特異点の技を模倣し、自身へと昇華した少年の話――その前座。
「ただいま~ぁ」
「……おじゃまします」
必要なモノと夕飯の食材を買いそろえ、帰宅していた。
2LDKの二階建ての一軒家。叔父さんが用意してくれた家だが一人だと持て余してしまっていたので部屋は余っている。こんな機会、そうそうあってたまるかと思いながらも一人だと本当に寂しいのだ。
時計を確認すると、思ったよりも時間がかかってしまったが明日は休みなので特に予定に変更はない。
俺はすぐに台所へと向かい、冷蔵庫に食材を詰めていく。
「岡崎さん、制服は隣の和室にあるハンガーにかけてから襖は閉めといて」
「わかった」
作り置きも処理するためにさっさと準備してしまう。
筑前煮に里芋の煮っころがし、ほうれん草のお浸しはもうある。
冷蔵庫の奥を漁ると、下処理済みの鯖があったのでこれを使ってしまおう。付け合わせは玉ねぎと芽キャベツを軽く焼けばいい。
汁物はネギや大根、人参が入った味噌汁。香の物は胡瓜とかぶでいいや。
ちゃっちゃと準備を終え、リビングのソファでくつろいでいる岡崎さんを呼びに行こうとすると、真剣な表情でタブレットを見ていた。
「……あれは」
確か、俺が撮った演技のデータが入っていたはず。
確認用のものだから特にこれと言って困ることはないのだがそうまじまじと見られるとなんか照れ臭くなってしまう。
「ねぇ」
「ん? 何かな?」
「GPの時の動画見た」
「あぁ、あれ見たの?」
「大怪我してるじゃん」
そうなのだ。
俺は、GPファイナルの練習の際、左目を切る大怪我を負った。出血量が多く、左目は完全に保護して見えない状態になった。しかもFSの時に限ってだ。
今でも傷跡が残っておりたまに引きつることがある。
それだけでなく転倒時、他選手のブレードが右手に当たりバッサリ切れた。こちらは軽傷で包帯でガチガチに固定して事なきを得たが、最悪の状態で挑むことになった。
多くの選手や観客の目を俺は忘れない。『こいつはもう終わった』と。
だから意地でもやると決めたのだ。
「そうだね」
「何で優勝してんの? 意味わかんない」
「あ~ね。アドレナリンが分泌してるからかな。それで俺跳んだし」
「頭おかしいでしょ。それでこんなに跳べるの?」
「う~ん。まぁフィジカルと絶対に勝つって執念によるメンタル強化が作用したからかな?」
「じゃあ、淵藤の執念って何?」
「復讐心」
これだけは、変わらない。
俺だけが抱えた身勝手な執念。両親を殺した社会基盤、倫理、国。俺の信念を笑う奴らの鼻っ柱をへし折るためにたどり着いてしまった憤怒の如き執念。
お前らが馬鹿にしていた奴はここまでできるんだ。だから邪魔するなと。
ファイナルでは三回転を全て四回転に変更した。アドレナリンが過剰分泌した状態故に取った作戦変更。勿論、先生は渋ったが俺の顔を見て覚悟を決めてくれた。
結果は優勝。インタビューの後、血が足りず気絶し病院へと直行し、王者不在の表彰式になった。
「変わらないんだね」
「まぁ、簡単に消えるモノじゃないからね」
「ふ~ん」
「あとは、よく食べること」
「そうなの?」
「うん。俺もコルニウス先生から聞くまで知らなかったけど成長期ってちゃんと食べないと身体へ行くはずだった栄養が足りなくて壊れやすくなるって」
「だからそんなにデカいの?」
「これは元から」
俺はパワータイプのスケーターなのでこの巨体を跳ばすために筋力を上げろと言われ何故かボクシングジムに数か月間通わされて全米選手権では一人だけガタイがずば抜けて太く目立っていたのを思い出す。
「ねぇ、全米の奴ってないの?」
「岡崎さん」
「何?」
「まずはご飯を食べよう。もうできたから、それから見せてあげるよ」
「うん……」
今夜の献立は塩鯖に昨日の筑前煮と里芋の煮っころがし。ほうれん草のお浸しに赤味噌を使った具だくさんの味噌汁に漬物。
山盛り三合の白米。
どんぶりに山盛りのご飯を前に、向かい側に座る岡崎さんはあっけにとられていた。
「淵藤ってやっぱすごく食べるの?」
「いつもじゃないけど近所のおばあちゃんがくれた差し入れとか期限が近いモノを処理するときは多いかな」
「何か意外だね。スケートの事しか頭になさそうなのに」
「えぇ、そんな風に見えるのぉ?」
「名港のリンクであんなの見せられたら誰だってそう思うでしょ?」
「う~ん。それはそう。俺も向こうの『特異点』と呼ばれた人の異次元のジャンプってやつをまじかに見てから四回転を挑戦してるしね」
特にアクセルだけは未だに回転不足やエッジエラーが続いており未だに完成とは言えないが、ここから身体が成長していけばいずれ跳べるだろうとは言われている。
そんなことを考えながらも、食事を終え、岡崎さんはお風呂へと言ってしまう。
「……」
岡崎さんがいなくなってからふと、冷静に状況を客観的に見て『これ、不味いのでは?』と思い始めた。同級生を家に泊める。
親無し野郎の家にだ。純粋に人と食べるご飯や会話のある日常をするのが楽しすぎて忘れていたが傍から見たら俺は相当ヤバいことしてる。
でも、あの状況で灰さようならはあまりにも人の心がなさすぎる。なっちまったもんはしょうがないと割り切ってしまおう。そうしよう。
「あがったよ」
「あ、じゃあ入ってきますね~」
岡崎さんは俺の渡したシャツとパーカーを羽織っていた。
流石に下は合わず俺が今、丁度手直しが終わった短パンがありそれを手渡す。
「淵藤ってガタイに見合わず器用だね」
「それ、本気で言ってる? ちゃんと履いてよ?」
「別に、下くらい直さなくてもパーカーあるからよかったじゃん」
「良くないよ。俺も風呂に入ってくるけどちゃんと履いてよ?」
「分かったって」