚ましかけていた。

 それが“僕”なら、僕はもう、僕ではいられない。

 

 そう直感していた。

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