――あれから、三ヶ月。
イグの街、大通りの中心に構える魔道具店《レ・ボーテ・ユリィ》。
今日も変わらず、その店は賑わいを見せていた。
扉の開閉に合わせて軽やかなベルが鳴り、香草と花の香りが鼻をくすぐる。
棚には美容系魔道具、香油入りのポーション、日用品に護身具まで、所狭しと並んでいる。
「ナビィちゃ〜ん。今日もかっこいいわねぇ。飴ちゃんいる?」
片手に腰痛用の軟膏を持ちながら、にこにこ顔のマダム客がレジへと近づく。
その声に応じるのは――年若い、金髪に緑のメッシュを差した青年だった。
「いらねぇよ! どうせ軟膏買いにきたんだろ?ほら、ちゃっちゃと買って帰れや」
雑な口調で言いつつも、渡された包みはしっかりラッピングされている。
リボンの端に香り付きの防湿紙を仕込むあたり、既にプロの仕上がりだった。
彼の名前はナバア――
だが今、この街の人々は親しみを込めて、彼をナビィと呼ぶ。
三ヶ月前。
近隣の森で倒れていたその青年は、最初こそ居心地悪そうに店の隅に立っていた。
態度は刺々しく、目つきも鋭く、何より他人との距離が極端に遠かった。
――だが、そこはユリィの手腕である。
常連のマダムたちとの接客に巻き込み、お茶会には強制参加。
ついには若い冒険者との手合わせ練習まで組まれた。
気づけば二週間と経たずに、彼は街に居場所を作っていた。
今では、彼のぶっきらぼうな接客もまた、店の名物になりつつある。
「ナビィ、これあげる!」
くるりと振り返った小さなレディ――カンナが、ぐいっと腕を伸ばして花束を差し出してきた。
色とりどりの野の花を、ぎゅっと一抱え。
その両手には、まだまだ年端もいかない少女の力では持ちきれないほどの草花があふれていた。
その姿にナビィは額に手を当て、思わずため息をつく。
「おま……また一人で行ったのかよ」
「だってぇ〜」
カンナは悪びれもせず、にへらと笑った。
この街で知らぬ者はいないおてんば少女――カンナ。
薬草の知識は大人顔負けで、ちょっと目を離すと一人で薬草畑まで足を伸ばしてしまう。
危ないからと何度注意されても、聞く耳は持たない。でも――
「……だってじゃねぇよ。ったく、しょうがねぇな」
ナビィは小さく苦笑すると、受け取った花束を手早く整えはじめた。
指先が、花の茎をくるくると巻き、交差させ、編み込んでいく。
そうしてわずか数十秒――あっという間に、見事な花冠ができあがった。
「ほら、これやるから。今日はもう家で大人しくしとけ」
「……!! うんっ! ナビィ、ありがとう!!」
ぱあっと顔を輝かせて、カンナは両手で花冠を抱きしめるように持ち上げた。
そして元気よく、勢いそのままに店の扉を押し開けて外へ飛び出していく。
「また明日ねー!」という声とともに、ドアベルがカラン、と高く鳴った。
その音が消えると同時に――
「……はあ〜〜〜……クソ疲れた……」
ナビィは全身の力を抜くように、カウンターにもたれかかる。
「も〜! そんな言い方しちゃダメよ〜。スマイル、スマイル〜〜」
カウンター越しに顔を覗かせるユリィが、両手の人差し指を頬に押し当てて笑ってみせる。
「うるせぇ!おっさん!お前も働けぇ!」
「だれがおっさんだゴラァ!!」
どこかで聞いたような掛け合いが、今日も店内に響く。
じゃれるように言い合うその様は、もはや《レ・ボーテ・ユリィ》の日常風景の一部。
訪れる客たちも、「あぁ、今日もやってるわね」と微笑ましく眺めるのだった。
****
「ふぅ〜……お疲れ様。さてと、あたし買い物行ってくるけど――あんた、どうする?」
昼下がりの陽光が差し込む店内。
午前中の喧騒が嘘のように静まり返ったその空間で、ユリィはカウンターの奥に立っていた。
香草の匂いが微かに残る中、手元では頼まれた調薬をこなしつつ、いつもの調子で声をかける。
小瓶の栓を開け、滴を慎重に垂らしながら、思考はすでに夕食の献立に向いていた。
今日はちょっと豪華に、街で評判の肉でも買って、香草たっぷりのグリルでも作ろうか――なんて。
そのときだった。
「あー……そのことだがよ」
不意にかけられた声に、ユリィは指を止めずにちらりと視線を上げた。
ナバア――いや、ナビィが、気まずそうにこちらを見ていた。
視線が合うと、彼は少し眉をひそめ、息を一つ吸ってから言った。
「……俺、出てくわ」
「…………そう」
その返事は、思ったよりもすんなりと口をついた。
いや、むしろ――心のどこかで、そうなることを分かっていたのかもしれない。
彼の目的は“人探し”。
この街に永住する理由など、最初からなかったはずだ。
「ここは……もういいの?」
「あぁ。この三ヶ月、暇さえあれば探してた。でも見つからねぇ。だったら、ここにはいねぇってことだろ」
そう言って、ナビィはふっと目を逸らす。
その表情に、わずかに未練のような、敗北感のようなものが滲んでいた。
だがすぐに、それを飲み込むように――小さく呟いた。
「……あり、な」
「ん?」
聞き返すと、彼は顔を真っ赤にしながら怒鳴るように言った。
「ありがとなっ! 楽しかった!!」
照れ隠しの叫びにも似たその言葉に、ユリィは目を細めた。
あの、警戒心の塊だった青年が、今はこんなにも素直な顔を見せている。
(初めは獣みたいな目してたのにねぇ。……感慨深いわぁ)
あたたかく、ほんの少し寂しい気持ちを胸に抱えながら、ユリィはカゴを手に取った。
「いつ、出るの?」
「できるだけ早い方がいい。明朝には」
「もうっ、もっと早く言いなさいよね! わかったわ。今日は、あんたのために特製レシピを振る舞ってあげる!」
その声に、ナビィの目が少し見開かれた。
いつか自分が「これ、うまい」ってぽつりとこぼしたレシピを、ちゃんと覚えていることが、なんだかくすぐったいように顔を背ける。
ユリィは踵を鳴らしてくるりと背を向け、扉に向かう。
「じゃ、いってくるわね。あんたは店番……あら?」
扉の前に立つと、ユリィはふと立ち止まった。
隣に、ナビィが立っていたのだ。
いつの間にか、何も言わずに隣に並んでいた。
彼は、ぽつりと呟く。
「……持ってやるよ」
見れば、カゴを軽く持ち上げている。
ユリィは一瞬きょとんとしてから――ふっと笑った。
「ったく、もう……可愛いんだからっ!!」
「可愛いっていうな!!」
****
街の人々と笑顔で挨拶を交わし、あちこちで引き止められ――
ようやく買い物を終えて帰ってきた頃には、空はすっかり茜に染まっていた。
「はぁ〜〜〜……もう、買い物だけでクソ時間かかったわ……!」
玄関の扉を背で閉めながら、ユリィはどっと肩を落とす。
両手には溢れんばかりの買い物袋。食材、香草、調味料、ついでに三件分の小包までぶら下がっている。
「ふふっ……みんな、あんたのことが好きなのよ。マダム・ユリィって名前だけで井戸端会議が始まるんだから」
ぶつぶつ言いながら玄関を抜けると、視界の先――ダイニングの椅子に、ナビィが座っていた。
ユリィの言葉に返事はない。
ただ彼は、顔をそむけた。
……だが、そむけた耳――ほんのり赤い。
「……言ってろ」
ぼそりとこぼすその声に、ユリィは言葉を返さず、にやにやと笑うばかりだった。
鍋を思わせる重たい袋をテーブルの上に置きながら、視線だけで言う。
「待っててね。すぐ作るから」
「……ん」
短く、だが確かな返事。
ナビィは背筋を少し伸ばし、まるでこの時間を静かに噛み締めているようだった。
ユリィはふっと優しい笑みを浮かべ、そのままキッチンへと足を運ぶ。
――だが、その時。
トンッ トンッ
控えめだが、どこか異様な間をもった音が響いた。
誰かが、店の扉を叩いている。
時計を見れば、もうとっくに営業時間は過ぎている。
こんな時間に来るのは、よほどの常連か――それとも、よほどの非常か。
「あらあら……こんな時間に、どうしたのかしら〜?」
ユリィは包丁をまな板の上に置き、エプロンの裾をひと撫でして整える。
そのまま、さりげなく、けれど足取りは慎重に――防犯用の魔道具を手に持ち、扉へと向かう。
その背中に、ナビィの視線がぴたりと吸い寄せられる。
椅子の上で背筋をこわばらせ、指がテーブルをかすかに叩く。
(何?この気配……?)
言葉にはしない。だが本能的に、何かを感じ取っていた。
ナビィの仕草もいつもよりわずかにぎこちない。
扉の前に立ち、声をかける。
「――どなたかしら?」
手は、ドアノブにかけられずに留まっている。
視線だけをナビィに向け、軽く首を振り、“下がりなさい”と合図する。
ナビィはその意図をすぐに読み取り、静かに立ち上がる。
音を立てず、奥へと移動しながら、目は扉から離さない。
ユリィの目が細められる。
(……ひさしぶりね、この感覚)
皮膚の内側が、薄く粟立つ。
美と香りに満ちたこの空間に、あまりにもそぐわない“殺気”。
過去に何度か味わった――
「命を的にされたとき」だけに感じる、極限の気配。
ユリィは扉の前に立ち、声をかける。
「……どなたかしら〜?」
声音はあくまで柔らかく、いつもの調子を崩さない。
けれどその内心では、幾つもの手札を同時に想定する。
(どうしようかしら……)
このままドアを開けて対話に出るべきか。
あるいは先手必勝で扉ごと吹き飛ばすか――
だが、ここは街中。下手に騒ぎを起こせば、住人たちを巻き込む可能性だってある。
(……このまま硬直してくれたら、ありがたいんだけど)
息を殺して気配を探る。
しかし――
「あら?」
消えた。
扉の向こうから感じていた圧のような気配が、突如として霧のように掻き消えた。
(……消えた? 諦めた?)
違和感が残る。
あれほど濃厚な人殺しの匂いをするものが、あっさりと引き下がるとは考えにくい。
むしろ、それは――
目標が移動したからでは?
ドンッ!!
突然、家の奥――ダイニングの方から鈍い衝撃音が響いた。
「――あの子っ!!」
一瞬で悟る。
狙われていたのは、自分じゃない。
視界が赤く染まる前に、身体が動いていた。
ヒールの高さ? 床材の強度? そんなもの関係ない。
バンッ!!
床を叩くような音と共に、ユリィの身体が走る。
スカートが舞い、エプロンが風をはらみ、食材の袋が音を立てて落ちた。
突き破るようにダイニングの扉を開ける――そして、目に映った光景は。
ナバアが、壁に押さえつけられていた。
その胸元に、今にも剣が突き立てられようとしていた。
その刃先が、ほんの数ミリ、少年の皮膚に触れかけている。
襲撃者の顔は仮面に包まれていて見えない。
だがその手つき、その重心の取り方、その気の持ち方――
(……プロね)
ユリィの唇が、わずかに吊り上がる。
その奥には、怒り――それ以上に、冷えきった殺意が潜んでいた。