第11章 第1話:都市伝説の終焉
重い鈍色の霧がゆっくりと揺れ、灰色の天幕が裂けるようにして光が差し込んだ。あたりに漂っていた不穏な気配は、崩壊した黒神ノ穴の余韻だけを残している。崖の縁に轟音を立てて崩れ落ちた岩盤は、無骨に積み重なった瓦礫となり、沈黙の山を形づくっていた。白い朝靄が地表を撫で、ゆるやかに消えゆくさまは、まるで時が逆流するかのようだった。薄紅色の空が遠く染まり、始まりの予兆としての朝を静かに告げている。世界の輪郭が緩み、あらゆる色彩が一度に目を覚ましたかのようだった。
瓦礫の隙間から覗く町並みは、見慣れた通学路も、停車したままのバスも、すべていつも通りにそこにあった。窓辺の花壇に咲く小さな苔も、冷たい露を滴らせながら、何事もなかったかのように揺れている。人々の足取りは変わらず、背中にはリュックを背負い、通りすがりのパン屋からは朝の焼きたての香りだけが立ち上っていた。通勤の群れも、通学する子どもたちも、怯えや動揺の影は一切見えない。静寂に満ちた世界に、ただ日常の音だけが淡々と刻まれていた。
胸の奥には、安堵と同時に不安が棲みついている。異常は消え去ったのだろう。霧も影も、異能も──すべて終わった。けれど、この日常にはひどく冷たい断絶を感じる。過去の記憶が風化する前に、確かめたいものがあったはずなのに、今はもう指先にすり抜けてしまった。いつの間にか、何か大切なものが失われたまま、朝の穏やかさだけが残っている。
胸ポケットのスマートフォンを取り出すと、画面には通知ゼロの静寂が広がっていた。電子掲示板の書き込みは跡形もなく消え、目に入るのは広告と天気予報だけ。行政のウェブサイトさえ、異変を告げるページはすべて更新され、通常運転の案内に差し替えられている。図書館のオンライン蔵書検索にも、関連文献はヒットしなかった。まるで、都市伝説が自然に蒸発したかのようだ。
郵便受けを開くと、封書はいつもと同じ顔ぶれだが、よく見ると差出人の名前が微かに薄れている。特に、日向宛の書類が一通もないことに気づいたとき、鼓動がわずかに早まった。戸籍簿を管理する役所に足を運んでも、そこには「日向」の文字すらなく、窓口の職員も訝しげな目を向けるだけだった。存在を証明するすべは、自分自身の記憶だけだ。
足元に落ちていた一枚の新聞紙を拾い上げると、その見出しはいつもと変わらない事件事故の記事ばかり。しかし、どこを探しても「アカリ」の名前は載っていない。写真のキャプションにも、インタビューにも、検索ワードにも、ただ忽然と消え去っているのだ。名を持たぬ影が、情報のネットワークから切り離されている。
胸の奥底で、何かが折れたように沈んでいく。安心感だと思ったものはただの欺瞞で、それを失ったいま、行き場のない喪失感だけが残った。終わりに向かっていたはずの物語は、知らぬうちに始まりの地点に戻ってしまったようだ。冷たい空気が肺の奥へ刻み込む。
まるで、最初から何もなかったみたいだな……
「お前のこと、誰も覚えてない。俺と、沙夜以外は」