都電荒川線に揺られながら、香澄は窓の外を眺めていた。
薄桃色の桜並木を抜けて、早稲田駅を目指す路面電車が、ガタンゴトンと音を奏でる。街の風景は春に染まりつつあった。
時の流れは早いなぁと、在り来りな言葉が香澄の脳裏に浮かぶ。
桜が咲いたと思えば、次の瞬間には新緑が顔を出す。湿気混じりの温風が色なき風となるまでも秒読みだ。カラフルな彩りは白に包まれて、瞬きをする間に木々は蕾を身に宿す。
諸行無常。生々流転。有為転変。
移ろい行く時間は残酷なり。徹夜はこんなに辛かったか。わたしの肌ツヤはどこへ行ったのか。あの頃のぷるぷるベイビィ・スキンを返してくれ。
……香澄は生まれつき夜更かし耐性が無い赤ちゃん体質であり、肌ツヤが良くないのは単にスキンケアを忘れたままの寝落ちによるものなので、時間の経過はそんなに関係なかったりもするのだが。
彼女にも背伸びをしたい日はある。そんなに年老いている訳でもないのに自分のことを「おじさんは」「おばさんは」と言って、そんな様子を微笑ましい顔で見られるのは、ある意味で若者の特権とも言えるべき考えかもしれない。
窓から差し込んだ陽光に当てられて、香澄は一つ欠伸をした。
終点の早稲田停留所から徒歩数分。香澄は公園を歩いていた。
橋を渡った先にあるこの公園では、路面電車の窓から見えていた薄桃色が、至る所で花開いている。
「お花見日和だ」
風に吹かれて宙を舞う花弁には人の心を動かす力があると、香澄は確信していた。
麗らかな陽の光に当たりながら歩を進める。幼い頃のままであれば、彼女は即興の歌詞とメロディで歌い出していたことだろう。
足取りは軽く、踏み出す度に背負ったギターケースががさりと揺れる。「ご機嫌だな」と、
(運良く人気も少ないし、弾き語りなんてしちゃったりして)
数分一人でハミングしていれば、だんだんと彼女はノってきていた。『普段は人一倍恥ずかしがり屋の癖に、時折凄い行動力を見せるのだから恐ろしい』とは、バンドメンバーの言である。
程よい位置に座る場所を発見。人気はなし。
荷物を下ろし、ランダムスターを取りだしてみれば、木漏れ日を反射したボディがきらりと光った。
「誰もいないよね……?」
改めて再確認。前よし。右よし。左よし。
「よーし、香澄のサクライブ! 始まるよ!」
桜のライブだからサクライブ。どこかの学生アイドルを想起させつつも安直なネーミングは、ある意味で香澄らしさと言えるのかもしれない。
「サクライブと言ったからには、やっぱり桜の曲をやらないとね。ちょうど一人だし……この曲かな」
一人で、桜を見ながら歌う。
このようなシチュエーションにピッタリの曲が、香澄の脳裏に一つ浮かんでいた。
全弦をミュートして、ブラッシングでカウントをする。
『僕らは、きっと待ってる。君とまた、会える日々を』
A♭とD♭を交互に、時折E♭を織り交ぜて、
過ぎ去った春を想い、まだ見ぬいつかを願いながら、香澄は『さくら』を歌う。
別れを惜しみ、それでも前へ進まんとする『僕ら』の背中を押す。いつか背中を押されたあの日を思い出して、共に笑える日が来るのだと願って。
森山直太朗が友人の結婚をきっかけに作成したこの曲の歌詞は、まさに春の暖かな光景を表すように優しく、切なさを感じさせるものだ。
『――かすみゆく景色の中に、あの日の唄が聴こえる』
気づけばサビの直前。
蕾が花開く瞬間のように、優しく、力強くストロークする。声も顔も、今では朧気になってしまった遠い思い出へ、もう一度手を振るように。
『さくら、さくら、今、咲き誇る。刹那に散りゆく運命と知って』
春になると、桜を見ると今までの出会いと別れを考えるのは国民性なのか。
四月が年度の始まりである理由を香澄は知らない。それでも、人の出会いと別れを、開花と落花の中に見る感性を、彼女はただ美しいと思った。
『さらば友よ、旅立ちの刻』
歩みは止まらない。時間はただ前に進む。己も周囲も変わっていく。身なりも、考え方さえも。
変わらないものを大切に抱えるのは、そんな変わっていくものばかりの人生の中を、『僕ら』は生きているから。
『変わらないその想いを、今――』
最後はE♭に着地。優しいコードの残響が宙に溶けていく。
曲が終わった。
歌い終わってから『一曲目でやる曲じゃなかったかな?』と考えたものの、この場はただ歌いたい曲を入れていくカラオケのようなものだと自己完結。曲順に意味を持たせる楽しさもあるが、こういう突発ライブの楽しさはそれだけではないはずだと、香澄は考える。
それに、そもそも観客もいないのだから――
「師匠、次の曲はまだか」
「私も聴きたいな、香澄ちゃん」
「ミ゜」
香澄は石になった。
「これが所謂『石パン』……! ヤマブキパンでも商品化してみようかな。今の香澄ちゃんを模した『かすみ石パン』!」
「やや狂気的すぎると思う。ウチ的には」
「ど、どどどど」
「どっどど、どどうど?」
「新たな忍術か?」
「どうして、ここに……?」
赤面を隠せない香澄は、目の前の二人――牛込りみと山吹沙綾に問いを投げた。
「リズム隊同士仲を深めようって、一緒にお出かけしてたんだ」
「所謂デートだ。ウチ、勝ち組」
Poppin’Partyが誇るリズム隊二人だが、二人だけで遊んでいるイメージがなかった為、香澄は少し驚いていた。そもそも沙綾はパン派で、りみは米派である。りみが一方的に敵視して一方的に白旗を上げていたが。
「最近は一緒にパン作りもしたんだよ」
「米粉パンというのはよいものだ」
(めちゃくちゃ仲良くなってる……!)
地味だが、なくてはならない存在。縁の下の力持ち。グルーヴ感の肝となるリズム隊は、その立場上色々と苦労することも多く、共感から仲良くなるのも自然な流れであった。
『沙綾ちゃんと最初に仲良くなったのはわたしなのに!』と香澄の黒い部分が少し考えたものの、『自分と仲が良い人同士が仲良くしてるの嬉しい!』と考える気持ちのほうが強かったため、正妻戦争は発生しなかった。世界平和である。
「それよりさ、次の曲だよ次の曲。ライブなんだしもう一曲やるんでしょ?」
「いやぁ、そろそろ終わろうかなぁなんて、思ったり」
「アンコール! アンコール!」
「沙綾ちゃん!?」
沙綾もバンドマンなので、割と傍若無人な面があったりもする。
香澄が思わぬ敵兵に戸惑っているうちに、りみがすぐ傍までやってきていた。彼女の手には、香澄が既に片づけたはずのランダムスターが握られている。
「師匠」
「りみちゃ」
「ほいギター」
「もう一曲やるよー! イエーイ!」
もはや別人格である。
「これで良し」
「手練れだね、りみちゃん」
「それほどでもある!」
リズム隊の絆がより一層深まった瞬間であった。
それはそれとしてもう一曲である。ロックンローラーたるものアンコールには応えねばと、香澄は燃えていた。アンコールに応えないのもまたロックではあるが。
先ほどやった『さくら』があまりにも”終わり”にふさわしい曲であったから、その次の曲となると少し選曲が難しいと、香澄は頭を悩ませていた。
観客の存在により、どうせなら筋の通った曲順にしたいという思いがふつふつとわき上がってきたのだ。贈られた歌に対する返歌。メッセージソングとアンサーソング。歌そのものでなく、歌同士の関係性に美しさを見出すのもまた良いものだと、香澄は考える。
そうしているうち、ふと顔を上げたとき。桜の木の薄桃色の中に混じる、淡い緑が香澄の目に留まった。
あたりを見渡してみれば、同じような景色が見えた。花は散りきっていないけれど、それでも所々に緑が顔を出していた。
「春になりつつある」と香澄は感じていたのに、その中には既に、春の終わりと、次の季節の始まりが混じっている。
春の色相は、出会いと別れのグラデーションのようなものだと香澄は感じた。草木の色も変わらぬ内に、取り囲む人々が変わっていく。昨日さよならを惜しんだ誰かは、今日どこかではじめましてを唱えているのだろう。
彼女はそれを切ないものだと感じたが、悲しいものにはしたくなかった。
どうせ人生長いのだから、明日を楽しいものにしなきゃ勿体ない。それを邪魔する悲しい感情なんか――ぶっ蹴飛ばしてしまえ!
「しんみり終わるのもいいけど、やっぱりライブなら盛り上がらないとね。沙綾ちゃん!」
「うん?」
「カウント四つ!よろしくね!」
「え!?」
香澄もまたバンドマンなので、割と傍若無人な面があったりもする。
「じゃあ行くよ――『桜のあと』!」
ドラムセットもなければ、ベースもない。あるのは生音を鳴らすギターだけ。それでもまぁいいでしょ。ユニゾンには申し訳ないけど。
時間はただ前に進む。己も周囲も変わっていく。身なりも、考え方さえも。Poppin’Partyさえも、いつかは終わってしまうのかもしれない。
別れは切ないものだ。道を違えるのは悲しいことだ。
それでも、「大好き」の気持ちが変わらなければ、きっとまた出会えるから。
いつかまた出会えた時、笑顔で手を振ることができるように。今はただ、歪でも一緒に、楽しく
楽観的に行く方が人生は楽しいものだ。香澄はそう結論付けて、Fコードをかき鳴らした。
all quartets lead to the?