血よりも深く ―地方都市“黒神ヶ淵”異譚―   作:くにゅたろ

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第6話:再死の可能性

 

 死んでから、生きてるって、どういうことだ?

 

 その問いは、朝にコーヒーを飲むような日常性で、ふいに僕の思考に現れた。

 目覚めて、呼吸して、ものを考える。体温があり、重力がある。

 だからといって、それが“生きている”という状態を保証するものではない――ということを、僕はようやく理解し始めていた。

 

 生とはなにか。

 死とは、どこから始まるのか。

 哲学者たちは、言葉を使って“死”を定義しようとしてきたが、結局のところ、それは“生きている者”による仮設にすぎない。

 死者は語らない。語れるのは、死の周辺に立っている生者だけだ。

 

 では、僕は今――どこにいる?

 

 

 

 天井から、音がした。

 鉄と鉄の接合部から、ぽたりと水滴が落ちる音。雨だろうか。

 この施設には窓がない。空も、天気も、確かめようがない。

 だが、水の音は、時間を連れてくる。

 ぽたん、ぽたん、と一定のリズムで打たれる水音は、内部に浸透して、僕の呼吸を同調させる。

 

 その中に、一瞬だけ――声が混じった気がした。

 

 「……いない……」

 

 誰の声だろう?

 僕の声ではない。少なくとも、音の質が違った。

 けれど、耳で聞いたというより、脳の裏側で再生されたような響き。

 あのとき、日記を読んで以来、断続的に感じている“他者の気配”が、また頭をもたげた。

 

 僕は“自分”なのだろうか。

 あるいは、“誰か”を再生しているだけの模造品なのだろうか。

 

 

 

 スワンプマン――その思考実験が浮かぶ。

 人が一人、雷に打たれて即死する。

 同時に、まったく同じ構造の人間が、原子レベルで複製されて、その場に現れる。

 記憶も、身体も、性格も、完璧に同じ。

 だが、その存在は“本人”なのか?

 

 もし、僕が“死んだ”直後に、何者かの手で別の身体に記憶を写された存在だとしたら――僕は、僕ではない。

 ただの再現。

 それも、“意識”というもっとも不確かな部分を模倣しただけの、表層的なコピー。

 

 けれど、今こうして、僕は考えている。

 「我思う、ゆえに我あり」という言葉を拠り所にするならば、僕は間違いなく存在している。

 しかし、その“思考”すらも、“他者”のものだったとしたら?

 

 

 

 喉の奥が、再び渇いた。

 口内の温度が不自然に高い。舌先が、牙の付け根に触れて、僅かに痛む。

 僕は血を吸った。鼠を殺した。

 その事実が、理屈よりも早く、存在の座標を動かしていく。

 

 あれは、欲望だったのか。

 それとも、本能だったのか。

 あるいは、誰かの“記憶された衝動”だったのか。

 

 この身体は、僕のものではない。

 アカリという少女のものであり、僕はそこに“宿っている”。

 しかし――もしかすると、“宿っている”のは僕ではなく、“アカリ”の方かもしれない。

 

 この意識、この思考、この“俺”の感覚こそが、アカリという身体に残された魂の、最後の残響なのではないか。

 つまり、僕の自我そのものが“乗っ取られたもの”であり、

 僕が僕だと思っているこの視点こそが、すでに別の誰かによって“再構成された虚像”だとしたら。

 

 

 

 「――お前、ほんとうに日向なの?」

 

 音はなかった。けれど、そう問われた気がした。

 鏡はない。だが、自分の顔を思い浮かべてみる。

 少女の輪郭、黒い髪、細い首筋。

 そこに“僕”の表情はない。

 それでも、笑おうと思えば笑える。

 目を閉じれば、涙が出る。

 

 この反応は、誰のものだ?

 

 

 

 僕は、死んだ。

 少なくとも、一度はそうだった。

 その“死んだはずの自分”を、なぜ、こうして感じ続けているのか。

 それが、再生なのか、模倣なのか、侵蝕なのか――判別はつかない。

 

 だが、ひとつの可能性だけは、否応なく浮かび上がる。

 

 ――この身体の“死者”が、俺を乗っ取ったのかもしれない。

 

 つまり、僕は“アカリ”になりかけている。

 あるいは、最初から“アカリ”だったのかもしれない。

 柊日向という名前も、事故の記憶も、“元からこの身体にあった記憶”の一部だとしたら?

 

 

 

 冷たい水が、頭の芯を刺す。

 そのとき、遠くで雷のような音がした。

 壁の向こう。施設の奥。あるいは、その外。

 僕は、ふと“上”を思い出した。

 

 地上。

 この施設の外側。太陽のある場所。

 世界の“現実”があるはずの領域。

 

 僕は、それを確認しなければならない。

 もし、僕の知っている“世界”が、まだ存在しているのなら――

 

 「地上に出よう」

 

 声に出すことで、それが決意に変わった。

 僕が“誰”であるのかを確かめるには、閉じた世界では足りない。

 

 

 

 歩き出す。

 この身体が、“どこへ”向かおうとしているのか。

 僕という存在が、“誰の記憶”を歩いているのか。

 まだわからない。

 けれど、ひとつだけはっきりしている。

 

 ――このままでは、“俺”が、曇っていく。

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