クラシキ・アヤネがワカバ・ユミカと初めて出会ったとき、ユミカは自責を抱えて、今にも死んでしまいそうな目をしていたことを、今でもはっきりと覚えている。
ガンダムベースを訪れた当初は、ただ最近流行っているキラキラなガンプラ女子になりたかっただけで、それ以上深い理由も意味もなかった。
だが、そこで見つけたユミカは、見ていられないほど心も体もボロボロで。
「もー、いくらチャンピオンきってのお願いだからってユミカは安請け合いしすぎ!」
クジョウ・キョウヤに呼び出されてからの翌日、GBNにログインしたアヤネは同じくログインしていたユミカに対して苦言を呈していた。
かつて「日の本の怪物」と呼ばれていたGPD世界王者が、どうしてあんなに心も体もボロボロになってしまったのかを、アヤネは知っている。
幼い頃からガンプラバトル以外の娯楽を奪われて、ガンプラバトルで勝つことにしか存在価値を求められない歪んだ教育──その果てに辿り着いたのが、「勝つ相手がいない」という虚無であったことも。
「大丈夫だって、私以外にもいっぱい強い人いるし、なんとかなるなる」
「それはそうだけどさぁ! 昔のこと引き合いに出されたら断ってもいいじゃん!」
アヤネは飄々としているユミカに対して、納得がいかないとばかりに頬を膨らませる。
「あはは、そうだったかもね」
「そうだってば!」
「……懐かしいな。アヤネに会うまでは、全然ご飯とか食べられないぐらい追い詰められてて」
何日食事をとっていないのかわからないような状態で、ただひたすら死んだ目でやすりがけを続けていたのを、ユミカもまた覚えている。
「アヤネにもらったおにぎり食べたら、吐いちゃったっけ」
「……覚えてるんじゃん」
「……忘れたくても、忘れられないよ」
勝ち続けることが自分の存在価値の証明であるなら、戦う相手がいなくなったときに──誰もが自分を恐れて、避けて通るようになったときに、なにと戦えばいいのか。
壊すことしか知らなかった。
壊し続けて、踏み砕き続けて前に進んできたから、楽しいバトルという言葉はユミカの中にはない概念で、ただ、勝つか負けるか。
それだけが、かつてのユミカにとってのガンプラバトルだった。
「髪の毛伸び放題で、何日もお風呂に入ってなくて……あんなの異常だよ、もー」
「あはは、わかってるってば」
「てかユミカ、ちゃんとお風呂入ってるの? 最近大学もサボってばっかだし本当大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。お風呂上がりに全裸で飲む牛乳ほど美味しいものはないから」
しれっと、恥じらうでもなくとんでもないことを語ってのけたユミカに対して、アヤネはその頭頂部に渾身のビンタを喰らわせる。
「痛たたた……」
「裸で過ごすのもダメって言ったでしょ! 文明人としての誇りを投げ捨てないで!」
「でもブラとパンツって正直窮屈じゃない? 私おっぱいとお尻大きいから」
「ぬぅん!」
「痛いってばアヤネ」
GBNだから感覚のフィードバックはないものの、なんとなく引っ叩かれた感じがして、思わずユミカはそうリアクションしてしまう。
「自慢か! 自慢なのか!」
「自慢っていうか事実だし……」
「まあそれはそうだけども……話戻すけど、本当に大丈夫なの? いつ昔のこと思い出すかわからないんでしょ?」
アヤネの問いに、ユミカはなんともいえない表情で小首を傾げる。
確かに昔のことを思い出してしまって、ついあの頃の衝動が顔を出してしまうことはあった。
思えば、チャンピオンにも言った通り、「アレスの闘技場」でアッサルを相手にしたときに本能のまま繰り出していた必殺技は、過ちの象徴ともいえるものだ。
今の自分は「ランチタイムのユミカ」であって、それ以上でも以下でもないというのに。
負けることが許されなかった過去の自分が、どこまで行っても付き纏ってくる。
その果てに待っているものを知っているはずなのに、痛感したはずなのに、この体に刻まれた、造られた感覚がそれを許してくれない。
皮肉なものだなぁ、と、ユミカは自嘲する。
自分はただ、「ちょうどいい」ところにいたいだけなのに。
アヤネが教えてくれた感覚。アヤネと出会わなければ、一生知ることのなかった、「楽しい」という気持ちがある場所。
そのぬくもりを知った今は、ただ義務的に敵を倒し続ける「怪物」に戻りたくなどなかった。
しかし、過去というのは追いかけてくる影法師だ。
そこにいる限り、ガンプラバトルの世界に戻ってくるとユミカが決めた限り、必ずどこかから追いかけてくるものだと、相場が決まっていた。
──そう、今この瞬間のように。
長い金髪に白いドレス、そしてアメジスト色の瞳が美しい、深窓の令嬢を思わせる女性が、セントラル・エリアを歩くユミカの姿を見て足を止める。
「あら……変わられたとは聞いていましたが、随分と私の知る貴女からはかけ離れた顔をするようになったのですね」
ひどく美人だった。
ダイバールックが作り込まれたものか、現実をありのままにスキャンしたものかを判別する方法はないが、アヤネには直感的に、後者だと感じ取る。
楚々として、自然体でいながら周囲の視線を惹き込まずにはいられない宝石のような、一流のヴィンテージワインのような美女。
当然、アヤネは彼女が誰か知らなかった。
だが、ユミカは違った。
あの頃の記憶と大して変わらない姿で、彼女は自分の目の前に現れたのだから。
「っ、シェリー……!」
「うふふ、お久しぶりです。愛しのユミカ」
「えっなに、どういうこと? ユミカ、この美人さんと──っ!?」
ユミカの瞳がどんどんどす黒く、コールタールのように濁っていくのを見て、アヤネは思わず後ずさる。
これは、ユミカが「怪物」だった頃の因縁に違いない。
せっかくガンプラバトルを、ガンプラを楽しめるようになってきたのに、こんなところで過去の因縁と遭遇してしまうなんて──アヤネは、思わず天を仰いだ。
「……なにしに来たの、シェリー」
「無論、貴女の心臓をいただくか、貴女に心臓をいただかれるために。たくさんのゲームを渡り歩いてきましたが……ふふっ、ガンプラバトルに帰ってきてくれたことはとても嬉しいです」
「……」
「つれない顔をしないでください。私は──今、愛しの貴女と再びガンプラバトルで戦える興奮で今にも昂ってしまいそうなのに!」
叫んだ瞬間、シェリーと名乗った女性の表情は一転して獰猛なものに変わる。
「ちょっと待って、ここはフリーバトルっていうかバトル禁止区域のセントラル・エリアなんだけど!?」
アヤネの言葉に、獰猛な笑みを浮かべたまま首を傾けてシェリーは答える。
「存じております。だからこんなおもちゃを用意しました」
ぱちん、とシェリーが指を鳴らすと、彼女の愛機であるバルギルとトランジェントガンダムグレイシャーのミキシングモデル──「バルギル・グレイシア」が姿を現す。
市街地の中心に突如として現れた巨大なモビルスーツの姿に、ダイバーたちは声を上げて逃げ惑う。
そして、バルギル・グレイシアはユミカが見たことがある、紫色のオーラを纏っていた。
「ブレイクデカール……!」
『ふふっ、このおもちゃはそんな名前でしたね。なにはともあれ、このままではセントラル・エリアでしたか? はめちゃくちゃにしてしまいますので……出してください、貴女のガンプラを』
舞踏会へとエスコートするように優雅な仕草で、バルギル・グレイシアに乗り込んだシェリーはユミカを手招く。
今の自分に、シェリーを倒せるかどうかはわからない。
ユミカはドラグストライクを、アヤネはイフリート・ジンを呼び出してバルギル・グレイシアと相対するが、その手には嫌な汗が滲んでいた。
「こんな場所で、ブレイクデカールまで使って!」
『こんな場所だから、そんなおもちゃを使ってでも貴女と戦うことが私の悲願! さあ、その心臓を奪うか奪わせてぇっ!』
「ぐっ……!?」
ブレイクブーストにより強化されたGNパルチザンⅡの一撃が、受け止めたビーム・ソード・ピストルを破壊する。
「ユミカ!」
アヤネは間髪入れずに位置取りを変えて、対艦ライフルショーティーをバルギル・グレイシアに向けて撃ち放ったが、最低限の動きで回避されてしまう。
そして、カウンターとして放たれたGNパルチザンⅡからの光線が脚部に直撃し、イフリート・ジンの右足は凍りついていく。
トランジェントガンダムグレイシャーが持つ、粒子凍結だ。だが、アヤネはそんなことは知らなかった。
「なにこれ、ブレイクデカールのチート!? 脚部が動かない……!」
『本物の戦場を知らない貴女に踊る資格はありませんから、悪しからず』
「……なにが……なにが、本物の戦場だぁっ!」
リュミエール・ザンバーを抜き放ったユミカは、ドラグドライヴを起動させ、最大出力でバルギル・グレイシアへと肉薄する。
そして、回避機動を読むように「置く」斬撃を繰り出すが、シェリーは「置かれた」斬撃の軌道を全て読み切ってGNパルチザンⅡで受け流す。
勝てない。今の自分では、今の自分の戦い方では、シェリーを倒すことはできない。
ユミカは一太刀交えただけで確信していた。
自分の今の戦い方が、GPD時代と比べて著しく劣化したものであることはわかっている。
だが、もう自分は──「怪物」に戻りたくないのだ。
『迷いが見えますね、プライドと拒絶……でも、それじゃつまらないですよ? 貴女は貴女の心に従うべきです、素直になるんですよ。愛しのユミカ』
「……っ、ぐぅっ……! ぐううううっ……!」
バルギル・グレイシアが持つ粒子凍結の能力によって、鍔迫り合いを続けているリュミエール・ザンバーの刀身も凍りつきつつある。
だから、戦いを決めるには速攻でなければならない。
長期戦になればなるほど、シェリーという女は自らの戦術に相手を強制的に引き摺り込むがゆえに。
そのためには──
「ダメだよ、ユミカ!」
「っ! アヤ、ネ……?」
「これ以上ユミカが苦しむ必要なんてない! 負けたって……なにかが失われるわけじゃないよ! だから!」
昔に戻ろうと、思考を深く暗い領域まで落としていこうとするユミカを、アヤネの声が引っ張り上げるように引き止める。
『あらあら、せっかくダンスが本番に差し掛かったところなのに、無粋なことをしてくれる方には……お仕置きです。その心臓を奪いますね』
笑顔で、しかし淡々と不快感を隠そうともせずにシェリーはそう言い放ち、機体のファンネル・コンテナから6基のファンネルを射出した。
放たれたファンネルは、同心円状の軌道を描いてアヤネのイフリート・ジンを包囲する。
そして。
『さようなら、力なき者』
「きゃあああああっ!」
「アヤネ!!!!」
放たれたビームは、アヤネのイフリート・ジンの手足をもぎ取り、頭部を破壊し、徹底的なまでに痛めつけてからそのコックピットを貫いた。
「このッ……! 許さない! よくもアヤネを!」
『ああ、いい……昔に戻ってきましたね、ユミカ……』
怒りに身を任せてユミカが振るったリュミエール・ザンバーを受け止めながら、シェリーは恍惚とした笑みを浮かべる。
『その荒々しい、剥き出しの刀にも似た闘志が』
『そのどこまでも深く暗い、深海のような瞳が』
『私の初恋とトキメキを奪ったのですから!』
狂気的な笑みを浮かべたシェリーはGNパルチザンⅡを胴薙ぎに振るって、リュミエール・ザンバーの刀身を完全に凍結させた。
凍結したザンバーを投棄して、ユミカは残された武装をチェックする。
一応、まだ予備のザンバーは2基残っていた。
だが、推進器を兼ねているそれを使えば、機動力という点で大きくバルギル・グレイシアに遅れをとるということは、ユミカも理解している。
『さぁ、貴女の本性を見せて! 醜い怪物だった貴女に戻って! そして互いの心臓をかけて戦いましょう! あの頃のように!』
「……私、は……!」
シェリーが語るように、両親の手によって作られた「怪物」が、「造られた天才」が本性であるのなら。
だとしたら、今の自分は。
ヤケクソで突き出したアーマーシュナイダーを右腕ごと凍結させられたユミカは、大きく息を呑む。
フォース「ランチタイム」の自分が偽りであったのなら、アヤネと過ごした時間が、ニィレヤとシオリと共に過ごした時間が、偽りであることになってしまう。
それは認めたくない。
だが、それ以上に──植え付けられた本能が、「負けたくない」と叫んでいた。
負けてしまえば、価値を失うから。
自分が生きる意味が、消えてしまうから。
ここにいる意味が──
ユミカは片目に涙を滲ませ、残された左腕でパージしたリュミエール・ザンバーを引っ掴むと、理性と本能の間で脳が焼き切られるような感覚の中で、神速にして不可避の一撃を放つ。
「『神薙』ぃッ!!!!」
『うふ、うふふふ……うふふふふ!』
放たれた神速の一撃は、確かにバルギル・グレイシアの胴体を縦に断ち切っていたが、コックピットからはわずかに逸れていたらしく、致命には至らなかった。
そして、聞いていた噂通りに、ブレイクデカールの力で損傷した部分は瞬く間に再生していく。
シェリーは、今にも昂り達しそうなほどの興奮を覚えていた。
あのユミカが、あの獣が、あの化け物が、あの怪物が──どうしようもないほど愛しい理外の存在が、帰ってきてくれたのだから。
『今日のところはここまでにいたしましょう。今は……愛しの貴女が生きていたということだけで十分ですから。「本番」はもっと広くて、素敵で……優雅な舞台で共に心臓を奪い合えることを、願っています』
言い残すだけ言い残して、バルギル・グレイシアはどこかに消えていった。
ドラグストライクを降りたユミカは、膝から地面に崩れ落ち、俯く。
もしもシェリーの言う「本番」とやらが、「有志連合」に絡んでくる話だとしたら。
自分はあれだけ偉そうにチャンピオンへと啖呵を切ったというのに、「ランチタイムのユミカ」では、なにも守れない。
「うぷっ……!」
「ユミカ!?」
同じく機体を降りたアヤネが、顔を真っ青にして口元を抑えるユミカの背中をさするが時は既に遅く、ユミカはそのまま、強制ログアウトしてしまった。
ようやくライバルと邂逅したらしい