氷上ヘテロスタシス   作:葛城イロハ

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 誰にも傷ついてほしくない。そう願っていたはずなのに俺はいつの間にか嫌いな奴らと同じことをしていた。
 先生に救われて、今を生きることができる。
 だから、同じように誰かの事を救える人間になりたい。
 そう心から誓う。


氷外邂逅

 あれから一週間、筋力トレーニングと併用して結束さんと共にスケーティングのレッスンを受けていたのだが、ハッキリ言って一ヶ月みっちり筋トレとレッスンをすれば三級は余裕で取れてしまうほどのポテンシャルはあると思えた。

 本来、先生の指導に口出しとかしてはいけないのだが、JGPの王者故の実績があるせいなのか明浦路先生が俺に意見を求めてくることがある。

 

『淵藤選手ってたった一年で王者にまで上りつめたから色々聞くかもしれないけどよろしくね!』

『あ、はい』

 

 こう、何だろう。

 自己肯定感が低すぎる故なのか、対等に話してきたり上下関係の序列を無意識に変えてくるので鴗鳥先生とは別ベクトルで断りにくい。

 良い人なのだろうが序列とか上下関係を気にする人は絶対に馬が合わないタイプだ。

 でも、コルニウス先生と姉弟子に似ているから割とため口になりかけることがある。その時の明浦路先生の顔が少し嬉しそうにしているのがなんか納得いかない。

 まぁ、親しくなれるのは嬉しい。

 

「今日の夕飯、どうすっかなぁ」

 

 明浦路先生のレッスンが終わり俺は貸し切り練習には出ずに帰宅していた。

 今日はスケーティングを徹底的に確認してもらい動画も取って研究するために早めに帰ることにした。今の課題はジャンプではなくスケーティング。

 俺の演技は『勝つための演技』でフィギュアとしては力技で勝ってきただけに等しい。スケーティングは特に持ち前の身体能力に物言わせた荒々しいものでとても『美しい』とは程遠いのだ。それと同時に、今日の夕飯の献立を考えながら歩いていると、同じ学校の制服を着た女子が勢いよく横切っていく。

 

「ちょっ! 岡崎さん!」

 

 信号が赤になっているにも関わらず勢いを緩めず突っ切っていきそうになっていた為、俺は咄嗟に彼女の手を掴んで止める。

 振り返り際に彼女の目元には涙が溜まっており、クソ面倒臭い時に出会ったなと思いながらもこちらへと引き寄せる。

 

「っ! 何すんだ!」

「赤! 信号赤だから! 危ないって!」

 

 綺麗な軌道を描くフックパンチを避けながら説明するが岡崎さんは冷静さを欠いている様子で、治まる様子はない。そして、彼女が肩に掛けていたバックが俺の顔面に当たる。

 

「ぶっ!」

 

 すごい荷物量なのか凄まじい質量が顔面に当たり、ツンと鉄臭いにおいが鼻を抜ける。

 そして、ポタポタと鼻から血が流れ出てしまう。普通の鼻血じゃない。どこか切れて流れ出てるのか止まる気配がなかった。

 

「あ……ご、ごめん」

「良いよ。勝手に止めたのは俺だし、自業自得だよ。それよりも落ち着いた?」

「え、淵藤。鼻、大丈夫?」

「んぇ⁉ ちょ、ちょっと待って……」

 

 近くの水場で鼻を洗い、ティッシュを詰めて止血する。

 思ったよりも血が出ていたので岡崎さんは顔面蒼白ですごく申し訳なさそうにしていた。

 

「えっと、岡崎さんはどうしてここに? クラブも家も反対方向だよね……」

「言いたくない」

「そう? じゃあウチにくる?」

「は?」

「いや、夜に女の子を放っておくのはダメでしょ。いや、五里先生に電話するのが先か。ちょっと電話を――」

「やめて!」

 

 電話を取り出そうとする俺の手を、岡崎さんはすぐに止めに来た。

 本人は嫌がっているようだし、五里先生には心配ないですよということをこっそりと連絡しておこう。知られたくない複雑な理由とかあるんだろうな。

 

「じゃあ、行こうか」

「え……」

「連絡されるのも嫌なんでしょ? 外に居ても補導されちゃうから家に来な。ほら、行くよ」

 

 こうなったら無理にでも連れて行くしかない。

 ビジネスホテルという手もあるがこの状態の岡崎さんを一人にして何か起きたら俺は自分を許せなくなりそうなので取り合えず連れて行くことにした。

 

                     ***

 

 駅近くの百貨店まで行き、とりあえず必要なモノを買いそろえることにした。

 この際、できるだけ準備するしかない。

 

「すいません」

「はい?」

「えっと、この子のサイズを測ってもらっていいですか? 岡崎さん、サイズ分かったら四着くらい選んで俺が持つから」

「え? え?」

「さ、お客様、こちらへ」

 

 そうして、店員さんに連れて行かれる岡崎さんを見守り、俺は店内で待つ。

 最初に来たのは下着――ランジェリーショップだった。

 ハッキリ言ってしまえば男がここに居るのは苦痛だ。まだ十歳の時に姉弟子に連れて行かれて以来、来ることはないだろうと思っていたが、こんな形で来店することになるなんて思いもしなかった。

 

「彼女さん、キレイですね」

「あぁ、どうも……」

 

 事情が事情なだけに下手に言い訳しにくい。

 できるだけ流すことを心掛けるが岡崎さんには後で謝っておこう。

 コンビニで買えばいいだろうと岡崎さんは言ったが、サイズの合わない下着は体型を歪める。特にフィギュアスケートやバレエのような体幹や身体の線が競技に影響するモノは特に気を付けないと本当に悲惨な目にあう。

 特に思春期の成長時期は日々変化する。故にちょっとしたことで歪みが生じてしまう。それを無視して大人になると大きなハンデを背負うことになってしまう。

 競技人生を長くするために必要なことなのだと一応言ったが、言い訳みたいに聞こえる。

 

「ねぇ、ちょっと! 聞いてる」

「岡崎さん? 早いね。決まったの?」

「スポーツ用無いんだけど」

「当たり前だろ? 普段使い用で競技用のはこの店に無いよ」

 

 何言ってるんだろう。

 

「分かった」

「うん?」

 

 え、何?

 何でそんなしおらしくなっているの?

 借りてきた猫みたいに大人しいじゃん。さっきまでの荒々しさはどこ行ったの?

 そんな困惑気味な俺を置いて、岡崎さんは店内へ戻っていき。一時間ほどで決まり、金額を見て俺の方を見ていたがとりあえず今回はカードで支払いを済ませてしまった。

 

「よし、次は寝巻かな?」

「いい」

「えっ⁉ それはダメだろ? 男物しかないよ?」

「アンタのでいいから」

「えぇ……」

 

 サイズ合う服あるかなぁ。

 

「この借りは、いつか返すから」

「じゃあ、バイトできるようになったらご飯奢ってよ」

「分かった」

「よ~し。じゃあ次は夕飯かなぁ。何か嫌いなのってある?」

「ない」

「じゃあ好きにするね」

 

 人とこうやって話すのいつぶりだろう。

 日本に帰ってきて友達と呼べる人も、知り合いもまったくいなかったからちょっと楽しい。

 

「ねぇ」

「ん?」

「何で、何も聞かないの?」

「聞いてほしいの?」

「別に、今は言いたくない」

「じゃあ、話したくなったら言ってね。ちゃんと聞くから」

「どうして、ここまでしてくれるの?」

「う~ん。俺もさ、傷ついてどうしよもないことして暴れてた時期があってさ、その時の俺に似てたから」

 

 そう言うと、岡崎さんはきょとんとした顔で俺を見る。

 

「似てる?」

「うん。向こうでは暴力沙汰なんて当たり前で、俺もそれに習って結構ヤンチャしてコルニウス先生……前のクラブのコーチに会うまではどうしようもない人間になりそうだった所を救ってもらったんだ」

 

 随分と暴れてた。中坊が路地裏で喧嘩して血まみれになってどうしようもない野郎になろうとしてたところを先生がぶん殴って連れ戻してくれたのは記憶に新しい。

 怒ってくれる人がいたから今、こうして暮らせる。

 

「俺も、人にされて嬉しかったことをしないとなって思って。本当にどうしようもなかったらさ、話してくれよ。俺も相談にのるからさ」

「ちょっと生意気」

「良いよそれで君が笑えるならいくらでもやるさ」

「ふふっ。ありがとう」

 

 そうして、俺たちは買い物へと戻るのだった。

 

 

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