もしも、あの日君と出会っていなかったら。
きっと、幸せには生きられなかった。
君の顔を知らなければ、幸せという言葉さえも、孤独という言葉さえも知らなかった。
なにもかも捧げてしまったって構わない。
行く先が、地獄だって構わない。
だから、近くにいてほしい。いつか一緒に死んでほしい。
ワカバ・ユミカがいつも見るのは、そんな夢ばかりだった。
†
「チャンプからのDM?」
「うん、私宛に来てたけど、アヤネは?」
アヤネたち「ランチタイム」はいつもの手狭なフォースネストに集まっていた。
だが、唐突にメッセージウィンドウを立ち上げたユミカがそんなことを聞いてくるものだから、揃って小首を傾げざるを得なかった。
ニィレヤもシオリも、チャンプことクジョウ・キョウヤからのメッセージなどというものは受け取っていない。
「全然? 初めて聞いた」
「そっか」
それはアヤネも同様だ。
「どうしてユミカさんだけにチャンピオンがメッセージを送ったんでしょう……はっ、まさか、禁断の恋……!?」
「うふふ〜、もしそうだったら、とってもロマンチックですねぇ」
悪役令嬢ものの読みすぎで変な方向に乙女回路が作動しているニィレヤの誤解を、シオリは否定せずにむしろ甘やかす。
普通ならば甘やかす場面ではないとアヤネもツッコミを入れているところだったが、圧倒的なメートル超えバストの包容力がそれを許さない。
シオリに抱きしめられて頭を撫でられているニィレヤは、すっかり人に慣れた猫のようにふにゃっとした笑みを浮かべていた。
「いやいや、ユミカとチャンピオンに接点なんてないでしょ」
「わかりませんよ〜? 最近話題の……確か、『ビルドダイバーズ』をチャンピオンはとても目にかけていらっしゃると噂ですから……」
「もしかして、ビルドダイバーズのリクさんとユミカさんがチャンピオンを巡って禁断の三角関係に!?」
「ステイ、ニィレヤちゃん、ステイ」
それもありかもしれない、といった表情で顔を真っ赤にしているニィレヤを宥めながら、アヤネは小さく溜息をつく。
チャンピオンが「ビルドダイバーズ」というフォースを贔屓にしているというのは最近GBNに広がり始めた噂だが、それは彼らがフォースランキング2位の「第七機甲師団」……の下部フォースを倒した功績ゆえだ。
決してリーダーである「リク」に邪な感情を抱いているわけではない、はずだ。多分。
「で、ユミカは行くの? チャンピオンのとこ」
「んー……行ってもいいけど、アヤネも来てくれる?」
ユミカは珍しく瞳に不安を覗かせて、アヤネへとそう問いかける。
なにか、ユミカにとっての信念である「ちょうどいい」を乱すものを本能的に感じ取ったのだろう。
そうでなくとも、チャンピオンにサシで呼び出されるなどという事態は普通ではないのだから、無理もあるまい。
「わかったけど……うちがいて大丈夫?」
「うん。チャンプにはアヤネの同行を許可してくれなかったら断るって返信しといたから」
「無駄にレスポンスが早い……」
大学の課題もそのぐらいの速度で手をつけてくれれば自分も苦労しないのに、と、アヤネは思わず天を仰いだ。
「ニィレヤちゃんとシオリちゃんはごめんね、あんまり大所帯で詰めかけても、チャンプも困るだろうし」
「い、いえ! その代わりニィレヤはチャンピオンがユミカさんをどう思ってるかについて聞いてきてくださればそれで!」
「うふふ〜、待つのは得意です。わたくしはニィレヤちゃんと仲良く待ってますからねぇ」
ユミカからの言葉に、ニィレヤとシオリは快く頷く。
実のところ、チャンピオンがユミカを呼び出した件について──アヤネは、一つだけ心当たりがあった。
だが、それはGBNにおいて間違いなく「バレて」はいないはずだ。ユミカのバトルスタイルは、昔と比べて大きく変わったのだから。
一抹の不安を胸に抱きつつ、今日もどこか捉えどころのない笑みを浮かべている──いや、その顔に貼り付けているユミカを心配して、アヤネは思わず瞳を潤ませていた。
†
「来てくれたんだね、ユミカくん。アヤネくん。ありがたく思うよ」
定刻通り、夜の23時前後に「AVALON」のフォースネスト近くの森を訪れていたユミカたちの前に現れたのは、このGBNサービス開始以来不動のチャンピオン、クジョウ・キョウヤだった。
金髪に甘いマスクといういかにも貴公子のような出で立ちをしていながらも、その中に秘めている闘争本能は極めて苛烈なものであることを、力強く輝く瞳が物語る。
アヤネはその強者のオーラとでも呼ぶべきものに、思わず、息を呑んだ。
「それじゃあチャンプ、話す前に一つ聞いていいかな」
「なんだい、ユミカくん?」
「チャンプの用があるのは、『ランチタイム』の私? それとも──」
「ユミカ!」
その言葉の続きを口にしようとしているユミカの顔色がどんどん悪くなっていくのを見て、アヤネは思わず制止していた。
だが、大丈夫、とばかりにユミカは笑って、アヤネの気遣いをやんわりと拒絶する。
恐らくはもう、バレているのだ。
フォース「ランチタイム」の4人ではなく、ユミカ個人を当初は指名してきた時点で、チャンプは──自分の過去を、知っているはずだから。
「それとも、『日の本の怪物』としての私?」
かつて、「日の本の怪物」と呼ばれたGPDプレイヤーがいた。
2本の刀を巧みに操り、破壊衝動の赴くままにその才能という暴力であらゆる相手を踏み砕き、世界の頂点を手にした女が。
それこそが、ワカバ・ユミカという存在だった。
「……両方だね。という答えは、不誠実かな」
「大人らしい答え」
「最初は僕もわからなかった。君の戦闘スタイルが『日の本の怪物』とは似ても似つかなかったからね。だが、『アレスの闘技場』でのアッサルくんとの戦いにおいて披露したあの技を──『神薙』を見て確信した。君こそが、GPDという時代において一つの頂点を極めたあの『怪物』なのだと」
「あちゃー、バレてたかぁ……はは、自業自得だなぁ。大人しく負けておけばよかったのに」
それでも勝ちたいと思ってしまった自分の闘争本能が、心に蓋をして閉じ込めていた過去を暴く鍵となってしまったのだから、皮肉だとしか言いようがない。
戦いの果てにはなにもないことを知ったのに、勝利を求め続けることの虚しさを知ったのに、それでもこの体は勝利を求めずにはいられないのだから。
本能、あるいは植え付けられた衝動。ワカバ・ユミカはいうなれば、「作られた天才」とでも呼ぶべき存在だった。
「チャンピオン! いくらチャンピオンだからって、ユミカが内緒にしたがってる……ずっとずっと苦しんできた過去を掘り返すのは!」
「いいんだよ、アヤネ。アヤネのおかげで大分マシになったから」
「ユミカ……」
アヤネは、少し青ざめた顔で苦笑するユミカに出会ったばかりの頃を思い返す。
ガンプラのこともガンダムのこともなにも知らなかった高校1年生の春。
ただ、なんとなく流行っているからキラキラのガンプラ女子になりたいと思ってガンダムベースを訪れたとき、この世の終わりのような目をして制作ブースに座っていたのが、髪も伸び放題で虚ろな目をしたユミカだった。
最初に話しかけたのは、好奇心からだ。
ぶつぶつとなにごとかを呟きながらパーツにヤスリをかけ続けているユミカの雰囲気が、「達人」に見えて。
それで、アヤネは、ガンプラを教えてほしいと、頼んで。
『──ぇ、ぁ……?』
ドス黒いコールタールよりも濁った目を向けられたことを、今でもはっきりと覚えている。
そのとき、思ったのだ。
この子を1人にしておいたら危険だと、この子は今、死の淵に立っているのだと。
「でも、チャンピオン。『怪物』はもう死んだよ。ここにいるのは燃え尽きた灰、ただの燃え残りの女だよ」
「果たしてそうかな」
「……?」
「僕にはまだ、君がガンプラを……GBNを愛していると感じられる。だからこうして、君を『有志連合』に誘うために呼び出したんだ」
キョウヤはどこまでも真剣な眼差しでユミカの瞳を覗き込み、そう断言する。
「『有志連合』?」
「これはまだ極秘だがね。ここ最近、マスダイバーの脅威が活発化してきているのはユミカくんもアヤネくんも、知っているだろう」
そのマスダイバーが使うチートツールである「ブレイクデカール」が様々な効果を得て、その代償としてGBNに深刻なバグを引き起こしているのだと、キョウヤは言葉を続けた。
ユミカもマスダイバーの動きが活発化していることは知っていたが、ブレイクデカールがバグを引き起こしている、という話は初耳だった。
それはアヤネも同様だった。知っていることといえば、せいぜいトンチキなマスダイバーがペリシア・エリアを襲ったことぐらいだ。
「その証拠はあるの?」
「確たる証拠は出せるわけじゃない。だが、状況証拠はいくらでも上がっているし、そもそも、そうでなくともマスダイバーの活動をこれ以上野放しにしておくわけにはいかないと、僕とロンメル大佐は判断したんだ」
そう言ってキョウヤは、立ち上げたウィンドウにいくつかのアーカイブ映像を投影する。
そこには、あの「第七機甲師団」が、いくらダメージを受けても無限に再生し続けるブレイクデカールを使う無名のフォース相手に持久戦の末、敗北する動画や、ブレイクデカールを発動したことでアトラクションが異様に高速化したベアッガイフェスなど、様々な被害が記録されていた。
これだけ派手に状況証拠が揃っていれば、運営も動いていそうなものだが、とアヤネは小首を傾げて小さく唸った。
「クロマルくんからその辺は聞いてるよ。確か、ブレイクデカールは使用したログが残らないんだっけ」
「正解だよ。だから僕らも運営も手をこまねいていたわけだが……」
「なんとかなる目処がついた、と」
「そういうことになるね」
これ以上は企業秘密といったところだろうと判断して、ユミカは曖昧な言葉でお茶を濁す。
「だから、僕は君に『有志連合』へぜひ参加してもらいたいと思っている」
キョウヤからの熱烈なスカウトに、ユミカは飄々とした態度を取ってはいたものの、内心では頭を抱えていた。
勝利以外は価値がない、ガンプラバトルで勝ち続けること以外に自分の存在価値を証明する手段はない──そう両親にも親族にも言い聞かされ続けて、その言葉通りに戦い続けた果てに心を壊した、「過去」を買ってくれているのなら、ユミカとしては正直断りたい。
それは、「ちょうどよくない」から。だが。
「最悪の場合、GBNは滅んでしまう。僕は……それを阻止したい。多くのダイバーたちの憩いの場になっているこの世界を、守りたいんだ」
キョウヤはどこまでも真剣にそう語る。
ガチバトルをするのは、ユミカの本意ではない。
あくまでもちょうどよく、休み時間にお昼ご飯を一緒に食べる程度の関係性でいたいから作ったのが「ランチタイム」というフォースなのだ。
だが、キョウヤの言葉が本当なら。
GBNが崩壊してしまうのであれば、それもまた「ちょうどよくない」。
やっと見つけた「ちょうどいい」場所を名前も知らない誰かに踏み躙られて壊されるのもまた、ユミカの本意ではない。
だから、ユミカは。
「──私個人じゃなくて、『ランチタイム』への依頼って条件なら、いいよ」
「『ランチタイム』の?」
「うん。ごめんなさい、チャンプ。でもやっぱり『日の本の怪物』は死んだんだ。今の私は、『ランチタイムのユミカ』だから、『ランチタイムのユミカ』として世界を守らせてくれないかな」
わがままを言っている自覚はある。
それでも、もし自分が詳細こそわからなくとも、大規模なマスダイバー狩りに近いことを行うのなら、ユミカはそこだけは譲れなかった。
かつて「日の本の怪物」と呼ばれた女はGPDの終焉と共に姿を消してそのまま死んだ。今の自分は、ゆるくふわっとGBNを楽しむ、「ランチタイム」のリーダーでしかないからだ。
それ以上でも、以下でもない。
「……承知した。ニィレヤくんもシオリくんもアヤネくんも、マスダイバーと戦うには十分な腕前を持っていることは今確認した。改めて、『有志連合』に参加してくれることを感謝するよ。ユミカくん」
「いえいえ、私はただ──『ちょうどいい』選択肢を選んだだけですから」
そう告げて、ユミカはチャンプに踵を返す。
アヤネは、夢見ていたガンプラキラキラ女子になれなかったかもしれないが、親友がもう自分の足でそこまで歩けるようになったことに感動していた。
それなら、自分もやることは同じだ。
「ユミカ」
「わかってる。アヤネも、ニィレヤちゃんも、シオリちゃんも……私たちは4人で『ランチタイム』だから」
きっとGBNがなくなってしまえば、ニィレヤやシオリに会うこともなくなるのだろう。
それは嫌だった。
だからこそ、ユミカは戦う決意を固めて、追いかけてきた過去を、心の奥底に封じ込めていたものを、わずかに、静かに見据え続けていた。
動き出す物語