魔王を討った勇者が、平和を取り戻したはずの世界で最後の戦いに向き合う話。

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エピローグ 「血槍の内紛(ソワズァラ)

「世界を救うには君の力が必要なんだ。君のことは僕が必ず守ると森羅万象に誓う。だからどうか頼む、オルモナ、僕たちの仲間になってくれ」

 ……勇者アルクスはかつてそのように、人里離れた樹海の奥に住まう黒魔術師オルモナに手を差し伸べた。

 アルクスのパーティは、オルモナの加入によって総勢五名となった。神聖魔法と剣術に優れたアルクス、重装と火器の扱いに長けたルドボーン、隠密と補助魔法を得意とし罠類にも詳しいサンレイ、三種の属性魔法を扱う魔術士のイルズ、そして禁忌の黒魔術を生業とするオルモナ。一行は、世界滅亡を企てる魔王エルドイトとその配下たちを討ち滅ぼさんと立ち向かっていく。

 回復・蘇生にアンデッド対策までこなす前衛職に始まり、盾役にバフに機動力や搦手、物理・魔法の両方を確保した遠距離攻撃等々。アルクスのパーティには四人の時点ですでに大抵のものが揃っていた。回復専門の人員がいないことが一見すると不安定なようで、パーティの中でも頭一つ抜けたアルクスの実力がそれを感じさせない。……しかしそんな一行には、世界有数の黒魔術師であるオルモナをどうしても仲間に引き入れなければならない理由があった。

 最大の問題は、敵も蘇生魔法を使うということである。

 魔王軍幹部の一人目を倒した時、その厄介な存在は四人の前に初めて姿を現した。四天王の一人「亡骸拾い、イゼメント」。空間魔法と蘇生魔法のスペシャリストであるイゼメントは、倒された仲間の遺体を瞬間移動で速やかに回収したのち、当然のように完璧に蘇生した状態で再度戦線に投入してくる。苦労して倒した幹部がたったの一日で完全復活を遂げて目の前に現れた時、アルクスたちは「イゼメントを先に倒さない限り、この戦争が敗色濃厚の不毛さを極めることは明らかだ」と悟った。

 しかしまずいことに、イゼメントは「自分が倒されれば魔王軍は瓦解する」ということを非常によく理解している。彼は決して自らの手では戦わない。魔法による瞬間移動の全てをもって逃げに徹する。そして幹部クラスとの戦いを切り抜けたアルクス一行が消耗した一瞬の隙を突いて、仲間の遺体を回収していくのだ。

 最初の幹部ファニムダは二度も蘇生された。一度目は普通の再戦だったが、計二度の敗北を経て決定的に力不足であることを悟った彼は、三度目には別の幹部と共闘する形でアルクスたちの前に現れた。そしてファニムダと第二幹部ゼタックのコンビネーションをどうにか下したアルクスたちは、しかしその後のイゼメントの空間魔法に対応しきれず両名の遺体の確保に失敗。消耗するだけ消耗して、戦いは事実上の振り出しに戻ることになった。

 その時点でアルクスは、イゼメントを先に倒すという戦略が現実的には不可能であることを悟っていた。そしてそうであるならば、別の形で敵軍の蘇生魔法に対策を打たなければならない。それはつまり「蘇生を禁じる魔法」の使い手を……黒魔術の使い手を仲間に加えなければならないということを意味していた。言うまでもなくオルモナが、その最も優れた使い手だったのである。

 オルモナは当初、パーティに加入することを断固拒否していた。彼女は世界が滅びても一向に構わないと考えていたのだ。

「仮に人の世が終わるなら、それもそれだろう。もちろん私もそんな世界で生きていくのは御免だが、自分一人を楽に殺す方法くらいは知っているし、この世に未練らしい未練もない。他人のことならなおさら知らん。それがどうして、無駄な苦痛を受けるリスクを負ってまで、お前たちを助けなければならない?」

 その物言いを聞いて、なまじ正義感の強い仲間たちは初めのうち、オルモナのことを敬遠……あるいは軽蔑していた。

 けれどアルクスだけは違った。

 彼は仲間たちを「見える世界が違えば考え方も変わる。思想の善悪と性格の善悪は必ずしも一致しない」と説得した上で、後日改めてオルモナに返答する。

「オルモナ、君に言われたことを昨晩よく考えたけれど。……君の言うことはもっともだ。反論の余地もない」

「ほう。分かってくれたなら何よりだ」

「あぁ。けど、僕たちにはそれでも、君の力が必要なんだ」

 その言葉に続いて彼が語った「オルモナ評」は、昨日今日知り合った仲とは思えないほどに、おそらしく正確に彼女の確信を捉えていた。

 オルモナは黒魔術の探求によって、すでに人並み外れた深さで「死」という概念の詳細に触れている。彼女にとって死は身近なもので、しかしそれゆえに、それが決して思うままにはならない物であることを理解している。彼女がこの世に未練を残していないのは、死の重大さを誰よりも具体的に捉えているからこその、人生を極めて真剣に生きてきた証なのだ。それは決して投げやりなものではなく、むしろその逆なのだと、アルクスは正しく理解していた。

 ……そう、蘇生魔法には一つ致命的な欠点がある。それは「自分本人、もしくは自分よりレベルの高い他者」に対しては効かないということ。オルモナは黒魔術を探求する中で死の知識に触れ、その中で魔術士として高レベルの域に達しすぎた。彼女が死ねば、総合的に見れば人類の現最強であるアルクスの手ですらも蘇生することは叶わないだろう。

 だから彼女は今日まで未練のないように生きてきた。当然、明日からもそうするつもりである。だからパーティ加入の誘いは断る。選択に悔いを残したくないからこそ、リスクばかり重くてリターンのない誘いには決して乗らない。

 ……つまりオルモナにとっての「戦いの中で傷つく可能性」は、「魔王を倒し平和を取り戻せる可能性」と比較しても全く看過できないほどに重く譲れない物なのだ。「傷つきたくない」という切実なその心を、平和のために戦うアルクスと仲間たちが否定できる道理はない。

 ……そこでアルクスの出した結論は、オルモナからリスクを取り除くことだった。

「だから、交換条件というのはどうだろう? 僕たちは何よりもまず君の身の安全を優先する。世界の命運と君の安全を天秤にかけるなら、迷わず君の方を選ぶと誓う。魔王を倒すため一緒に戦ってくれるなら、僕たちが君の護衛になる。それなら、世界の滅びを静かに待つことに比べて、少しは考慮の余地がある取引ってことにならないかな……?」

「……そんな話をどう信じろと? お前は、罪のない無数の民が焼き殺される様を横目に見ながら、それでも私一人を助けてくれるというのか?」

「あぁ、約束する」

「呆れたな。口ではなんとでも言えるが……」

 そのやり取りの最中に、異変が起きた。

 オルモナの住まう樹海の一角で、野鳥たちが一斉に彼方へと飛び去った。自らの危険性を隠そうともしない者が突如としてそこに現れたのだということを、その場の全員が察知する。

 第一幹部ファニムダと第二幹部ゼタックの再来。彼らは人間の姿を模しながらも、以前とは違う禍々しい魔装をその身に纏っていた。前回の戦闘から今日の再会までに間が開いたのは、その新装備を用意していたためだろうか。

 彼らは因縁のあるアルクスたちを一瞥したあと、その後ろに控えた人物を見据える。

「黒魔術のオルモナだな」

「ふむ、こちらもお前たちを知ってるぞ。ファニムダとゼタック、幹部とは名ばかりの負け損ないだな」

「生きて目の前に現れた者を敗者扱いとは、気の早いことだ。……我々がここへ来た理由に察しは?」

「もちろん付く。死にたくないからだろう?」

「ハッ。腹立たしいがその通りだ」

 オルモナの蘇生阻害魔法の存在が致命的であることに気づいているのは魔王軍も同じだった。彼らはオルモナの身柄を押さえに来たのだ。

「オルモナ、我々と取引をしないか? 魔王軍に加わってくれ。身分は保証する」

「身分だと? 信用できないな」

「いや? そうでもないさ。実際、すでに幹部の中に一人、人間がいる。我々だって猿じゃないんだ、魔族だろうと人間だろうと、一度幹部に上げた者をぞんざいに扱うことはできない」

「……魔王軍に人間だと?」

 人間と魔王軍の争いが本格化して以降、自身の立ち位置に敏感だったオルモナにとっても、その情報は初耳だった。そしてそれは当時のアルクス一行についても同じである。その場の人間たちは目配せをし合い、水面下で何か不穏な事態が進行していることを予感する。

「負け犬は嘘も下手だな」

 オルモナは変わらぬ毒舌でそう返してみたものの、その言葉はどことなく空虚に響いた。

「嘘かどうかは我々の本拠地に来て確かめればいい。……が、こちらとしても出来れば穏便な形で貴様を迎え入れたいのだ。取引に乗ってはくれないか?」

「嫌だと言ったらどうなる」

「もちろん、説得することになる。貴様を殺すことはそう難しくないが、アルクスの蘇生魔法は我々にとっても厄介だからな。対抗策をみすみすこの世から消してしまうのは惜しい」

「なるほど……」

 取引に応じなかった人間へ魔王軍が行う「説得」とは、まず間違いなく平穏な物ではない。おそらくそれを受けることになればオルモナは、これまで築き上げてきた未練なき生活を永久に奪われ、「この世に生まれてきたことへの後悔」を植え付けられるだろう。

 どの道「人の世」でなくなった世界には興味がない彼女にとって、あり得る選択肢は二つ。魔王軍に協力してアルクス一行を討伐したあとに自らも苦痛なき死を選ぶか、自分を狙う魔王軍を迎撃し続けながら後悔と紙一重の人生を生きていくか。……本人の語った思想を鑑みても、もし彼女の心が根から悪だったなら、前者を選ぶことだって十分にあり得ただろう。

「……アルクスと言ったな」

「あぁ」

「気が変わった。あの負け犬共との取引に応じるくらいなら、お前たちに賭けてやる。……一つ条件付きだがな」

「いいよ。どんな?」

「魔王を倒したあとは、お前たちの誰も、二度と、私に関わるな」

「分かった。約束する」

 満足そうに微笑み、アルクスは背負った剣に手をかける。馴染みの仲間たちも、新たな勝算があるらしい敵の二人も、緊張の面持ちで臨戦態勢に入る。

 オルモナは、距離を測るような動作で互い違いに前方へ掲げた両の指先に、黒炎の燻る矢を生み出した。その矢尻には、得体のしれない文字がびっしりと刻み込まれている。

戒名貫き(ガーゲン)

 放たれた漆黒の矢が、ファニムダの心臓を鎧ごと貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔王討伐の悲願が果たされたのは、第七幹部との戦闘時にオルモナが魔王軍へ拉致されてから約二週間が経過した後のことだった。

 四天王に対して、幹部の人数は全部で八人。オルモナの加入以降、刻一刻と生存者を減らしていたその肩書き持ちの七人目、第七幹部ディンチェゴ。彼の扱う魔法は対象に触れることを条件に、自身へのダメージを対象へ肩代わりさせる強制身代わりの効果を持っていた。

 ディンチェゴがアルクスたちの前に姿を現した時、その傍らにはボロ布を着せられて首輪で引かれる少年の姿があった。身代わり魔法の性質が術者本人の口から親切に語られた目的は当然、善人気取りの勇者様御一行に状況を理解させて一方的な戦いを展開することにある。

 敵への攻撃は人質への攻撃に等しい。その事態を理解したアルクスたちは、ディンチェゴのことを睨みつけたままで、内心ではオルモナの動向を危ぶんでいた。……ついにこの時が来てしまったのかと。

 このような事態になった時、自分たちは迷いなくオルモナの身の安全を優先すると誓ってしまった。身の安全とはつまり、脅威となる敵の排除を意味する。もしその約束を反故にすれば、きっと彼女はここでパーティから離脱してしまうだろう。……かといって本当に目の前の少年を無慈悲に見捨てることが出来るだろうか? アルクスたちは必死になって、双方を救い全てを丸く収めるための方法を……実在するのかも分からないその方法を今すぐに編み出すべく、思考をフル回転させる。

 ……しかしオルモナの判断はおそろしく早かった。

 アルクスたちが結論を出すよりも先に、オルモナは少年に右の掌を向ける。

「あ、やめっ……」

孤独の節目(ゼスナロン)

 血に似た赤色のほつれた糸がオルモナの掌から伸びて、少年の首に巻き付く。

 そして彼女は空いた左の掌を、ディンチェゴの方へ向けた。すると彼女の足元に伸びていた影が掌へと吸い込まれて行き、それはあっという間に黒い光線となって標的へ発射される。

詰り瞬き(クイル)

 寝かせたカッターの刃のように平たく伸びたその光線は、あっさりとディンチェゴの首を()ねた。

 それと全く同時に、オルモナ自身の首も胴体から離れて宙に舞う。

 二人分の肉体が地に伏す音を聞きながら、アルクス一行はただ呆然と立ち尽くした。同じように言葉を失った少年も、目の前の光景を新たなトラウマの1ページとして刻み込んでしまっただろう。

 しかしその衝撃的な光景からほんのコンマ数秒後、アルクスは持ち前の理解力の高さによって、自分たちに呆けている余裕はないことを悟った。

 もはや時間的猶予は、流れ出る血の広がりを眺めるだけの間もない。彼は仲間たちに向けて叫ぶ。

「イゼメントが来る!!」

 その一言で、仲間たちも即座に我に返る。

 なんであれ幹部が死んだということは、イゼメントがその遺体を回収しに来るということである。そしてその回収を許してしまえば、オルモナの死はきっと無駄になってしまう。今この場で何が起こったのかを理解することなどは二の次で、彼らは何がなんでもディンチェゴの遺体を死守しなければならなかった。

 実際イゼメントは、彼らが駆け出したのとほぼ同時に、空間魔法を駆使して音もなくその場に現れた。

 ……ただしその座標はアルクスたちの意表を大きく突くものだった。

 イゼメントが出現したのは、オルモナの遺体の傍だった。背後を取られる形になったアルクスたちは警戒心を全開にしてそちらを振り返るけれど、その頃にはもう、イゼメントはオルモナの遺体を抱えていた。それもご丁寧に、転がった首と脱力した胴体の両方を。

 そしてそのままイゼメントは、オルモナの遺体ごと姿を消した。幹部の遺体を放置したまま、それを囮に、遺体回収と蘇生の専門家はまたしても逃げおおせたのだ。

 ……それがいったい何を意味するのか、アルクスにはすぐに理解出来てしまう。ただしその理解は依然として、状況に致命的な遅れを取っていた。

 イゼメントはなぜオルモナの遺体を持ち帰ったのか? これまで彼が持ち帰った遺体がどのような処置を受けたのかを考えれば必然的に、その目的は蘇生だと考えられる。では魔王軍が自らオルモナを蘇生する意味とは何か? ……「説得」のためではないか?

 そこまでの理解を、イゼメントの襲来を報せる叫びの直前までに手にしていれば。自分がもっとオルモナとの約束を重く心に留めていれば、囮になど引っかかりはしなかったはずなのに。彼女の身の安全を何よりも優先すると、自分はあの時確かに誓ったはずなのに……。

 勇者は膝から崩れ落ち、後悔で喉を割くような慟哭が、取り返しのつかない現実に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オルモナの拉致から二週間後、アルクスたちは魔王軍の本拠地に乗り込むことに成功し、そのまま魔王エルドイトの首を取った。……ただ、オルモナはすでにそこにはいなかった。

 本拠地にてアルクスたちは多くの真実を目の当たりにした。ラゴラドレイクと名乗る八人目の幹部が本当に人間であること。彼は人間陣営から送り込まれたスパイであったが、蘇生したオルモナをみすみす逃がした件でそれを魔王に看破され、死をもって粛清されたこと。魔王軍の真の目的は「人類全ての命と引き換えに万能の願望器と成る大規模魔導兵器の起動」であり、イゼメント以外の四天王はその動力源として組み込まれていたためその場から動けなかったこと。そしてその兵器の本確起動までに要する時間が、すでに二十四時間を切っていたこと。

 結果として、奇しくもアルクスたちは、オルモナ奪還のために可能な限りスケジュールを切り詰めたことで、(すんで)のところで人類滅亡の阻止に成功したのである。

 とはいえ当然、対魔王戦は熾烈を極めた。オルモナが欠けた分の戦力低下は大きく、いよいよ戦闘に参加し始めたイゼメントと魔王の二人がかりの厄介さに、初めのうち勇者パーティは勝ち筋を見出せずにいた。正直なところ彼らだけではまず魔王に敵わなかっただろう。そのピンチを打開したのは、ラゴラドレイクの執念である。

 粛清を受けたラゴラドレイクはその最期にて、自らの死を条件に発動する呪いめいた魔法を勇者一行に託していった。勇者たち自身の身にも死がすぐ傍まで迫った時、その魔法は絶大なパラメータ強化として効果を発揮し始める。各々の肉体やそこに流れる魔力を飛躍的に強化したその魔法は、やがて勇者たちを紙一重の勝利へと導く。魔王とすべての側近、そして魔道兵器はこの世から葬り去られ、人類はようやく平和を取り戻したのだった。

 ……ただ、凱旋の時になっても、あるいは戦後の現在ですら、オルモナの行方は一切不明のままとなっている。アルクスは当然それを気に病んで、ある時、人助けの旅に出ると言ってはふらふらと家を出て行き、自らオルモナを捜索するようになった。

 それから約半年後。持ち合わせていた小型の通信機を通して、今はお互い別々の生活を送っているかつての仲間……魔術士イルズから、アルクスへ唐突な連絡が入った。

「無理かもしれないけど、落ち着いて聞いてね」

「なにがあった?」

「……サンレイが殺されたの。その上で状況が妙だから、あなたに戻ってきてほしい」

「……妙って?」

「殺し方が、見るからに黒魔術なのよ」

 アルクスが一も二もなく故郷に帰り着くまでの道のりには、二週間の時を要しはしなかった。

 サンレイの遺体は町の教会の地下にて、魔術的な防護を施された棺の中に安置されていた。その棺は火葬のための物ではなく、今は不可能な蘇生が可能になるまでの間をやりすごすための次善策である。殺害現場にいつまでも遺体を放置するわけにはいかないから、ひとまずそこに運び込まれたのだ。

 教会の神父を主導として、勇者アルクスに魔術士イルズ、それから重装戦士ルドボーンが棺の開封に立ち会う。アルクスとルドボーンにとっては初見のその遺体は、イルズの言っていた通り確かに異様な有様をしていた。

 一見すると全身に赤黒い槍を突き立てられたようなその遺体は、よく観察すれば「槍は体内から体外に突き出している」ことが分かる。またその死に顔は事後的にいくらか整えられていることを差し引いても、苦悶とは程遠い冷たい落ち着きを表していた。

 今は魔術協会に所属するイルズは、この変死体にまつわる捜査にいくらか関わっているのだろう。彼女はあえて淡々と述べる。

「死因は、体内から突き出た血の槍による失血死。蘇生を阻害する魔法がかかってるから、それをどうにかしないといけない」

「蘇生阻害……か」

「…………誰がやったと思う?」

 その言葉は、必然的に一人の人物の影を示唆していた。

 蘇生を阻害するだけならまだしも、魔王軍との戦いを生き抜いた歴戦の戦士……それも隠密行動を生業としているサンレイを人知れず暗殺したとなると、そんな芸当が可能な人物の候補はどうしても絞られてしまう。

 遺体を見下ろすルドボーンが屈強な面をやりきれなさそうに顰めながら、悲痛に言う。

「オルモナは俺たちのことを恨んでいるのか」

 ……そんなはずはないとは、誰にも言いきれなかった。かつてのパーティメンバーの全員が、オルモナに対する負い目を持っているのだ。

 旅をしていた当時、オルモナは意外なほどパーティに馴染んでいた。口の悪さと厭世的な雰囲気とは裏腹に、彼女は意外とコミュニケーションに疎くはないタイプだった。

 ルドボーンはそんなオルモナの人柄について、いつだったか、アルクスと二人きりになった際に語っていた。

『オルモナは案外、寂しさを抱えているのかもしれない』

『あぁ、それは僕もなんとなく分かる』

『やはりそうか……? ……以前、彼女に俺の家族の話をしたことがあるんだ。どんな経緯だったか、なぜ身の危険を負ってまで魔王軍と戦うのか? という話になってな。故郷に残してきた家族のために、世界を滅ぼさせるわけにはいかないんだと素直に答えた時、俺は心の片隅で思っていたんだ。しかしオルモナはこれを鼻で笑うだろうなと。……だが彼女は笑わなかった。それどころか真剣な顔をして、「そういうのは正直、少し羨ましい」と言うんだ。まったく嫌味な感じのしない、本心から出た言葉のように俺には聞こえた』

『……彼女も本当は、好きで樹海の奥に暮らしていたわけではなかったのかもしれないね』

『あぁ。……普段の刺々しさがそういった心の裏返しなのかと思うと、時々心苦しくなるよ。本人がこれを聞けば、そんな哀れみは無礼その物だと憤るのだろうがな』

『ハハ、そうかもね。……でも、そう思われることが本当に嫌なら、きっと彼女は、君にそんな隙を見せはしなかったと思うよ』

『……そうかもしれないな』

 そんな会話が、ルドボーンの脳裏によみがえる。心の奥底に寂しさを抱えていただろう黒魔術士を、しかし彼は守りきることが出来なかった。

 棺は再び閉じられ、再会した勇者一行の間を漂う空気は沈痛な重さを増していく。その中で、気の進まない素振りのイルズが懐からある物を取り出した。それは小型の録音機だった。

 その録音機にはラベルが貼ってあり、そこに無機質な活字でこう書かれている。「かわいそうなオルモナ」。

「……サンレイは自宅で殺されたけど、その時、傍にこれがあった」

「これは……?」

「出どころ不明の録音機」

「中身は聞いたのか」

「聞けるわけないでしょう。サンレイはきっと、これを聞いて死んだんだから」

「……録音を聞くことが、血の槍の魔法の発動条件?」

「その可能性が捨てきれないってこと」

 魔法には発動条件が定められている物もある。地雷のように機能する単純な攻撃魔法がその代表例だけれど、性質が複雑で高度な魔法であるほど変則的な発動条件を持っていることも珍しくない。ましてや異端とされる黒魔術の類ならなおさらに。

 どんな精鋭の魔術士でも、正面きった戦いで回避力に長けたサンレイを瞬時に葬ることが出来るとは思えない。かといって単純に不意を突こうにも隠密の分野はサンレイの専門であり、それもまた現実的に成功するとは思えない。……だから残る可能性として「罠にも精通しているサンレイの意識にすらなかった特異な発動条件を持った魔法の存在」が考えられるというのは、かなり妥当な話になる。そういう意味で、録音機の再生が罠である可能性は高い。

 サンレイは元々、記録上は存在しない物とされる裏社会の組織の出身だった。血みどろの職務に嫌気が差した彼は組織から足抜けを図り追われる身となり、逃亡生活の中でアルクスたちと知り合うことになる。その成り行きでアルクスたちが組織の腐敗を知り得たことで、サンレイを脅かす追手は根から壊滅することになった。一行に恩を感じた彼は、それを機にパーティに加入したのだ。

 ……つまり彼はその経歴上、「暗殺から逃げ延びること」に対しても間違いなく長けていた。だからこそ、仮にオルモナがかつての仲間を怨恨から暗殺する計画を立てたのだとしても、そこで真っ先にサンレイが狙われ、なおかつこの上なく完璧にそれを成功させられたという事実は、アルクスたち各々の目には異様なこととして映った。

 それに付け加えて、旅をしていた当時、オルモナはサンレイとかなり親密だったのだ。後ろめたい経歴を持つ者同士、物の感じ方に通じるところがあったのかもしれない。アルクスはある時のサンレイが、見たこともないほど寂しそうな様子で『いつか旅が終わったら、オルモナとはそこでお別れになるんですよね……』と呟いていたことを印象深く覚えている。またイルズから聞いた話によると、オルモナは人知れずサンレイに物を贈ったことがあるのだという。それは単なる菓子だったけれど、彼女が他の仲間に贈り物をしたことはついぞ一度もなかった。そういった経緯を踏まえると、怨恨を真っ先に向ける対象としてサンレイが選ばれたことが、一行にはどうしても腑に落ちなかった。

 ……つまり一行は、犯人が別に居る可能性を信じたかったのである。

「わたしは第三者が犯人である線を追ってみたいと思ってる。……でも、二人ともくれぐれも注意して。言いたくないけど、もし犯人がオルモナなら、こっちの手の内はバレまくってるはずだから」

「あぁ、心得ておこう。……俺たちが犯人探しに手伝えることは?」

「さぁね。正直わたしも、まだ何の目処も立てられてないから」

「そうか」

「うん。……それでアルクスは、また元の旅に戻るの?」

「……あぁ。そうするつもりだよ」

 それが犯人探しを兼ねるかもしれないから……とは、他の面々よりもさらに重い負い目を背負っている彼にとって、口に出せることではなかった。

 探偵的な行為も、サンレイがいればきっとやりやすかっただろう。そう考えれば真っ先に彼を殺したことにはある種の合理性があって、その合理性が確固たる殺意を体現しているようにも感じられる。

 ……ルドボーンが体内から突き出る血の槍によって殺害されたのは、それからたった三日後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルドボーンの遺体を初めに発見したのは彼の家族……すなわち、彼にとって最も大切な存在である妻と娘の二人だった。

 殺害現場は彼の自宅。朝起きてすぐに夫あるいは父親の変わり果てた姿を発見した二人の精神的ショックは甚だしく、町の治安組織は犯人の捜索だけではなく、彼女らのメンタルケアにも奔走することになった。

 魔法が使用された場合、魔力の残滓から術者を特定出来ることがある。それは戦場のように複数人の魔力にごった返した場所ではまず当てにならない調査手段だけれど、サンレイもルドボーンも殺害されたのは魔法と無縁の自宅内だった。一件目の事件の調査結果が上がり、それを二件目の事件の調査結果とも照らし合わせることで、魔力残滓の検証は、極めて信用に値する結論として「犯人はオルモナである」ことを導き出していく。

 しかしその調査方法は、術者個人を特定することは出来ても、使用された魔法の詳細を特定することまでは出来ない。従って、何らかの条件を満たした相手の血液を槍に変化させ内側から貫く黒魔術の正体は、依然として掴めないままだった。

 かつての勇者パーティが二人連続で殺害され、犯人は失踪した元仲間である。……となれば、次の被害者候補であるアルクスとイルズは事件の捜査にも深く関わらざるを得なくなる。二人がか弱い一般人であれば護衛の対象にもなったのだろうが、魔王を倒した者より強い者は基本的に存在せず、実質的に彼らの護衛は彼ら自身が行うしかない。そうすると必然的に、その二名の人物には事件の手がかりとしての重要性だけが残るのだ。

 治安組織による捜査に同席した二人は、ある不可解な点についての見解を乞われた。

「被害者の家族二名……妻と娘はどちらも、事件発覚の直前までの生活には、おかしなことなど何一つ感じられなかったと証言しています。ただ普段通りにルドボーン氏と平穏に暮らしていたと。……しかし彼女ら二人の体内からも魔力残滓が検出されています。もちろんそれもオルモナ氏の物です」

 アルクスは苦い顔を見せる。

「……つまり、二人はオルモナから何らかの魔法をかけられていたと?」

「そうなります。しかし問題は、それが何の魔法なのかということです」

 イルズがどこか投げやりに答える。

「記憶操作とかじゃないですか? 事件までにおかしなことがなかったというのは、その上での証言かも」

 しかし捜査員は、その説を聞いて怪訝そうに眉を曲げた。

「私もそう考えました。しかしそうだとすると、不謹慎な話になりますが、いささか妙だとは思えませんか」

「妙?」

「……気を悪くしないで聞いてくださいね。オルモナ氏はかつての仲間を二人も、容赦なく殺害するほどの覚悟で行動しているわけでしょう? それなら、邪魔な目撃者は死をもって黙らせるという手段を選んだとしてもおかしくはない。というよりも、むしろその方が自然でしょう」

「なっ」

 アルクスが思わず口を開くと、捜査員はバツが悪そうに彼から目を逸らす。それを見たアルクスもすぐに自身を戒める。彼の胸中に一瞬巻き起こった感情は、ほとんど八つ当たりに近いものだったから。

「……あくまでも殺害対象は僕らで、それ以外の人には極力危害を加えないようにしている。とは考えられませんか」

「もちろんその可能性もあります。しかしそう考えると、逆説的には、犯行現場は必ずルドボーン氏の自宅である必要があった……ということになりませんか? 目撃者は始末するという短絡的な方法は選ばず、しかしもっと人目につかない場所を犯行現場に選ぶわけでもなく、氏は自宅で殺害された。するとそこには何らかの意味があるはずですが、今度はその意味に見当がつかなくなるわけです」

「…………そう言われると、確かに妙だな」

 結局、その議論の先に最もらしい結論が導き出されることはないまま、その日のアルクスたちは解散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「犯人は必ず僕が捕まえます。そして蘇生阻害を解き、必ず旦那さんを蘇らせます」

 ルドボーンの妻にそう言い残して、アルクスは再び旅に出た。

 治安組織が本格的に動き始めたことで向こうも身動きを取りづらくなったのか、二人目の殺害以降事件はぴたりと止んで一週間以上が過ぎ、捜査は完全に行き詰まっていた。しかし、このまま地元に根を張っていても得られる物はないだろうと彼が判断したのはそれだけが理由ではなく、負い目によるバイアスが行動に影響していたことは間違いない。

 元はと言えば自分のせいで失踪したオルモナのことを、彼はとにかく自身の足と目を使って探さずにはいられなかったのだ。探して見つかるものとももはや思えないが、待っているだけで現れてくれるものとはなおさら思えず、また仮に「待つ」のだとすれば、自分はあえて隙を晒すべきだろうとも考えていた。地元で捜査員たちに囲まれながら暮らすことは「隙」らしくない。

 旅立ったアルクスはさっそく、オルモナと出会った樹海へと足を踏み入れる。もしも彼女が自分の命を狙いに来るなら、人気がない場所の方がやりやすいだろう。……オルモナとの再会が叶うならそういった経緯でも構わないと、彼は本気で思っていた。過去の負い目と、仲間を殺されたことのショックと、何の手がかりも得られない生活の虚無感が、着実に彼の精神を蝕んでいたのだ。

 歴戦の戦士らしく不安定な足元をものともせず、鬱蒼とした緑の中を歩きながらアルクスは考える。捜査員に指摘されたあの違和感の正体はいったい何なのか……。

 彼の知る限り、オルモナの魔法は比較的器用な方だ。彼女は積極的に自らの扱う魔法について語りたがるタイプではなかったけれど、必要な場面で出し惜しみをすることもなかった。彼女が記憶操作系の魔法を習得していたのかどうかをアルクスは知らないが、一緒に旅をしていた頃に見た魔法のレパートリーの多さを思えば、当然のように習得していたとしても何ら違和感はないという確信は持てる。

 しかし彼の脳裏によぎるのは、第七幹部ディンチェゴ戦のこと。あの時、人質の少年に黒魔術の糸を巻き付けたオルモナは、少年にかかっていた身代わりの魔法を自身の身に移し替えた上で、自爆特攻によって敵を葬った。

 ……そう、アルクスは今や、当時起きたことの真相を考察によって把握している。

 オルモナの強制身代わりは、そのベクトルを自在に設定できる物だったのだ。「オルモナ→少年」の順にダメージを押し付けられることと同じように、「少年→オルモナ」の順にダメージを肩代わりすることも出来る。だから彼女は「ディンチェゴ→少年→オルモナ」の順になるように身代わりを調整し、そのまま攻撃することでディンチェゴとの相打ちを成立させたのだ。状況から考えて、あの時起こったことの真相はそれしか考えられない。

 あの場の誰もが判断を躊躇ったのに、オルモナだけが即決で自らの命を犠牲にすることを選んだ。それも蘇生される確証がないにも関わらず彼女はそうした。つまりオルモナは結局のところ根からの善人であり、罪なき一般人を守るためならそういう選択を取れる人物だったのである。……けれど目の前で人間の首が刎られる様を目撃した少年は、気の毒に、さぞやその光景をトラウマとして記憶してしまっただろう。

 ……その点が、ルドボーン殺害の件と非常によく似ている。

 残忍な方法で殺害された愛する者の遺体を目撃した際の精神的ショックは、ディンチェゴ戦のように、何か「それを避けている場合ではない事情」があったからこそ生まれてしまった物なのではないか。捜査員の推論と合わせていえば、それが「犯行現場が自宅でなければならなかった理由」にも関係しているのではないか。……だがその理由とは具体的に何なのか? あと少しで分かりそうなのに、どうしても結論にたどり着くことが出来ない。最後のピースがまだ一つ決定的に欠けているような気がする。

 そのように不完全な推理をしながら樹海の中を進んでいると、アルクスはある時、周囲にやけに多くのハエが飛んでいることに気づいた。

 ……辺りを見渡してみると、すぐ傍に人間の死体が仰向けに転がっていた。

 とっくに腐敗したその遺体からは血の槍などは生えておらず、かわりに空を覆い隠す木々を見上げるかのように、上着の胸ポケットの中から白い封筒が覗いていた。

 アルクスは腐臭をものともせず、その封筒を開封する。するとそれが遺書であることが分かった。なおかつ、なぜそれが自宅等に書き置かれた物ではなく、遺体の目立つ位置のポケットに仕舞われていたのかについても彼は理解する。

 遺書の内容は簡潔だった。『蘇生しないでください』。

 ……自殺志願者が樹海を死地に選ぶことは巷でも昔から有名な話である。まさにアルクスがここを訪れた理由の何割かと同じ理屈で、心を追い詰められた人間はそこに「死にやすさ」を見出すのだ。その見立てが正しかったのかどうかは、各々が今際の際にのみ知ることだったとしても、その不吉な聖地化は未だに衰える気配がない。

 アルクスは遺書の要求に従ってその場で手を合わせることだけして、蘇生魔法は使わずにあっけなく立ち去った。人には自らの死を選ぶ権利があるからだ。それは、その権利がたとえどれだけの悲哀や憎悪を生むことになったとしても変わらない。……彼がそれをよく知っているのは、「望まぬ蘇生と、自殺の再演」を生み出してしまった過去を背負っているからこそだった。

 その後も歩き続けるうちに、アルクスは樹海を横断しきって抜け出し、この先の村まで続く長い街道までやって来てしまう。結局オルモナは現れなかった。見つけられなかった。来てくれなかった……。

 青空の下をとぼとぼと歩きながら、そんな風に一人で心を沈ませる彼に、街道を通りがかった気の良さそうな小太りの男が声をかけてくる。

「……もしかして、勇者アルクス?」

「え……? あぁ、そうだが」

「おぉ、なんと、よかった。失礼、私はこの先の村で牧場を営んでいる者なんですが、このところ害獣被害に手を焼いてまして……。そこにこうして勇者様が現れてくれたんです。突然で申し訳ないとは思いますが、これも何かの縁だと思って、どうか助けていただけませんか……?」

「害獣か。もちろん構わないよ」

「あぁ、ありがとう……!」

 救世の勇者として名と顔が売れると、こういう縁はよく起こる。アルクスは牧場主の男と連れ立って、改めて村へと歩き出した。

 いくら勇者相手といえども、牧場主の振る舞いはいささか図々しすぎると普通の感覚では思うかもしれない。けれどアルクス自身は、むしろこのくらいの距離感がちょうどいいと考えている。実際、彼が半年以上ふらふらと続けていた「人助けの旅」は何もハリボテの口実ではなく、れっきとした目的の一つとして常に果たされ続けていた。

 魔王討伐の旅の道中に重ねた無数の善行についてもそうだった。体よく使われるくらいがちょうどいい。圧倒的に強い者は人の役に立たなければ。その強者が優しく、便利で、居てくれた方が良い存在であることを世に知らしめなければ、人はいつかその強者を恐れるようになってしまう。そして脅威として広く認識された者は、きっと社会では暮らしていけなくなってしまう。……アルクスは持ち前の理解力で、旅を始めた当初からすでにその構図に気づいていた。だから彼は人助けを進んで行う。真に「平和な世界」を保つために。

 村に到着する頃には、牧場主の言う害獣とは、具体的には狼の群れであることを知った。しかもそれは夜行性で、昼間はめったに姿を現さないのだという。

「なるほど。夜な夜な家畜を食い荒らされたんじゃあ、商売に困るどころか、単純に恐ろしくて仕方がなかったでしょう」

「そう、そうなんですよ。いつか自分たちが喰われるんじゃないかと、気が気じゃないんです」

「分かります。でも大丈夫、今晩中に僕が解決しますから」

「あぁ、ありがとうございます。勇者様がそう言ってくれるなら安心だ」

 そうしてその日の晩まで村に滞在したアルクスは、狼たちが遠くの森の中から村へと来襲し次第、閃光のような剣さばきで宣言通り一匹も逃がさずにそれを駆逐した。

 狼に罪がないことは彼だって知っている。けれど人間が安心して安全に生きるためにはそうする他にない。樹海で人間の遺体と遭遇した時と同じように、アルクスは自らが殺した狼たちに手を合わせてから、依頼達成の証としてその亡骸を牧場まで持ち帰った。

 彼は害獣駆除の礼として、その日の宿代わりに牧場主の家の空いている部屋を借り、翌朝には朝食までごちそうになった。人助けの旅ではよくある流れである。彼が礼として直接的に現金を受け取ることはほとんどない。それもまたイメージ戦略の一環なのだ。

 朝食の最中、牧場主は断られる可能性などまったく考慮していなさそうな軽い調子で、追加の依頼を勇者に持ちかけた。

「実は最近村の中心の方で、役場の建て替え作業を進めているんですがね。これが、規模に対して人手が不足している現状でして……。もしよければ、縁のついでだと思って、勇者様に手伝っていただけないかと思ったりしてしまうのですが……」

「もちろん構わないよ。力仕事は得意だ」

「ありがとうございます……!」

 と言ってもアルクスに大工的な素養はない。彼はその日一日、主に単純な資材運びの役に従事した。大人の男が両手を使い踏ん張ってようやく持ち上げられるような物を、細身に見えて片手でひょいと持ち運べる勇者は現場でも重宝された。

 また作業中、大量の煉瓦を抱えたままつまずき、転んだ拍子に顔をその角へ打ってしまった者がいた。それもまずいことに目に当たってしまったようで、現場は一時騒然となる。……が、回復魔法を扱える勇者が傍にいたことを思い出すと、全員がホッと胸をなでおろした。そして実際、次の瞬間にはもう、つまずいた彼の怪我は魔法によって完治していた。

 大袈裟な喜び方をしては礼を言いながら、その男は自らのミスを茶化すように笑う。

「いやぁ勇者様がいてくれてよかった。痛みを感じる暇もなかったし、それに、教会に治療を頼むと高くついちまうからな」

 それを受けて、アルクスも冗談めかした声で言う。

「僕の仕事も高くつくぞ」

「え」

「昨日はそこの牧場を仕切ってる彼の家に泊まらせてもらったんだ。で、夕食にしろ朝食にしろ、それはもうたらふく食わせてもらってね」

「ハハハ! そういうことなら、今晩は俺が酒でも奢りますぜ」

 その晩、アルクスは実際に彼や彼の友人と共に飲みに出かけた。ただ施しを与えるのではなく対等な関係を演出した方が何かと上手くいくのだということを、勇者はすでに知っているから。

 一日働いてみたところ、役場の建て替えの完了までにはまだ一週間以上がかかる見通しだった。魔王を倒し莫大な報酬を得たアルクスは現在、言ってみれば隠居生活に入っているようなもので、その気になればキリのいいところまでその村に滞在していても一向に問題はない。……が、実際には、彼は翌日の朝には村を出た。

 彼の胸中は、常にその片隅が穏やかではなかった。平和な暮らしの中で人の役に立っている最中にも、仲間の惨殺死体が頭をよぎる。自分はこんなことをしている場合ではないのだ……と。

「すまないが、旅の癖で、あちこち動き回りたくなる性分がどうしても抜けなくてね。ずいぶん良くしてもらったし、またいつかここにも戻ってくるよ」

 そう適当に言い残して風のように去る。遠くの樹海を背にする方角でまた街道を行く。どこへ行くのか、どこまで行くのかは、歩みを進める本人にも分からない。

 ある時、アルクスはふとその強迫観念的な足を止めた。道中の脇道にあった森の中に、見覚えのある花が点々と咲いていたからだ。

 小さな白い花弁が、ランプの傘のような形をして鈴なりに項垂れている。その花の名前はなんというのだったか、彼には思い出せなかったけれど、それがオルモナの好む花だということは覚えていた。

 彼はその場にしゃがみこみ、その白い花をしばし見つめる。オルモナいわく、その花には毒があるのだそうだ。『なのに綺麗なところがいいだろう。毒虫の類にも見習ってほしいものだ』と、いつだったか彼女はそう語っていた。

 ……アルクスがその花を一輪摘もうとした時、にゃあ、と視界の外で猫の鳴き声がした。顔を上げてみると、目の前の花にそっくりの白い毛並みをした猫がいつの間にかそこにいて、アルクスのことをジッと見つめていた。

 その猫は足を怪我しているようだった。後ろ足の片方が、地面に接しないように常に浮いている。触れると痛むのだろう。

 勇者が助けるのは、何も人ばかりである必要はない。アルクスはサッとその猫に回復魔法をかける。……すると恩人であることを理解したかのように、元気に四本足で歩けるようになった猫が彼の足元にすり寄ってきた。撫でてみると、猫はありがたそうにゴロゴロと喉を鳴らす。

 ……そんな和やかな時間にすら、彼の脳裏には解決するべき悲劇の光景がよぎる。血の槍に内側から貫かれた遺体と、あの日、目の前で吹き飛んだオルモナの首。彼女が自分たちの命を狙っているのは、やはり怨恨によることなのだろうか。であれば、それだけの恨みを持つに至るまでの彼女が受けた仕打ちは、いったいどれだけ惨い物だったのか……。

 そよ風が吹き抜けるのと同時に、アルクスの懐から彼を呼び出す音が鳴った。以前イルズとやり取りをした通信機の音だ。それに驚いて、猫はどこかへと走り去る。

 呼び出し相手はまたしてもイルズだった。アルクスはすぐに応答する。

「はい」

「アルクス……?」

「あぁ」

「…………分かった。…………はぁ、…………あの子が、…………どうやったのか、」

「なに……?」

「…………オルモナには会わないで」

「お、おい」

「会ったら、あなたは……」

 漂う違和感を、アルクスは鋭敏に感じ取っていた。

 通信先の様子がおかしい。イルズの声は何か不自然に弱々しく、またその息遣いの中には、おかしな音が伴っていた。

 その音は、話すにつれて次第に大きくなっていった。まるでストローに穴を開けたかのような、ひゅー……ひゅー……と、空気が漏れ出るような音。

 ……それが何の音であるのかを察した時、通信機からは別人の声が聞こえた。その声は彼がずっと待ち望んでいた物であるはずなのに、耳にした瞬間、思わず戦慄が走る。

「アルクスか?」

「……あぁそうだ」

「久しぶりだな。調子はどうだ」

「……まぁ、それなりかな」

「そうか、何よりだ。……それで私はお前に会いたいんだが、今どこにいる?」

「樹海を抜けた先の地方まで来てる」

「なら今日中に家まで帰れ。明日の早朝、お前の家を訪ねる。……何にせよそこで決着をつけようじゃないか」

「わかった。必ず待ってる」

「あぁ、私も必ず行く。じゃあな」

 通信が切れる。おそらく、もう二度とかかってくることはない。

 イルズとは別人の声の正体は、オルモナだった。イルズはすでに死んだのだろう。彼女は全身を血の槍に貫かれながら、最後の力を振り絞ってアルクスに忠告したのだ。「オルモナには会うな」と。

 しかし彼がその忠告に従える道理はなかった。魔王軍との戦いを生き延びたかつての仲間を皆殺しにされて、蘇生することも叶わない。そんな状況で核心から逃れることが出来るはずがない。彼はオルモナに蘇生阻害の魔法を解かせなければならないのだ。あるいはそうでなければ、もはや自分も彼女の黒魔術の手にかかる他にない。

 かつての旅の道中、オルモナは語っていた。その内容は、アルクスにあの日の判断を誤らせた要因の一つでもある。

『人物に直接かける蘇生阻害は、私が死ねば解除されてしまう。だから、くれぐれも命懸けで私のことを守ってくれよ、勇者様』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。目を覚ました野鳥の鳴き声が空に響き始めた頃、アルクスは自宅で静かにオルモナを待っていた。

 小鳥の爽やかな声に混じって、カァカァと濁った鳴き声も聞こえてくる。彼は無意識に、自身の子ども時代のことを思い出していた。そういえば幼いうち学校に通っていた頃にも、朝の登校時には似たような音を聞いていたな……と。

 その振り返りはまるで、ゆるやかな走馬灯のようだった。

 コンコンコン、と玄関の扉を叩く音がする。アルクスが出向くと、いったい今までどこに隠れ潜んでいたのか、あっさりと姿を現したオルモナがそこに立っていた。

 彼女の姿は、アルクスが記憶する旅仲間としてのオルモナと少しも変わっていなかった。皮肉っぽい微笑み方がいっそ懐かしい。

「追われる身だが、入っても?」

「あぁ、もちろん」

 オルモナは勧められるまでもなく、リビングのテーブルを挟んだ向こう側の椅子を引いて腰を下ろした。

 アルクスには、彼女に対してどう接するべきなのかが分からない。オルモナの声が、表情が、立ち振る舞いが、自分を殺したいほど恨んでいる相手の態度とは思えなかったから。

 だから彼は、ただ気遣うつもりで聞いた。

「朝食は?」

「まだだな」

「僕もなんだ。簡単な物でよければ一緒にどうだろう?」

「……呑気なものだな。まぁ私は構わないが」

 断られなかったことが、内心嬉しかった。

 トーストを焼き、サラダを盛り付け、コーヒーを淹れて。二人分の朝食をテーブルの上に並べてから椅子を引き、アルクスはオルモナの対面に腰を下ろす。ジャムとバターを塗りながら、旅をしていた頃と同じように、会話は彼の方から切り出す。

「僕を殺しに来たんだよね」

「当然だ」

 トマトをフォークに突き刺して、オルモナはさらりと答える。彼女の口が頬張ったそれは、じゅるりとした食感を伴いすり潰されていく。

 今頃は、イルズの遺体も棺の中だろうか。

「仲間を殺した女との朝食はどんな味だ?」

「そんな言い方しないでくれよ」

「事実だろう」

「ものすごくかいつまめばね」

 だけど彼は、オルモナを恨んでいない。最後には仲間を蘇生できると確信しているからではなく、自分には彼女を恨む権利などないと思っているから。

 久しぶりに再会した仲間との朝食は、仮にそれが最後の晩餐になるのだとしても、一段と美味く感じた。彼がそれを素直に言葉にすることはなかったけれど。

 しばらくの間、二人の咀嚼音だけが場に浸透する。平穏と紙一重の緊張感の中、コーヒーを一口啜って落ち着くことで、アルクスは事の核心に触れる覚悟を決めた。

「……約束を守れなかったこと、悪かったと思ってる」

「約束?」

「何よりも優先して君を守ると言っただろう。……でも僕は口先だけだった」

「あぁ、それか」

 皿の上にこぼれ落ちた粉じみたトーストの欠片を、オルモナはどこか忌々しそうに指で集めて舐めとる。

「実際のところ、お前はよく頑張った方だと思ってるよ。最後のあれも、まぁ仕方のないことだった。あのタイミング、あの座標に、イゼメントは正確に現れたんだ。もしもお前がディンチェゴの死体よりも私の蘇生を試みることを優先していれば、その間に奴の死体は回収されていただろう。そして私が一度死んだからには蘇生阻害も切れていて、話は振り出しに戻ってしまうわけだ。それは私も本意ではない」

「でも、君はそのせいで……」

「そのせいで?」

「……つらい目に遭った。そんな一言では済ませられないほど、本当に酷い目に」

「なんのことだ、それは?」

「なんのって。君は、それで僕のことを恨んでるんだろう?」

「……ははぁ。つまりお前は、私が魔王軍から拷問でも受けたと思っているのか」

「……違うのか?」

「厳密に言えば違わないが」

 コーヒーを空にしてから、オルモナは語る。

「攫われて蘇生されたその日に、私は牢から解放されたよ。お前たちパーティの情報をべらべらと喋ってな。そうしなければ何をされるか分からなかったから洗いざらい全てを話して、用済みになったからポイと捨てられた。おかげで痛い目には遭わずに済んだ」

「……何を喋ったって?」

「お前たちパーティの、手の内の全てだ」

 噛んで含めるように、オルモナは嘲り混じりに口元を歪めて言う。それは怨恨に憑かれた彼女から漏れ出る敵意だったのか、それとも自嘲の苦笑だったのか。……しかしどちらにせよ、アルクスにとって重要な点はそこではなかった。

 無事に魔王を倒したからこそ今日を生きている勇者アルクスは、オルモナの発言に疑問を感じたのだ。

「手の内とは、具体的になんだ?」

「具体的に? そうだな、たとえば「心臓の釘(アペリアポリア)」だ。魔王軍はそれの存在を知っていただろう」

「……確かにそうだ」

 心臓の釘(アペリアポリア)とは、武器に付与(エンチャント)する蘇生阻害魔法である。それを付与された武器によってトドメを刺された者には蘇生阻害の効果がかかるが、それを解くためには術者の命を奪うのではなく、エンチャントされた武器の方を破壊する必要がある。……その性質によってオルモナが一度死んだ後もその魔法は解除されることなく、蘇生阻害の剣は、小型の魔物を無数かつ片手間に呼び出す魔王と蘇生魔法のイゼメントという厄介な組み合わせを攻略する際のなくてはならないピースとして機能した。

 一方で確かに魔王軍は、初めからそのエンチャントの存在を承知していた。それまではオルモナ本人の手ずから敵自身へ蘇生阻害をかけて、そのまま骨も残らぬほど完璧に遺体を処理することでイゼメントの出番を奪ってきた勇者一行は、魔王戦以前の実戦では一度もそのエンチャントを披露したことがなかった。にも関わらず、手の内は把握されていたのである。

 心臓の釘(アペリアポリア)は、オルモナが旅の道中……それもかなり後半の方で新たに習得した魔法だった。魔王軍との戦いを経て彼女のレベルがさらに上がったことで新たな魔法の習得に成功したのである。それゆえに本来は、初めてそれが実戦投入される魔王戦では相手の意表を突けるはずだった。しかし実際は、敵方は心臓の釘の存在を前提にした立ち回りを見せていた。初めから情報が漏れていたのだと言われれば今さらながら納得せざるを得ないところではある。

 ……しかし逆に言えば、アルクスにとって心当たりがある「情報」といえば、その程度しか思い当たらない。

「それ以外にはどんな情報を?」

「各々の性格や採用しがちな戦略、克服できてない弱点、癖、各技の隙やデメリット。その他諸々」

「……それくらいのことは、魔王軍だって元々把握していたんじゃないか?」

「なに?」

「本拠地に着くまでに、僕らは七人もの幹部を倒した。下級の魔物まで含めれば戦闘は数え切れないほどあった。彼らがそこから何の情報も得ていなかったとは思えないだろう? 現にイゼメントは僕らのことを明らかに監視していたんだ」

「……なにが言いたい?」

「それは、こっちの台詞だよ。オルモナ」

 アルクスはこれまで、自分のせいでオルモナが拷問にかけられたと思っていた。それを理由に自分が恨まれていると思い込んでいた。けれど本人から話を聞いてみると、どうやらそういうわけではないらしい。すると彼には、自分が殺されなければならない理由が分からなくなったのだ。

「僕のせいで拷問にかけられたから、その報復に、僕や仲間を殺しに来たのかと思っていた。けど違うんだろう? ならどうして、君は僕らのことを殺そうとするんだ」

「はっ、なんだ、知れたことを。……私は報復を受ける側だ。しかし甘んじてそれを待つつもりはない」

「報復を受ける側……?」

「我が身可愛さにべらべらと全てを喋って仲間を危険に晒した私に、お前は報復をしに来るんだろう? だからみすみす殺されるよりも先に、私の方から全員を殺し返して脅威を取り除いてしまおうというわけだ。お前たち勇者パーティさえこの世からいなくなれば、それを蘇生できる者は無く、もはや誰も、私に太刀打ちできる者はいなくなるんだからな」

「…………本気で言ってるのか?」

 かつて自分たちが培った信頼とはなんだったのか。アルクスは唖然としながらも考える。

 殺意を向けられること自体に不服はない。一時期は背中を預け合う仲間として振る舞っていたとしても、友情が芽生えたように見えていたとしても、状況が変われば殺し合うこともあるというなら、それは分かるつもりでいたのだ。

 けれど、報復だと。オルモナは、アルクス一行から報復を受けることを恐れているのだと言う。殺意を持たれること自体に不服はないけれど、その理由として「報復を恐れて」だけはあり得ないだろうと、彼は耳を疑うような気持ちに呑まれた。

「僕が……ほかの仲間も、そんなことをするって本気で思うのか……? 僕はずっと君のことを心配して……」

「心配?」

 まるで鏡写しのように、オルモナもその言葉に耳を疑う。

 彼女に見えている世界は、アルクスに見えているそれとは全く別の様相をしていた。

「よく言う。……なら行動で示して、私を安心させてくれればよかっただろうに」

「示していたつもりだ。だから僕はずっと君を探して……」

「それだよ。……なぁアルクス、お前は私と、二つ約束をしたな?」

「二つ……?」

「一つは、何を差し置いてでも私を守ること。それをお前は守らなかった。事情があったことは理解している。けれど何にせよ守らなかった。……それで二つ目は、覚えているか? 私たちは二つ約束をしたはずなんだ」

「二つ目は……。………………二つ目は」

 アルクスの脳裏に記憶がよみがえる。オルモナの首が飛び、そのまま再会することが叶わなかったあの日の記憶に……トラウマに埋もれていた、もう一つの大切なやり取りが掘り起こされる。

 樹海の奥に住まうオルモナを旅の仲間に誘った時、彼は「オルモナを守る」と約束した。そしてその後二人の敵幹部が現れて、戦闘が始まる直前、今度はオルモナの方から要求してきた「条件」があった。遠い未来の内容を定めたその条件は、二つ目の約束と呼ぶにふさわしい物だったと言える。

「だ、だけど、それは……。オルモナ、それは、そういうことじゃないだろう……?」

 アルクスはその約束を、全てが丸く収まったあとに「じゃあ元気で」と、前向きな気持ちで手を振って履行するような物だと思っていた。そうに違いないと信じていた、思い込んでいた。あの日、初めてオルモナと共闘した日からずっと。

 だから彼は実質的に、その約束の存在を忘れてしまっていたのだ。

「そういうことも何もない。魔王を倒したあと、お前たちは私に一切関わらないという話だった。なのにお前はずっと、ずっとずっと、私を探し続けたな? 私を守るという約束を守らなかった男に、半年が過ぎてもなお衰える気配のない執念で、二つ目の約束まで破りながら追って来られた側の気持ちが分かるか……? 私がどんな気持ちで逃げ延びていたか。いったいそれが報復目的でなくて、他に何だというのだ」

「違う! 僕は君を心配してた、無事を確認したかった、どこかで苦しんでるなら助けたかった! お別れはそのあとだと思ってたんだ。報復なんて発想、今日初めて君から聞いたくらいなんだよ」

「……そうか。でも今はどうだ?」

「なに……?」

「私はお前の仲間を全員殺した。ただ痛みを与えてやろうという魂胆ですらなく、蘇生阻害までかけて、この世から完全に葬り去ろうとした。……これでもまだ私は報復の対象にならないか?」

「ならない。誤解は解けたんだ、蘇生阻害を解いてくれればいい。それでみんなも水に流してくれる。その後は約束通り、誰も君には二度と関わらない。それでいいんだ、オルモナ、そうだろう……?」

「…………私はそれをどう信じればいいんだ」

 テーブルの上で空になった二人分の皿を見下ろしながら、彼女はその心の内を吐露する。

「魔王が滅んでからずっと、心が休まる時など一度もなかった。お前が私を探すからだアルクス。捕まったら何をされるか分からない。お前の方だって私の手の内をいくらか知っているんだからな。……ずっと怖かったんだ。あんなに怯えて暮らした日々は他にない。誤解とか、水に流すとか、そういうことじゃないんだよ。私はもう、お前たちのことが怖くて仕方がない」

 オルモナの声は震えていた。アルクスは、彼女がか弱い少女のように怯える様を初めて見た。

 しかしその声は次第に、彼の知るオルモナらしい力強さで、怒りに震えるようになる。

「それをお前は呑気に、なんだ? 朝食? ……こんな味のしない食事を摂ったのは初めてだったよ。生きた心地がしないんだ。なのに、それでもお前には私が、全然平気な風に見えるっていうんだろう? そんな人の心が分からない男の、私はどこを信用すればいいんだ。お前はこの半年の間に自分がしてきたことを、悪いとすら思っていなかったのに」

「……ちが、ちがう。オルモナ、違うんだ、そんなつもりじゃなかった。僕はただ……」

 自分が今口にしようとしていることは、自分本意な言い訳でしかない。誰も救えない戯言ばかりが、すがりつく亡者の手のように喉を這い上がってくる。

 ……アルクスがそう自覚した瞬間に、オルモナの「血槍の内紛(ソワズァラ)」は完成した。

 視界の片方が失われる。肩から力が抜け落ちて、腕を持ち上げるのもやっとになる。足に立ち上がれるほどの力は宿らず、流れ出る血は、氷でも這わせているかのように冷たく皮膚をなぞる。……アルクスの全身からは赤黒い槍が無数に突き出していた。

 痛みはない。そのかわりに、もはや自分は助からないのだと理解出来てしまう。これはそういう魔法なのだ。単なる物理的なダメージではなく「失血死させる」という概念的な物。そこに蘇生や回復への阻害が合わされば、もはや逃れる術はない。発動したが最後、対象は必ず死ぬことになる。

 自らの身でその恐るべき黒魔術を受けてみてようやく、アルクスにもその魔法の発動条件に察しがついた。そしてその条件に仲間の全員が当てはまっていたことを振り返ると、やりきれない気持ちが湧いてくる。

 ……条件とは、おそらく「罪悪感」だ。対象の罪悪感が一定の値を上回った時、この呪いじみた魔法は容赦なく発動する。申し訳ないと思うのなら命をもって償えと言わんばかりに。

 ただ、その恐るべき魔法を受けてもなお、魔王よりも強い勇者がそう簡単に息絶えることはなかった。

「……しぶといな」

 テーブルを挟んだ向こう側で、オルモナが眉をひそめる。すでに同じ魔法で三人を殺した彼女から見ても、アルクスの息の続く様は異様だったのだろう。

 一方で、己の死を悟ったアルクスの方は、残された僅かな余命を最後まで使い切ろうとしていた。彼は失血により痺れ始めた手で懐を探り、ある土産を取り出す。

 オルモナは一瞬、彼が死なば諸共とばかりに銃でも取り出すのではないかと警戒した。……けれど目の前の男が実際に握りしめた物を見て、思わず目を点にする。

 彼が取り出したのは、白い花だった。鈴なりに頭を垂れた花弁が今は彼自身の血に濡れて、ところどころが赤く汚れている。

「……いつ、渡そうかと。この花、好きだっただろう……? 毒があるのに、綺麗だって……」

 アルクスは弱々しく腕を伸ばしては、その花を自分の目の前に落とすように置く。もはや身を乗り出す力もなく、その程度の動きが精一杯だった。

「……毒があるのは根だけだ」

 そう言ったオルモナがどんな表情をしていたのか、アルクスにはもはや分からなかった。槍に貫かれずに残った片方の目を閉ざし行く瞼を持ち上げることが、彼にはすでに困難となっていたのだ。

 大抵の人がそうであるように、彼も花を摘む時に根ごと持っていこうとはしなかった。もちろん、単にその花への知識に欠けていたという側面もある。しかし理由がなんであろうと、とにかく彼はただひたすらに、記憶している限りの話から最善を考えて、久しぶりに会う仲間への土産を用意しようと試みたのだ。

 そして真っ暗に閉じられた視界の中で、今際の際に、勇者は最期の言葉を振り絞る。

「……最後に、確認したい」

「……なんだ?」

「君は、拷問されなかった。……そうなんだね?」

「あぁ。全ては話した通りだ」

「……………………よかった」

 魔王を倒した時よりも、その安堵はもしかすると深かったかもしれない。

 一つの救いを得て、アルクスは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勇者アルクスは夢を見た。

 地平線の彼方に白い猫がいる。その猫は後ろ足の片方を怪我していて、アルクスは回復魔法をかけてやらなければならないと強く思った。

 けれど、なぜだか己の足が動かない。それによく考えてみれば、遥か彼方にいる猫の姿がはっきりと見えること自体おかしい。そこは遠すぎて、さすがの彼にとっても、明らかに魔法の射程圏外だった。

 とはいえ、足を怪我をしている相手に「こちらへ来い」とは言えない。しかし遠すぎるからといって、助けることを諦めるわけにもいかない。足が動かないなら、もはや今この場で自分が成長して、あの距離まで魔法を届かせるしかないだろう。

 届け、届け、届け。アルクスは精一杯念じながら魔法を唱える。しかし、それは猫には届かない。

 一方で、次第に彼の体には、足だけではなく腰、肩、あるいは首元まで這い上がるように、謎の麻痺が襲いかかる。

 この麻痺が頭にまで達したら、きっと自分は魔法が使えなくなってしまう。彼は理屈抜きにそう直感した。もはや残された時間は少ない。けれど次こそ、あの猫に魔法を届かせることが出来るような気がする。

 届け、届け、届いてくれ。全身全霊で、勇者は回復魔法を唱える。

 猫が地平線の彼方でにゃあと鳴いた。きらりと光る目はこちらを捉えていて、まるで恩人の存在を認識しているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルクスは血みどろの椅子の上で目を覚ました。

 眼前には、平げられた二人分の朝食。その傍に置かれた根無しの血に汚れた花。足元には血溜まりが広がり、自身の衣服も赤黒く染まっている。

 ……けれど彼の体には外傷がなかった。不調もなく、槍も生えていない。黒魔術の発動自体は確かな事実として周囲に痕跡を残しているのに、そのダメージだけが取り除かれていた。

 そして彼の目には、足りないものがもう一つ映り込む。

 向かいの椅子の上に、オルモナがいなかった。そのかわりに少し視線をめぐらせると、この部屋に広がった血溜まりが一つではないことに気づける。もう一つのそれは、向かいの椅子の足元に広がっていた。

 がたっと音を立てて、動揺したアルクスが立ち上がる。視界の先には、椅子から転げ落ちたかのようにオルモナの死体が伏していた。全身血まみれで、すでに息をしていない。

 けれど、その死体からは槍が生えていない。……それが何を意味するのか? 最もあり得そうな仮説を、アルクスの頭脳は瞬時にはじき出す。

 …………黒魔術は術者にも跳ね返ったのではないだろうか?

 かつてオルモナが自分の命と引き換えに少年を救った時、彼女は魔術の一環としての赤い糸を少年に巻き付けていた。身代わりの魔法にそのようなアクションが必要

だった一方で、即死の魔法にはアクションどころか距離すら関係ないように見える。サンレイに送り付けられた「かわいそうなオルモナ」というラベル付きの録音機のことを鑑みれば、罪悪感を煽ることにさえ成功すればきっと術者はその場に居合わせる必要すらないのだ。

 もしもそれだけでは「条件の緩さ」が不自然なのだとしたら。即死の黒魔術には、跳ね返りのリスクが伴っていてもおかしくない。現に目の前で今、オルモナは出血多量で死んでいる。自分が今生きているのは、彼女が死んだことで各種の阻害が解除されたことにより、おそらくは無意識下で唱えたのだろう自身を対象にした回復魔法が間に合ったからではないか?

 意識にもなかった第三者が突然現れオルモナを殺し、自分のことは生かし、そのまま何の痕跡も残さずに立ち去った……という説よりは、その方が随分あり得るだろう。アルクスは自分の推理に納得して、それから、今自分がするべきことをする。

 彼はオルモナに蘇生魔法をかけた。

 元々自分よりレベルの高かったオルモナに、それが通用するのかは分からない。アルクスは魔王を倒して膨大な経験値を獲得したことで大きくレベルを上げたけれど、オルモナはその魔王を倒したパーティメンバーを三人も殺している。レベルの概念は目に見えず、どちらが上なのかは体感でしか分からない。……アルクスの体感としては、可能性は完全に五分だった。

 けれど幸いなことに、彼はずっと人助けを続けていた。魔王やその配下を倒すことに比べれば微々たる物だけれど、その経験はすべて間違いなく彼の糧になっている。……もしもその誤差のような糧がなければ、結果は丸っきり変わってしまっていたかもしれない。

 勇者に蘇生できない人物を蘇生する手段など、もはやこの世に存在しない。

 それをよく理解していることもあって、固い床と、まだ固まらない血の海の不愉快な感触で目を覚ました時、オルモナは心底驚いた顔をした。

 そして彼女は、自身が蘇生された驚きを消化しきらないまま、まずはどうしても言わなければならないことを言う。

「……後生だから、言い訳をさせてくれないか」

「後生じゃなくても聞くよ」

「あぁ。……どうやら私は洗脳されていた。ラゴラドレイクにやられたんだ」

 そうして勇者は、ある意味では魔王戦にも匹敵するような死線を乗り超えて、やっとのことでこのエピローグじみた物語の真相にたどり着いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間二人を死に至らしめる量の血液をぶちまけた部屋を掃除するには、相応の道具と時間と手間が要求される。そんなことをしている暇は無いが不快なものは不快だということで、勇者と黒魔術士は話す場所を変えた。

 町で一番の高台に登り、背の低い草に覆われた地面に直接腰を下ろして、まだ活気付く前の早朝の町並みを見渡す。それはアルクスにとってはお気に入りの景色で、オルモナにとっては初めての景色だった。

 日の出から間もない朝日が町と二人を照らす。オルモナは、至極冷静に語り出す。

「私にかけられた洗脳魔法は二つあった」

「二つも?」

「あぁ。一つは、魔王軍から解放されたあと、お前たちに合流することを躊躇わせる洗脳。……尋問の担当はラゴラドレイクだった」

「だけど彼は人間側のスパイだろう。どうして僕らに不利になるようなことを? 戦力は多い方が良いに決まっているのに」

「奴は戦争に勝ったあとのことを考えていたんだ。……二つ目の洗脳は、奴が死んだ後に発動する物だった。内容はもちろん…………仲間への殺意」

「……つまりラゴラドレイクは、戦後に俺たちパーティが全滅することを狙っていた?」

「そうだ。私がそれに用いるだろう魔法……血槍の内紛(ソワズァラ)の性質から考えて、最後に相打ちになることまでを含めて奴の計画だったのかもしれない」

「……まぁ実際、本当に全滅しかけたからな」

「お前が奴の想定よりしぶとかったことが幸いだった」

「伊達に魔王を倒してないってことだね」

 自嘲気味に勇者が笑う。厚顔な憎まれ口を咎められもしなかったオルモナは朝日を見上げて、少し気まずそうに目を細めた。

 人間側が自分たちを殺そうとしていた。そう聞いても、アルクスは大してショックを受けなかった。彼は元々から、人間社会のそういった側面を知っていたのである。

 きっかけは幼い頃に読んだ英雄譚だった。アルクス少年は英雄譚が好きで、何十冊もの本を読み漁っていた。するとその中で出会ったある一冊の中に、こんなバッドエンドが記されていたのだ。……襲い来る怪物を打ち倒し、国を救い英雄となった主人公は、凱旋の宴で毒を盛られて死んだ。彼に毒を盛ったのは、彼が命を賭して守り通した国の王様だった。「数多の怪物を殺せる者もまた怪物である。これでようやく、我々は人間の世界を取り戻したのだ」。

 そのバッドエンドはアルクス少年の心にそれなりのトラウマを残した。けれど少年は大人になるにつれて、そのオチが人心を的確に理解した物であったことを察していく。自分の好んでいた形の英雄譚は幻想で、現実はもっと複雑な物なのだと、他人への好意は残したままで少しずつ考え方を変えていった。そしてそんな彼の行き着いた先が、自分が実際の英雄になった未来と、人助けを欠かさずに生きる余生の立ち回り方だったのである。

 だから、スパイとして味方のように振る舞っていたラゴラドレイクが裏で自分たちを皆殺しにしようと目論んでいたとしても、それ自体は彼のトラウマにはなり得なかった。……ただその手段としてオルモナの心を弄んだことだけが、彼には許せなかった。

「ラゴラドレイクの計画は、独断だったのかな」

「さぁな。知る由もない。……だが考えない方が身のためだ。仮にこの国の王が指示していたとしたら、お前はどうするというんだ?」

「……そうだな。どうにもできない」

 国王に手を出せば、それが勇者の仕業であるとバレるバレないに関わらず、あるいはそれこそが正義であると民からの理解を得られても得られなくても、どうしたって国が大混乱に陥ることは避けられない。それはまったく彼の本意ではなかった。

 ラゴラドレイクの計画失敗と、それを経た上での現在の平和をその目で確認した上で、王様には自発的に考えを改めてもらうしかない。……もちろん全ては「仮に」の話で、計画が独断であればそれに越したことはないのだけれど。

 アルクスが政治的な意味合いから暗殺への報復を見て見ぬフリで放棄するように、国の方もようやく手に入れた平和を維持するために、すでに現在進行形である事実を隠蔽している。それは勇者の仲間の暗殺事件その物で、末端の善良な民たちはまだ事件の存在自体を認識していない。暗殺という手段がその点では幸いだった。蘇生阻害が解除された今、アルクスが棺を開き全員を蘇生すれば、それで事件はなかったことになる。

 ……ただし若干二名ほど、その例外がいる。

「どうにも出来ないといえば、私もすでに取り返しのつかないことをしているな」

 アルクスの顔は見ずに、眼下の景色を見下ろしながらオルモナは言う。

「お前は私のことを水に流すと言った。仲間たちもそうだと。……正直、それはそうだろうと私も思う。そうでなければ、今度こそ私たちは全面的に争うことになるんだからな」

「あぁ。誰もそんなことは望んでないし、むしろ皆は君に同情してる」

「それに関しては本当にありがたいと思ってるよ。……だけどルドボーンの妻と娘は違うだろう」

「……それについては僕も聞きたいことがあるんだ」

 もしもオルモナがルドボーンを人目につかないところでひっそりと殺していれば、事件は完全に隠蔽されていたはずなのに。実際にはそうならなかったことで「事件をなかったことにすること」は厳密には困難になっている。今後の問題はその一点に尽きるだろう。

 けれどアルクスの推理が正しければ、オルモナへの情状酌量の余地はそこにも波及している。

「血の槍の魔法の発動条件は、相手の罪悪感を煽ること。……と僕は推測したんだけど、これは当たってる?」

「あぁ」

「だとすればルドボーンの家族を巻き込んだのは、彼の罪悪感を煽る方法がそれしかなかったからか」

「ご名答だな」

 朝日が、強すぎる照明のようにオルモナの白い顔を照らす。彼女は取り調べ室で自供するように、一つ一つの事件の真相を語っていく。

「どうせだ、順番に話そうか。……サンレイを殺した方法は、まぁ知っているだろうが、録音を聞かせることだった。拷問を受けて悲鳴を上げる私の声……もちろん演技のそれを収録して、彼に送り付けた。彼がそれを聞くかそれとも廃棄するかは賭けだったが、死んだということはおそらく聞いたのだろう。あの男には、それが一番効くはずだからな」

「あぁ、それはもう、彼のことをよく分かってる」

 かつて裏社会の組織に属していたサンレイは、その血に塗れた生業に嫌気がさして足抜けをした。それが彼とアルクスたちの出会うきっかけとなったわけだけれど、サンレイの嫌った生業とは具体的に何だったのか? その答えまで、オルモナを含む仲間たちは旅の中で把握していた。

 殺しそのものを嫌うなら、時として人の姿を模して現れる魔王軍幹部たちを殺さなければならない勇者の仲間を務めることはできない。サンレイは殺しそのものに嫌気が差したわけではなかった。……彼はその手で拷問を担うことに嫌気が差したのだ。特に、どれだけのっぴきならない事情があったのだとしても、女子供を拷問することにだけはどうしても耐えられなかった。

 だからオルモナは、柄でもない演技をしてまでサンレイに自らの悲鳴を送ったのだ。「私はお前たちのせいでこんな目に遭ったのだ」と主張して、サンレイの罪悪感を臨界点に達させるために。

 残りの二人についても、もちろん手口は似たようなものだった。アルクスの相槌に頷き返しながら、オルモナは続きを語る。

「ルドボーンは家族思いな奴だった。だから家族から自身の行いを否定されることが一番効くだろうと考えた。そこで洗脳魔法を使い、妻と娘にこう言わせたんだ。どうして私たちを一人にしたの、魔王のことなんて勇者や他に人に任せて一緒にいてくれればよかったのに、こんな寂しい人生を生かされても何も嬉しくなかった……と、涙ながらに訴えさせた。本人たちは覚えていないだろうがな」

「あぁ……。それはまぁ、効くだろうなぁ」

 ルドボーンは元々、故郷に家族を残してきたことを心残りにしていた。彼女らが生きる世界を守るために戦っているといくら意識しても、家族以前に、まず彼自身の心が寂しさを克服しきれなかったのだ。だから彼は当時、オルモナの内に秘められた寂しさにも敏感だった。しかしそんな共感性に富む彼だったからこそ、「俺の家族はそんなことを言わない」とは断言しきれなかったのだろう。

 オルモナのやり口は、かつて彼女が一行と確かに心を通わせたからこそ発想できる物だった。彼女は正しく理解していたのだ、ルドボーンは、家族の支えさえあれば何があっても折れない男なのだと。……ラゴラドレイクの洗脳さえなければ、その理解を悪用することはなかっただろう。

 けれど今となっては後の祭りである。文脈からしてその問いが無意味であることを察しつつ、それでも念の為にアルクスは聞いた。

「妻と娘の記憶を操作して、今回の件を忘れさせることは出来ないのか?」

「可能ではあるが、後遺症が残る。洗脳中の記憶が残らないこと自体、副産物的な現象なんだ」

「そうか……」

「あぁ。だからその一点に関して、私は絶対に取り返しのつかないことをしてしまった」

 オルモナは自嘲の笑みを浮かべる。そして自身がその表情を浮かべていることに気づくと、途端に仏教面に戻る。

「……イルズの方はその点よかった。彼女はな、私の首が飛んだ時、安心した顔をしたんだ。あぁ、飛んだのが少年の首でなくてよかった……と。きっと彼女は、生首になってもほんの数秒だけ意識が残ることを知らなかったんだ。だから私はそれを指摘してやった。他の誰を巻き込むこともなく、彼女の罪悪感を刺激してやったんだ」

「なるほど」

 オルモナがパーティに馴染み始めた頃、イルズは「やっと女の子の仲間ができた」と喜んでいた。以来アルクスの目から見ても、二人はそれなりに仲良くやっていたように思う。オルモナがサンレイに菓子を贈ったという話をイルズが知っていたのも、きっと彼女の方からオルモナに話を振って聞いたことなのだろう。

 少なくとも、自らの死を真っ先に悲しまなかったことを指摘すれば死に至らしめられる程度には、二人の仲には確かな物があった。だからこそイルズはアルクスと同じように、死の直前に諸々の情報から魔法の発動条件を察するに至ったのだろう。

 アルクスは、オルモナのそのやり方を非道だとは思わなかった。洗脳による情状酌量を鑑みたわけではなく、素直に関心していたのである。人を避けて樹海に住んでいたオルモナが、今やここまで人心に沿った方法を使いこなす物なのか……と。

 彼にはそれが少し嬉しかった。暗殺計画への報復をあっさり諦めることもしかり、この勇者には、どこか恨みの類の感情が欠けている。

 だからアルクスは、まだ全員が元通りの仲に戻れると思っていた。けれどオルモナはそう思っていない。あるいは、世界中の誰も、彼ほど平和な心を持ってはいない。

 数時間後には蘇生される仲間たちは、きっと今回の件をすべて水に流すだろう。けれどそれと今後の身の振り方についてはまた別の話である。

「……これで全て白状したな。悪いが、あとのことは任せる」

 オルモナは立ち上がり、土のついた尻をはたきながらあっけらかんと言う。彼女はするべきことを淡々と行うタイプで、相打ち覚悟の特攻を仕掛ける時も、洗脳で植え付けられた恐怖を抱えながらかつての仲間を殺す時も、大抵はこのような態度を崩さない。

 その場を立ち去ろうとする彼女の背中を、アルクスが慌てて呼び止める。

「えっ。ちょっと、どこへ?」

「樹海にでも帰るよ」

「え……?」

「アルクス、今度こそ例の約束を果たす時が来たんだ。誰も私に関わらない。そうだろう?」

「それは。……そうだけど」

「……黒魔術士が正義の味方気取りなんて、初めから柄じゃなかったんだ」

「え」

 捨て台詞のようにそれだけを言い残して、オルモナはどこへなくとも歩き去る。アルクスにはそれを追いかけることも呼び止めることも出来なかった。彼はいよいよ、約束を破ることが恐ろしくなったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、まず仲間たち三人がアルクスの手によって蘇生された。それが済めば次は捜査員たちに事情を説明して、今回の事件の解決が関係者たち全員に共有される。……ただしアルクスはオルモナの受けていた洗脳魔法の術者を、ラゴラドレイクではなく魔王であったと伝えた。

 一方で仲間たちには、そういった細工を抜きに全ての真相を語る。彼らは皆アルクスの意見に同意し、水面下で起きていた暗殺計画を黙認することにした。

 いつか国と敵対することになる可能性を認識しつつも、一行はどこか肩の荷が降りたような表情を見せる。皆、自分たちを取り巻く暗殺計画の行方よりも、オルモナの現在の方が遥かに気がかりだったのだ。彼女が正気を取り戻し、自らの意思で約束通りに去ったと聞いて、寂しい気持ちはありながらも各々がどこかホッとしていた。

 しかしその中で、アルクスはまだオルモナの選択が腑に落ちていなかった。彼女が何の理由もなく、ただ約束の履行一辺倒で自分たちのもとを去ったとは思えなかったのである。

「世間体でしょ」

 と、その疑問にイルズが答えた。

「元々彼女は黒魔術士だから、それ自体の世間の評判はよくない。勇者パーティの一員として魔王を倒したならそのイメージも変わったかもしれないけど、実際は途中で離脱したまま失踪……。あげくに元仲間を殺害する事件を起こしてしまった」

「でもそれは、なかったことにされてる」

「表向きはね。けどだからって、捜査員やその上の人たちの記憶が消えたわけじゃないでしょう? そういう不安要素を嫌うのは、いかにも彼女らしい。……それに事件を表沙汰にしないってことは洗脳の件も表沙汰にならないってことなんだから、彼女がわたしたちと合流するにしても、世間的にはどの面下げてって感じになっちゃうでしょ」

「……だからって、それでさよならっていうのは悲しすぎないか」

「元々そういう約束だった」

「それはそうだけど……」

 アルクスはそれ以上言葉を続けられなかった。自分に事情を解説してくれるイルズが、自分以上に暗い表情をしていたから。

 一方、最も精神面を不安視されていた二人については、一行よりはいくらかマシな明るさを見せていた。

「今回の件で、自分の覚悟の甘さを痛感しました」

 そう語るのは、夫の口から事情を説明されたルドボーンの妻だった。アルクスと向き合って座る彼女の後ろの方では、娘が何事もなかったかのようにハツラツとした様子で父親と遊んでいる。

「魔王軍と戦う以上、夫が一度や二度殺されてしまうことは覚悟していたつもりでした。死んだとしても必ず蘇生してもらえると信頼していたつもり……とも言えます。だから恐ろしい戦場へ見送ることがつらくはあっても、耐えられないことではないと思っていたんです。……それがいざ目の前で夫の死体を見れば、子どもの前で動揺を隠せもしない有様で。まったく自分が情けない……」

「い、いや、戦いが終わったと聞いたあとで、それも家の中で突然そんな状況になったら、誰でもトラウマになりますから……」

 勇者からそうフォローされても、ルドボーンの妻は己の不甲斐なさを繰り返し言葉にするばかりだった。そしてある時ハッとしたように、彼女の口からは事件を解決した勇者への謝辞が繰り返されるようになる。

 オルモナは、彼女らにトラウマを植え付けてしまったことを「取り返しがつかない」と言っていた。厳密に言えばその認識には欠片の間違いもないけれど、しかし彼女は知らなかったはずだ。その妻と娘は、精神的な強さではルドボーンにも勝るのだということを。

 けれどアルクスがその様をオルモナに伝えることは、もう叶わない。

「オルモナは、二度と僕たちに関わらないことを約束して去りました。……元々、魔王を倒したあとはそうする約束だったんです」

 ルドボーンの妻を安心させるために勇者がそう伝えると、相手は少し寂しそうな顔をする。

「なら、私たちが今回の件を気にしていないということも、もう彼女には伝えられないんですね」

「……えぇ、そういう約束ですから」

 改めて口にすると、胸が締め付けられる思いだった。

 ……それから三日後、アルクスのもとに見知らぬ人物が現れた。もとい、背が若干低いことを除けば、その人物はサンレイに瓜二つの姿をしていた。

「サンレイさんからこれを預かっています」

 謎の人物の来訪に困惑しつつも、アルクスは白い封筒に入った手紙を受け取る。開けて読んでみると、そこには淡々と想像の斜め上を行く内容が書いてあった。

 

『オルモナに会いに行きます。探さないでください。諸々の説明は目の前の者から聞いてください』

 

 その手紙には、魔術的な刻印が押されていた。指紋のような物で、しかるべき手段を用いればそれを押した者の素性を特定できる。……つまりわざわざ本人確認の機能付きで、サンレイはそれを送ってきたのだ。

 アルクスの怪訝な視線を受けて、サンレイに瓜二つの人物は名乗る。

「ボクのことは、便宜上、サンレイと呼んでください。端的に言うと、影武者ですので」

「影……なに?」

「本物のサンレイは約束を破ってオルモナを追いました。物騒な動機ではないのでそこはご安心を。……ただ、彼の願いが叶ってもそうでなくても、もう彼があなたたちのもとへ戻ってくることはないでしょう。勇者の仲間が失踪した黒魔術士を追ったという事実自体、何かと危なっかしいですから」

「……それで君は?」

「ボクは彼の影武者です。オルモナを追うことと同じくらい、サンレイの失踪自体も世間体がよろしくないので、今後はボクが彼の代理として振る舞います。アルクスさんもそのつもりで、以後お見知り置きを」

「いや、えっ……? ごめん、ちょっと話についていけてないかもしれない」

「大丈夫、そのうちすぐについて来れますよ」

 どこから雇われてきたのかも知れない影武者は、サンレイ本人よりも屈託のない笑みを見せる。

「だって今のアルクスさんの立場だと、彼を追うことも出来ませんから。きな臭くなっちゃうでしょう?」

「…………あ〜」

 勇者の仲間は、失踪した黒魔術士に接触してはならない。仲間殺しの事件について良からぬ感情を持つ者が、どこに潜んでいるとも限らないから。

 勇者の仲間は、失踪してはならない。それを世間に隠し通せる確証はなく、発覚すれば社会に混乱と不安を招いてしまうから。

 勇者の仲間は、失踪していないという体になっている以上、捜索してもならない。理由は上記に同じ。

 ……アルクスが現在置かれている立場はそのような物であり、国の平和を願うにしろ仲間の平穏を願うにしろ、彼に禁忌を犯す選択肢はあり得なかった。その意味で、サンレイは究極の裏切りに手を染めたとも言える。けれどアルクスにそれを責める気持ちは毛頭ない。

 天を仰ぎ、苦渋の決断を吟味するような唸り声を上げてから、アルクスはどうやら事情通らしい影武者に向けて答え合わせをするかのように、一つの問いを投げかける。

「……ちなみにサンレイがオルモナを追った動機は?」

「それはまぁ、広義の意味での駆け落ちです。相手の同意は会ってから取る形の」

「……だよなぁ」

 勇者はそれ以上の追求という無駄を諦めて、影武者に握手を求める。

「じゃあまぁ、これからよろしく、サンレイ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人助けの旅を再開したアルクスは、人々の間を飛び交う無数の噂話の中に「樹海に魔女が帰ってきた」という話題を聞いた。畏怖と忌避を込めて、黒魔術師は民衆から魔女と呼ばれている。

 魔王との直接対決を前に怖気付いただとか、魔王軍に寝返ったあげく用済み扱いで始末されそうになり逃げ出しただとか、魔女が孤独な存在に戻った理由については不名誉な憶測が無遠慮に飛び交う。噂話を耳にした人物の中には、勇者パーティの一員として同行していたオルモナの姿やその意外な社交性を実際に見た者もいたはずだけれど、誰も魔女のことを庇おうとはしなかった。皆、ただ口を閉ざすか、一緒になって魔女を罵るか、あるいは噂話に同席していたアルクスに気まずそうな視線を送るばかりだった。アルクスには、どの例に対しても同情の目を向けることしか出来なかった。

 民衆は、勇者が魔女を仲間に引き入れたこと自体には苦言を呈さない。毒を以て毒を制す要領でその力が必要だったという認識があることと、勇者の人柄的な好印象の周知が手伝って、「彼の人柄と実力は魔女すら手懐けられたのだ」という方向に評価が流れているのである。

 アルクスはその風潮に異を唱えることをしなかった。そこで躍起になって真実を伝えようとすれば、自分だけではなく関係者全員のすべての努力が水泡に帰してしまうような気がするから。

 ……けれどその忍耐は彼の心を少しずつ蝕む。民草に失望するわけではないけれど、ただ己の無力さとオルモナの不憫さに胸を痛めては、ため息ばかりが増えていく。

 そんな中、ある時辺境の集落の一つで、少しだけ風向きの変わる出来事が起きた。魔女に命を救われたと語る男が現れたのである。

 男は、遺書を残して消息を絶った友人を探して一も二もなく樹海を訪れては、知識と装備の不足からつい先日まで遭難してしまっていた。ロクな食糧もなく、来た道も方角も分からなくなった彼は、実際のところ死にかけたのだという。

 衰弱した彼を救ったのは、一組の男女だった。木々に溶け込むような深緑のローブを着込んだその二人組の顔は目深に被ったフードに隠れてよく見えなかったけれど、声と背丈から察して片方が男性で片方が女性であることは察せられる。遭難した男は初めのうちその二人のことを、幻覚が見せる死神か何かだと思っていたのだと語る。

 彼がそう考えることにも無理はなかった。何せ彼は衰弱していたし、フードを被った男性からは足音がせず、女性の方は不吉な魔術を扱ったのだから。

 その女性は軽蔑するようなため息と共に水と食糧を差し出しながら、遭難した男に言った。

「死にたくなければ、道標に沿ってさっさと帰れ」

 彼女の指差した先には、スーッと二本の線が伸びていく。死にかけの男が歩くべき道を示すかのように木々の間を縫って伸びるその線は、突如として発芽し花開いた無数の白い花の列だった。ランプの傘のような形をした小さな花弁が鈴なりに頭を垂れるその花からは、しかし絶えることなく赤い液体が滴っては地面に染み込んでいく。

 その異様な光景を見た時、男は目の前の二人が死神であることを確信して、自分はもはや死を待つばかりなのだと思い込んだ。そしてこれは幸いなことだけれど、彼には死神に逆らう胆力がなかった。

 結果として男の命は助かった。ふらふらとした足取りで道標に沿って街道に出た彼は、通りすがりの行商人に拾われて一命をとりとめたのだ。

 それ以降、男は魔女を擁護している。「今思えばあれは黒魔女だった」「俺は魔女に命を救われたんだ」「あの魔女は、世間で言われているほど悪い人物じゃない。むしろ俺の恩人なんだ」……と。

 その男が声高らかに世間の風潮へ抗議する様を、アルクスはその目で見たわけではなかった。ただ彼の耳にその噂が入った時には、男は「お前の友人は樹海で自殺した」「魔女に誘い込まれたんじゃないのか」と反論してきた男と取っ組み合いの喧嘩になったのだと聞いていた。そしてそれより先の事の顛末は、噂話をいくら聞けども知る機会には恵まれなかった。いくら魔女を擁護しても支持を得られず、その男もついには懲りてしまったのかもしれない。

 けれどある日アルクスが噂の集落を訪れた際、そこに住む一人の少女が、例の噂が本当であることを話してくれた。

 歳は十と少し程度に見えるまだ幼いその少女は、下手な大人よりも流暢に事の全容を頭から語ってくれる。その内容は概ねアルクスの知っている通りだったが、そこにはきっちり話の結末が付いていた。

 いわくその男は、ある日近所の面々に捨て台詞を吐いた後、別のどこかへと引っ越してしまったのだという。

 少女は、その話の最後をこう締めくくった。

「わたしはね、そのおじさんが言ってたことは本当だと思う。魔女は本当はいい人で、魔王との戦いの前にいなくなっちゃったのも、何か事情があったんじゃないのかなって」

「……どうしてそう思うの?」

 素朴に聞いてしまった時、勇者はハッと後悔する。オルモナの善性を信じてくれる貴重な心の芽を、自らが摘み取ってしまったのではないかと。

 けれど幸い、少女はにこりとはにかんで答えた。

「だってその方が素敵でしょ?」

 あっけらかんと、そう答えた。

 一つの出来事、物語を、きちんと人に話し伝えられるほどに聡明な少女の口から述べられた、端的で優しくて無根拠な回答。……そこには勇者が勝ち取り、そして今も守り続けている平和の賜物が宿っていた。

 彼は、それこそ長い遭難から抜け出して来たかのように、深い安堵の息にも似た微笑みを浮かべる。

「そうだね。ほんとうに、僕もそう思う」

 

 

 


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