一限をぶっちぎって二度寝から覚めたときの快感は格別である。
辞書かなにかにそう書いてないのが不思議なぐらい快適な目覚めだ。
ユミカは下着姿のまま布団から這い出して、そのままキッチンの冷蔵庫に向かう。
「んぐっ、んぐっ……ぷはっ」
そして、おもむろに縁を開けた牛乳パックから中身を直飲みした。
一限のノートはおそらくアヤネが取ってくれているだろう。
なら、昼まで暇なのは確定事項だ。
「GBNやるかぁ……」
暇な大学生のやることは二つに一つ、遊ぶかバイトするかのどちらかだとユミカはそう思っている。
なら、青春のモラトリアム期間として盛大に遊ばせてもらおう。
そう考えて、ユミカが家庭用ダイバーギアを起動させた瞬間だった。
エラーメッセージが吐き出され、「今はサーバーメンテナンス中です」という文字列がゴーグルに浮かび上がる。
「そういえばそうだった……今日GBNメンテだったの忘れてた……」
メンテナンスのお知らせというものは大体読み飛ばしてしまうのが常だから、忘れていた。
大規模メンテナンスではないから午後には通常通り復旧する見込みだというお知らせもエラーメッセージに添えられていたが、問題はそれまでの時間が果てしなく暇だということだ。
こういうときこそ積みプラを崩す絶好の機会だったりするのはユミカも理解している。
だが、積まれている箱のタワーを見ると手をつける気が途端になくなってくるから不思議なものなのだ。
不思議なパワーには逆らえない。
大体ガンプラというものは「組みたい」と思ったときに組むものであって、「組まなければいけない」という義務感に突き動かされて組むものではないのだから。
「そう、ガンプラは自由。組むのも自由なら積むのもまた自由なんだよね」
「目を開けて寝言言うのやめない?」
「あ、アヤネだ。やっほー」
「入ってきたうちが言うのもなんだけど鍵ぐらい閉めてよ! あと服着て!」
一限から帰ってきたのであろうアヤネが、玄関先から怒鳴り声を上げるのをいつもの調子で軽く流しながら、ユミカは腰掛けていた椅子から立ち上がった。
どこに出しても恥ずかしいブラジャーとパンツ一枚というあられもない姿を、グラビアアイドル並みのプロポーションで見せつけてくるのだから、正直なところ頭がどうにかなりそうだった。
だが、そろそろいい加減この女に「服を着る」という文明的な行為を徹底的に叩き込まなければならない。そう決意して、アヤネはわざわざユミカの家を訪れたのだ。
「ねえアヤネ、なんか料理作って」
「お断りしますー! 服も着れない原始人なんだから肉でも焼いて食べてたら?」
「お肉、高いから……」
「でもガンプラは買うんでしょ?」
「うん。当然だよね?」
「……そこそこいいお肉、一枚二千円とかで買えるんだけど」
「二千円あったら水星の魔女のキットが買えるんだよね、そっちの方がアドだと思う」
ダメ女はどこまでいってもダメ女だった。
アドもアド損もなにも、生きるという生命体として最低限の行為をガンプラと天秤にかけてガンプラを選ぶのはいくらなんでも終わりすぎていないだろうか。
久しぶりにアヤネは本気でユミカの将来が心配になって仕方がなかった。
「とにかく服! 服着ないと料理してあげないから!」
「はいはい……じゃあちょっと着替えを適当に」
「洗濯物を床に散らかすのもやめて!」
「だって……干すのもクローゼットから出すのも面倒だからその辺に置いといた方が効率的だと思う」
「それは効率的じゃなくてズボラっていうんだよ」
その辺に落ちていた「慎ましやか」と筆文字で書かれたTシャツと青いハーフパンツを履いたユミカは、くぁ、と小さく欠伸をした。
あまりにも部屋が汚い上に自堕落生活が極まっているが、少なくとも「服を着る」という文明的な行為を覚えさせるミッションは達成したことになる。
アヤネは感慨を覚えつつ、小脇に抱えていたマイバッグからいくつかの食材を取り出してキッチンに立った。
「この前作り置きしてたのは?」
「全部食べちゃった、おいしかったよ」
「……そ、そう。あ、ありがと……」
「ふふっ、愛してる、アヤネ」
「!?」
いつになく真剣な眼差しで耳元に囁きかけてくるユミカの横顔は、腹が立つほど妖艶で魅力的なものだった。
この瞳に、この囁き声に引き寄せられるような不思議な力があって、自分は取り返しのつかないところまで来てしまったのかもしれない。
アヤネはそう自嘲しながら、作り置きできる簡単なメニューをさっと用意し始めた。
「いい匂いがする」
「醤油とか使ってるんだから当然でしょ」
「ううん、アヤネから」
「……っ! もう、変なこと言わないでよぉ! 失敗したらどうするのさぁ!?」
「えっ? そのときは私が責任を持って全部美味しくいただくけど」
「……わざと焦がしてやろうか」
「私は信じてるよ。アヤネがわざとそういうことするような子じゃないって」
ダメ女子大生なのにもかかわらず、菩薩の生まれ変わりのように穏やかで美しい笑みを浮かべるユミカに対して、アヤネはどきりと心臓が跳ねる感覚と、脳髄が冷えるような感覚を同時に味わう。
ユミカのこの顔が、この声がいけない。
いつだって、この女は自分をおかしな方向に転がり落としていくのだから。
†
「えへ、えへへ……えへへへへ……」
とある都立中学校の昼休み、ダイバーギアを眺めて、少女はにへら、と緩んだ笑みを浮かべていた。
そこに映されているのは、初めて戦ったフォース戦。猪突猛進な自分──ニィレヤをフォローしてくれたユミカとアヤネの活躍と、そのおかげで挙げられた自身の戦果。
ローカル保存してあることもあって、何度繰り返して見ても飽きることはない。反省点はいっぱいあるけれど、友達と呼べる存在と、仲間と呼べる存在と初めてもぎ取った勝利の栄光は、なにものにも代え難い。
勝利の美酒とはよくいったもので、すっかりニィレヤ──ニイハマ・レイカはその快感に酩酊していた。
「あら、ダイバーギアですか?」
だから、話しかけられたのは想定外だった。
びくり、と肩を震わせてレイカは背後を振り返る。
すると、そこにいたのは制服が今にも弾け飛びそうな暴力的なバストサイズと、ふわふわのウェーブがかかった銀髪が特徴的な少女だった。
「……え、えっと。はい! レイカは、その、GBNやってて……」
「ふふっ、実はわたくしもGBNをやっているんです。よろしければレイカちゃんのこと、聞かせてくれませんか?」
春休みが明けて、学校が始まって大体一ヶ月ぐらい。
中学校に入ってから友達なんて全くできなかったレイカだったが、目の前の少女はそんなことを気にする様子もなく、隣の空き席に腰掛けてダイバーギアを覗き込んでくる。
少しだけ遅い、春の芽吹きだった。
「それで、その……このストライクガンダムのカスタムモデル……『ドラグストライク』っていうんですけど、それを使ってるダイバーのユミカさんが格好よくて、優しくてっ!」
「あらあらまあまあ……スタイルの良いお方なのですねぇ」
戦略兵器並のお胸をお持ちのあなたがそれを言いますか、という気分になったが、レイカはそれを飲み込んで、話を続ける。
「元々、レイカはひとりぼっちだったんです。全然勝てなくて、味方の足を引っ張ってばっかりで……でも、ユミカさんはそんなレイカに、『一緒に遊ぼう』って言ってくれて……仲間に、してくれたんです」
「うふふ、優しくて格好いいお方なのですねぇ……そして、レイカちゃん」
「な、なんですか?」
「とってもつらい思いをしてきたんですねぇ、わたくしも心が痛みます。だから、この胸に甘えて好きなだけ泣いていいんですよ? さあ、遠慮はいりません」
ばっ、と両手を広げて、少女はレイカを受け入れる姿勢を見せる。
別に泣きたい気分ではなかったのだが、今までの日々を、ユミカに拾われるまでの日々を思うと涙が自然に溢れ出てきそうだったから、レイカは少女の言葉に甘えることにした。
ぽふっ、と顔を埋めた胸からはボディミルクの香りがして、思わずとろん、と眠くなってしまいそうだった。
「うふふ、いい子いい子……わたくしの胸でお眠りなさいな……」
「……え、えっと」
「どうされましたか?」
「お名前、聞いてなかったなって……」
胸で甘える以前にやるべきことを忘れていた。
恥ずかしくなって思わず俯いたが、少女はさして気にした様子もなく、穏やかな笑みを崩さずにそっとレイカの髪を撫でる。
髪に触られるのは、不思議と嫌じゃない。むしろ、あたたかささえ感じる。しかしこの優しさを持った人間が地球さえ滅ぼしてしまうんだ、それをわかるんだよアムロ──そんな台詞が思わず脳裏に浮かんでしまうほどの包容力だった。
「わたくしは、シオリと申しますわ。ツクヨミ・シオリ……ママと呼んでくれても構いませんわ、ふふ……」
「さ、流石にそれは遠慮しておきます……」
「あらあら、反抗期なんですね。うふふ。でもいいのです。わたくしは全てを受け止め、赦しますから……これからよろしくお願いしますね、レイカちゃん」
「……よ、よろしくお願いしますっ、シオリちゃん」
ママを自称する変人ではあるが、悪い人ではなさそうだ。
それが、レイカのシオリに対する見立てだった。
シオリは自分の豊かな胸にぎゅっと優しくレイカの顔を押し付けると、学生鞄からダイバーギアを取り出して、レイカに囁きかける。
「わたくし、レイカちゃんとそのユミカさんに興味を持ってしまいましたわ。今度、よろしければお会いすることはできないでしょうか……」
「え、えっと。いいと思いますけど……」
「ふふっ。ありがとうございます。では、その日を楽しみにしておりますわね」
今日はメンテですもの、と、言い残してレイカを胸から離すと、シオリは自分の席へと戻っていった。
ちょっとだけ不思議な子だ。
でも、優しくて包容力のある──また一人増えた、レイカのかけがえのない友達だ。
その事実を噛み締めて、レイカはぽわぽわとあたたかく震える心をかき抱くように自分を抱きしめた。
なお、メンテナンスは午後になっても終わらず、延長されたことでユミカを含め、多くのダイバーたちは暇を持て余すことになったのだが、それはまた別のお話。
新たなるふわふわガール、シオリ参戦!