鏡の中にいる少女は、たしかに“僕”のはずだった。
しかしその目は、まるで他人のものだった。眠たげで赤く縁取られた瞳。その奥で何かが揺れていた。感情、というには曖昧で、意思、というには遠すぎた。まるで、目だけが“先にこの場所を見ていた”かのような、そんな印象。
髪が長い。腰の辺りまで伸びた黒髪は、動くたびに波打ち、微かな光を集めていた。指先ですくってみても、その感触は現実的すぎた。静電気が、皮膚と髪の間で弾ける。
それなのに、そこに映る“顔”には、どうしても自分の内面が一致しなかった。笑っていない。かといって、怒っても、泣いてもいない。ただ、見ているだけだ。じっと、誰かを観察するように。
たとえば、自分を笑わせようとしてみたことがある。 「ふふっ」と口の端を上げてみるのだ。
だが、鏡の中のその顔は、まったく動かなかった。 笑うという動作は成立しているのに、まるで顔の筋肉が、心の意図を拒否しているようだった。 これは身体の問題ではなく、もっと深い、記憶と神経の連動の不整合――「本当に笑ったことのある筋肉の記憶」が欠けている、そんな印象だった。
鏡を見ながら、ふと肩に違和感を覚えた。
ゆっくりと襟元をずらし、肩甲骨のあたりを覗き込む。
そこにあったのは、細く、古い、爪のような痕跡だった。
まるで、誰かがそこを抉ったかのような、三日月状の傷。皮膚はうっすらと盛り上がり、古い火傷のように見える。
触れた瞬間、背中にざらりとした痛みが走った。
そして、脳裏に光が閃いた。
――雨。
――冷たい石床。
――小さな手が、何かを庇うように伸ばされた。
記憶の断片。だが、それは“僕”のものではなかった。
あれは、アカリの記憶だ。
目を閉じると、より鮮明になる。
彼女は暗い部屋にいた。黒神ノ穴の底、あるいはその近く。濡れた床の上に、何かが横たわっている。人間の形をしていたが、動かない。
その前で、アカリは傷だらけの体を丸めて、ただ震えていた。
肩に何かが食い込んでいた。鋭く、冷たいもの。それが肉にめり込み、骨を掠め、そして引き裂いていく感覚。
痛い、というより、冷たかった。
感覚がそこで途切れる。
僕は鏡の前で目を開いた。背中から、うっすらと汗が流れていた。
さっきの“痛み”は、どこまでが僕のもので、どこまでが彼女の記憶だったのか。
その線引きが、もはや意味を持たなくなってきていた。
この身体は、確かに彼女のものだった。
骨も、皮膚も、声も。
だが、今それを動かしているのは、日向という名の意識であり、思考であり、記憶だ。
けれど、その日向という存在は、死んだはずだった。
ならば、この身体は――?
これは、いわば“記憶媒体”なのだ。
アカリという存在の、痛みと記憶と、あるいは願いが、焼きついた装置。
まるで、何万回と再生されたVHSのように、同じ箇所にノイズを残したまま、今も繰り返し動いている。
肩の傷痕は、そのノイズのひとつだ。
皮膚に残る記録装置。
記憶は、脳だけで行われるものではない。
“痛みの記憶”は、時に思考よりも正確に、事実を刻む。
僕は、そう信じている。そうでなければ、この“異物”が説明できない。
自分の身体のどこかが、誰かの痛みに反応する。
これは、哲学の問題ではなく、生物の設計に関わる問題だ。
いや、逆に、哲学はこの痛みに“意味”を与えるために生まれたのかもしれない。
人はなぜ、他人の痛みを知覚できるのか。
なぜ、その痛みに“感情”を抱けるのか。
それは、感情が先にあるのではなく、痛みが感情を生むのだ。
彼女は、なぜこの傷を持ったまま生きていたのだろう。
なぜ、この身体は、“死んだ僕”を呼び寄せたのだろう。
もしかしたら、あのとき、あの場で彼女は、誰かを守ろうとしていたのかもしれない。 誰かを庇い、そのために傷を受け、その痛みが身体に刻まれ、そして僕をここに呼んだ。
そう考えると、妙に納得がいった。 感情は、痛みに似ている。ときに他人のために流れ、結果として自分に刻まれる。
それは、彼女が持っていた“本能”だったのかもしれない。
それとも、僕が知らないまま、どこかで願っていた“他者のための衝動”だったのかもしれない。
それは、たぶん、まだ語られていない物語の途中なのだ。
この肩の傷は、その序章にすぎない。
――アカリ。
君は、いったい、誰を守ろうとしていたんだ?