春、シンボリルドルフに頼まれてミスターシービーを探しに行ったトレーナーは、というSSです。
ふと嵐が吹いた。
歩み続ける俺の隣を、一息に疾風が追い越していく。
光の速さで駆け抜けゆく衝動。
この風もまた、どこかへと消え去ってしまうのだろう。
ばさり、と前髪が瞼を撫で、その眩しさに俺は目を瞑る。
眼下に広がる黄の大海も、その先の空に浮かぶ桜も、全てが暗闇に覆われる。
嵐は去り凪が訪れても、幻想的な世界は未だそこにあった。
この三年で多くの未知を巡ったと思っていたのだが。
どうやらこの辺りにもまだこんなに艶やかな世界が広がっていたらしい。
俺はシンボリルドルフに頼まれて、彼女を探しに来ていた。
別に当てがあった訳ではない。
むしろ猫のような彼女を見つけ出そうとすれば難しいだろう。
だから気の向くままに歩けば、と柄にもなく思っただけだ。
戯れる蜜蜂たちの遠く背後に、見事な一本桜が手を伸ばしている。
その手招きと濃厚な蜜の香りに誘われて、俺はふらふらと近づいていった。
菜の花の羅紗をかき分けて真下に立つと、尚更俺はその偉大さに圧倒される。
何十年、何百年と世界を彩ってきたのだろう。
見上げると、淡紅の天井の梁に、白い細枝がぶらぶら揺れている。
おそらく、あの乙女は。
「シービー?」
「あ、トレーナー」
「日課の散歩?」
「そんな感じかな」
彼女は微笑む。
「器用だね」
「キミも登ってきなよ。心地いいよ」
「登れるかなぁ」
「いいからいいから」
どうやら何を言っても聞かなそうだ。
脱ぎ捨てられた靴を一箇所にまとめて、俺は幹に手をかける。
ざらざらとした久しぶりの感触に、俺は幼少期を思い出した。
あの頃は、ただ登ることだけに夢中だった。
その先の綺麗な景色だけが見たくて、色んな無茶をした。
傷の多さこそが勲章だと、俺だけはそう思っていた。
ひたすら無邪気だった鼻垂れ小僧を、俺は探している。
丁度良い太枝を支えにして、なんとか体は安定した。
二人分の体重でも揺れ動かない、がっしりとした大樹の感触が腰に伝わる。
頭上がぽっかり開いて、合間から差し込む日差しが心地よい。
肩に仄かな甘い汗の香りを感じながら、俺たちは赤茶のベンチに並んでいた。
と、ここに来てようやく俺は本来の目的を思い出したのである。
「そういえばさっき、ルドルフが君を探していたよ」
「またインタビューのお願いかな」
「あぁ、どうする?今回は断っとこうか?」
「うーん。ルドルフの頼みだし流石にね」
それにしても最近多いなぁ、と彼女は苦笑する。
その横顔を見つめながら、脈絡もなく俺は去年の有マ記念を思い出す。
時代は変わった、と誰かが言った。
時代は終わった、と誰かが言った。
シンボリルドルフは伝説を作り上げた、と誰かが言った。
ミスターシービーは過去の遺物となった、と誰かが言った。
そのどれも、彼女は否定しなかった。
いつもの通り、彼女は薄く微笑んでいるだけだった。
彼女の一歩後ろで、俺は何を思っていたのか。
「ね、キミはさ、桜が綺麗な理由って知ってる?」
シービーは問いかける。
「古の人が言うには、冬の時代を乗り切った春の象徴だから〜とか、終わりの散り際が儚いから〜とか、はたまたこの下には死体が埋まっているから〜、なんて。」
彼女は虚空を掴む。
掌の中には、小さな淡い心臓。
「でも本当はさ、桜はただそこで咲いているだけなんだよね。誰にも構わず、思い思いに。」
俺はしばらく黙り込んでいた。
咲き誇る桜に思いを馳せるのは良いことだ。
そうやって夢は舞い散り、幾重にも折り重な主っていく。
誰もが、このひと時を一瞬のものだと理解している。
「それでも手を伸ばしてしまう理由は、やっぱりなんでだろうね」
そう微笑む彼女は、どこか憂いを帯びていて、その横顔もまた美しく映えていた。
視線の先には、揺れる五弁の花びら。
一つ、また一つとこぼれ落ちていく。
「…桜が綺麗な理由なんて俺にはわからないけどさ」
気づけば勝手に口が動いていた。
「…きっと悠久の先の、その刹那の輝きを、俺は一番近くで見ていたいんだよ」
見開く碧の双眸に人影が映る。
ようやくこちらを向いてくれたようだ。
今日初めて見せるくしゃっとした笑顔に、俺は安堵する。
「…驚いた。やっぱりキミってたまにすごいこと言うよね」
「なんか恥ずかしいな。後たまになんだ」
「うん、たまにね。ふふっ」
ざあっとざわめく風に、雲が、空に浮かぶ花筏が、勢いよく流れていく。
揺れる彼女を、こぼれ落ちぬようにそっと引き寄せる。
澄んだ風が吹き抜けた後の、束の間の静寂を俺たちは謳歌している。
それでもやはり彼女は、俺の想像の一歩先を行くようだった。
「ね、なんだか踊りたくなってきちゃった」
「え?」
「ここは風が気持ちいいし、この景色を見てたら、ね?」
「危ないよ」
「大丈夫、まぁ見ててよ。よいしょっと」
そう勢いよく、豊かな幹の窪みへふわり、彼女は降り立つ。
胸のリボンがゆっくりと上下して。
くるくる、くるくると風が舞い初める。
緩やかな渦を彩るのは無数の桜吹雪。
花弁の如き制服のスカートや、亜麻色に流れる髪、白玉の指先でさえ、天女の羽衣となる。
翻る度に、全てが滲んで、ぼやけていく。
バックミュージックなど必要なかった。
薄く透きとおる唇が奏でる、郷愁の音に全てを委ねて。
その中心の、奔放な彼女の微笑みを、俺は特等席で観ている。
なるほど、と俺は独りごちた。
これは確かに、のどけからまし、とはよく読んだものだ。
桜はとうに満開を過ぎている。
おそらくもう一週間もすれば全てが散る。
後は新芽が萌出づのを待つだけとなる。
やがて季節は移り変わり、また暑さがこの風を支配するのだろう。
それでも、
今はただ、この輝きを眺めていたいのだ。
あと少し、もう少しだけ。
シービーが踊ってる姿が見たいなぁと思って書かせていただきました。正月シービー可愛すぎたので早く通常衣装シービーも来てくださいお願いします。
是非楽しんで頂けると幸いです。