血よりも深く ―地方都市“黒神ヶ淵”異譚―   作:くにゅたろ

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第8章 第6話:血塗られた真実

 

 過去を追体験することは、記憶の中を歩くこととは違う。

 それは、風景ではなく、感情に触れる行為だった。

 風は吹かない。匂いも、味もしない。だが、痛みだけが確かにあった。

 

 アカリとしての記憶は、映像ではない。むしろ、染み込んだ音のようだった。

 黒神ノ穴の奥で、血が跳ねる音。濡れた岩肌を叩く足音。叫び、そして……静寂。

 それらは、過去形ではなかった。今もそこにある“現在進行中の罪”だった。

 

 そのときの僕――アカリは、誰かを守ろうとしていた。

 

 けれど、それは理屈にすぎなかった。行動はもっと単純で、原始的で、衝動的だった。

 喉を裂き、胸を穿ち、腹を蹴って倒し、何も言わずに歩き去る。

 何も知らない少女の顔をした“兵器”が、命令もなく人間を駆除していた。

 

 笑っていた気がする。目の奥では泣いていたのかもしれない。だが、手は止まらなかった。

 “彼”を守るため。“わたし”を守るため。――それは同じことだった。

 

「アカリ、それは……正義じゃない」

 

 昔のナギの声が、どこかで聞こえた気がした。

 

 けれど、それを否定する力は、もう残っていなかった。

 正義とは、他人が定義するものだ。そして、他人など、あの地下には存在しなかった。

 

 だからこそ、やっとのことで“生きて戻った”とき、僕は“アカリ”を封印した。

 日向という仮面を被ることで、他人の規範に適応した。それは、正しい選択だった。

 けれど今、その仮面の裏から、彼女が再び囁く。

 

「でも、そうするしかなかったの」

 

 この言葉には、弁解も悲劇性もなかった。

 ただ、ひとつの事実。――誰かを殺した、という事実だけが、冷たく胸に落ちる。

 

 記憶が終わったとき、僕は地面に膝をついていた。

 

 指先が震えていた。心臓の鼓動が早すぎて、むしろ静かに感じた。

 頭の中では、彼女の声と僕の声が交錯していた。どちらがどちらか、もうわからなかった。

 

 「“アカリ”は、俺の中にいる……」

 

 そう呟いたとき、口の動きがわずかに違和感を帯びた。

 発音の癖が変わっている。口内の筋肉が、見慣れない軌跡を描いていた。

 

 彼女は、身体の中にいるのではない。

 僕という存在そのものに、戻ってきた。あるいは、初めから分離などしていなかったのかもしれない。

 

「でも……それを受け入れる覚悟は、まだ……ない」

 

 それが、僕の本音だった。

 

 そのとき、外から足音が響いた。ゆっくりと、慎重に。

 

 ナギだった。懐中電灯を手に、入り口の奥から現れた。

 

 彼は黙って僕を見下ろしていた。僕も、何も言わなかった。

 

 静かな、けれど決定的な“裂け目”が、そこにあった。

 

「お前は、まだ“人間”でいたいのか?」

 

 ナギの声は、問いではなく、宣告のようだった。

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