ゆるふわお姉さんのGBN探訪録   作:守次 奏

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薄幸少女と変わりゆく世界
「薄幸少女とままならない人生」


 人生はままならない。

 なぜならそれは、いい親、いい家庭に生まれられるかどうかで一生の8割が決まるといっても過言ではないからだ。

 ひどく痩せ細った体へ鞭打つようにリュックサックを背負い、自転車を漕いでいる少女──シノザワ・ニノはそれを、身をもって知っていた。

 

 愛情深い親のもとに生まれられれば、あるいは片親家庭であったとしても、その後の人生における幸福度は違ってくる。

 だが、逆の場合はどう足掻いても凄惨だ。

 そう、どう足掻いたところで、人生に一発逆転ホームランなどというものは最初から存在していないのだから。

 

「はぁ……っ……はぁ……っ……」

 

 ニノは、息を切らしてペダルを漕ぐ。

 デリバリーフードの配達員が、重度の栄養失調と診断されたこの身体に見合わない仕事であることは知っている。

 だが、今どき高校にも行けず、中卒でも受け入れてくれるバイトなんてものはタカが知れているのだ。

 

 選択肢というものは、自分のような弱者には存在しない。

 あるだけマシなものを拾って、その日その日を生きるためだけに、命を繋ぐために命を消費するのが、弱者の生き方なのだと、ニノはこの仕事をやる度に痛感する。

 あるいは自分が、自ら進んで痛苦を受け入れてそこに快楽を見出す狂人であったのなら、どれだけ幸せだっただろうか。

 

 そんな被虐趣味など、ニノは持ち合わせていない。

 持っているのは労働とは苦痛であり、苦痛の対価がわずかな賃金であるという認識だけだ。

 今、自分を養ってくれている年金暮らしの祖父母の蓄えは少ない。だから、自分の足で稼ぐぐらいしか、ニノがこの社会を生き残る術はなかった。

 

 汗に塗れて、痛みを背負って訪れた先は、デカデカとオフィスビルを構え、都心に聳え立っている芸能事務所だった。

 名前は覚えていない。覚える余裕もないからだ。

 ただ、配達先に指定された住所がそこだったということだけしか、ニノは覚えていない。

 

「……はぁっ、はぁっ……す、すみません……ヴェスバーイーツです……っ、はぁ、はぁ……」

 

 入り口のエントランスにあるインターホンにそう呼びかけると、自動ドアのオートロックが解除されて、ニノを一時的に巨大なビルの胎の中へと招き入れる。

 すれ違う人々は皆、きっちりとシワひとつないスーツを着こなした人間か、あるいは楽天的な笑顔を浮かべて駄弁っている美少年や美少女たち。

 わかってはいたが、痛いぐらいにこの場所は「希望」という名の「余裕」に満ち溢れていた。

 

「……日銭を稼ぐだけの私とは、大違いだね」

 

 ぼそり、と誰にも聞こえないように呟いた言葉に返ってくる答えはない。

 ニノとすれ違っても、このオフィスビルで働いている人間は皆、関心すら持つことなく通り去っていく。

 自分のことなど、どうせ歩くゴミ程度にしか思っていないのだろう。汗臭さに対して露骨に顔を顰める少女たちなど、その象徴だ。

 

「すみません、ヴェスバーイーツです」

 

 ニノは不快感を噛み締めながら指定された部屋の扉をノックし、感情を殺して呼びかける。

 しかし、応答はない。

 ドアが開いたのは、2分ほど待って、もう一度ノックをしようかと試みたそのときだった。

 

「あー、11時に注文したダブチのセット? なのになんで13時までかかってるわけ?」

 

 顔を出した少女は、可愛らしい顔立ちに似合わない、攻撃的で露悪的な表情を浮かべて、ニノを詰る。

 

「……申し訳ありません」

「今更渡されてもさぁ、困るんだよねあたしらも」

「……申し訳ありません」

「同じことしか言わないとかbotかよ、もう別にご飯食べちゃったし、代金はいらないからそれ、持って帰って」

 

 ニノが差し出したダブルチーズバーガーとポテト、そしてコーラのセットに対して受け取るのを拒否した少女は、不快感も露わにそう言い放つ。

 

「ですが、お客様が注文したもののご返品は規約上」

「あーもう、汗臭い上にうっさいわね! いらないって言ってんでしょ!」

 

 おずおずと教えられた通りにクレーム対応の定型句を呟いたニノに対して、痺れを切らしたのか、少女はダブルチーズバーガーのセットを強引に受け取る。

 

「だったらここで返品してあげるわ!」

 

 そして、ニノの顔面に向けて投げつけた。

 ニノの色素が抜けたような髪と、そのサファイアのように美しい瞳へとダブルチーズバーガーとポテト、そしてコーラが直撃し、重力に従って床にぶちまけられる。

 今までも散々運んでくるのが遅いと文句は言われてきたが、こんな対応をされたのは初めてで、ニノはベタつく髪や肌の不快感すら覚える暇もなく、呆然と立ち尽くす。

 

「床に落ちたのなら好きに食べてもいいよ〜? つーか汚いから掃除しといてね」

「……」

「なに? なんかあたしに文句あるわけ? 元々そっちが2時間近く遅れてきたのが悪いんじゃん! なにその目! ムカつくんだけど!」

 

 怒りも露わに、少女は口角泡を飛ばして濡れそぼったニノへと詰め寄っていく。

 その怒りは相当なものだったのか、ドアを開けていたこともあって、廊下にも響いていた。

 ニノはただ、どうしていいかわからずに立ち尽くす。

 

 謝ればいいのだろうか。

 自分は軽度のクレームに対しての定型句を覚えている程度で、ここまで重度のクレームに対してのリアクションは覚えていないし教えられていない。

 なにかを求めるように震える手を伸ばそうとすると、ニノは気付けば強い痛みと共に尻餅をついていた。

 

 蹴り飛ばされたのだ。

 

「これ以上汚ったねえ顔晒してんじゃないわよ! さっさと床に落ちたもの食って綺麗にしなさいよ!」

「……っ……!」

 

 少女の要求は、まるで古代の貴族が奴隷へと命じるように、傲慢で尊大なものだった。

 それはつまり、少女がニノを同じ人間として見ていないことの証左でもある。

 理不尽だと、そう強くニノは感じた。

 

 だが、受け入れるしかない。

 弱者には、反抗という選択肢は存在しないのだ。

 なぜならば、後ろ盾がないからだ。ここで本部に通報する仕草を見せたとしても、本部は知らんぷりを貫くだけだろうし、余計に相手の怒りを買う。

 

 ならば、どんな理不尽だろうと不幸だろうと苦難だろうと甘んじて受け入れるしかない。

 人生とはそういうものなのだから。

 生まれついた星の違いというのは、そういうことなのだから。

 

「……配達員の方に謝りなさい、ミィナさん」

 

 有無を言わさぬ冷徹な声が廊下に響いたのは、ニノが言われた通りに濡れそぼった紙袋へと散乱したハンバーガーだったものやフライドポテトを詰めて、持って帰ろうとしゃがんだその瞬間だった。

 ミィナと呼ばれた、ニノにダブルチーズバーガーのセットをぶちまけた庄司は、そのどこまでも研ぎ澄まされた刃のような声に、びくりと体を震わせる。

 ニノが顔を上げて声のした方へと振り向くと、そこに立っていたのは鋭利な刃物を思わせる目つきをした、背の高い黒髪の青年だった。

 

「や、ヤマナミチーフプロデューサー! 悪いのはあたしじゃないんです! そいつが2時間も遅れてきたから──」

「僕は『謝りなさい』と言ったんだ。その意味はわかっているね」

「でも!」

「僕に二度同じことを言わせるつもりか、君は? あるいはそれが必要なのかもしれないが、今は君へ懇切丁寧に倫理を説いている時間がない。それに、君も18歳になるのなら、そのぐらいはわかっているはずだろう」

 

 チーフプロデューサー、あるいはヤマナミと呼ばれた青年は、それ以外の選択肢は許さない、とばかりに静かだがどこまでも鋭い言葉を、ミィナへとぶつける。

 相手がどんな立場であろうと、間違いは間違いだ。ましてや、完全に相手を侮り、自社の看板を後ろ盾にとった卑怯な蔑みは決して許されるものではない。

 それは、倫理だとか社会的常識だというのもあるが、ひいてはミィナの傲慢さが、自社の看板に泥を塗ることになるからでもあった。

 

「……ごめんなさい」

「弊社のアイドルが申し訳ございません。私からも謝ります。この通りです」

 

 大変申し訳ございませんでした、と、ヤマナミは45度、きっちり腰を折ってニノへと頭を下げる。

 それはまさしく、「大人の対応」と呼ぶべきものだった。

 立場に相応しい品格と礼節を心得ているからこそ、できる行為。

 

(ああ、この人も恵まれているんだ)

 

 だが、それでニノの溜飲が下がるかというのはまた別の話だった。

 ヤマナミとミィナに頭を下げられてニノが感じている想いに一番近い言葉を挙げるのであれば、間違いなく「屈辱」の二文字だろう。

 正しさを振り翳して、理屈を押し通せるだけの強さを持っているから、ヤマナミはニノへと頭を下げた。それはつまり、弱い人間に対して強い人間が「頭を下げてやっている」のだ。

 

 わかっている。

 そんなことを思ったところでわかってもらえるはずがないことも、自分の憤懣や思いがこんな都心の一等地で働く天上の人間に届くはずがないことも。

 だから、甘んじて受け入れるしかない。人生とはそういうもので、ままならないものなのだから。

 

「清掃は弊社のミィナにやらせます。今、タオルを持ってきます」

「……ありがとうございます、大丈夫ですから」

 

 ニノは小さく頭を下げると、逃げ去るようにその場を立ち去った。

 弱者として理不尽を受け入れることにはもう、すっかり慣れていたのと、これ以上の「施し」を受けると気分が悪くなりそうだったからだ。

 不幸の最中にいることなど当たり前で、今日はたまたま大きめのそれと事故当たりしただけに過ぎない。そう、自分に言い聞かせて。

 

 

 

 

 

 

「ふふ、クビになっちゃった」

 

 適当なコンビニで缶コーヒーを買うついでにもらったおしぼりでベタベタになったスマートフォンの画面を拭うと、そこに浮かぶ通知には「解雇」の二文字が踊っていた。

 恐らく、ミィナがあのあと、ヤマナミの見ていないところでクレームを入れたのだろう。

 結局のところ、こうなるのだ。

 

 ヤマナミは間違いなく正しいことをした。

 悪いのは全面的にミィナであることに間違いはない。

 だが、悪党というのは世にのさばるから悪党なのであって、弱者というのはどこまで行ったって正しさに救われることはなく、悪に踏み躙られ続ける。

 

 そんな、わかりきった諦めはどうでもいいとして、明日から、どうやって生活していけばいいのか。

 元から配達員としての評判は最悪に近かったから、こうなることもニノは覚悟していた。

 祖父母の少ない蓄えを切り崩すのはあまりに忍びなく、かといって、栄養失調な自分の体力でできるようなバイトは少ない。

 

 また別のフードデリバリーか、もしくはフリーマーケットサイトの配達員にでもなろうかと、ベタベタを拭き取ったスマホを操作して、ニノが公園のベンチで求人サイトと睨めっこをしていたときだった。

 

「君は……ひどく悲しい顔をしているね。よかったら、僕に話を聞かせてくれないかい?」

 

 ひどく優しい声が、ニノへと問いかける。

 その男は、黒いスーツを着こなしていた、およそ20代に見えたヤマナミとは正反対に、白いタキシードに身を包んだ初老の男だった。

 心から同情するように、あるいは憐れむように自分を見ている男に対してもニノはいい感情を抱かなかったが、それも慣れたことだ。

 

 自分は世界そのものに対して、ほんのりと敵意を抱いている。

 それでも、どうしようもないことぐらいはわかっている。

 だから──ままならないと、諦める。

 

「ふふっ、いいよ。私、中卒のその日暮らしなんだ」

「ああ、とても大変だ。君の目は悲しみに溢れている。子供にそんな顔をさせるなんて、とてもじゃないが許されることじゃない……親は一体なにをしていたんだい?」

 

 心の底から、本当にそんな綺麗事を考えているかのように初老の男は答えた。

 子供に対して親がなにをしたのか。

 その答えは全て、この痩せ細った身体にある。

 

「私は……片親家庭に生まれて、虐待されて育ってきたっていえばいい?」

「なんてひどいことを……! ああ、つらかっただろう。とても許せないだろう。君に理不尽を強いた親のことを、そして──この世界のことを」

 

 ニノの青い瞳を覗き込みながら、急に自らの心に燻っている憎悪を見抜いたかのように、初老の男は言い当ててみせた。

 うっすらと、漠然と、いつも霧のように自分の心に渦巻く世界に対する、強者が弱者を踏み躙り成立する構造に対する憎しみ。

 それは家族という形から始まって、ひいてはこの社会という深い仕組みへと向けられたものだ。

 

「……うん。そうだね、でも、どうしようもないよ」

「本当に、そう思うのかい?」

「だって、人生はままならないから」

 

 そういう、ものだから。

 慣れてきたことのはずなのに、何度も呟いてきたことのはずなのに、どうしてか、ニノの瞳からは涙の雫がこぼれ落ちていた。

 理不尽も不幸も全ては隣り合ったもので、当たり前に日常に組み込まれたものだと、理解しているのにもかかわらず。

 

「ああ、とても胸が痛い……僕も君にそんな悲しい顔をする世界を許せそうもない」

「……お世辞はやめてよ。いい服着てるのに」

「この服が気に入らないのかい? ならば脱ぎ捨てよう」

 

 初老の男は着ていたジャケットをおもむろに脱ぎ捨てて、高そうなネクタイを公園の噴水の中に放り投げた。

 

「……っ」

「僕は君のような子に、諦めてほしくないんだ。悲しい顔をしてほしくない、笑ってほしい。これはお世辞でも綺麗事でもなく、本心だよ」

 

 自分と同じ涙をこぼして、初老の男は傷痕を押さえるかのように胸へと手を当てる。

 

「……なら、あなたは私に対してなにができるの? スマホ代を払うのも限界の生活で、バイトだってクビになった私に。できることなんて、なにも」

「あるさ」

「えっ……?」

「僕は今、アルバイトの斡旋をしていてね。君がもし興味を持ってくれたのなら……経費は全部僕が負担した上で、お願いしたいことがあるんだ」

 

 襟元を正しながら、初老の男はニノへと囁きかける。

 それがどんなアルバイトなのかはわからない。最悪、身体を売るような羽目になってもおかしくはない。

 だが──初老の男の言葉は、ニノには妙に優しく、耳に馴染んで聞こえるのだ。

 

「……それは、なに?」

「簡単な仕事さ。このガンプラを使って……GBNをプレイしてほしいんだ」

 

 初老の男は、傍に置いていた鞄から巨大なガンプラ──サイコガンダムMk-Ⅱを取り出すと、六角形の装置と共にそれらをニノへと手渡した。

 GBN。ガンプラバトル・ネクサス・オンライン。

 その名前と存在はニノも知るところであったが、所詮は金持ちの道楽だと、プレイはしてこなかったものだった。

 

「それをすることで、どうなるの?」

 

 ニノは問いかける。

 なにもゲームをするだけで金を、苦痛の対価を受け取れるなどという甘い話はこの世のどこにも存在していないと確信しているからだ。

 初老の男は、やっと興味を持ってくれたとばかりに満面の笑顔を浮かべて、ニノの疑問に意気揚々と答える。

 

「そのガンプラにはGBNに致命的なバグをもたらすチートツール……ブレイクデカールが仕込まれているんだ。つまり、君のような僕の同志がたくさん集まれば、世界さえ破壊することができるんだよ」

 

 その誘いは、一度受ければあとには戻れないものだと、直感的にニノは理解していた。

 だが──なんと、甘美な響きだろうか。

 世界さえ破壊することができる。強くて恵まれた人間が作った、強くて恵まれた者の楽園を、破壊できる。

 

「……あなたの、名前は?」

「僕のことは……そうだなぁ、『フェアディー』と呼んでほしいな」

「……ふふ、わかった。そのバイト、やるよ」

「嬉しい答えだ。さあ、僕と一緒に世界を覆そうじゃないか」

 

 フェアディーの手を取って、ニノは楚々と微笑む。

 それは、疑う余地もなく悪魔の契約だった。

 だが、ニノにとっては内に秘めた願いを解き放つ、世界を変える力との出会いに、他ならなかったのだ。




ままならないね
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