マダム・ユリィが黙ってない   作:さぁ

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森での出会い

 マダム・ユリィ。

 

 自らを“麗人”と称する、性別不詳の魔道具商である。

 彼――あるいは彼女の名を知らぬ者は、イグの街ではもはや稀だろう。

 

 香り高き香草と艶やかな金粉が舞う店《レ・ボーテ・ユリィ》には、日夜さまざまな客が訪れる。

 魔道具の売買、武具の強化、日用品や雑貨の購入――それだけではない。

 美容品の相談に来る婦人たちもいれば、ただお茶を飲みながら世間話を交わしに来る者もいる。

 まるで街の社交場のように、人が人を呼び、笑いと毒舌が渦巻く。

 

 扱う品々の多くは、ユリィ自身の手によるものだ。

 香油にしても、魔力を帯びた金糸にしても、すべては彼女の指先から生まれる。

 だからこそ、日々の製作には膨大な材料が必要となる。鉱石に薬草、魔獣の毛皮や鳥の羽根。

 それらを求めて、今日もあちこちを奔走する姿が見かけられる――ヒールを鳴らしながら、優美に。

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 イグの街近郊の森。

 薬草が自生する、比較的安全とされるその森の中で、ひときわ異彩を放つ影があった。

 

 陽光を遮る大ぶりなハットは、縁に金糸の刺繍がほどこされ、まるで舞台の小道具のように豪奢である。

 身にまとうのは、深紅のドレス。裾には薔薇を思わせるフリルが幾重にも波打ち、歩くたびに柔らかな音を立てる。

 そして、地面を叩くのは10センチはあろうかという鋭利なヒール。

 本来ならどれも森歩きにまったく不向きな装いだが――その人物が身につけていると、なぜか妙に絵になっていた。

 

 マダム・ユリィ。

 美を武器に生きる、麗人魔道具商。

 今日は材料調達のため、一人で森を訪れていた。

 

「はぁ〜……暑いわねぇ」

 

 帽子の縁をつまんで仰ぐように風を送りながら、ため息をこぼす。

 その声色も動作も優雅だが、言っている内容は容赦がない。

 

(まったく……最近どうしてこうも暑くて仕方ないのかしら。おかげでお肌も乾燥気味よ。クリーム塗ってるのに……最悪。絶対に日焼けしたくないのに!)

 

 ぶつぶつと心の中で愚痴をこぼしながらも、足取りは軽い。

 あのハイヒールで森道を、しかも涼しい顔で歩き回れる者など、そうそういないだろう。

 

「薬草ちゃ〜ん! いい子に待ってなさ〜い!」

 

 明るくも妙に艶のある声が森に響く。

 その口調とは裏腹に、ユリィの歩みはすばやい。ハットもドレスも、ヒールさえも、彼女の脚さばきを妨げる障害にはなりえない。

 すらりとした体躯も相まって、彼女の姿はまるで、森を舞う一輪の花のようですらあった。

 

 やがて、ひとつの開けた場所にたどり着く。

 そこは色とりどりの薬草が、朝露を纏いながら群生している小さな楽園。

 イグの街の人々にとっても馴染み深い場所であり、日用品から薬用、時には魔道具の素材となる草花が育つ、貴重な資源地だ。

 

「はぁあ〜っ……いい匂い。もう、今度この子で調香でもしようかしら」

 ユリィはしゃがみこみ、ひときわ香り立つ薬草に顔を寄せた。

 

 流星の尾のようにしなやかに垂れる、青みがかった小花が風に揺れている。

 その花に鼻を寄せて、そっと息を吸い込むと――目尻がふわりと緩んだ。

 

「……うん、これ、絶対いいわ」

 

 ひとつ、花を指先で摘み取る。

 彼女の大きな手の中では、それはまるで豆粒のように小さく見えた。

 だがその動きは、驚くほど繊細だ。まるで宝石を扱うようにそっと、茎の部分を折る。

 

 そのまま懐から銀の鋏を取り出し、腰の後ろからはカゴを手繰り寄せる。

 ――いつの間に仕込んでいたのかは謎だが、それを言うのは無粋というもの。

 

「これと〜、これと〜、あとこれもね」

 

 口元に笑みを浮かべながら、テンポよく草を摘んでいく。

 青く星のように光る花は、調香用。

 赤く小刻みに動く花は、魔道具の反応触媒として人気が高い。

 白く透き通る葉は、調薬用――傷薬や滋養水に使われる高品質の薬草だ。

 

 それらが、軽やかにユリィのカゴへと収まっていく。まるで草たちが彼女に摘まれることを誇らしく思っているようにすら見える。

 

「あらっ! ゲニ草じゃないの!」

 

 ふいに声を弾ませたユリィが、嬉しげに指を伸ばす。

 淡いピンク色の小花を咲かせたそれは、美容の基本とも言われる万能草だ。

 保湿液や化粧水、日焼け止め、果ては老化防止の魔道具の精製にも使われる、まさに“マダムたちの相棒”。

 

「アンナちゃんに頼まれてたのよねぇ……これがないと、あの子すぐカッサカサになっちゃうんだから」

 

 くすくすと笑いながら、ゲニ草を丁寧に摘み取る。

 その目元は、まるで孫の世話を焼く祖母のように優しい。

 

「さて、どんどん取りましょう!」

 

 張りのある声でそう言いながらも、ユリィの手つきは慎重だった。

 根こそぎ採るのではない。繁茂のバランス、採取する株と残す株――まるで長年の付き合いを知るかのように、必要な分だけを選び抜いていく。

 

 彼女にとって、草も街も――美も、命も――丁寧に育むべきものなのだ。

 

 ***

 

「ふぅ〜……疲れたわぁ〜」

 

 薬草畑のすぐ近く、小さな岩場にユリィは腰を下ろした。

 苔がほどよく生えたその岩は、自然のひんやりとしたクッション。

 高いヒールをそっと脱ぎ、足をぶらぶらと揺らしながら、彼女は小さくため息をつく。

 

「ちょっと歩きすぎたかしら……でもまぁ、このくらいでへこたれてたらマダム業は務まらないわよねぇ」

 

 言いながら、彼女は懐から一つの魔道具を取り出した。

 手のひらサイズの銀細工。蓋には保存の術式が織り込まれており、食物の鮮度を保つことに特化した品である。

 

 カチリと開けると、香ばしい香りと共に姿を現したのは――ぎっしりと詰まったサンドウィッチたち。

 どれも見た目は控えめ、具材は野菜中心だが、塩とハーブでしっかりと味を調えたユリィ特製。

 体力回復と美肌維持のために計算され尽くしたレシピである。

 

 そして、同じような魔道具が――あと二つ、彼女の懐には眠っていた。

 

「単品で見たら全部ヘルシーなんだから、何個食べたってノーカンよ、ノーカン!」

 

 軽く自己肯定を挟みつつ、サンドウィッチを口元へ運ぶ。

 小気味よいシャキッという歯ごたえとともに、ユリィの顔に満足げな笑みが浮かんだ。

 

「……ああ〜、外で食べるってなんでこんなに気持ちがいいのかしらねぇ」

 

 風が頬をなでる。陽の光が木々の隙間から降りそそぎ、空気はどこまでも澄んでいる。

 満ち足りた空腹と、美しい景色。まさに“至福”の時間だった。

 

 サンドウィッチは、順調に数を減らしていく。

 カゴの中の薬草も、陽を浴びながら静かに揺れていた。

 

 ――その時だった。

 

「……ぁ……う……〜〜……」

 

 かすかに。けれど確かに。

 どこかから、弱々しい声が聞こえた。

 

「ん?」

 

 ユリィは咀嚼の手を止め、眉をひそめる。

 

「……あら? 今……誰か、いたかしら?」

 

 耳を澄ませる。風に混じるように、再び声がした。

 

「たっ……たす、け……」

 

 微かに風に混じる声――

 それは、岩場から少し奥まった茂みの中から聞こえてきた。

 

「ちょ、ちょっと……え、今の、声!? ちょ、マジで誰かいるの!?」

 

 サンドウィッチを慌てて魔道具に詰め戻し、懐にしまう。

 カゴも鋏もきっちり片付けながら、声の聞こえた方へ駆け出した。

 

 とはいえ、駆け出した本人は10センチ超のヒールを履いている。

 にもかかわらず――

 

「やだ、なにそれ、倒れてるじゃないの!!!」

 

 信じられない速さで走る。

 まるで演劇の転換のように、一瞬で視界を横切って、ユリィは倒れ伏すそれのもとへたどり着いた。

 ヒールの音が炸裂するたび、小石が砕ける音がする。スライム程度なら即死である。

 

「ちょっと! ちょっとあんた、大丈夫!? 起きて! 死んじゃダメよ!! あんた死んだら許さないわよ!!」

 

 息をする暇もなく、彼女はフードの人物の肩を揺さぶる。

 その勢いは嵐のようで、かける言葉は混乱とテンションの坩堝。

 

 懐から取り出した応急処置用の薬瓶を、キャップもろともバシャっとかける。

 芳しい香りのする再生系エッセンスが、その顔面をぐっしょりと濡らした。

 

 しかし――反応が、ない。

 

 ユリィの中で、最悪の想像が脳裏をよぎる。

 決して倒れた姿に重ねて見える兄弟などいない。けれど、脳が勝手に感傷を加速する。

 

「ダメ……死んじゃダメよ!! 知らないけど!! 初対面だけど!!! ダメなものはダメよ!!!」

 

 肩をぐわんぐわんと揺さぶりながら、マダムは叫んだ。

 

「死んじゃダメーーーー!!!!」

「死んでねぇよッ!!」

 

 飛び起きた。

 大地がどしんと震えるほどの反動で、男はフードを揺らしながら声を張り上げる。

 森の鳥が一斉に飛び立った。

 

「あら、そうなの? ならさっさと立ちなさいよ」

 まったく悪びれもせず、ユリィは涼しい顔で立ち上がる。

 

「アホか……っ! こっちはもう……何日も食って……ねぇ……んだよ……」

 

 そのまま、男はぐらりと体を揺らし――

 再び、バタリと倒れ込んだ。

 

 乾いた風が、ふたりの上を通り過ぎていくのだった。

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