氷上ヘテロスタシス   作:葛城イロハ

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理想の渇望

 どん底人生から、ジュニアの王者になり『生』の実感を得た。

 それで死んでもいいと本気で思っていた。

 でも、もう一度、あいつらを負かせたいと心から思った。

 どん底から頂点にまで這い上がっていくあの快感を忘れた日は無い。大会当日に怪我を負っても演技が衰えるどころか鮮麗され選手や観客の度肝を抜く。

 あの快感を俺は忘れられない。

 どうだ? やってやったよ。そう言ってやりたい。

 

「……」

 

 肌を刺す冷たい風、氷に突き刺さるブレード、重心移動の比重に緩急、加速のタイミング。何度も頭の中でシュミレートし、集中力を高めていく。

 二か月後の名港杯に備える。この大会は俺の新しいプログラムがどこまで出来るかの試金石になる大会。

 ここで躓くなら、俺はこの先の大会でやっていけない。

 大会まであと二週間。どうにかより鮮麗にしてかなければならない。

 そう考えていると、ゆさゆさと身体を揺すられる。

 

「ん?」

「あ……あの……」

「結束さん? 何だい?」

「お兄さん、何してるんですか?」

「イメージトレーニングだよ」

「イメージ……」

 

 と言いつつもよくわかっていなさそうだった。

 

「要はこう動きたいっていう成功した姿を頭の中で組み立てる作業かな」

「へ~ぇ」

「結束さんも名港杯に出るんだよね?」

「は、はい。そうです」

「プログラムの出来はどう?」

「えっと……司先生と話して土台をしっかり組む方向で進めてます」

「いいね。なら、スケーティング中心だね」

「はい!」

 

 元気な返事とは裏腹に、どこか不安げで精神面にちょっとダメージがあるように見える。司先生はモチベーション維持に努めて色々試しているは知っている。

 だからこそ、この子は人の顔色を窺い失望されないようにしている。

 俺も隠し事は得意じゃない。表情に出るし口からも漏れ出やすい。だからか、彼女にとって先生と同じカテゴリに俺も入っているのだろう。

 

「何か聞きたいこととかあるのかな?」

「あの、どうしたらお兄さん見たく跳べるようになるんですか?」

「俺のように?」

「あ……その、お兄さんは初めて一年で四回転を跳べるようになったって聞いたので」

 

 司先生。俺を引き合いにだしているのか?

 いや、あの人はそんなことしないから個人的に気になっていると言ったところだろうか。

 

「何、スケート歴が近い俺に追い付こうとしてるの生意気だねぇ」

「ご、ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。でも、今の結束さんじゃ全体的に能力不足だね」

「え……そんな……」

「まだ一回転しか跳べないんだよね?」

「はい……」

「普通に考えていきなりは無理だよ。俺だってちゃんと二回転、三回転と段階を踏んで……あぁ結束さんが聞きたいのって回転数の上げ方を聞きたかったのかな?」

「そ、そうです!」

 

 やっと本題に入れたのか、声音が少し上がっている。

 表情豊かな彼女を見ていると妹ができたみたいで微笑ましく思えてしまう。

 

「回転数か……陸上トレーニングはいきなりだと駄目だな。う~ん。筋力トレーニングってどのくらいやってるの?」

「やってないです」

「やってないのか……じゃあ、先生に軽めのトレーニング法とストレッチの仕方を聞いてみようか」

「お兄さんが教えてくれないんですか?」

「俺は先生じゃないから勝手なことはできないからね。でも、ちゃんと相談してくれてありがとう。言いにくかったら俺がそれとなく伝えようか?」

「い、いえ、自分で言います。ちゃんと司先生と相談します」

 

 ワタワタしている姿はなんとも愛らしい。

 俺の手は思わず彼女の頭に伸びて撫でていた。

 

「あの……お兄さん?」

「千仭で良いよ」

「なら、私も名前で呼んでください」

「そう? じゃあよろしくね。いのりさん」

「はい、千仭さん」

 

 二週間後――名港杯当日。

 いのりさんが練習中に躓いた。

 メンタル面は未だに不安定な彼女の事だ相当響いているはずだ。

 初めての観衆がいる中での大会。緊張しないわけがないんだ。最初の転倒が良くない流れを作っている。クラブの子も少し不安げな感じで俺は気づいていたら二人の元へと向かっていた。

 

「あ、いのりさん、司先――」

「最初の大会って一生記憶に残りますよ。いろんなことができなくてやっと無心に打ち込めるものが……スケートまで失敗の思い出を作らせないでください」

「――っ」

 

 俺は思わず柱の影に隠れる。

 これは、俺が首を突っ込んではいけない。ちらっと覗き見ると、母親も司先生もお互いに彼女の事を思っての意見で対立してる。

 流石にもう駄目なのかと思っていた。だっていのりさんはあんなにも――。

 思わず飛び出しそうになる。

 

「お母さん待って……!」

 

 いのりさんが待ったをかけ、俺は止まる。

 

「お母さん……大丈夫。私、大丈夫だよ。私はスケートで勝ち負けをやりたいんだ。選手として、メダリストになりたいから」

 

 良かった。

 今のいのりさんなら、大丈夫。

 強い意志を持った瞳を前に、俺が出るのは無粋だと思いその場を後にする。

 そして、彼女の滑走が始まろうとしていた。

 

「頑張れ。あれだけ練習したんだ。できるよ」

 

 そうエールを密かに送る。

 演目は組曲『惑星』より『木星』。

 最初のアクセルを転倒してしまうが、いのりさんは笑顔で滑り出した。

 

「そうだ。それでいい……ちゃんとできてるよ」

 

 それに、彼女が三日間必死に練習していた『隠し玉』もある。

 あの姿を見て、俺も少しだけ助言したし、練習にも付き合った。完成度はレベル1にはなるはず。

 そして、最後のフライングシットスピン。回転も勢いも申し分ない。

 リンクサイドをみると司先生は冷や汗を流して『あれ? 速くない?』という顔をしている。ウケる。

 そこからブレークンレッグに変わる。俺が教えたレベル1のモノだが確り形になっていた。

 

『いのりさん。少しいいかな』

『は、はい』

『そのブロークンレッグは司先生が入れたの?』

『ううん。でも、私、勝ちたいの!』

『じゃあ、やろうか。まずはタイミングを掴むところからね。姿勢は動画を撮るからそこから直していこうか』

『はい!』

 

 いのりさんは最後まで勝つことを考えていた。

 演技の変更もそうしなければならないと考えてやったこと。

 勝たせてあげたいコーチとその思いを汲んで勝とうとした選手。

 

「良いコンビだなぁ。これからが楽しみだなぁ」

 

 俺は観客席から離れる。

 

「次は、俺の番かな。全員の度肝を抜いてやるよ」

 

 

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