上京アイドルと碧すぎる空
都会は、とてつもなく恐ろしいところだ。
そんなことを祖母が口癖のように語っていたことを、黒髪を腰まで伸ばした赤い瞳の少女──キドウ・リンは今更になって思い返す。
確かに都会は恐ろしい。有名で、CMもやっている不動産屋に行って紹介された物件がどこもかしこも1K以下の牢屋じみたところだったり、築50年を余裕で越していたり、日当たりが激烈に悪かったりと、その恐ろしさは枚挙にいとまがない。
「でも、人は配られた手札で勝負するしかないと誰かが言ってたのです……リンは頑張らないといけないのです……」
クソ物件の中から選択肢として消去法で選んだ日当たりが死ぬほど悪いワンルームの一室で、リンは自分を誤魔化すようにそう呟いた。
元々、リンは東北の田舎で生まれ育った正真正銘の芋娘といったところであったが、その容姿はあどけなさを残しつつも可愛らしいものだった。
だからこうして、東京の芸能事務所にスカウトされて、アイドルをやっているのだ。
もっとも、まだまだ売り出し中だから、こんな家賃が比較的安いだけのクソ物件に住んでいるのだが。
「リンは頑張ってアイドルとして売れないといけないのです……行ってきますなのです」
誰もいない部屋に向けてぺこり、と腰を折ってお辞儀をしながら挨拶をして、リンは日当たり最悪なアパートを出る。
火の用心は済ませている。心の中で確認して、リンは家の鍵を閉めた。
高層ビルの影に隠れているせいで、この場所からはよく見えないが、今日も東京の空は高々と晴れ渡っていた。
†
「おっそーい! リン、15分遅刻!」
「定刻破りはー……ダメー」
「ご、ごめんなさいなのです!」
事務所へと電車に乗って向かったはいいが、ちょっとしたトラブルで遅延の影響を受けたせいで、リンは目の前にいる勝ち気そうな少女──クスノキ・ハヤテに指摘された通り、約15分遅刻してしまった。
そして、その隣でぼんやりした目でスマホを眺めている、ハヤテと瓜二つの少女──双子の妹であるクスノキ・コマチがそれとなくリンを咎める。
流石に電車の遅れは許してほしかったが、アイドルのスケジュールは将来的には分刻みどころか秒刻みだ。
下積みの時代から遅刻をしているのではその先が思いやられる、という意味でこの双子姉妹は自分に釘を刺してくれたのだろう。
リンはその優しさに感涙する。
都会は怖いところだが、こうしていい事務所に拾われて、ユニットを組むメンバーにも恵まれているのは、望外の幸運だったといえよう。
「二人とも、ありがとうなのです。遅れた分は頑張ってレッスンして取り返すのです」
「レッスンってかアタシたちのやってること、ほぼGBNだけどね」
「世の中のー……需要ー……」
「あうあう」
リンとハヤテ、そしてコマチの三人で結成されているアイドルユニット「デルフィニウム」は、バーチャルでもリアルでも活躍する新世代アイドル、という触れ込みで売り出している。
とはいえ、G-Tuberが全盛の時代である今、リアルアイドルは冬を迎えているといってもいい。
フルダイブ型VRゲームの発展と普及は、とうとう二次元と三次元の境目を曖昧にした。
かつては立ち絵に演者がアフレコで、画面の向こうから語りかけるだけだった存在に、文字通り「会いに行ける」ようになったのだ。
これのおかげで、リンたちが所属している「倉敷プロダクション」も大幅な方針転換を強いられた。
と、いうのが自分をスカウトしてきたプロデューサーから聞いた話だ。
「まあでもいいんじゃない? アイドル系G-Tuberとしても、トップアイドルとしても成功を収めたら、アタシたちは世界でも例を見ない存在になるんだから!」
「希少ー……価値ー……」
「そ、そうなのです! だから、GBNでの初ライブを失敗するわけにはいかないのです!」
VR空間と現実では体の動かし方が違う、というのはよくいわれている話だが、人は記憶していることを元に動いている存在である。
曲の歌詞や振り付けをリアルで覚えていなければ、いかに運動音痴がパルクールを決められるVR空間でも、歌って踊っては厳しい話だ。
だからこそ、こうしてリンたちは今日も、事務所備え付けのスタジオでレッスンに励んでいるのだ。
「それじゃあ行くわよ! まずはウォームアップから!」
「準備ー……運動ー……」
「はい、なのです!」
ジャージに着替えたリンは、早速自分を磨き上げるために、ハヤテとコマチと共にウォームアップを始めた。
†
GBNで「デルフィニウム」が与えられたハコは、なんとセントラル・エリアに設けられた特設ステージという一等地も一等地だ。
その理由は半分以上赤字商売、とにかく名前と顔を売り込むことだけを目的にしたマーケティング戦略だった。
だが、それだけ事務所がリンたち「デルフィニウム」に期待しているということでもある。
そうして迎えたライブの当日、リンたちは舞台裏でごくり、と生唾を呑み込む。
新世代アイドル、がコンセプトであるためか、それともはたまた偶然か、リンたち3人がベースに選んだガンプラは、ガンダムF91だった。
それが今18メートルの等身大に拡大されて、特設ステージの上で駐機している。
「り、リンのF91シュネーヴァイスの手のひらで歌って踊るのですね……なんだか、ミーア・キャンベルになったみたいなのです」
「キャハハ! それならいっそ、事務所に掛け合ってザクウォーリアでも用意してもらえばよかった?」
「じゃあ私はー……ザコソルジャーでー……」
「お、音楽のジャンルが変わってしまうのですよぅ!」
コマチのボケとも本気ともつかない発言に、リンはノリノリで踊っているザコソルジャーを頭の中に浮かべながら、律儀にツッコミを入れた。
一応大晦日にやっている紅白の歌番組でも流れたことがある程度には名曲なのだが、あれはヒップホップであってアイドルソングではない。
倉敷プロダクションが目指している方向性はコテコテの「ガンプラアイドル」だ。
ヒップホップだのロックンロールだのとは、総じて真逆なのだ。
「本番10分前ね……うぅ、ちょっと緊張してきたかも……」
「本番ー……失敗ー……クビー……」
「な、なんてこと言うのですかコマチちゃん! は、ハヤテちゃんも一緒に頑張るのです! 誠実に努力する人に運命は開けるって、一万円札の人も言ってたのです!」
地下鉄の広告で見たセリフの受け売りを口にして、リンはハヤテたちを鼓舞するだけではなく、自分にもそう言い聞かせる。
今の時代、努力が報われないことなんて珍しくはない。
たまたま目にかけられて、その価値があるとまだ見込まれているから事務所も「デルフィニウム」を支援してくれているだけだ。
結果が出なければ意味がない。
結果を出さなければなんの価値もない。
全てがオープンになって、万人が万人を比較し合う社会の虚しさと苛烈さに今、リンたちは付き合っているのだ。
「リンにしてはいいこと言うじゃない! そうね、アタシたちが頑張らないと!」
「タカキもー……頑張ってたー……」
「誰なのです……?」
コマチは渾身のボケを繰り出したものの、生憎、リンはアナザーガンダムはほとんど未履修だった。
ずこー、とわざわざ口に出して、コマチは顔面から床にずっこける。
インターネットミームを擦って理解されなかったときほど恥ずかしい瞬間はないからだ。
コマチの醜態はともかくとして、舞台袖からステージを見る限り、既に草の根活動で獲得していたフォロワー数百人が、「デルフィニウム」のライブを待ち望んでいた。
G-Tuberとしてフォロワーを獲得するのは中々に難しいことだったが、それでもやり甲斐はあったと思わせてくれる光景だ。
サイリウムを両手に、今か今かとファンたちがリンたちのオンステージを期待する熱気に当てられて、リンたちの心もまた熱く昂っていく。
「本番5分前です!」
「はい、なのです!」
スタッフからの声がけに元気よく応じて、リンがいつでもステージを飛び出せるようにと頬をぴしゃりと両手で叩いた、その瞬間だった。
『ギャハハハハ!!!! 売れねーアイドルもどきがなんかつまんねーことしようとしてるぜ!!!!』
不快な哄笑を上げて突然現れた、紫色のオーラを纏うV2アサルトバスターガンダムが、ロングレンジキャノンを特設ステージの後ろに向けてぶっ放した。
「うわああああ!!!!」
「きゃーっ!!!!」
『ハハハハハ!!!! バカどもが上げる悲鳴は格別だなぁ!!!!』
砲火の後には火の手が上がり、リンたちのステージをも飲み込んでいく。
フリーバトル禁止エリアであるはずのセントラル・エリアでいきなり武器を使用した時点で、あの紫色に澱んだV2アサルトバスターは運営からのペナルティを免れないのかもしれない。
待てばきっと、ガードフレームがやってきて対処してくれるはずだ──リンは、頭ではちゃんとそうわかっていた。
「ちょっとリン! どこ行くのよ、避難しないと!」
「危ないー……! 危険がー……!」
ハヤテとコマチの制止も振り切って、リンはただひたすら真っ直ぐにステージの真ん中に向けて駆け出していた。
許せなかったのだ。
なにかに夢中になっている人の、大好きなものを追いかけている人の夢を壊して、嘲笑っているあいつが。
リンはステージの真ん中に駐機状態で待機していた自身の愛機である、ガンダムF91ヴァイタルをベースに、セカンドVのミノフスキードライブを組み込み、腰にヴェスバーを移設した「ガンダムF91シュネーヴァイス」に乗り込み、立ち上がる。
翡翠の双眸が確かな光を宿す。
それは紛れもなく、暴虐に立ち向かうために、反攻を象徴するように、「ガンダム」へと血が通った証拠だった。
「これ以上の勝手は……リンが許さないのです!!!!」
『お? やんのか? だが運が悪かったなあアイドルもどき! このプロに作ってもらった宇宙世紀最強のV2アサルトバスターにブレイクデカールの力が加わったオレが、お前なんかに負けるわけねえんだよ!』
「それでも、勝つのです!」
ミノフスキードライブから「光の翼」を展開したリンのF91シュネーヴァイスは、観客たちの盾になるようにビームシールドを広げて、V2アサルトバスターのロングレンジ・ビームライフルの一撃を防ぐ。
昔から、手先の器用さだけは褒めてもらっていた。
ガンプラを精緻に作り込む力と、そしてどこか抜けているが、それさえ自分のエリアにできる力。リン自身はまだ気づいていないが、それこそが今「デルフィニウム」のセンターとして自分が任命された理由なのだ。
『ちぃっ! ブレイクブーストの出力が甘すぎたかよ……なら全開だ! 消し飛びな!』
「させないのです……! 観客の皆は、リンとシュネーヴァイスが守ってみせるのです!」
「リン1人にー……いいカッコさせないー……!」
『なっ!?』
刹那、リンのシュネーヴァイスと同じく、ステージ上で駐機していたはずであるコマチの愛機、「ガンダムF91ライトニング」がミノフスキー・シールドをシュネーヴァイスのビームシールドへと重ねるように展開し、ビームの直撃弾を弾き返す。
「そうそう! アタシたちは3人で……『デルフィニウム』なんだから! ってことでこいつを喰らえー!」
そして、コマチが飛び立った直後に立ち上がったハヤテの「ガンダムF91ホープス」が、セカンドVのロングレンジキャノンを改造した火力試験装備とヴェスバーの斉射を、体勢の崩れたV2アサルトバスターへと直撃させた。
「コマチちゃん、ハヤテちゃん……!」
「1人で勝手に飛び出し禁止! でも格好よかったわよ、見直したわ、リン!」
「リンー……再評価ー……」
通信ウィンドウに映るコマチとハヤテは、わんぱくそうな笑みをあどけない顔に浮かべて、ウィンドウ越しにハイタッチする。
だが、まだレーダーからV2アサルトバスターの反応が消えたわけではない。
リンは感涙しつつもすぐにトリガーへと指をかけて、いつでもビームマシンガンを撃ち放てる用意をする。
『テメェら……テメェら……! よくもこのオレをコケにしてくれやがって! 絶対に許さねえぇぇぇぇ!!!!』
男は怨嗟の叫び声と共に、ブレイクブーストを最大まで引き上げる。
すると、15メートルサイズを保っていたV2アサルトバスターが突如として巨大化し、まるでデストロイガンダムや、サイコガンダムのごとき巨体へと変貌していく。
ルールもなにもあったものではないチートに、ハヤテとコマチは呆れたような顔をする他になく、リンは尚更義憤の炎を燃やす。
「巨大化は負けフラグなのです! 大人しく……抵抗しないで逝っちゃうのです!」
『調子に乗るんじゃねえぞ売れないアイドル風情がよぉ!!!!』
「千里の堤も蟻の一穴、なのです! 蝶のように舞い、鉢のように刺すのです!」
瞬間、最大稼働モードに突入したリンのF91シュネーヴァイスは、光の翼と共に無数の「質量を持った残像」を展開、巨大V2アサルトバスターからの攻撃を撹乱し、そのコックピットまで肉薄していた。
『クソ、なんでロックオンが効かねえんだよ、ふざけんな!!!! アイドルのくせにチーターかよ!!!!』
「……言葉を慎んでほしいのです」
『は?』
「ガンダムへの愛も、ガンプラへの愛も、GBNへの愛も……大切ななにかを本気で愛したこともないあなたが、ズルしてるなんて、軽々しく決めつけていい道理はどこにもないのです!!!!」
『ち、ちくしょおおおおお!!!!』
腰部に移設していたサーベルラックから抜き放ったビームサーベルをコックピットに突き入れられたことで、巨大V2アサルトバスターは爆発四散してテクスチャの塵へと還っていった。
これにて一件落着だ、とばかりにオープンしていたF91シュネーヴァイスのマスクが閉じて、放熱フィンから余剰熱で剥がれた塗料の輝きが煌めく。
ライブステージは生憎滅茶苦茶になってしまった。
だが、それでも。
「ありがとう、『デルフィニウム』!」
「リンちゃん、カッコよかったよー!」
大切なものを、守ることができた。
ただそれだけの事実が、リンには無性に嬉しくて仕方がなかったのだ。
GBNの空は、今日も遮るものはなく、ただ青々と──碧すぎるほどに、晴れ渡っていた。
陰キャアイドル、がんばる