遠坂桜が『鋼の精神(メンタル)』持ちでヤバい女な模様   作:恐るべきサクラ

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 予め触れておくと、蟲蔵における桜の具体的な悲鳴はカットしている。
 流石に読む側のショックが大きいので、あえて地の文での説明のみに留めた。

 そして、前後編に纏めるつもりだったのが、思った以上にボリュームが増えて、前中後編の三話構成になってしまった(汗)
 そういった事もあり、次回の話である程度は伏せていた情報を解放する予定。
 


遠坂時臣の悪夢(中編)

 

 その場所に、時臣は見覚えがある。

 

「まさか……ここは、間桐の邸宅にあった地下の工房か!?」

 

 かつて臓硯を打倒した桜を救出する際、間桐の工房──蟲蔵へと踏み込んだ。

 あの時は、愛娘が行使する『虚数炎』によって工房内は焼き払われた後だったので、蟲の姿は一匹たりとも存在しなかった。

 

 

 だが、今は……

 彼が視線を動かした先に、大量の蟲が蠢いている。

 

 

「ぐっ────こ、これはっ……なんと、悍ましい光景だ!

 このような場所に、魔道の尊さなど、とても見いだせない……!」

 

 初めて目にする光景に、不快感を覚えて表情を歪ませる時臣。

 彼は魔術師なので、蟲を使役する術者を蔑むような真似はしないし、多少の怪異なら涼しい表情で対応するが……

 床一面が醜い蟲で埋め尽くされている光景は、流石に時臣が魔術師であっても、美的感覚的に受け入れられないものがあった。

 最近は一般人の価値観もある程度理解するようになったから、尚更だ。

 

 

 だが、その不快感はまだマ(・)シ(・)な(・)も(・)の(・)だった。

 次に彼が直面する、絶望的な光景と比べれば───

 

 

 

 

 幼子の、魂の奥底からあがる絶叫が、時臣の耳に激しく叩きつけられる。

 

 

 

 

「な───────!?」

 

 その絶叫に、時臣は絶句する。

 今の声は、聞き覚えがある。

 

 忘れる筈がない。

 忘れる筈が、ないのだ。

 

 それは、愛娘の声なのだから。

 

 時臣は視線を動かし、そして───目を見開く。

 

 

「さ、桜ぁ!?」

 

 

 悲鳴のような声をあげる時臣。

 彼に視界には、大量の蟲に埋もれながら、絶叫をあげている『遠坂桜』の姿が映った。

 いや、この場においては『間桐桜』と呼ぶのが正確だろう。

 

 反射的に、彼は愛用の杖を取り出し、蟲蔵の階段を駆け下りようとする。

 だが、それは叶わぬことだった。

 

「通れないだと!?どういう事だ!」

 

 階段を下りていく途中で、体が見えない壁に遮られたのだ。

 それ以上、先へ進むことが出来ない。

 

 夢の中でも、現実と同じ感覚で魔術を行使できる模様だ。

 なので、時臣は全力で己の力を行使する。

 

 魔術回路をフル稼働させ、愛用の杖に炎を宿して前方へ放つも、無駄だった。

 ならばと、魔術刻印を稼働させて異なる術を放つも、徒労に終わった。

 あらゆる手段が見えない壁に遮られ、その壁が無くなる様子はない。

 

 眼前の理不尽に、時臣は焦燥を募らせながらも分析する。

 

「この見えない壁は、意思ある私と、夢でしかない光景を断絶する境界!実態と虚構を分け隔てる、絶対的な法則!

 魔術師でしかない私には、通れないという事か!?」

 

 時臣の努力が全く実を結ばない中、幼い『間桐桜』の絶叫が響き渡り続ける。

 

 

 体の穴という穴から侵入され、自身の内側を醜悪な蟲に這い回られ、凄まじい恐怖と絶望に襲われている。

 全身を蟲に蹂躙され、内側の肉を引き裂かれる事で、尋常ならざる苦痛を味わわされ、喉が張り裂ける程の声で泣き叫んでいる。

 いっその事、狂ってしまった方が楽なほどの、筆舌に尽くしがたい責め苦に苛まれている。

 

 

 5歳の幼子が体験して良い事では、断じてない。

 いや、そもそも年齢に関わらず、人間が味わわされて良い事では、ないのだ。

 

「ぐぅっ……頼む!この先へ行かせてくれ!!」

 

 これが、夢でしかない事は分かっているし、干渉できない事も分かっている。

 すでに並行世界で起きた出来事で、覆しようのない終わった事だというのも、分かっている。

 

 それでも、ただ黙って見ている事など、時臣には出来なかった。

 

 

 幼い『間桐桜』が、こんなに痛いのは嫌だと、その責め苦に悶え苦しみながら必死に訴える。

 こんなに辛いのは嫌だと、魂の奥底から絞り出すような絶叫で、訴える。

 こんな苦しい場所は嫌だ、ここから出してと、泣き叫びながら、哀願する。

 

 

 まだ5歳の幼子が、並行世界とはいえ愛娘が、このように助けを求めているのだ。

 父親ならば、平静でいられる筈がない。

 

 かつての魔術師としての価値観に縛られた時臣なら、もっと冷徹に判断しただろうが……

 今の彼は真っ当な親としての感性が強くなっているため、落ち着いている事など出来ない。

 

 時臣は必死に己の魔術を行使して炎を放ち続けるが、見えない壁を突破するに至らない。

 彼の努力は、実らない。

 

「どうしても、この境界を突破できないのか!?私では無理なのか!?」

 

 父親として、悲痛な叫びをあげる時臣。

 そんな彼の努力を嘲笑うかの如く、蟲蔵に邪悪な笑い声が響き渡る。

 

 

「カカカカカカカカカッ!ああ、そのような悲鳴をあげおって、実に初々しい娘よ!」

「─────!?」

 

 

 己の耳に飛び込んできた声に、時臣はハッとする。

 それは、彼が知っている者の声だった。

 

 視線を動かしてみれば……

 蟲で満ちた床から数段上の階段に、見知った老人がいるではないか。

 

「間桐……臓硯!」

 

 老人の名を口にする時臣。

 長きにわたって間桐家を支配してきた人物だ。

 

 その声は、時臣が知るソレと比べて、悪意に満ちていた。

 いや、これが『間桐臓硯』の本質であり、時臣の前では取り繕っていたという事だろう。

 

 時臣の存在など知る由もなく──夢の登場人物だから当然だ──、『間桐臓硯』は蟲に蹂躙される幼い『間桐桜』に語り掛ける。

 

「そう嘆くではない、じきに慣れるというもの。間桐に身を置くならば、これは避けては通れぬ道。お前を間桐に馴染ませるため必要な事なのだ、桜。

 今更喚いたところで、お前の現実は変わらぬ」

 

 幼子を嬲るような、間桐の翁の声。目の前の惨状に対する喜悦をにじませていた。

 目の前であがる悲惨な絶叫が、愉快でたまらないと言わんばかりに。

 

「何?助けて欲しい?もう帰りたい?遠坂の家に戻して欲しいと?

 ああ、ああ!なんとも物分かりの悪い娘よなぁ!」

 

 幼い『間桐桜』の訴えに、『間桐臓硯』は喜悦の色をより濃くする。

 

「言うたではないか、お前はすでに間桐の者だと!もはやお前にとって、遠坂は縁もゆかりもない家!帰る場所でも何でもないわ、カカカカカカカカ!」

 

 さらに絶望を刷り込むかのような、翁の声。

 事実、意図して絶望を刷り込んでいるのだろう。

 

「分かるか?あの当主の小倅も、禅城から嫁いできた娘も、そしてお前の姉も、家族でも何でもない赤の他人。むしろ、間桐を栄えさせるための、競い合う敵と言っても過言ではない」

 

 お前に救いなど無いのだと、『間桐臓硯』は念入りに絶望を突き付ける。

 

「父と呼べる者も、母と呼べる者も、姉と呼べる者も、お前にはすでにない。そう、い(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)の(・)だ(・)。

 それを、しかと心得よ、桜」

 

 同じような内容を反復して突き付ける、悪意ある言葉。

 効果は覿面だった。

 

 蟲に埋もれた幼い『間桐桜』の絶叫は、より絶望の色を濃くする。

 

「どうやら理解したようじゃの?では、このまま続けるとしよう。

 それにしても……」

 

 そこで、『間桐臓硯』は思い出したかのような素振りで、ニヤリと口元を歪める。

 

 

 

「遠坂の小倅は良き贈り物をしてくれたものよ。これほどの胎(・)盤(・)をこの儂に献上してくれるとは。

 持つべきものは、理解ある盟友というものだなぁ」

 

 

 

 夢の登場人物である『間桐臓硯』は、この場に時臣がいる事を認識していない。

 だが、結果としてそれは、この光景を目にする時臣への揶揄となった。

 

 時臣は、己の目の節穴さに、憤死するほどの怒りを抱く。

 

「このような翁の言葉を、私は信じたと言うのか!!」

 

 蟲蔵に響き渡る時臣の怒声。その声量は大きい。

 もちろん、夢の登場人物である『間桐臓硯』や『間桐桜』には届かない。

 

「筆舌に尽くしがたい責め苦を味わわされ、魔術師ですらなく胎盤扱い!

 これのどこに、幸ある未来があるというのだ!!」

 

 すでに知っていた事実とはいえ……

 桜から伝えられて事態を把握するのと、こうして自身の目で直接その光景を見るのとでは。

 受ける衝撃は、大違いだった。

 

 ここには、苦しみしかない。

 そんな場所に、自分は愛娘を送ってしまった。

 

 自分で自分を、殺してやりたいくらいだ。

 

「止めろぉ、臓硯!桜を解放しろ!!」

 

 見えない壁を突破できないが故に、時臣は声を張り上げるしかない。

 そして、夢の登場人物である『間桐臓硯』や『間桐桜』には、時臣の声は届かない。

 

 蟲による責め苦はより苛烈となり、幼い愛娘の泣き叫ぶ声は、悲惨さと絶望を増す。

 

「止めろ、頼む!止めてくれっ!!!」

 

 声をあげるしかない時臣。

 相変わらず、その声は届かない。

 

 もっとも、届いたとしても『間桐臓硯』はこの責め苦を止めないし、手を緩める事さえしないだろう。

 

 愛娘の絶叫に込められた、苦悶と恐怖と絶望が、限界を突破する。

 

 

 

「止めろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 

 

 その光景に、時臣は父親として、悲痛な叫び声をあげる事しか出来なかった。

 そして、当然ながらその願いは届かない。

 

 この場にて、時臣は無力だった。

 彼がこれまで積み重ねてきた魔道の研鑽は、なんの役にも立たない。

 

 

 苦悶と恐怖と絶望が限界を突破した、幼い『間桐桜』は、そこで意識を失った。

 彼女の精神が、耐えられなかったのだ。

 

 

「あ、ああ、あああああああ────────!!」

 

 

 目の前で起こった愛娘の悲惨な状況に、絶望に満ちた声をあげる時臣。

 昏い蟲蔵に、父親当人しか認識できない慟哭が響き渡る。

 

 膝から崩れ落ち、首を垂れる。

 

 

 ああ、しかし……

 

 この出来事は、『間桐桜』にとって。

 終わりなき苦悶の、始まりでしかなかったのだ。

 

 

 

 

 そこから、辺りにノイズが走り───

 今までと違って、目まぐるしく光景が移り変わっていく。

 

 

 

 

 凄惨な責め苦に泣き叫ぶその声は、以前より弱々しくなっていく。

 

 泣き叫ぶ声は小さな声に変わり、表情からは生気が失われていく。

 

 ついに声をあげる事さえなくなり、その表情は虚ろなものへと変わる。

 

 

 この変化は、僅か一週間の出来事だ。

 いや、よく数日持った方だと言えるだろう。

 

 

 一連の流れを見せられ、時臣の精神は容赦なく削られた。

 削られない訳が、なかった。

 

 鋼の意志を持つ彼でなければ、すでに心が折れていただろう。

 

「こ、ここで……わた、しが……挫ける訳には、いかない……っ」

 

 そして、そんな彼だからこそ。

 打ちひしがれたままでは、終わらない。

 

「桜は……私の、何百倍、いや、何万倍もの苦しみを、味わったのだっ………

 父親である私が、無様を晒し続けるなど───」

 

 自分は、立ち止まってはいられないのだ。

 

「無様を晒し続けるなど……断じて許されない!!」

 

 魔道の人生で培ってきた精神力を総動員し、ズタボロの精神を奮い立たせる。

 時臣はゆっくりとだが、立ち上がっていく。

 

 

 

 そこから、さらに時は進んでいく。

 

 

 

 本来の髪の色と目の色が、肉(・)体(・)調(・)整(・)によって変化していく。

 

 黒髪は、色素がやや薄いものとなる。

 

 瞳の色も、碧眼からやや紫系のものとなる。

 

 

 

 そして、第四次聖杯戦争の直前には、髪と目の色が完全に間桐のそれに染まっていた。

 

 その悲しき変化に、己を奮い立たせた時臣は。

 あの間桐臓硯を打倒してみせた、自分の愛娘を想う。

 

「私の桜はっ……3ヶ月少々という短い期間で、この桜が味わった1年間分の調整を、受けたと言うのか………!」

 

 それほど責め苦を受けながら臓硯を打倒した事の、なんたる偉業か。

 改めて、愛娘が自身などよりもずっと高みにいると、再認識する。

 自分などより、遥かに立派な、尊敬すべき人間だ。

 

 

 ……もちろん。

 この夢の登場人物たる『間桐桜』が、臓硯を打倒する事はない。

 並行世界の彼女に、鋼の意志など無いのだ。

 

 幼子はただ、外道によって蹂躙されるのみ。

 むしろ、それが順当な展開だと言える。

 

 苦悩する時臣に構わず、時間は進んでいく。

 

 

 

 

 再び目の前に映し出されたのは、間桐家の廊下で会話する『間桐雁夜』と『間桐桜』の二人だった。

 

「やあ、桜ちゃん。ビックリしたかい?」

「……うん、お顔……」

「ああ、ちょっとね……また少しだけ、体の中の蟲に負けちゃったみたいだ。おじさんはきっと、桜ちゃんほど我慢強くないからね……」

 

 聖杯戦争に備えて、自身の体に間桐の蟲を取り入れた『間桐雁夜』が、自嘲気味に言う。

 それを見て、どんどん違う人になっていくみたいとこぼす幼い『間桐桜』。それを、『間桐雁夜』は否定しなかった。

 

 その日はサーヴァントを召喚する日であり、それについてはボカしながら話す『間桐雁夜』。

 まだ幼いながらも賢い部分がある『間桐桜』は、それを察して俯く。

 

「……なあ、桜ちゃん。おじさんの仕事が終わったら、またみんなで遊びに行かないか。お母さんやお姉ちゃんも連れて」

「お母さんやお姉ちゃんは……そんな風に呼べる人はいないの。いなかったんだって思いなさいって、そうお爺様が……」

「……そうか」

 

 2人の会話は、暗闇から決して逃れられない儚さに満ちていた。

 

「じゃあ、遠坂さんちの葵さんと凛ちゃんを連れて、おじさんと桜ちゃんと4人で、どこか遠くへ行こう。また昔みたいに……一緒に遊ぼう」

「あの人達と……また会えるの……?」

「ああ、きっと会える。それはおじさんが約束してあげる」

 

 それは人の妻を掻っ攫うような内容だったが、『間桐雁夜』の発言を否定したり糾弾したりする気など、時臣には全く起きなかった。

 己はそれほどの過ちを犯したし、蟲による鍛錬はそれほど『間桐雁夜』の精神を歪ませたであろうから。

 

「桜……雁夜……このような言葉を、交わしていたのだな………」

 

 あのビルの屋上での対決を迎える前に、このような会話があったとは。

 先程見た桜の悲惨な光景も合わさって、何も知らず己の正しさを確信していた『遠坂時臣』に、改めて激しい怒りが沸いてくる。

 

 

 

 

 そこで、また景色にノイズが走り───

 

 

 

 

 時臣の目の前には、再び蟲蔵の光景が映し出された。

 そして、彼の目に飛び込んできたのは……

 

 力尽きて蠢く蟲達の中に落下する、『間桐雁夜』の姿だった。

 

「───!?雁夜ぁ!!」

 

 思わず駆け寄るも、先程と同様に見えない壁に阻まれる。

 

「おのれっ!また先程と同じか!」

 

 無駄な努力と知りながらも、時臣は再び全力で魔術を行使する。

 彼がこれまで積んできた研鑽の成果は凄まじいモノだったが、その集大成たる炎は、見えない壁をビクともさせない。

 

 結果は、先程と変わらなかった。

 

 時臣が無駄な努力をしている中、蠢く蟲達に埋もれていく『間桐雁夜』。

 蟲蔵に、不快な咀嚼音が響き渡る。

 

 それが何なのかは、考えるまでもない。

 力尽きた『間桐雁夜』の肉体が、蟲達に食われる音だった。

 

 それを理解した時臣は、痛まし気に顔を歪ませる。

 

「これは……並行世界です(・)で(・)に(・)起(・)こ(・)っ(・)た(・)事(・)なのだ!私がどれだけ足掻こうと、変わることは、ない……!」

 

 夢として見せられている光景は飛び飛びだから、どういう経緯を辿ったかは分からない。

 だが、目の前の光景からして、『間桐雁夜』の努力は報われず、彼がなんの成果も得られなかったであろう事は、察する事が出来た。

 

 奥歯がギシリと音を立てる時臣。

 一体、この夢の中でなんど歯を食いしばったか分からない。

 

 深く苦悩する彼の耳に。

 並行世界の幼い愛娘の声が、飛び込んでくる。

 

 

 

「馬鹿な人……お爺様に、逆らうから……」

 

 

 

 その、あり得ない言葉を認識した瞬間。

 時臣は、ガツンと頭を殴られたかのような衝撃を受ける。

 

「なん、という……事だ……!」

 

 あれほど雁夜に懐いていた『間桐桜』が。

 同じ苦しみを分かち合う仲間だった筈の『間桐桜』が。

 

 力尽きて蟲達に食われた『間桐雁夜』に対し、冷たい視線を向けて、蔑みの言葉を口にする。

 

 その、なんと悲しい光景だろうか。

 

「それだけ……それだけ、桜の絶望がっ、深いという事……!」

 

 ……どういう心理状態か、時臣は概ね察する事が出来た。

 

 『桜を助ける』と希望を持たせるような事を言ったのに、何の救いも齎されなかった。

 幼い彼女に齎されたのは、『間桐臓硯』に逆らう事が如何に無謀であるかという現実のみ。

 残ったのは、絶望だけだった。

 

 その結果を見れば、『間桐雁夜』の自分自身を苦しめる行動は、幼い『間桐桜』にとって理解不能だっただろう。

 そんな理解不能さは、幼い彼女を苦しめたに違いない。

 

 恐らく、幼い『間桐桜』は自身の心を守るために、無意識に見下す対象を見出したのだ。

 そうやって相手を蔑めば……自(・)分(・)よ(・)り(・)下(・)の(・)者(・)が(・)い(・)る(・)と思えれば、己(・)の(・)苦(・)し(・)み(・)を(・)和(・)ら(・)げ(・)る(・)事が出来る。

 並行世界の愛娘は、無意識にそう感じて、先程のような言葉を発した。

 

 それほどまでに、彼女の心はズタズタにされていた。

 

 

 ……後々、彼女自身が、その心無い言葉を口にした事で、自己嫌悪で苦しむなど。

 この時の幼い彼女に、分かる筈もなかった。

 

 

 

 

 再び、景色にノイズが走る。

 そこからは、ダイジェストのように場面が目まぐるしく移り変わっていく。

 

 

 

 

 間桐家での食事にて、時に毒を盛られて苦しむ『間桐桜』。それを、間桐の親族関係者から容赦なく嘲笑われる。

 

 学校では陰気な空気を醸し出す『間桐桜』。その暗さゆえに、いじめのターゲットにさえならない。

 

 ずっとずっと続く、蟲蔵での悍ましい時間。修練の名を借りた拷問。それは『間桐桜』が中学生になろうと、一向に変わらない。

 

 苦しくて苦しくて、それでも自分を保つために苦(・)し(・)み(・)と(・)認(・)識(・)し(・)な(・)く(・)な(・)り(・)、救いの無い日々が続いていく。

 

 

 移り変わっていくこれらの光景を、時臣はじっと見続ける。

 常人なら現実逃避しているだろう痛ましい光景を、彼は固い決意でもって瞳に焼き付ける。

 どれだけ心が悲鳴をあげても、決して目を逸らさない。

 体が小刻みに震え、歯を固く噛みしめながらも、前を見据え続ける。

 

 

 

 

 

 そして───

 

 

 

 

 

 再び景色が移り変わり、映し出されたのは武家屋敷のような場所だった。

 

 現代の一般的な家屋とは異なり、風情ある佇まいだ。

 外部の者を拒絶するような雰囲気はなく、むしろ受容するようなものが感じられる。

 

 その敷地内にある、家屋の玄関の扉の前で。

 中学生の制服を着ている『間桐桜』が、立っていた。

 

 雨の中を傘もささずに歩いてきたのか、彼女の髪の毛や制服は水で濡れている。そのままだと、風邪をひいてしまいかねない。

 そんな自分の状態も気にせず──あるいは気にする感性さえ失っていたのか──、『間桐桜』は無表情で立ち続ける。

 

 そうして待っているうちに、日本家屋の玄関の扉が開けられる。

 

 扉の中から顔を出してきたのは……

 不器用ながらも人の良さそうな、赤毛の少年だった。

 

 

 

 

「───君は、慎二の妹の」

 

「……はい。間桐、桜です」

 

 

 

 

 こうして。

 『間桐桜』と『衛宮士郎』は、出(・)会(・)っ(・)た(・)。

 

 

 

 

「これは……」

 

 その出会いに、時臣は驚きで目を瞬かせる。

 これまでの日々と、明らかに異なる光景だからだ。

 

 実際のところ、面識自体は、この2年以上前からあったのだが……

 お互いが本格的に顔を合わせたのは、この時からだった。

 なので、実(・)質(・)的(・)な(・)出(・)会(・)い(・)は、この日だ。

 

 

 延々と続く昏い日々に、一筋の暖かい光が差し込む瞬間だった。

 

 

 そこから、『間桐桜』は友人の妹として、何度も衛宮邸へと訪問し……

 彼女の意外な頑固さに、『衛宮士郎』は根負けする事になる。

 

 『間桐桜』が家事を手伝うため、衛宮邸へ通い続ける日々が、本格的に始まった。

 

「食器は、上の戸棚。下は、米びつと包丁と、他には……」

 

 衛宮邸の台所について、『衛宮士郎』から教えてもらう『間桐桜』。

 少年の言葉に、しっかりと耳を傾ける。

 

「まず裏側から、肩の中ほどで折り返して、袖は折り目と平行になるよう畳んで……」

 

 服の畳み方について、『衛宮士郎』から教えてもらう『間桐桜』。

 作業が上手くいかず慰められるも、もう一回やってみるとささやかな奮起を見せる。

 

 最初は上手くいかないながらも、徐々に家事のやり方が上達していく『間桐桜』。

 その過程で、不器用ながらも優しい言葉の数々を貰っていく。

 これまで得られなかった、幾つもの宝物を、貰っていく。

 

 『衛宮士郎』との、掛け替えの無い交流の日々。

 そこには彼の姉貴分である『藤村大河』もいて、賑やかで楽しい空気が作られていた。

 

 間桐の家には無い、暖かな時間。

 まさに、奇跡といっても過言ではない、幸福の時間だった。

 

 

 陰気で無表情だった『間桐桜』の顔に……

 徐々に、生気が宿っていく。

 

 

「おおお………!」

 

 

 その変化に、時臣は希望を見出して、喜びの声をあげる。

 

 10年近くに渡って続いてきた、『間桐桜』の絶望の人生に。

 ささやかながらも、救いがもたらされたのだ。

 

 

 衛宮邸の玄関に、家主の少年による「ただいま」という挨拶が響き渡る。

 本来なら、彼の姉貴分がいなければ返答はないのだが───

 

 

「ああ……おかえりなさい、先輩」

 

 

 衛宮邸へ帰ってきた『衛宮士郎』を迎える、『間桐桜』。

 彼女は、笑顔を浮かべるようになっていた。

 

 そんな少女の出迎えが嬉しいのか、『衛宮士郎』も表情を綻ばせる。

 そして、その光景を眺めていた時臣も、赤毛の少年と同じように──否、彼以上に表情を綻ばせる。

 

「この少年のお蔭で、あの桜は表情が豊かになったのか……」

 

 間桐の家であれだけの目にあったにも関わらず、自分達の世界に来た彼女の表情が豊かだった事に、時臣は合点がいった。

 父親として、『衛宮士郎』には感謝せずにはいられない。

 

 

 なお、声を抑えて内心の思考に留めるような事は、とっくに止めていた。

 どれだけ声を出そうと、夢の登場人物に全く届かない事は、分かっているからだ。

 

 そのため、彼の思考はそのまま、独白という形で口に出されている。

 

 

 

 

 季節は冬を迎え、衛宮邸の居間にて受験勉強に勤しむ『間桐桜』。

 それを、先輩である『衛宮士郎』は優しく見守る。

 

「やっほー!メリー・クリスマース!」

 

 そこに、姉貴分である『藤村大河』がサンタクロースの格好で入ってきた。

 相も変わらず、空気を賑やかにしてくれる女性だ。時臣から見ても好感が持てる。

 

 ちょうど、『間桐桜』の受験勉強がいち段落つきそうな所だったのだろう。

 すぐに、ささやかなクリスマスパーティーへと入っていく。

 

「士郎はずぅっと、切嗣さんの真似をしててねぇ……正義の味方になるんだー!ってさぁ」

「んっ……!なに言ってんだよ、酔っ払いめ……」

 

 アルコールで顔を赤くしている『藤村大河』の言葉に、恥ずかしい事を触れられたと『衛宮士郎』は苦言を呈する。

 

 衛宮邸での暖かな光景に、時臣の精神はいくらか癒されていた。

 そのため、女性が口にした名を聞いて、少年の養父へと思いを馳せる余裕が生まれている。

 

「切嗣……少年の名が『衛宮士郎』ならば、彼の育ての親は『衛宮切嗣』という名前か……」

 

 そこまで考えたところで、時臣の記憶にある危険人物がヒットし、怪訝な表情を浮かべる。

 

「……その名は、あの魔術師殺しと同じ名だ」

 

 魔術師界隈で恐れられているその男について、時臣は当然ながら知っている。

 『衛宮切嗣』はその異名の通り、魔術師専用に特化した、フリーランスの暗殺者のような者だ。

 もちろん、彼が第四次聖杯戦争に参加する事については、現時点だとまだ知らない。

 

「魔術師殺し『衛宮切嗣』といえば、ターゲットを仕留めるために旅客機ごと撃墜する、外道極まる男と聞いている。このような優しき少年の亡き養父が、そんな男と同一人物とは思えないのだが……」

 

 果たしてこれは、単なる偶然だろうか。

 それとも、赤毛の少年の父親は、あの魔術師殺しなのだろうか。

 

「……考えても仕方ない。そんな事より、今はこの世界の桜の行く末だ」

 

 思考がわき道に逸れた事を意識し、改めて目の前の光景を眺める。

 

 先ほどの話の続きで、『衛宮士郎』にとって『衛宮切嗣』がヒーローであるというと、『藤村大河』は語っていた。

 

「桜ちゃんにもいるでしょう、そういう人」

 

 その話題が、『間桐桜』へと振られれる。

 

「……………」

 

 少女は、すぐには言葉を発さなかった。

 彼女は左手で、頭の左側についている髪留めの赤いリボンに触る。

 

「私の……ヒーロー……」

 

 誰かを思い出すような、『間桐桜』の呟き。

 あの赤いリボンは、桜が養子に出される時に凛が贈ったものだ。

 

 そのリボンについては、時臣も知っている。

 

「こちらの世界でも、凛は桜にリボンを贈っていたのだな」

 

 どの世界であろうと、凛が桜を想うのは変わらない。

 その事に、時臣は父親として安堵の念を覚える。

 

 きっと彼女にとって、姉である『遠坂凛』はヒーローなのだろう。

 

「その辺りは、こちら側の桜と違うか」

 

 鋼メンタルの持ち主である次女を想い、苦笑する時臣。

 彼の娘である遠坂桜も、姉を深く尊敬しているが、ヒーローとして見ているかといえば、明らかに違うだろう。

 なにせ、沙条愛歌と親友になれるほどの傑物なのだ。誰かをヒーロー視するような事はするまい。

 

 なお、その事について凛が、姉としてコンプレックス混じりに忸怩たる想いを抱いているのは、父親として承知している。

 

 そのような事を考えながら、同時に彼は、自分自身に対して自虐的な想いを抱く。

 

「私はもはや……桜のヒーローである資格を、失ったからな……」

 

 己の罪深さを自覚しながら、父親として呟く。

 もはや自分に、それを主張する事など許されないのだ。

 

 自分の愛娘を、地獄という言葉さえ生ぬるい場所へと送り込んでしまったのだから。

 

 

 

 

 時臣が自分を卑下していると、目の前の光景にノイズが走り、そして場面が移り変わる。

 新たに映し出された景色は、春の景色だった。

 

 場所は、穂群原学園。

 その、校門入り口の内側だ。

 

 

「先輩」

 

 

 相手への愛しさが籠った、少女の声。

 呼びかけられた赤毛の少年、『衛宮士郎』が振り向くと……

 

 

 

 穂群原学園の女子制服を身につけた、『間桐桜』が立っていた。

 

 彼女の周りを、桜の花びらが舞い降りている。

 

 その姿は、純粋に美しかった。

 

 

 

 ドキッとしたような表情を浮かべる『衛宮士郎』。

 妹分の後輩に対して、そのような感情を覚えるなど、彼は想定していなかった。

 

 そこへ現れる『衛宮士郎』の同級生二人。

 『柳洞一成』と『美綴綾子』だ。

 

 その二人と親し気に挨拶を交わした後、『衛宮士郎』は『間桐桜』を紹介する。

 すると、『美綴綾子』が姉御肌の強さを発揮し、『間桐桜』を部活動へと勧誘しだす。

 

 押しの強い『美綴綾子』に、『間桐桜』は頬にちょっぴり汗を垂らしながらも、ちゃんとコミュニケーションを取る。

 そこに、陰鬱な空気は無い。

 

 

「…………………」

 

 

 穏やかな時間だった。

 本当に、穏やかな時間だった。

 

 時臣が一時的に、魔術師たる己を忘れ、純粋に父親としての表情を浮かべるほどに。

 

 

 

 ……間桐の家での陰惨な時間は、今でも続いているのだろう。

 あの蟲蔵にいる時、『間桐桜』は何の表情も浮かべず、諦観に満ちた様子で蟲達に身を沈めているに違いない。

 

 そのことを思い、時臣は再び苦渋に顔を俯かせる。

 

 

 

 ああ、それでも。

 それでも、以前と比べれば……

 

 救いとなる時間は、ある。

 

 

「……いつか」

 

 

 いつか、その救いとなる時間のみが、桜に残れば良いのに。

 

 無謀な願いだと知りつつも、あの間桐の家から解放されて。

 この優しき少年との穏やかな日々のみが続いていけば、どれほど良い事か。

 

 

 時臣は、魔術師らしからぬ思考で。

 そんな想いを、抱いた。

 

 

 

 

 

 ……しかし。

 

 夢のような時間とは、いつか終わるものだ。

 現実は、牢獄の中にいる憐れな供物を、逃がしてくれない。

 

 決して、逃さない。

 

 

 

 

 

 時臣の目の前に広がる景色に、再びノイズが走る。

 

 

 

 

 

 次に時臣の目に飛び込んできたのは、どこかの校舎の廊下だった。

 

「これは───」

 

 先程までと様相が異なる光景に、時臣は状況を確認しようと、視線を走らせる。

 その場にいたのは、幾人かの少年少女と、人ならざる存在だった。

 

 一人は先程から目にしている『衛宮士郎』で、その傍に黒髪のツインテールの少女と赤い外套の男がいた。

 

「まさか……あれは、成長した凛か?」

 

 面影が自身の長女とそっくりだ。成長したらこのような姿になるのは、父親として想像できる。

 意思の強い眼差しを険しいモノにして、敵対者を見据えている。

 

 本来であれば、立派に成長した『遠坂凛』の姿に、父親として喜ぶべきなのだが。

 何故か胸騒ぎがする今の時臣に、そのような気は起きなかった。

 

「赤い外套の男は、成長した凛のサーヴァントだな……」

 

 どのような出自かは分からないが、長女の傍に控えている赤い偉丈夫からは、とても頼もしさを感じられる。

 

 視線を動かすと、ボディコン風の装いで眼帯をした長髪の女と、どこか癖のある髪型の少年と、『間桐桜』の姿が目に入った。

 少年少女達の姿から、時臣は現状を把握する。

 

「……彼らの格好は、穂群原学園の学生服だ……月日は先程から大幅に進んでいない。概ね、数か月後といったところだろうな。

 今は、第四次聖杯戦争の10年後ということか」

 

 そう分析し、眼帯をした長髪の女を見る。

 

「眼帯をした女は、サーヴァントだな……桜がマスターなのだろうか?」

 

 その恰好と気配から、彼女がサーヴァントだと理解する時臣。

 

「あちらは……間桐鶴野の息子の、間桐慎二だな」

 

 先程、ダイジェストのように流れていった光景の中に、彼の姿があった。

 かつて見かけた間桐鶴野の息子である少年と、顔立ちが共通している。成長したらああなるのだろう。

 

 時臣がそのように呟く中、言い争う少年少女達。

 その会話に、意識を傾ける。

 

「くそっ、もう一度だ、桜!もう一度、僕に支配権を譲るんだ!」

 

 そのように悪態をつきながら、『間桐慎二』は縋るように『間桐桜』へ駆けつける。

 しかし、少女の返答は無言だった。

 

「………………」

「おい!何を黙っているんだよ!お前は戦う気がないんだろう!?マスターになるのは嫌だって、散々言っていたから、僕が代わりに引き受けてやったんじゃないか!

 それを今更、なにいい子ぶっているんだよ、お前はっ……!」

 

 妹という立場の少女に、聞くに堪えない怒声をぶつける『間桐慎二』。それにビクッと震える『間桐桜』。

 彼は怯える少女に手をあげるも、少女を庇うように割って入った眼帯の女サーヴァントに、その手を掴まれる。

 

「ラ、ライダー、お前───僕に、逆らうのか?」

 

 信じられないような声をあげる『間桐慎二』に、その眼帯の女サーヴァント───『ライダー』は、冷淡に告げる。

 

「あなたは私のマスターではありません、シンジ。たとえ兄でも、サクラに手を上げようとするなら、排除されるだけの存在です」

 

 告げた後、『ライダー』は慎二の手を放す。

 自身の手を押さえながらよろよろと後退する少年だったが、それで矛を収める彼ではなかった。

 相変わらず、『間桐慎二』は身勝手な言葉を口にし続ける。

 

「は、はは───そうかよ、後悔するぞ、ライダー。お前が何と言おうと、桜が本を作れば元通りだ。お前が僕のサーヴァントに戻ったとき、どうなるか分かって───」

「無駄よ、慎二。他人に、しかも魔術師ですらない人間にサーヴァントを預ける事は、不可能に近いわ。それを可能にしていたのが、令呪による譲渡だった」

 

 悪足掻きする『間桐慎二』に対して、『遠坂凛』が冷徹に事実を突きつける。

 その後、彼は色々と往生際の悪さを見せるも、魔術師として優秀な遠坂の長女に言い負かされる。

 

「貴方がマスターになるチャンスは無くなったわ。いえ、借り物の令呪でライダーを操っていた貴方は、初めからマスターなんかじゃなかったのよ」

 

 間桐家の少年が持つ魔術への執着など知らんと言わんばかりに、『遠坂凛』は容赦ない対応をする。

 まあ、この突き放したような対応は、時臣としても全く異論はない。

 

 『間桐慎二』の振る舞いからは、魔術師としての気高さも、一般人としての節度も、評価すべきものは全く感じられなかった。

 ただ、魔術への歪んだ執着と、他者への傲慢さを見せるといった有様だ。

 

 あまりといえばあまりの醜態に、時臣は不快気に表情を歪める。

 

「見るに堪えないな……『遠坂時臣』は雁夜に対して、魔道の恥などと、実に見当違いな蔑みを向けていたが……この少年、『間桐慎二』こそ、真に魔道の恥と呼ぶべきだろう。

 鶴野は一体、息子にどんな教育を施したのだ……?」

 

 自分の世界ではどうだか知らないが、目の前にいる並行世界の『間桐慎二』は、碌な性格をしていなかった。

 少なくとも、時臣の視点ではそうだった。

 

 こんな、『間桐雁夜』と比べたら色々な意味で劣る少年が、第五次聖杯戦争に参加しているなどと……

 そこまで考えて、時臣はハッとする。

 

「……いや、待て。聖杯戦争は、60年周期で行われる筈だ……凛や桜が高校生だから、この光景は10年後としか考えられない。

 なぜ、第四次聖杯戦争からたった10年しか経過してないのに、第五次聖杯戦争が行われているのだ?」

 

 無意識のうちに動揺していたのだろう、今になって気付く時臣。

 その矛盾に思考を進めながらも、少年少女達の殺伐とした会話に耳を傾けていると───

 

「……嫌です。もう止めましょう、兄さん」

 

 兄からの戦いの要請を拒絶する、『間桐桜』の言葉が、廊下に静かに響いた。

 妹の返答を受けて、『間桐慎二』の顔から表情が抜け落ちる。

 

「───桜。お前、今なんて言った?」

「……嫌です。兄さんは約束を破りました。先輩は殺さないって言ったのに、その約束を破ったんです。だから、もう───」

「──────」

 

 その、間桐の兄妹の会話に。

 振り向かない妹を他人のように眺めて、笑いを浮かべた『間桐慎二』に。

 

 時臣は、この上ない悪寒を感じた。

 奇しくもそれは、目の前で戦慄する『衛宮士郎』のソレと、全く同じものだった。

 

 

 

「───なら、お前の好きなようにしてやるよ」

 

 

 

 そして───

 パキンと、桜の近くで、何かが割れる音がする。

 

 

 

 

 破滅へのカウントダウンの引き金が、『間桐慎二』によって引かれた。

 

 

 

 

「ぁ、っ─────」

 

 うめき声をあげて、『間桐桜』は崩れ落ち、そして蹲る。

 そして、『間桐慎二』はそんな妹に対し、兄とは思えないような嘲笑を向けて、言い放つ。

 

「じゃあな、桜。恨むなら僕じゃなく、爺を恨んでくれ。

 なに、いつかはそうなるんなら、いま楽になった方が幸せかもよ────!」

 

 さも愉快でたまらないといった様子で吐き捨て、『間桐慎二』は廊下を走り去って逃走する。

 

「な───────!!??」

 

 驚愕する時臣。突然の凶行に、呆気にとられる。

 そんな父親の想いなど置き去りにし、並行世界の愛娘は苦しみ続ける。

 

「ぁ────は、あ─────!」

 

 蹲りながら、苦し気に胸を押さえる『間桐桜』。

 彼女の耳につけられた飾りが砕け、そこから薬品めいた液体がこぼれ、彼女に降りかかっていた。

 

 『間桐桜』が膝をついたまま震えていると、校舎の空間が薄い赤色に染まりだす。

 

「桜……!」

 

 苦しそうに震える後輩の少女を案じて、助けようと駆け出す『衛宮士郎』。

 それを、赤い外套のサーヴァントが叱責して止める。

 

「ここから離れろ!下手に魔力(かて)を与えては、戻せなくなる!」

「糧……?なんだよ、それ。お前、一体何を───」

 

 訳が分からないといった様子の『衛宮士郎』だが。

 彼が言い切る前に、校舎の空間が完全に赤へと染まっていき、禍々しい空間へと変貌していく。

 

 

 その状況を目にして。

 魔道に精通している時臣は、現在の状況を、正確に把握する。

 

「まさか─────!?」

 

 彼の顔色が、一気に青くなる。

 

 

 遠坂時臣は、これまで間桐の蟲蔵で行われた『間桐桜』への責め苦を、把握している。

 何者かによって、このような夢という形で見せられ、己の過ちによって齎された結果を、知っている。

 

 並行世界の愛娘の体内に刻印虫が埋め込まれ、それがすでに神経と同化しているという事も。

 それらによって魔力を吸われており、定期的に外部から魔力を供給する必要があるという事も。

 その供給過程はノイズが走って見えなかったが、どのような方法かは、不本意ながら予測出来ている。

 

 先ほどの液体は、恐らく刻印虫が活性化する薬品だったのだろう。

 それによって、『間桐桜』は一気に大量の魔力を消耗し、命の危機に瀕している。

 

 だから、彼女は本能的に魔力を求めているのだ。

 酸欠状態の人間が、酸素を求めるかの如く。

 

 

 この禍々しい結界は、内部に取り込んだ人間を溶解させるものだ。

 そして、結界使用者に魔力として吸収されるという結果を齎す。

 

 これほどの結界、人間の魔術師に張れるものではない。

 時臣が知る沙条愛歌なら、鼻歌交じりに実現してしまえるだろうが、この場にそんな凄まじい人間はいない。

 

 だとしたら、答えは自ずと導き出される。

 これは、サーヴァントによって張られた結界だ。

 

 そして、その使用者が誰かというと───

 

 

「……………………」

 

 

 苦しそうに震えている『間桐桜』の前で、『ライダー』が少女を守るように立っている。

 彼女のマスターが、並行世界の愛娘である事は、これまでの話の流れで確定している。

 そして、状況的に『ライダー』が、結界の使用者だろう。

 

 つまり、この結界は。

 魔力不足で暴走している、『間桐桜』のためのものだ。

 人間を溶解させて魔力を吸収し、マスターへと渡すために。

 

 最初の目的は違ったのだろうけれど、現在ではそうなってしまっている。

 

 

 だが、それは。

 並行世界の愛娘が、他人の魔力(あじ)を知ってしまう事を意味しており。

 本人の意思に関係なく、外道に落ちてしまう事へと繋がる。

 

 

 さらに、それは。

 目の前の険しい表情をしている、もう一人の愛娘が。

 遠坂の魔術師として、冬木の管理者として……責(・)務(・)を(・)果(・)た(・)さ(・)な(・)け(・)れ(・)ば(・)な(・)ら(・)な(・)い(・)事を、意味している。

 当人が、望もうと、望むまいと。

 

 

 

 その答えに辿り着いた瞬間────

 

 

 

「間桐っ……慎二ぃぃぃぃ!!!」

 

 

 

 遠坂時臣は、ありったけの憎悪を込めて。

 愚かな少年の名を、叫んだ。

 

 

 

 

 




 次回の話も、『この先は地獄だぞ』になる模様。
 無論、『Heaven's Feel』そのまんまにはならない。
 それだと、間桐桜が魂だけの存在にならないんで(白目)


 
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