彼に安寧の時は無く、ただあるべき過去に向き合うことができなかった。
願わくばその思いを断ち切ることができることを願う。
俺が風呂から上がると岡崎さんは真剣な表情をしながらタブレットを見ていた。
何度かループ再生してるのか、帰宅してからずっと俺の演技映像を見ている。今は――。
「何処の部分見てるの?」
「全米選手権」
「あ~それね」
結局、左目は完治とはいかず、視界も不明瞭な状態。日常生活では問題なくても天井の照明や反射する光が視界を歪め滑れない。だからあえて、左目は閉じた状態で挑戦した。
ジャンプの練習も最低限にし、スケーティングのみに注力した。
多くの陣営が俺を警戒してみていたが非常に鬱陶しかったのを覚えている。どいつもこいつも俺を『勝つための理由』にしていることが本当にムカついた。
散々馬鹿にして、狂った猿と言ってきた奴らの顔を俺は忘れない。
「これ、目の方はまだ治ってないの?」
「傷だけは塞がってる状態だね」
「それで選手権でてるの? ヤバ」
「まぁ、それで出ない理由にはならないでしょ?」
だが、この時の俺は、三回転のみで構成されていた。
完治せず痩せた身体、視界不良、戻らない体力。不安要素の爆弾を抱えていた俺は、先生からリスキーな高得点ジャンプはやらずGEO狙いのまとめた力に作戦を切り替えた。
「俺はさ、スゲー悔しかったよ」
「何が?」
「選手権で初めて優勝できないかもしれないって思った」
「何それ、嫌味じゃん」
「言い訳はしないよ。でも俺は『今』勝ちたかった」
「でも、優勝したでしょ?」
「そうだね。あの時は、本当にダメだって思ったよ。あの瞬間までは……」
「何それ」
「うーん。感覚的に言えば鷹の目……いや、俯瞰視点って言ったほうがいいかも」
「俯瞰視点?」
岡崎さんは何を言っているのかよく分かっていない様子だったので俺は一度、タブレットの動画再生を止めて俺はタブレット内にあるゲームを開く。
三人称視点のモノで適当にキャラクターを動かした。
「俺にはこんな感じで見えてる」
「嘘でしょ?」
「正確にはこんな感じで自分の動きがわかるんだ」
「それってすごいじゃん」
「でもね。これには明確な弱点があるんだ」
「弱点?」
「明確な指標。最も上手く精密で繊細な動きがどういうものか『知らない』と取り入れることができない。ジャンプの姿勢や動き、タイミング様々な要素の全てに手本となるモノが無きゃ宝の持ち腐れだったんだよ」
そう言いつつ、俺は再度、全米選手権の動画を再生する。
「俺は、この時の六分練習の時にそれが分かった」
「それ、大丈夫だったの?」
「大丈夫だったかな。俺の糧になったから」
全米では初手、四回転フリップをぶち込んで残りは三回転とそのコンビネーションを組んでノーミスで完走し、130点を叩き出した。
「一番滑走でこの点数ってキモすぎる。絶対勝てないじゃん」
「別にそうじゃなかったよ? 普通に120は出てきたから普通に焦ったよ」
「でもノーミスは淵藤だけだったじゃん」
「運が良かったとしか……嘘、めっちゃプレッシャーかけました」
「やっぱり」
呆れられてしまうが、俺は勝つことだけしか頭になくかなり乱暴な奴だったと思う。
もう少し、話をしたいと思いながらも強い眠気が湧いてしまう。
「岡崎さん……ごめん。俺はもう眠るから俺のベッド使っていいから……」
「ちょ⁉ アンタはどうするの」
「ここで寝るから……お休み」
「あ、淵藤! ってもう寝てる。もう……」
***
鼻に抜ける硝煙と血の臭いが鼻を突き、目が覚める。
この夢を見るのはいつぶりだろうか。
何の帰りだっただろうか。突然、車が横転して気づいたころには道路に投げ出されて全身打撲していたんだ。
身体が動かなくて俺は両親が死ぬのをただ見ているだけだった。
例え、これが夢だったとしても――。
「立たなきゃ……立たなきゃ……いけないんだよ!」
間に合え、間に合え、間に合え! 今なら、この手が届くはずなんだ!
「あぁ!」
撃ち抜かれる両親、飛び散る鮮血。
崩れ落ちて倒れる両親の姿とその姿を嘲笑うように見てくる襲撃者たち。
何度も、何度も、何度もループする。
その度に手は届くことはなく永遠にその死の姿を見せられる。
「大丈夫……慣れればいいんだ。そうすれば……そう、すれば……」
何度も、何度も、何度も繰り返せば自然と慣れる。だからこの夢が覚めるまで耐えればいい。だが――。
「出来る訳ねぇだろ!」
拳を強く握り道路を強くたたく。
繰り返すたび、己の無力さを、失ったモノの痛みがずっと続く。繰り返すたびにその大切な想いが強く、大きくなっていく。慣れることなんてできるわけない。だって――取りこぼした後悔は未だに心に残った傷なのだから。
視界が涙で霞む。
恨み、憎悪する感情がそう簡単に消えるわけないのと同じだ。
俺はただ、あそこにいることが苦痛だった。どんな理由をつけても決して吐き出すことのなかった本音。両親の死を俺は、未だ受け入れることができない。
だからスケートを生きる理由にした。
日本に来る事を期にやめれば受け入れられると思ったでも、それはできなかった。
「そうだよ。ずっとそれが俺の生きる理由だった。ここに来ても俺は、この記憶からは逃げられねぇのか……」
何も感じたくない。何も見たくない。何も知りたくない。何もしたくない。
感情を殺し、耐える。
目を覚めればきっと―――。
『大丈夫……大丈夫だよ』
「誰……」
ふと、暖かなぬくもりに全身が包まれる。
あの惨劇の光景は一変する。
暖かな陽光の差す草原。甘い花の匂いと共に誰かに抱きしめられていた。
相手の輪郭がはっきりしない。でも安心できる匂いだった。
ずっとここに居たいと思えるほど心地よく自然を眠気を誘われてしまう。
そして、そのまま瞳を閉じて眠る。
再度、俺は悪夢を見るとはなかった。