血よりも深く ―地方都市“黒神ヶ淵”異譚―   作:くにゅたろ

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第9章 第2話:融合か拒絶か

 

 対話とは、声と言葉だけで成立するものではない。

 思考の深部では、常に“誰か”が“何か”と対話している。

 それは、記憶の亡霊だったり、欲望の原型だったり、あるいは、自分自身だったりする。

 

 僕――日向は、声のない声と対峙していた。

 深淵の中心。そこには“それ”がいた。

 名もなく、形もない。けれど、間違いなく、僕の一部であるもの。

 

「アカリを受け入れろ。そうすれば、すべては“ひとつ”になる」

 

 言葉ではない。観念が、脳内に直接差し込まれてくる。

 それは命令ではなかった。

 願望でもなかった。

 むしろ、当然の結果として提示される“選択肢”だった。

 

 融合。

 それは、分裂した人格を統一し、過去を整理し、未来を整えること。

 それは、矛盾の解消。

 それは、自己の完成。

 

 「でも……完成って、終わりじゃないのか?」

 

 ふと、そう思った。

 

 “僕”は、“わたし”を抱えたまま生きてきた。

 アカリの記憶、声、行動。罪と愛と憎しみ。

 それを、日向として処理しきれず、ただ内側に押し込んできた。

 

 それは未解決だった。

 未解決だからこそ、まだ“僕”でいられた。

 

「おまえは、曖昧さに依存している。だが、曖昧さには限界がある」

 

 声は、僕を分析していた。まるで、プログラムを読むかのように。

 矛盾をひとつずつ列挙し、それらが共存できないと説明する。

 理屈は正しい。だからこそ、怖かった。

 

 「……俺は、俺でいたい」

 

 その言葉は、思った以上に脆かった。

 口にした瞬間、自分の声が他人のもののように聞こえた。

 それは、自己主張ではなく、懇願のようだった。

 

「“俺”という仮面は、もう崩れている。おまえは既に、“私”と混ざっている。

 融合は、終わりではない。“解放”だ」

 

 甘美な響きだった。

 痛みが消える。

 過去が赦される。

 罪と人格の重さが、ひとつの存在に“まとめられる”。

 

 そうなれば、楽になれるのだろう。

 悩まずに済む。迷わずに済む。

 他人の視線も、評価も、もう関係なくなる。

 だって、“自分”というものが、ただの概念になるのだから。

 

 「けれど、それは……俺が“俺”じゃなくなるってことだろ?」

 

 声が止まった。

 わずかな沈黙のあと、また観念が注がれる。

 

「自己とは、そもそも幻想だ。君が“俺”であろうと、“私”であろうと、それは便宜的な記号にすぎない」

 

 そうだ。確かにそうだ。

 けれど、幻想でも、僕はそれにしがみついていた。

 

 理由はない。

 ただ、怖かったのだ。

 “ひとつになる”ということが。

 

 自分と、他人と、過去と、現在とが、区別なく混ざり合うこと。

 それは、救いであると同時に、死に等しかった。

 

 「俺は……まだ、“俺”でいたい」

 「ならば、苦しめ。おまえは“分離”という地獄を選んだのだ」

 

 そう告げる声には、怒りも失望もなかった。

 ただ、淡々とした“事実の確認”だった。

 その方が残酷だった。

 “選んだことの責任”を、容赦なく背負わされた気がした。

 

 声が遠ざかっていく。

 意識が浮上していく。

 感覚が少しずつ、現実に戻り始める。

 

 地面の冷たさ。

 皮膚を這う空気の重み。

 指先に戻る震え。

 それらが、“僕がまだここにいる”ことを証明していた。

 

「その地獄から、お前を救えるとしたら」

 

 誰かの声が、背後から響いた。

 

 ナギだった。

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