蒼髪の花嫁   作:赤城 希衣呂

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最終話 ~サラボナ(後編)~

「ふぅ……サラボナに来るのも久しぶりかな」

 言葉通り、本当に街まで来たのは久しぶりらしい。ビアンカは微笑みをまじえ、物珍しげに周囲をきょろきょろと見回している。

「前にもサラボナに来た事はあったのかい?」

「ええ。やっぱり山奥の村だけじゃ、ちょっと足りないものがあったりするからね。何度か買出しに来たこともあるわよ?」

 アベルの言葉に、先行していたビアンカはくるりと振り返る。

 太陽に透けるような金髪。農作業にも携わることが多く、それでも生命力に溢れ、みずみずしい肌。化粧っ気は無いが、それでも彼女の魅力を微塵も損なわない。プックルと友達になったきっかけ――かつてレヌール城で共に冒険した頃と、その闊達な雰囲気は微塵も変わっていなかった。

「で、あそこがルドマンさんの家だったわね。私も遠目に見ただけで、流石に入ったことはないのよねぇ」

 前方にそびえる屋敷を指さし、感嘆交じりと吐息をつく。

 羨みというよりは、むしろどのような場所なのかという未知への好奇心によって出た言葉らしかった。

「……良かったら、一緒に来るかい?」

 そしてアベルも瞳に宿るその感情を感じ取り、ついそのような言葉をついてしまう。

「いいの!?」

 案の定、アベルの誘いの言葉に対してビアンカは途端に目を輝かせた。

「うん。……実際、水のリングを探すのも手伝ってもらったからね。きちんと説明はしなきゃと思ってたから」

 アベルにしても、今回の水のリング探索にあたっては、ビアンカに協力を仰いだ事は紛れもない事実なのだ。

 協力者として洞窟へも共に向かった事は、やはりきちんとルドマンにも伝えなければフェアではないと考えていた。

 ルドマンから船を借り、北上し――そこで引っかかった水門。そして側には「水門開放の用向きは村まで」という看板。慌てて近くの村へ向かうと、なんとかつての幼馴染と再会。事情を話すと、水門開放の協力にも快く承諾してくれた。ただ、一つだけ条件をつけて。

 ――私も一緒に行く!

 どうやら山奥の村で過ごしつつも、やはり冒険に憧れていたようであったらしい。アベルとの再会が絶好のチャンスだ、とばかりに同行を申し出てきたのだ。レヌール城で共に戦った仲であるし、モンスターも多い山奥の村で暮らしているだけあって、呪文にも磨きがかかっていた姿を認めたため、アベルにしても否はなかった。

 プックルもよく懐き、そしてビアンカもプックルの成長に驚きながらも成長を歓び……自然、洞窟へはアベル、ビアンカ、プックルのパーティで向かうこととなった。

 ピエールなどは、もう一人くらいつけてはどうかとも提案したが、アベル自身も懐かしさも相まって、危なくなったらすぐに戻ってくるからと説得して、二人と一匹で潜っていった。

 そしてアベルにとって、この滝の洞窟の冒険は、拍子抜けするほどにあっさりしたものであった。無論、手強いモンスター達も多い。猛毒の霧をまき散らすガスダンゴ。こちらを麻痺させてくるへびこうもり。仲間を一瞬にして癒やすベホマスライム等々……。だが、滝の盗掘の中は絶えず水が流れ続け、清涼な空気に包まれていた。若干肌寒くはあったものの、死の火山のような生命の危機を感じるほどの高熱のような障害も無く、そして何より、溶岩原人のような、ボスクラスのモンスターも存在していなかった。

 結果として、特に苦戦することもなく――洞窟探索に若干の時間は取られたものの――無事に水のリングを手に入れる事が出来た。

 こういった経緯もあり、アベルはルドマンへ協力者としてビアンカを紹介する事に、吝かではない。

 だが、それ以上にビアンカに同行を願った大きな理由があった。

(フローラ、さん……)

 このまま一人でルドマンと会い、そしてフローラと顔を合わせるのが怖かった、という事情もまた、アベルの内にはあったのだ。

 アンディを看病するデボラから聞かされた話。そして再会できた時の彼女の反応。

 それらを思い出せば、『条件を満たした者』として、彼女の前に立つことに嬉しさと同時に、恐れも抱いてしまっていた。女々しい、といわれればそれまでだろう。だがそれでも、そのような場面にこの闊達な幼馴染が隣にいてくれれば、どれほど心強いか。

(……考えてみれば、プックルを引き取るためのレヌール城冒険のきっかけも、ビアンカが止めに入ったからだったっけ)

 アルカパの街でプックルをいじめていた少年たちをビアンカが見咎めて止め……その交換条件にと、レヌール城のお化け退治を持ちだされたのだ。結果的にアベルも巻き込まれる形でお化け退治に参加することとなったが、プックルを救い出すこと自体には賛成であったし、その事について特に不服はない。というよりも、アベルにとってビアンカは、フローラとはまた違った意味で印象深く、思い出深い少女でもあった。

(きっと、僕にも姉がいたらこんな人だったんじゃないかな……)

 幼い頃に出会った時にも「私の方が二つお姉さんなのよ!」と言っていた事も思い返し――山奥の村での再会の折にも、強引ながら冒険についてくる、と言ってきたビアンカであるからこそ、こんな場面でもつい頼りとしてしまったのだろうか、とアベルも考えてしまう。

「――ベル! アベル……! アベル!!」

「ぁ……!」

「どうしたの?ぼーっとしちゃって。もうついてるわよ?」

 既に、ルドマン邸の目の前まできていた。扉の前で、不思議そうにビアンカが振り返ってきている。

 我に返り、慌てて周囲を見渡せば、庭で走り回っていたリリアンが、アベルの姿を認めて尻尾を振って寄ってきた。

「――うん。じゃ、いこうか」

 側まで駆け寄ってきたリリアンの頭を一撫でしたアベルは、ビアンカを伴ってルドマン邸の扉を開いた。

 

 

「おお、これで水のリングは揃ったのか! よろしい、フローラとの結婚を認めよう! フローラ。お前もアベルさんが相手ならば、不服はないだろう?」

「え、ええ……お父様」

 ルドマンに話を振られ、フローラも躊躇いながら頷く。だが、じきに彼女の視線は、アベルの隣へ立つ女性へと視線を向けられた。

「――ただ、そちらの方は?」

「え、私? 私はビアンカって言って、アベルが水のリングを手に入れるのに協力したの」

 あっけらかんに言うビアンカ。十年前には共にレヌール城で冒険した仲であること。また冒険しようと約束し、そして山奥の村で再会し、事情を聞いて今回の冒険に協力したこと。アベルがどのように説明しようかと頭を悩ませていた内容を、淀みなくすらすらと説明していく。

「そう、なんですか……」

「ふむ。まあ、協力者を禁じたわけでもなし、むしろそのような縁を以って水のリングを手に入れられたのだから、やはり君はフローラの夫となるに相応しい男であった、という事かな」

 ルドマンはビアンカの説明に納得し、さして気にした風ではなかったが、対照的にフローラは、しきりにビアンカとアベルとの間に視線を行き来させる。

「さって! 用も済んだし、私はこれで失礼させてもらいますね」

 言うだけ言い終え、最後にもう一度ルドマン、アベルに挨拶したビアンカは、満足げに立去ろうとする。

「ぁ……!」

 そんなビアンカの背中に、フローラが手を伸ばしかけた瞬間。

 ドォン――と、轟音が響き渡った。

 更に地震のような揺れがその場の全員を襲い、棚に飾ってあった調度品のいくつかが音を立てて砕け落ちる。

「な――!?」

 それは、誰の言葉であったか。或いは、その場の全員が発した言葉であったのかもしれない。あまりの出来事に全員が固まり、言葉を失っている中、更に状況は進んでいく。最初の衝撃に引き続き、ずしん、ずしん、と断続的な轟音と細かな揺れ。

 何事かと慌てて外へ飛び出したアベルは、北の方からゆっくりと、だが確実にサラボナへと近づいてくる影を見咎めた。庭を駆け回っていたリリアンも、同じ方向を睨み、しきりに吠え立てている。聞こえてきていたのは足音だった。遠く離れているはずの場所、目測からしても、相当に……それこそ、普通であれば、一両日は歩かねばならないほどの距離があることは明らか。なのに、「そのもの」の足音は今も聞こえてくる。

 それは何故か。答えは簡単だ。

 あまりにも、その足音の主が、巨大だったのだ。

 一目見た第一印象は犬のような顔だった。だが、その両の眼の中心にも第三の眼があり、耳の上部からは猛々しく二本の角が突き出ている。体色は人間の肌にやや近い色。だが、その所々には苔がこびりついてる。巨体であり、更に胴体も肥満体と言えるに膨れ上がっていた。一歩、そのものが歩くたびに、腹の肉がぶるぶると震えている。

「なっ……!? なんだ、あれは……?」

 少なくとも、アベルの知識にはあのようなモンスターなど該当が無い。否、あれほどの巨体を、果たしてモンスターという括りに含めても良いものかすら分らなかった。次いで飛び出してきたビアンカも、そしてフローラも、その巨体にアベルと同様の反応を示す。だが、最後に出てきたルドマンは、そのものを確認した途端に、眼を見開いていた。

「馬鹿な……何故!? まだ、あと十年は封印が保ったはず……!!」

 搾り出すような、掠れた声だった。だが、明らかに何かを知っている発言。

「アベル!!」

 仲間のモンスターたちも異変を感じ取ったのだろう、総出で駆けつけてきた。

 街の方からも悲鳴が上がっている。無論、その大半は今も近づいてくる巨体に向けられたものだろうが、何割かはアベルの仲間モンスターたちに向けられているものかもしれない。

「モンスター!?」

 そしてやはり、ルドマンもまた顔色を変え、フローラを護るように背中に隠す。

「落ち着いてください、彼らは僕の仲間です!」

「ご主人。これは一体……?」

 なんとかルドマンたちを落ち着かせるアベルの下へ、最も人間体に近いピエールが駆け寄ってきた。

「い、いや……僕も何がなんだか……」

 滝の洞窟へ向かうために北上していた時にも、あのような巨大な魔物の気配など全く感じなかった。

 そもそもあれほどの巨体だ。いれば気配うんぬん以前に気付かないはずがない。

「……ブオーンだ」

 ピエールが人間の言葉を発し、アベルとコミュニケーションを取る姿に落ち着きを取り戻したのか、ルドマンが重々しく口を開く。

「奴は私の先祖であるルドルフが封じた魔物だ。確かに封印の力が限界近く、わたしの代で確実に戦うことになるとは覚悟していたものだ」

 父の背に隠れていたフローラにとっても、それは初めて聞く話であったらしい。アベル、ビアンカと同様、驚きのままに父の言葉へ耳を傾けている。

「だが、それにしても早すぎる。あと十年ほどは封印も保つはずなのだが……」

 その説明の間にも間断なく地響きは続いている。だが、ふとその地響きが弱まった。

 何事か――見るとブオーンが一時足を止めていた。だが、地響きの代わりと言わんばかりに、パリ、パリ、と生木を裂くような音がその周囲から響いてくる。

 次いで、閃光。

 そして、轟音。

 彼我の距離は、アベル達の主観からすれば、相当に開いていたはずだ。だが、ブオーンにとっては、ほんの十数歩程度の距離でしかなかったのだろう。巨体から発せられた稲妻は、正確のルドマン邸を狙い打った。

「きゃあああああっ!?」

「危ないっ!!」

 全壊にまでは至らなかったものの、二階の部屋の一部が砕け、瓦礫が降り注ぐ。

 反射的にアベルはフローラを庇った。幸い、ルドマン邸はサラボナの街でもやや郊外に位置している。そのため、街そのものという観点から見れば、その被害はそう大きなものではなかった。

 が、それも今の一撃のみの話。このままブオーンが直接サラボナの街で暴れれば、間もなく街全体が灰燼と帰してしまうだろう。

 だが、あくまでブオーンの第一の狙いはルドマン邸であったらしい。サラボナの他の箇所には目もくれず、まっすぐにこちらまで進んでくる。

「ぶぅぅうい……どうれ、よく眠ったわ」

 そして、ブオーンの歩幅であと二、三歩、という所で、ようやくその歩みが止まった。

 低く、唸るような声。獣臭い匂いが、離れて尚、ブオーンの口から漏れ出てくるのが分かる。

 距離はあくまでブオーンの感覚によるもの。アベル達にすればまだまだ開いていた間合いであったが、それでもその声は、不気味なほどによく響き渡った。

「うぅん、ルドルフはどこへいった? ワシを封じおった憎きあ奴めが見当たらんようだが……まあ良い。まずお前たちから血祭りに上げてやろう!!」

 言うが早いか、ブオーンは大きく息を吸い込み、猛烈な勢いで激しい炎を放ってきた。

「う、お、おおおお~~~~!!」

 慌ててイエッタが凍える吹雪を吐いて対抗しようとする。だが、溶岩原人の時とは異なり、完全に押し返されてしまう。

「どっ……わっしゃああああああい!?」

 形勢不利と見たファイアがイエッタの前に立って庇う。だが、炎の量が大き過ぎた。ファイアですら尚庇いきれぬほどの熱量がイエッタのみならず、その場にいる全員を襲った。

「イオラッ!!」

 咄嗟にピエールが爆裂呪文を唱える。一同の寸前を発動場所として指定された爆裂は、轟音と衝撃を味方に与えながらも、その炎の威を辛うじて相殺した。

「っ……! みんな、行くぞ!!」

 襲い来る魔物に対抗する。それは、アベルたちが何度も繰り返してきた行為だった。

 だが、ブオーンはこれまでの敵とはあまりにスケールが違い過ぎる。それでも、逃げるわけには行かないのだ。アベルの号令に、その意を汲み、仲間のモンスター達も一斉に反撃に出た。

「マヌーサだみゃっ!」「メダパニぃ!」

 先鋒としてドラきちが幻惑呪文を、スラりんが混乱呪文を唱える。

「メラミ!」「バギマ!」「イオラ!」

 ビアンカの火炎呪文がブオーンの顔面に直撃し、その巨体をアベルの真空呪文が切り刻む。更にピエールの爆裂呪文がブオーンの胴体で炸裂した。

「ぶぅい……どれ、ハエでも払ってくれたのか?」

 だが、火炎の、真空の、そして爆裂呪文の余波が晴れると、そこには全く無傷なままに、ブオーンが屹立していた。

 スラりんやドラきちの呪文も効いている気配は無い。呪文の後詰めとして機を窺っていたプックルが、うろたえるように喉の奥で唸る。

「つまらんなあ。さっさと貴様らを片付けて、ルドルフを探し出すとしようか」

 ブオーンがその身をよじり、剛腕が掲げられる。振り下ろされれば、その衝撃だけでもアベル達にとっては脅威だ。まともに食らえば、跡形も無く消し飛ぶかもしれない。

「みゃみゃみゃっ! ら、らららら、ラリホー!!」

 ドラきちが咄嗟に催眠呪文を唱える。

 マヌーサも効果がなかった今、自身も効果を期待してのものではなかっただろう。

「ぶぅ……ぃ……」

 だが、それは思わぬ効果を及ぼした。

 ブオーンが腕を振り上げたまま動きが極端に鈍くなり――だが、じきに我に返ったように顔を左右に振る。

(ラリホーが……効く!?)

 ほんの僅かに勝機を見出す。

「ビアンカ!」

「ラリホー!!」

 その呼びかけだけでビアンカも察したのか、ドラきちと同様に催眠呪文を唱えた。

「イエッタ、あまい息だ! ドラきちももう一度ラリホーを!」

 更にイエッタ、ドラきちにも指示を飛ばす。

 アベル自身もプックルにまたがり、駄目押しとばかりにブオーンの顔にアルカパで手に入れた安眠枕を叩きつけた。

「な、何とか、眠った……!?」

 読みどおり――ほど無くして何重にも睡眠へと誘われたブオーンは、ずずん、と片膝をついた体勢のままにいびきをかき始めた。

 だが、その場の全員がわかっていた。こんなものは、一時凌ぎですらないのだと。

(何とか……何とかしないと!!)

 確かに今すぐにサラボナが滅ばされる危機は回避することが出来た。だが、倒す手段が見つかった訳ではない。生半可な攻撃は通じない事は、さきほどの戦闘でも分かっているのだ。

「あ、アベル……どうしよう」

 スラりんをはじめ、仲間モンスターやビアンカ達も、アベルの判断を仰がんと視線を注いでくる。

 だが、アベルを以てしても、この現状維持以上の方法は思いつかなかった。

「……方法はある」

 苦悩するアベルの横で、重々しくルドマンが口を開いた。

「まだ、封印の壷も完全には力を失っていないはずだ。だからこそラリホーもここまで効いたのだろう……。封印のほこらへ向かい、壷の封印を強化する事ができれば、あるいは……」

「強化、とは……?」

 問いかけに、若干躊躇いながらも、ルドマンは続ける。

「乙女の血だ。豊富な魔力を持った女性の血を壷に注ぐ。そうすれば封印の魔力も活性化され、今度こそ封印が切れるその時までもつはずだ」

「なら――!」

 希望が見えた。豊富な魔力を持った乙女ということであれば、ビアンカなら適任のはず。

「……ごめん、アベル。私は無理」

 だが、他でもないビアンカ本人が、今も尚ラリホーを唱え続けながら首を横に振る。

「見れば分かるでしょ? 今でも結構ギリギリの状況よ。私ひとりが抜けて、ラリホーをかける人が足りなくなったら、どうなるか……」

「くっ……!」

 ラリホーは決して難しい呪文ではない。だが、その威力は術者の力量に左右されるのだ。今すぐにビアンカが抜けられるほどの穴を埋める者を見つける事は難しいだろう。

「わ、私が行きます!!」

 どうしたものか――苦悩するアベルの隣でフローラが声を上げた。だが、アベルが反応するよりも早く、ルドマンが顔を真赤にして怒鳴りつける。

「む……っ、無茶を言うんじゃないフローラ! ほこらの周りにはモンスターも居る。お前では無理だ!」

 父の激昂にも等しい気迫を受けながらも、フローラは一歩も退かなかった。

「ですがこのままでは打つ手がありません! 私もラリホーは使えませんが、呪文は使えます! なら……私だってサラボナの人間として、この街を護るために出来る事があるなら、やりたいんです!」

「だ、だが危険過ぎる! 仮に行くにしても船が必要だし、それでも時間がかかりすぎる!」

 アベルが貸し与えられていた船があるが、それで悠長に北上するだけの時間が残っているかは怪しい。

 正直、今にこうして議論している時ですら、ブオーンが時折身じろぎし、今にも起き上がらんとする仕草を見せている。

「くっ……!」

「ラリホーだみゃっ!!」

 そのたびにビアンカが、ドラきちがラリホーを唱え、イエッタが甘い息を吐く。

 何とか大人しく眠りにはついているが、悠長に議論する時間すら惜しいほどに状況は切羽詰まっていた。

「――なら、僕とプックルが彼女の護衛としてついていきます!!」

 父子のやりとりに、アベルが口を挟んだ。

「ほこらは、サラボナのすぐ北の離れ小島でしたね!? 滝の洞窟へ向かうときに船から見た地形なら、小島まで浅瀬伝いにプックルで走れるはずです!」

 かつて崩れゆく氷の館でも僅かな足場をほぼ上半身のみで踏破していたプックルだ。

 出来るよね? と確認するように視線を向ければ、プックルも任せろと言わんばかりに、うぉん、と一吼えする。

「イエッタはあまいいき。ドラきちはビアンカと引き続きラリホーを。スラりんも安眠枕でサポート。ピエールは袋の中からありったけの魔法の聖水とエルフの飲み薬を出して、皆の魔力を補給してくれ!」

 手早く指示を飛ばすアベル。

「お父様!」

 娘の懇願の視線に、うむむむ……と唸り声を上げ続けていたルドマンだったが、時間が無い事、他に具体的な代替案をすぐに思い浮かべる事が出来なかったことから、最終的にがくりと肩を落とす。

「…………分かった。それしか方法は無いようじゃな。……わかっているとは思うが、くれぐれも娘を頼む!」

「うん。さ――」

 ルドマンへこくりと頷き返したアベルは改めてフローラへと向き直り、その手を伸ばす。

「――行こう!」

「はいっ!!」

 決意を込めた瞳でフローラもまた頷き、差し出された手を取った。

 

 

 プックルの足は速かった。だが、そのスピードを重視した走法の反動で乗り心地は非常に悪く、しっかりとプックルの胴体を脇で締め、たてがみを握り締めていないと、それだけで振り落とされそうな勢いである。だが、それでも明らかに船で向うよりも遥かに速度は上であった。

 草原を駈け、森を突き抜ける。時折ベロゴンやメタルハンター、パオーム等と遭遇するものの、目の前に立てば轢き殺されかねない速度で走るプックルにはおどろき戸惑うか、あちらが戦闘態勢を取るよりも早く、その場から離脱していた。

 木々が視界から消え、まもなく草原に出て――そして、海岸線と浅瀬が見えてきた。時折、波の谷間から覗く岩礁。これらは通常であれば、とても足場と頼むにあまりに頼りないもの。

 だが、アベルは躊躇わずに叫ぶ。

「プックル、頼む!」

「ガゥ!」

 もこり、とプックルの肩と腿の筋肉が隆起するのが分かった。

 そして、全身のバネを使って、勢いよくその身を海に向かって投げ出す。とん、とん、とん、とん、と、まるで落ちる不安を見せず、力強いしなやかな動きで次々とほんの小さな岩礁を足場に海を渡っていく。

「きゃっ……!」

「大丈夫!?」

 ぐらり、と傾きかけたフローラの身体を、慌ててアベルは支えなおす。

「あ、ありがとうございます……」

「気をつけて。しっかりプックルのたてがみを掴んでおくんだ」

「は、はいっ!」

 アベルの助言に、フローラはプックルの背骨に沿って逆立つ紅のたてがみをしっかりと握り直した。

「す、すみません」

「無理ないよ。君がプックルに乗るなんて初めて……いや、二回目なんだから」

 あの時も今のように、プックルの胴体につかまったフローラを、アベルが更に覆いかぶさっていた。

「……氷の館を、思い出しますね」

「そう、だね」

 一刻も早く急ぐべき場面。それでも幼年時代を思い出してしまったのは『あの時と同じメンバー』だったからか。

 それをフローラも覚えてくれていた事に、アベルは我知らずに口元に微笑みを浮かべしまう。

「また冒険をしたいとは思っていたけれど……まさかこんな形になるなんて思わなかったよ」

「私もです」

 何とかコツは覚えたらしく、上下しながら岩礁を渡るプックルの背で、フローラは身体を支えつつ呟く。

「アベルさんは、本当に強くなったんですね。二つのリングを取ってこれるくらいに」

「……僕だけの力じゃない。仲間みんなの力があったからだよ」

「でも、その皆さんも、アベルさんだから付いてきているんですよね? ……あの、ビアンカさんも」

「え……? ごめん、最後は何て言ったんだい?」

「な、何でもないです。そういえば私もずっと勉強は続けて、呪文を一つ新しく覚えられたんですよ」

 アベルが聞き逃した一言を改めて言い直すこともなく、フローラは話題を転換させた。

「へえ、何の呪文を覚えたんだい?」

「それは――」

「ガゥ!」

 フローラが答えるよりも早く、プックルが咆哮を上げる。

「アベルさん、あれ――!」

 プックルの声に視線を前方へと移せば、岩礁はいつの間にか無くなっていた。代わりに目前へと迫るのは、サラボナ北の離れ小島。プックルは、それまで足場としていた岩礁から一際高く跳び立ち、その浅瀬へと身を躍らせ、勢い良く水しぶきを上げた。

 

 

「ぶぅぅぅ……?」

「くっ!」

 目覚めつつある気配を感じ取り、ビアンカはラリホーを唱え直す。

 もう何度繰り返したか分からないほどに繰り返された、不休で続けられる強行。

(アベル……早く!)

 既にビアンカの額には、球のような汗がいくつも浮かんでいた。

「こんにゃろう!」

 スラりんがブオーンの身体へと登り、安眠マクラをその顔に叩きつける。そしてまた、枕の下から寝息が聞こえてきた。

 ビアンカだけではない。アベルの仲間達も、必死にブオーンの足止めをせんと努めている。だが、やはりラリホー以上に有効な手立てが無いのが現状であった。

 手の空いたピエールが剣でもって斬りかかろうと試みたのだが、全く堪えた様子はなく、それどころか目覚めさせてしまいかねなかったため、完全に後方支援へと回らざるをえなかった。

「ビアンカ殿……」

「ピエール、どうしたの?」

 当のピエールがアベルの残した袋を手に、重々しい口調で続ける。

「実は、そろそろ魔法の聖水が無くなりそうでござる」

「ええ!?」

 魔法の聖水が無ければ魔力の補充が出来ず、今に残る魔力が切れてしまえば、もうラリホーをかける事ができなくなってしまう。

「ど、どこか、手に入る所は……!」

「それが、これらの品はオラクルベリーのカジノで手に入れたものがほとんどなのでござる。元より通常のどうぐ屋では中々取り扱っていないゆえ……」

「そんな……」

「お、お、おでは、そ、それ、な、なくても、へ、へ、平気だぞう?」

 確かにイエッタの吐くあまい息と、そしてスラりんの安眠枕は魔力を必要としない

 だが、イエッタとスラりんの二人だけではブオーンを眠らせ続けることはできないだろう。

「――そんなこったろうと思ったわ」

「誰!?」

 突如かけられた声にビアンカが振り返ると、そこに立っていたのは黒髪の女性。

「はろー」

「あなたは……?」

「あんたとは初対面だったかしら。私はデボラ。フローラの姉よ」

 のんきな声で手を振りつつ、もう片方の手にまとめていた袋をピエールに向けて突き出す。

「これは……!?」

 受け取ったピエールが袋の中を改め、驚愕の声を上げる。

「そろそろストックも無くなる頃じゃないかと思ったからね。家の倉庫から総ざらいしてきたわ」

「し、しかし、これほどの数のエルフののみぐすりを!?」

 魔力を多少回復させる魔法の聖水に比べ、魔力を全快させるエルフののみぐすりは貴重品として珍重されている。

 いかにルドマンが富豪であるとはいえ、袋いっぱいのエルフののみぐすりを供出などすれば、その損失は計り知れないだろう。

 だが、デボラはそんなピエールの反応にも肩を竦めるのみであった。

「どうせこの犬もどきが暴れて家が無くなっちゃえば、後生大事に持ってる意味もなくなるからね。父さん説得して、今すぐ用意できるだけはしてきたわ」

「あなた、フローラさんの姉って言ったけど……この家の?」

「そうよ。ま、崩されたのは無人だったフローラの私室部分だったからね。幸いって言っていいのか分からないけど、使用人たちにもけが人は出なかったんで、暇だったしこっちに来たってワケ」

 説明しながら、デボラもまたビアンカの隣に立つ。

 そして右手を突き出し、慣れた口調でラリホーを唱えた。

「ぶぅぅぅぅぅ……」

 デボラの魔力も相当なものなのか、ブオーンはより深い眠りへ落ちていくのがビアンカにも分かった。

「手伝うわ」

 ブオーンへ視線を向けたまま、デボラは短く、それだけを告げた。

「フローラたちが何とかするまでこいつを眠らせておけばいいんでしょ」

「え、ええ……」

 しばし互いに無言のまま、ブオーンにラリホーをかけ続ける。

「ねえ」

 ふと、エルフののみぐすりを使いつつ、三度ほどラリホーをかけ直したとき、思い出したようにデボラが呼びかけた。

「なに?」

「あんた、ビアンカっていったっけ。あいつのこと好きなの?」

 名前は出さない唐突な、だがこれ以上ないほどに直球の問いかけ。

 誰の事を指しているのかは名を告げず、しかしビアンカもすぐにデボラの言わんとする事を察した。

 察したからこそ、苦笑を浮かべる。

「どうなのかな。小さい頃に一緒に冒険したし、今度の冒険もすっごく楽しかった。頼りにもなったし、本当にたくましく、かっこ良くなってたから……好きじゃないって言えば嘘になるわ」

 ほんのわずかに躊躇い、口を噤む。

 だがそれは一瞬のこと。じきにビアンカは言葉を続けた。

「けれどアベルは私にとって弟みたいなものだからね。どっちかっていうと、家族愛ってやつだと思うわ」

 躊躇いを誤魔化すような、口早な口調。そんなビアンカの言葉に、デボラは深々と溜息をつく。

「あんたがそれでいいなら、私もどうこう言わないけどさ」

「いい、悪いじゃないわよ。あの子を気に入ってるのは事実で……ただ、本当に久しぶりに再会した時に事情を……フローラさんの事をあいつの口から聞いた時点で、こうなるんだろうなあって思っていたから」

 だったらその道を助けてあげるのが、おねーさんの役割じゃない? と、おどけたようににビアンカは付け足す。

「やれやれね……アンディの奴も、あんたくらい物分りが良かったらよかったんだけどねえ。大体死の火山に行く時だって、私が貸してあげた賢者のローブを着ていけば、あそこまで酷い怪我負わずにすんだってのに」

 変なとこで義理立てして、ほんとバカなんだから――と、口の中だけで呟き、デボラは起きかけたブオーンに、再びラリホーをかけなおした。

 

 

 俊敏な動きで浅瀬から砂浜へ上がったプックルは、勢い良く四足の足跡をつける。

「う……?!」

 小島へと到着し、プックルの背から降りた途端、アベルが呻き声を漏らしてしまった。

 それほどに濃密な魔物の気配が、あたり一面から漂ってきたのだ。そして程なく、島への侵入者に対して次々と魔物達がその姿を現す。

「これは……!?」

 エリミネーターやボスガルム、デンタザウルス等……このサラボナ周辺ではまず見かける事が無かったモンスター達。

 サラボナ周辺で戦ってきたモンスター達よりも、明らかに数段強いモンスターだ。

「ブオーンの魔力に惹かれて来たか?」

 パパスの剣を鞘から抜き放ち、油断無く構える。既にプックルもその隣で体勢を低くし、唸り声を上げていた。

「あ、アベルさん!」

 ほこらもフローラたちの居る砂浜から、既にその姿は見えていた。走れば、おそらくフローラでも二十秒とかからず辿り着けるだろう。だが、その祠への道程を阻むように、モンスター達が待ち構えている。

「モンスターは僕たちが引き受ける。君は一刻も早くほこらへ!」

 プックルと共に自らフローラから距離を取ったアベルは言葉短くバギを唱える。

 巻き起こる旋風が、モンスター達の肌を浅く切り裂いた。

 挑発のような攻撃にさらされたモンスター達は、一斉にアベルとプックルに、殺気を込めた視線を注いできた。

 倒せなくとも良い。アベルの目的は、モンスター達の注意を自らへ注ぐことなのだから。

「来い!」

 言葉を理解した訳では無いだろう。だがその言葉を皮切りとするかのように、モンスター達が一斉に襲い掛かる。

 その注意は、完全にアベルとプックルへ向けられていた。

「……っ!」

 アベルの側へ戻り、援護に回りたい気持ちを抑えつけるように、フローラは胸に手を置き、そして走り出した。

「ぅ、くっ……!」

 アベル達が注意を引いてくれたおかげで、さしたる妨害もなくほこらの入り口まで辿り着く。

 だが、父から渡された鍵を使って門を開こうとするものの、うまくいかない。

 しばらく使われていなかったからだろう。差し込んだ鍵は、思うように回ってくれなかった。

 ギギ、と耳障りなさびついた音に耐えながら、必死に鍵を回そうとすると――ふと、場違いな桜の香りがした。

「危ない、伏せて!!」

 早く――そう焦るフローラの背に、アベルが鋭く叫んだ。

「――?!」

 フローラが咄嗟に頭を下げた、その頭上すれすれを、エリミネーターの斧が唸りを上げて通り過ぎる。斧は門へと激突し、火花を散らして甲高い金属音を響かせた。

 現れたモンスターの大半をアベルとプックルが引きつけつつも、やはり全てを引き受ける事は無理であったらしい。ほこらの背後に聳える森から現れた新手のそのモンスターは、より近い位置に居たフローラを明確に獲物と定めていた。

 だが、それでも今ここで怯えて足を止める訳にはいかないのだ。恐怖を押し殺して鍵を開けんとする背後で、エリミネーターが斧を大きく振りかぶったのが分かった。薙ぎ払いではなく、一刀両断にしようというつもりなのだろう。

(早く……早く早く早く!!)

 かちり、というかすかな音と手応え。迷わず全力で持って開け放ち、前方へ飛び込むように、フローラは跳んだ。

 つま先の、ほんの先で轟音と共に斧が振り下ろされる。もう少し遅ければ、一刀両断の肉塊にされていただろう。

「あっ……ぐ!」

 打ち身と擦り傷。だが大したことは無い。生きている。そして動ける。

 今の動きで分かった。エリミネーターの攻撃力は脅威だが、素早さはそれほどでは無い。

 全力で走れば、回り込まれる心配も無いだろう。

 エリミネーターが再び斧を持ち上げるよりも早く、がばり、と跳ね起きる。

「えい!!」

 そしてフローラは、鍵と共に護身用にと父から手渡された爆弾石を、思い切り投げつけた。

 爆裂。そして轟音。これ一つで倒すまではできないものの、至近距離で炸裂させれば、足止めは出来るはずだ。

 投げ放った結果を見届けることなく、フローラはがむしゃらに走りだす。

「っ――!!」

 途端に左足首に鈍い痛み。跳んだ瞬間に捻ってしまったのだろうか。

(でも、いい――! 壺のところまで保てば!)

 ぎこちないながらも、フローラは駆け、そして祠の扉の前まで辿り着く。

 門と違い、こちらには鍵はかかっていない。取っ手へと手を伸ばして、開け放った瞬間、何故か微かに、桜の香りがした。

(――来る!?)

 それと同時に、エリミネーターの攻撃の気配を、まるで背後に目があるかのように察することができた。

「っ……マヌーサ!!」

 妖精の村から別れて後、修行を重ねて新たに体得した幻惑呪文を、振り返りざまにエリミネーターの顔めがけて放つ。

 振りかぶるエリミネーターからは当惑の気配が伝わり――どうやら効いてくれたらしい――やがて掲げられた斧は、あらぬ方向へと振り下ろされた。

 その隙を突き、フローラは祠の内部へと身体を滑り込ませる。中は巨大な空洞となっていた。下へと続く螺旋階段。そしてその奥には、薄ぼんやりと、何かが輝いているのが見える。

「っ! っ! っ!」

 痛む足を堪え、フローラは螺旋階段を駆け下りる。髪は乱れ、擦り傷を作り、服も泥で汚れている。

 その様だけを見れば、誰も彼女がサラボナ一の富豪の娘とは思えないだろう。フローラ自身、自らがここまでがむしゃらに動いているという事態に、驚いてしまう部分があった。

(っ……! 悔しかった……)

 何がここまで自身を突き動かすのか。その感情の源泉が何か、どこから湧き出る感情なのか。自らの行動、衝動を内で滾らせつつも、それでも彼女は、その正体をなんとはなしに察していた。

(そうだ。私は、悔しかったんだ……)

 何に対してか。それは自身に対してでも、ましてやアベルに対してでもない。

 否。アベルに対してはそのような感情を抱くことなど、フローラにとってはあり得なかった。

(だって、私はアベルさんを……)

 きっともう最初から。

 思い返せば、ビスタ港での出会いの頃からフローラもまたアベルの事を意識していたのだ。

 それまでフローラが出会ってきた子供は、身なりはきちんとした者ばかり。くたびれた旅装束、ズタボロのターバンとマントにぼさぼさの髪というアベルの出で立ちに、初見の折には苦手意識がなかったといえば嘘になる。けれど眼を合わせた瞬間には、そんな感情は吹き飛び、フローラの胸はときめいてしまった。

 どこまでも透き通った黒瞳。純真というだけではない。見ているだけで、こちらの心も暖かくなるような光に満ちていた。

 こちらが降りられずに困っているのを見て、すぐに手を差し伸べてくれた優しさ。差し出され、握った手は熱いくらいに暖かかった。

 抱きとめられた時には、彼の身体からは太陽の匂いがした。

 そんな彼と別れた後も、思い返す度に、姉にからかわれる程に顔が真っ赤になってしまっていた。

 また会いたい。そうつぶやいてしまうほど、意識していた。

「私は……! 私は、私だって、アベルさんと……!」

 だから妖精の村で再会できたときは本当に嬉しかった。

 会えた事も、そして何より名前を、ほんの一言だけ、父に呼ばれただけの名を、覚えてくれていたことに。そして初めての戦闘で励ましてくれた。ザイルと戦ったときも、そして、雪の女王と戦ったときも、ずっと。アベルは励まし続けて、一緒に戦ってくれた。別れの間際、「また、一緒に冒険しよう」と約束した。

「約束、したんです……!」

 だからフローラは努力した。両親による躾のほか、呪文や、武器の扱いにも。

 父に止められ、母に窘められても、人目を忍んで続けてきた。

 またいつか会える。会って冒険できる。そんな日を夢見て。

「だから、悔しかった……っ!! 私も、一緒なのに。一緒に、冒険したのに……っ!」

 滝の洞窟から帰ってきたアベルが連れていた女性。

 幼馴染のビアンカと名乗る女性。太陽と見まごうばかりに眩しいほどの魅力溢れる女性。その女性を見て。自分以外の女性が、自分には無い魅力を持った女性が、アベルとの気心の知れた様子で行うやり取りを見て。その女性と共に冒険の末、水のリングを獲得したのだと聞いて。

 ――フローラは嫉妬したのだ。

「私だって……私だって!」

 駆け下りるさなか、上方から同様に階段を降る足音が聞こえる。

 おそらくマヌーサの効果が解けたエリミネーターが、後を追ってきているのだろう。

 その事実に恐怖が胸の奥底からじわりと這い出てくる。思わず脚がすくみ、止まってしまいそうになる。それでもフローラは恐怖を押し殺し、振り向かなず、躊躇わずに走り続ける。

 斧が唸る風切り音を、耳が捉える。

 駆け下りる中で放たれる一撃など、直撃を受けるものではない。

 だが、逆に言えば、直撃ではない一撃であれば、いくらでも受ける危険はあるという事。

 しかしそのたびに、ほのかな桜の香りが、フローラを最悪の未来を予測させ、直撃を防ぐ。

「っ……!」

 鋭い痛み。左肩を切られた。

 だがかすり傷だ。恐怖は感じても、痛みがあっても、決して足だけは止めない。

「私だって、できる……ちゃんとやれるっ!」

 そしてとうとう最下層へと辿り着く。

 そこに在ったのは、大人が三人がかりほどでようやく持ち上げられそうなほどに巨大な壺。

 哺乳類の頭部を象ったような形状のそれを前に、フローラは叫ぶ。

「お父様に言われたからじゃない! アベルさんがリングを見つけたからでもない!」

 左肩から流れ出た血は、腕を伝い、左手の指にまで伸びていた。

 躊躇わず、その指先で壺に触れる。 

「私が……私自身が! 他の誰でもない、アベルさんの隣に立ちたい! 他の誰よりも、側にいたいんです!!」

 瞬間。

 まばゆい閃光が、ほこらから迸った。

 

 

「ぶ――」

 ぱちりと目を開いたブオーン。

 すわラリホーが切れたか、と身構えるビアンカたちであったが、じきに異変に気付く。

「ぶ、ぶぶ、ぶ……」

 じりじり、とその巨体が後方へと流れていく。

 まるで、何か巨大な手がブオーンを引き戻さんとするかのように。

「ぶぅいいいいいい!!!!!」

 絶叫を上げ、大地に爪を立てて抗がおうとするブオーン。

 だが、そんな抵抗を嘲笑うかのように、ブオーンを掴み上げる『力』は、上空へとその巨体を吊り上げる。

 そして――流星と見紛う程の速度で、ブオーンは遥か北の方へと引き戻されていった。

 

 

「ぃぃぃぃいいいいいいい!!!!」

 それから程なくして、上空から叫び声と共に近づいてくる巨体に気が付いた。

 ブオーンだ。そして壺は、ブオーンの巨体を――その質量をすら無視して残らず吸い込んでいく。

 すぽん、と、ブオーンの身体を飲みきった壺は、また、何事も無かったかのように淡い蒼の輝きを放ち始めた。

「☆○●◎◇◆~~~~!!!」

 壺から発する蒼光を受けたエリミネーターは、フローラの存在を忘れたかのように悶え苦しみだす。

「大丈夫か!?」

 一連の展開を茫然と見守っていたフローラであったが、上方からのアベルの声に我に返る。

「アベルさん!」

 階段を駆け下りるのももどかしいのか、螺旋階段の途中から、アベルは躊躇わずその身を投げ出した。

 エリミネーターへとどめを刺し、フローラへと向き直る。

「とりあえず外のモンスター達がいきなり逃げていって、後はプックルに任せたんだけど……」

「――!? アベルさん、その傷っ……!?」

 アベルは落ち着いた口調でフローラの安否を確認するが、露になったその姿に、フローラは絶句した。

 マントは半ばで破れ落ち、ターバンもどこかへ落としたのか、黒髪の下に溢れる紅は、顎まで伝っていた。

 五体は辛うじて満足なものの、両腕には幾筋もの傷が刻まれ、脇腹にも赤い染みが広がっている。

「いや、僕なんかよりも君の方が……」

「私の怪我なんか大したことありません! それよりあなたの方が……っ!」

 髪を乱し、服を泥と血で汚した彼女の姿に、アベルの方こそ驚いたようであったが、フローラはそれを押し切った。

「すぐに治療しますから!」

 アベルの額に手を添え、フローラはベホイミを唱えた。

 程なくして、優しい癒やしの光が頭の傷を塞いでいく。

「……」

「……」

 治療を施す間、互いに無言。

 ブオーンが封じられた事で周囲も落ち着いたらしく、モンスターが襲ってくる気配は無い。

「……プックルに乗った時もそうだし、こうしていると、本当にあの時みたいだね」

 頭の治癒を終え、脇腹へと手を添えるフローラに向けてアベルはつぶやいた。

「え……?」

「小さかった頃の、氷の館。あそこで、氷の女王に氷柱で貫かれた時も、こうして君が治してくれたんだっけ」

 微笑みながら語り出すアベルに、フローラも口の端を緩ませる。

「そんな事まで、覚えていてくれたんですね」

「忘れるわけないよ」

 脇腹に当てられる白い手を、アベルはじっと見下ろす。

「君がこうして治してくれたおかげで、僕は助かって……そして雪の女王にも勝つことができた」

「そんな……それにあの時も、私一人だとしたら、何もできませんでした。アベルさん達がいてくれたから、私も頑張れたんです」

 何をおいても救いたい、助けたい。

 あれほどまでに強く願ったのは初めてだった。

 何もできなかった自分が情けなくて、悔しくて、何より重傷を負った少年を助けたいと心の底から願ったからこそ発現した奇跡。

「そしてそれは、今も同じです。私一人だけじゃない。アベルさん達が居てくれたからこそ出来たんです」

 ――あなたの側に居たいから、頑張れたんです。

 最後の想いは口にすることなく胸に留め、脇腹の傷の完治を確認したフローラはそっと手を離す。

 すると今度は、アベルがフローラの肩口に手をかざした。

「あ、いえ、そんな…。これくらいの傷こそ、薬草で……」

 アベルの掌から生まれた回復の光に、遠慮がちに身をよじる。

「駄目だ」

 だが、穏やかながらも強い口調で、アベルは首を横に振った。

「傷跡が残ったりしたら大変じゃないか。それに動きもちょっとぎこちないし……ひょっとして足も捻ってるんじゃないかい?」

「え、ええ……でもこれくらい……」

「ならきちんと治さなきゃ。君は、その……」

 途端に口ごもり、やがて、絞りだすように続ける。

「……嫁入り前の、身体なんだから」

「ぁ……」

 付け加えられた言葉に、フローラは頬を赤くして俯く。

 アベルもまた、己の放った言葉に照れを感じたのか、顔を横へとそらしてしまう。

「肩はこれくらいでいいね。左足、ちょっと見せてくれるかい?」

「……はい」

 大人しくフローラは階段に腰掛け、アベルはその足元に跪いた。

 そしてドレスの裾を足首が見える程度にまで丁寧にたくし上げ、肩口と同様に手をかざす。

「……」

「……」

 ブオーンの再封印も出来た今、傷の治療を終えれば後はサラボナへと戻るだけ。ルドマンも心配していることだろうし、戻れるならば早く戻ったほうがいいだろう。だが、それを理解しつつもアベルは殊更に治療を急ごうとはせず、フローラも急かそうとはしなかった。

 今、この瞬間を惜しむようにじっと沈黙を保つ。

「――終わったよ」

 しかし、いつまでもこうしていられないこともまた、お互いに分かっていた。

 アベルが治療を終え、立ち上がる。そしてフローラも階段から腰を上げる。

「痛みは無いかい?」

「はい、大丈夫です」

 その場で軽く二、三歩足踏みするが、痛みはもうない。

 これで、もうこの場に留まる理由はもう無くなった。

 サラボナへ戻れば、ルドマンは条件を満たしたアベルを義息として歓迎するだろう。そうすればアベルも天空の盾も手にすることができ、またひとつ、旅の目的の達成へ向けて近づく事になる。

 この結果が悪い訳ではない。ただフローラが躊躇うのは、ほんの小さなワガママからだった。

(お父様の下へ戻り、条件を満たしたからだと言う前に。叶うならば今、ここで……サラボナでの『お父様の娘』という立場ではなく、単なる『フローラ』として……)

 そう出来たのであれば、どれだけ幸せだろうか。

「そろそろ、戻ろうか」

 そんな風に考えていたフローラは、アベルの呼びかけにも反応が一拍遅れてしまう。

「は……ぃ」

 鈍い反応にどうかしたのか、とアベルは上りかけた階段の上からフローラを見下ろしていた。

「っ……すみません、アベルさん。早く戻りましょう」

 気遣わしげなアベルの視線に――やはりこれは単なるわがままに過ぎないのだと――思わず自己嫌悪すら感じてしまったフローラは、誤魔化すように急ぎ階段へ足をかける。

「フローラ、ちゃん。いや、フローラさん……ああ、いや――」

 だがそれも、今度はアベルが躊躇いがちにながらも呼び止めた。

 幾度か敬称を変えながら言葉を濁し、口ごもり――それでもやがて意を決したようにアベルは口を開く。

「――フローラ」

 幼い頃のように無邪気にでも、年経て礼節という距離を保った呼びかけでもない。

 ともすれば、失礼とも取れる呼び捨てで、アベルは彼女へと呼びかける。

 そしてフローラもその呼びかけに足を止め、アベルを見上げた。

「……実は、聞こえていたんだ」

「え……?」

「その、君が……多分壺に触れる直前で、言っていた事……」

「ぁ……」

 アベルの躊躇いがちな指摘に、フローラの頬が朱に染まる。

 ほこらは吹き抜けの構造だ。あれだけの大声で怒鳴り上げれば、ほこらの外にまで聞こえていてもおかしくない。

「そ、その……わ、わたしは――!」

「フローラ」

 どうしたものか。何を言ったものか。

 しどろもどろに両手の指を絡ませるフローラの前で、アベルがもう一度、そう呼んだ。

 そうして、ゆっくりと語りだす。

「僕は伝説の勇者を探す旅をしている。そのためにも、ルドマンさんの持つ伝説の盾は、どうしても必要だ。それこそ、何をしてでも手に入れたいくらいに」

『何をしてでも』

 その一言に、フローラはびくりと身を震わせた。

(そう……ですよね。私との結婚も、必要であれば……)

 フローラの内面を読み取ったように、アベルは首を横に振る。

「でも違う」

 そして、階段を一段降り、フローラへと歩み寄る。

「盾は必要だ。でも、僕はそのために二つのリングを集めたんじゃない」

 アベルがフローラの両肩へと手を伸ばす。

 見上げるフローラが抵抗する様子は無い。それを確認したアベルは、その勢いのまま、ぎゅっと彼女の身体を抱きしめる。

「君が好きで……君を愛していて……君が欲しかった」

 告白と同時にフローラの全身が震え、それはアベルへも確かに伝わった。

「だから僕はリングを集めたんだ」

 アベルは、細心の注意を払いながら、抱きしめる腕の力を強めていく。

「もう何年も前……あのビスタ港で初めて会った時から好きだったんだ。ビスタ港や、妖精の村での君との思い出があったからこそ、僕は奴隷生活にだって耐えられた。もう会える事も無いって思っていて、なのにサラボナで再会できて……本当に嬉しかったんだ」

「アベル、さん……」

「確かに最初は……君と再会するまでは、サラボナでの目的は天空の盾だったよ。けれど今の僕にとって、君自身がそれと同じくらい……いや、それよりも大きな望みになった」

 アベルの言葉が耳朶を打つ度、途方も無い喜びがフローラの全身を震わせた。

「僕は天空の勇者を探す旅をこれからも続けていく。その旅に……君に一緒に来て欲しい。僕の隣にいて欲しいんだ」

「本当に……本当に、いいんですか? 私で……こんな私なんかでいいんですか?」

 辛うじて、フローラはそれだけを言葉にはできた。

 卑怯者、と己を自嘲する。こんなにもアベルは気持ちをぶつけてくれているというのに、それでも『あの一言』を求めようとしている。

 そしてそんなフローラの心の動きを――アベルもまた、感じ取っていた。

「君じゃなきゃ駄目だ。君だから隣に居て欲しいんだ」

 そんなフローラの不安をかき消すように、アベルは、はっきりと告げる。

「結婚してくれ、フローラ」

「~~~~~~!!」

 フローラもまたアベルの背中へと手を回した。

 愛しい男性からの告白。

 盾のためではないのだと。必要としているのだと。今の自分を察してくれて、望む言葉を全て与えてくれた。

「ごめん。本当なら僕が先に言うべきだった。なのに、君に先に言わせてしまった」

 更なるアベルの謝罪に、しかしフローラは胸の中で何度も首を横に振る。

 違うのだ。

 今にすべきは、アベルに謝罪を求める事でも、フローラが謝罪することでもない。

 アベルの気持ちに応じる言葉は――もう、たった一つしかないのだ。

「はいっ…………はいっ!」

 アベルの胸の中。

 目の端に涙をにじませながら、フローラはアベルの顔を見上げる。

 そして、二人は静かに口付けを交わした。

 

◇ ◇ ◇

 

 

「それから、外で待っていたプックルを連れてルーラで戻ったら、ルドマンさんにこっぴどく叱られてね……」

 当時を思い返すように、アベルは苦笑する。

「嫁入り前の娘の身体に、なんてことをしてくれたんだ! って。そうならないために君に護衛を頼んだんだぞ! とも……」

 確かに傷は治療したのだが、血の全てを拭き取った訳ではなかったし、髪が乱れ服もところどころが破れた様を見せられてしまっては、無理もなかったのだが。

 しかしその後に、フローラがきっぱりとアベルの妻になる事、旅についていく事を告げた事で更なる混乱を招いてしまった。あまりに唐突な娘の宣言に――どうやらルドマンはアベルを認めつつも、旅への同行までは許すつもりはなかったらしい――口をぱくぱくさせるルドマンに、フローラは母と姉の三人がかりで説得。最終的にはビアンカの援護まで加わり、折れたルドマンはフローラの同行を了承した。

 そこからはトントン拍子に話が進み、ブオーンの襲撃によって一時騒然としてしまったサラボナでの挙式は避け、ポートセルミ沖合いに停泊するカジノ船での結婚式が執り行われた。ルドマンにしても、その結婚式は半ばやけくそ気味の散財だったのかもしれない。結婚式に費やされた総費用は、王族となった今ですら大金と言える額であり、当時にデボラからからかい混じりに告げられた時には、アベルはしばらく固まってしまったほどだ。

「あの時のフローラは、本当に綺麗だったよ」

 とはいえそれだけの贅を尽くした挙式は、文字通り一生の思い出となり、特にフローラの花嫁姿は、アベルにとってもかけがえのない記憶となっている。

「まあ、あなたったら……」

 そんな夫の言葉に照れながら、フローラが子ども達へと視線を戻せば、二人ともいつの間にか寝息を立てていた。

「んにゅう……」

「すぅ……すぅ……」

「あらあら、この子たちったら」

 寝台を占領した双子へと毛布をかけなおす妻を見やりながら、アベルはこの十年を振り返る。

 本当に、色々なことがあった。結婚式を行い、己の出生を知り、子どもたちが生まれ、夫婦ともどもに石像にされ、ブオーンと再戦し、父の仇を討ち、光の教団を壊滅させ、そして魔王を倒した。

 まさに激動。しかし、そんな旅を経た今は穏やかで平和な日々が続いている。旅をしていた頃からは想像もつかない生活。グランバニア王としての政務。王族としての生活。そのどれも、旅の頃には全く縁が無かったもので、大きく様変わりした生活様式。

 だがそれでも。旅の中であっても、今の平和な暮らしの中であっても、決して変らない想いがあった。

「フローラ……」

 アベルは最愛の妻の隣に腰掛け、肩を引き寄せる。

「愛しているよ。今までもこれからも、ずっと。世界中の誰よりも」

 耳元で囁かれる言葉に、フローラもまた、アベルの肩へと頭を預けながらこくりと頷いた。

「……はい。私もです」

 

 

 

 

<了>

 




以上にて蒼髪の花嫁は完結となります。
とにかく書きたいシーンだけ抽出して他は巻き展開で進めた本作でしたが、少しでも楽しんでいきただけましたら幸いです。
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