「――その子を離しなさいッ!!」
叫ぶと同時に、ユリィの手から魔道具が弾丸のように放たれた。
見た目は小さな銀のブローチ。それは一定範囲内の標的を拘束する結界型魔道具《絡織(からおり)》。
ブォンッ
軽やかな見た目に反して、その投擲にはとんでもない質量が込められている。
日々の買い出し、魔道具の素材搬入、調合で鍛え上げられたユリィの上腕二頭筋は――マダムパワーの権化。
その威力はもはや魔道具云々ではなく、純物理的な必殺投擲と化していた。
シュン――と空気が裂けるような音が響いた次の瞬間。
襲撃者の身体が、ひらりと宙を舞う。
回避。
ほんの数ミリの差。紙一重。
ブローチは壁に突き刺さり、そこから淡く展開された拘束魔法が空を切って輝いた。
「ナバア、無事かしら?」
「だ、大丈夫だ…」
言葉とは裏腹に、ナバアの肩は細かく揺れていた。
息も荒く、明らかに興奮状態にある。だが――目は濁っていない。
ユリィは一瞬だけ彼を見下ろし、そして納得するように頷いた。
(……意外と、根性あるじゃない)
それよりも今、優先すべきは――この侵入者。
ゆっくりと顔を上げ、襲撃者の方を睨む。
目の奥に、妖艶な光がきらりと宿る。
「さて……あんた、どこの誰かしら?」
低く、甘く、刺すような声。
だがその声音の奥には、明確な敵意が込められていた。
――返事は、ない。
侵入者は姿をほとんど見せないまま、ただこちらを見ている。
武器は構えたまま、動きも取らない。
だが殺意だけは、今もなお空間にじっとりと染み付いている。
沈黙に対して、ユリィはさらに言葉を重ねた。
「あんたのせいで店がボロボロなのよ。どう責任とってくれるのかしら?」
視線をわずかに斜めに流し、壊れた棚や砕けた床を見やる。
ほぼ全てユリィの行動の結果だが、それはご愛嬌だろう。
すると――背後から声が飛ぶ。
「おい、ユリィ。刺激すんな。……俺の客だ」
肩越しに聞こえたナバアの声は、息が混じってかすれていた。
言葉にするだけで精一杯。そんな状態で、なおも前に出ようとするその姿勢が――むしろ厄介だった。
だからこそ、ユリィは冷たく、迷いなく言い放つ。
「喋るだけで限界のガキは、黙んなさい」
ピシャリと響いた声に、部屋の空気が一段と冷える。
ナバアが一瞬だけむくれた顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
今、自分が“守られている側”であることを、彼は痛いほど理解していた。
そして――その沈黙を切り裂くように、敵が口を開いた。
「――忌まわしき預言者よ」
その声は、まるで讃美歌の一節を詠むような、異様な静けさをまとっていた。
ユリィの眉がひくりと動く。
「何言ってんの、あんた?ここは魔道具店なのよ?なにか買う気がないなら――」
ビュンッ!!
鋭利な軌道が空を裂き、一直線にナバアへと飛んだ刃。
だが、それが届くことはない。
――ユリィが、素手でそれを掴む。
銀の刃が、白魚のような指の間でキィンと震える。
この程度で突破できると考えるなんて見くびられたものよね。
「……聞こえなかったかしら? さっさと出ていきなさい。客なら接客、敵なら歓迎――処理させてもらうわよ?」
その声は、どこまでも甘やかで、どこまでも冷たい。
優雅という言葉が、ここまで恐ろしく聞こえる瞬間はなかった。
「ユリィ!!」
ナバアが叫ぶ。だがそれすら、ユリィの背に届くことはない。
「忌まわしき預言者よ」
――その首を、捧げよ。
詠唱にも似た声が落ちた瞬間――
影が、揺れた。
とぷん。
まるで黒い水面に沈むように――
襲撃者の身体は、音もなく床の影へと溶け込んでいった。
その直後、ナバアの後ろ。
彼の足元から、黒く光る刃が、すうっと抜き出される。
静かに。無音に。
殺気すら帯びていない。それは、あまりに自然で、あまりに無感情だった。
彼自身も気づかぬうちに、まるで計算されたように“そこ”へと誘導されていた。
そして刃が、ゆっくりと――確実に、彼の背を目指して伸びる。
――だが。
「……まだ甘いわ」
その一言は、静寂に落ちた氷の破片のように冷たく。
同時に、爆ぜる火花のように鋭く、空間を切り裂いた。
ガッシャーーーンッ!!
空間の張り詰めた糸が切れたような衝撃音。
次の瞬間、黒い刃が宙を弾け飛んでいた。
影から突き出された何か――ナイフにも、腕にも見える曖昧な質量は、まるで見えない拳で殴り飛ばされたかのように軌道を逸らし、ナバアの背後の棚へと突き刺さった。
「な、なにが――」
ナバアが目を見開く。
だが、答えは――すぐそこにあった。
ヒール。
艶やかに磨かれた黒いヒールが、影から突き出た顔面を真上から蹴り抜いていた。
綺麗な足首、白いふくらはぎ、鍛え抜かれた大腿筋が織りなす流線型の美。
だがそれが今、兵器として襲撃者の顎を正確に貫いている。
――ただ、それだけ。
魔道具も詠唱も必要ない。
ユリィは臆さず、敵にも叫ばせず。
完璧なタイミングと角度と重力をも味方にした一蹴で全てを終わらせたのだ。
「えっ、こわ……」
ナバアがポツリと呟く。
その声が本気で小さかったのは、驚愕か尊敬か。……あるいは、恐怖か。
「後ろ、聞こえてるわよ」
「……すいません」
まったく。ヒールが台無しになっちゃったじゃない。
それに店もボロボロだし修繕にいくらかかるのか。もう一発くらい殴ろうかしら。
「……ああ。確かに、あの方の言った通りだ」
しん、としていた空間に、ひどく落ち着いた――だが異質な声が割って入る。
「はぁ?」
ユリィの眉がぴくりと動く。
その視線の先、いつの間にか――影の中から、襲撃者が半身を起こしていた。
仮面越しに、じっとナバアを見つめている。
その眼差しに感情の色は見えない。
「預言者の傍には、必ず獣がいる」
その言葉は、呪いにも、預言にも、あるいは警告にも聞こえた。
次の瞬間、襲撃者の身体は再び、床へと沈み始めていた。
「ちょっと、待ちなさい!」
ユリィがヒールを振り抜く。
だがその足は、まるで水の上を掴むように虚しく空を切った。
空気が波紋のように揺れ、影の輪郭が水面に戻るように静かに平らになっていく。
「ナバア。運命を拒む者よ――また会おう」
その声だけが、後に残された。
やがて部屋の空気が静寂に包まれ、敵の気配は完全に霧散する。
残されたのは――
割れた花瓶。倒れた椅子。
そして、沈黙のみ。
ユリィは口を閉ざしたまま、静かに拳を握る。
指の節がわずかに白くなるほど、力がこもっていた。
その隣でナバアもまた、ただ唖然と立ち尽くしている。
自らにかけられた「預言者」「獣」「運命」――並べられた単語がどれも、自分自身にかかっているというのに、それを咀嚼するにはあまりにも材料が足りなすぎた。
「……はぁ、とりあえずご飯食べましょう。」
その言葉が、今夜の幕引きとなった。
がたん、と皿が置かれる。
「はい、どうぞ」
「……うまそう」
店の半分が崩れかけている中、よくもまあこんなに普通にご飯を作る余裕があるなと、内心少しだけ呆れていルガ黙っておく。
(そういえば、これってどうやってできてんだ?)
「……なあ。これって、何の出汁なんだ?」
「ふふっ、内緒よ。あたしの企業秘密」
「こわ」