お遊びの時間は終わり、少年は本当の意味で飛び立つ準備を始める。
動き出した歯車は――もう止まらない。
アメリカーーロサンゼルス某所スケートリンク。
「ここに来るのも、今日で最後か……」
俺は少ししんみりしつつも準備位置へ行き、待つ。曲かけは無し、あとは俺の好きなタイミングで初めていいらしい。だから軽く慣らしてそのまま滑る。
氷に乗る感覚、半年ぶりだが、身体は覚えている。どんどん加速していきステップやターンを入れ始める。
ブレードが氷を削り、氷の粉が舞う。
氷が俺を勝手に運んでくれ、より速度が出て、俺は跳ぶ。
「えぇ⁉」
周囲の人たちが驚いた声を上げているが関係ない。
最初に飛んだのは四回転サルコウ。
俺が跳ぶことのできるジャンプの一つ。そのまま連続して飛ぶ。
もう一つが、四回転ループ。
いつも師匠には『気楽にやれ』と言われたことがあった。
その通りだと思う。緊張や焦りは、余計な力を身体にかけて枷にしてしまう。あくまでも趣味として気楽に挑戦する。
姿勢や指先、腕の角度と伸びを調整してバク宙するバックフリップを跳び着氷する。ミスってバァンとデカい音を立ててしまったがブレードが破損していないならいい。
連続ターンを決めてからの四回転トウループ。
そこからステップを刻み、加速してトリプルアクセルを跳び、着氷する。
「……っ」
体力がかなり食われる。
それに、バックフリップはつい最近になって解禁された『元・禁止行為』だ。
身体が発汗し血が沸騰するように熱くなる。
三回転ルッツに三回転ループ。ループ着氷時に姿勢が悪くなり身体が少し沈む。試合なら減点されるだろうが今回は転ばなかった。
風が気持ちいい。
そのまま俺はスピンしながら徐々に速度を落として止まる。
膝を落した状態で数秒止まる。
「……」
軽く息を吐き、俺が立ち上がろうとすると頭に強い衝撃を受ける。
「がっ!」
「こんのお馬鹿! 四回転とバックフリップはしないって言っただろう!」
顔を上げると強面のオジサンが鬼の形相で仁王立ちしていた。
怖っ。
「なんですか。コルニウス先生」
コルニウス・フェリーン。俺のスケートの先生。
オジサンと言ったがどちらかというとイケオジ系の人でオカマ口調が特徴的な人。
クラブ内でも指導が厳しすぎてやめる奴がいる。だが、不思議とこの人なら人生を預けられる。そんな雰囲気の人。
「何ですかじゃありません! 私は言ったでしょ? 四回転はしないって!」
「でも……これが最後なので全部グチャグチャにできることぶち込もうと思いまして……」
「最後ぉ? 今年で十五歳でしょ? 全米選手権で優勝、世界ジュニアGPも優勝。将来は有望じゃない」
「明日、俺は日本に行くんですよ?」
「でもスケートは続けるつもりでしょ?」
「金がかかるので……」
そう言うと、先生は本当に嫌そうな顔をした。
「推薦状とかいる?」
「いえ、いりません」
「私は貴方に続けてほしいの」
「それで、誰かを傷つけるとしてもですか」
「そうよ」
「――っ!」
何で、そんなことを言うんですか。
『俺は、お前とは違うんだよ!』『キミには分からないよ。だって、貴方は出来る側でしょ⁉』『一年で全米選手権優勝? そんなことできるのはお前みたいなバケモノ以外いねぇよ!』
やめていった仲の良かった人たちはそう言って俺の前から消えた。
それを続けろというのか。
「貴方、他人に構いすぎよ」
「どういう意味ですか」
「優しすぎるって意味」
「それの何が……」
「そんなことをいう人たちのことは忘れてなさいと言っているの。今の貴方をちゃんと見てくれる人だけにそうしなさいな」
「……」
そんなことを言われ、黙ってしまう。
気にしすぎ。
そうだろうか。切磋琢磨してきた仲間たち。その仲間たちを蹴落としてまで手に入れた栄光。いや、これは彼らへの侮辱だ。
本気で挑戦し、俺はGP優勝を勝ち取った。それはゆるぎない事実。ただ、それだけなんだ。
「先生。ありがとうございます」
「あら? どうしたの?」
「俺、もう少し続けてみますよ」
「そう。なら、ここに連絡しなさい」
「良いんですか?」
「ええ、私も貴方の――
俺が貰ったのはルクス東山FSCと呼ばれるクラブの連絡先。
狼か、良い所だといいな。
別れの時間が迫っている。そろそろ、リンクを出ないと。そう思っていた。
「チヒロー!」
リンクの外で俺を呼ぶ声が聞こえそちらの方をみる。
クラブの子供達が俺を呼んでいた。
「せーの!」
『チヒロー! 日本でも元気でねー!』
何だよ。
そんなことされたら、俺だって答えなきゃいけないじゃないか。
「先生」
「何?」
「一度だけ、曲かけ良いですか?」
「そう、何にするの?」
「交響曲五番の運命」
俺は再びリンクの真ん中で待機し、曲が始まるまで待つ。
音が鳴り始める。
初手は最短でトップスピードまで上げ、四回転ループと三回転トウループを決める。着氷と共にバッククロスによる加速を入れてステップを挟み四回転フリップ。
そこからスピンに入り、その場に留まって数秒後に力強く走り出す。
手足の緩急を入れて連続ターンからのフライングキャメルスピンを入れる。
そして四回転トウループと三回転サルコウ。
着氷から速度はあまり落ちてない、そこから四回転ルッツを跳ぶ。
『おおっ!』
周囲の人たちは驚きながら俺の着氷を見る。
そうだろうな。
四回転なんて世界でも限られた選手しかできない。俺は試合では一切見せてない。だから驚かれるのは分かっていた。だからもっと驚かせてやるよ。
「ここっ!」
四回転サルコウ。そこから着氷と同時に高速ターンを決めてさらに跳ぶ。
トリプルアクセル+オイラー+四回転サルコウのコンビネーション。舞い上がる瞬間、全てがスローモーションになり、みんなの顔が見える。
先生、度肝を抜かれた顔をしてる。ウケる。
大丈夫だよ。
無事に着氷し最後のレイバックスピンと共に完走する。
「先生、俺……日本でもう少し、頑張ってみるよ」
そして、俺は先生の怒号と共にアメリカを発つことに事になった。
***
日本、愛知県名古屋市――大須観スケートリンク前。
俺は到着してすぐ、クラブのあるスケートリンクに来ていた。
挨拶がてら訪れたのだが受付を終え、中に入ろうとすると大きな声が聞こえた。
「俺が、この子のコーチとしてスケートを教えます!」
中を見てみると金髪の大柄の男性が女の子の親らしき人に熱量のある説得をしていた。
その姿を見て俺は、その男性に対して両親の面影を重ねていた。
熱弁のあまり、母親も『そ、そこまで先生がおっしゃるのなら』とドン引きしていたが、当の本人たちは大喜びだ。
話は終わったようで俺は中に入っていく。
「あの……連絡した淵藤ですが……」
「え……あ! 淵藤さんですね。初めまして、私がヘッドコーチの
「どうも。えっと、移籍できたんですけど……手続きって大丈夫ですか?」
「コルニウス先生から手続きを受けているので今日から淵藤さんはルクス東山FSCの生徒としてリンクは使えます。ただ……指導員がまだ……」
「あぁ。大丈夫ですよ。今日は軽く慣らしできたので」
事務的な手続きは先生がしてくれていたらしい。なら、軽く滑って慣らそう。
そう思っていると、先ほどの男性が目に入る。
あの人、確か……全日本アイスダンスの……。
「あ……
「え……あっ! 世界ジュニアGP優勝者の淵藤千仭選手⁉ 何でここに⁉」
「日本に帰ってくるにあたって、ここに移籍するように勧められたので」
明浦路司。
先生からアイスダンスに参考にすると良い選手がいると言われて、ビデオを見せられたことがある人。スケーティングが並外れて上手く、二十歳からやっていたと聞いて驚いた。
きっと、血反吐を吐くほど努力を重ねたのだろうと分かる、力強くも繊細なモノだった。
「勧められた……一年で全米選手権優勝をしてしまうほどの貴方が……」
「えっと、俺は本当は今年からスケートはやめるつもりでした」
「え⁉」
「でも、発破かけられたのでこれから宜しくお願い致します。司先生、瞳先生」
すごく、面白いことになりそうだった。
キャラプロフィール
名前:淵藤千仭(エンドウチヒロ)
所属:アメリカのSFC→ルクス東山SFC
血液型:B型
年齢:十四(一話時点)
誕生日:十月三十一日
出身地:静岡県
身長:172㎝
呼び名:チヒロ 千仭くん
趣味:食べ歩き
好きな食べ物:タコスと和食
嫌いな食べ物:魚の内臓などクセの強い食べ物
得意ジャンプ:四回転全般(ループやサルコウが着氷率八割)
十三歳からスケートをはじめ、一年で全米選手権優勝。JGPF優勝を果たす。
驚異的な成長速度と他者すら気圧されてしまうほどの気迫と執念で優勝インタビューでは目の前で死んだ亡き両親の想いと共に優勝すると語っており周囲をお通夜状態にした経歴がある。
叔父以外のほとんどの肉親が逝去しており絶望のさなか、両親と話したスケートの思い出だけが彼を生かしていた。
四回転はその執念の賜物で成長期の身体づくりのために使用回数は制限している。
日本に来たのは叔父が銃社会のアメリカから遠ざける為に必死の説得で来ることになっており、両親と自分の貯蓄の半分を千仭の生活費として通帳に下ろしており彼を泣きながら見送ったのは記憶に新しい。
願わくば、平穏な日々を送れることを願っており、長期休みには千仭の様子を行こうとしていることを聞いている。