75層のボス戦からアインクラッド解放に至るまでのキリトさんの活躍を現実世界から目撃していた菊岡誠二郎のお話です。



※小説版とアニメ版の設定に独自設定が混ざっています。
※漢数字と算用数字が混ざるのは仕様です。

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目撃者 菊岡誠二郎

「菊岡さん、また来たんですか?」

 

 菊岡誠二郎が病室のドアを開けると、顔見知りの看護師に呆れた顔で迎えられた。

 

 大きく編んだ三つ編みを肩に流した彼女の胸には、安岐ナツキという名前の記されたネームプレート。

 銀縁メガネの奥の理性的な瞳と、ほのかに浮かべる笑みが看護師としての信頼感と茶目っ気を印象させる女性である。

 

 彼女のそばには少年がベッドに横たわっていて、そのリハビリをしていた様子であった。

 

 菊岡は安岐看護師にまあまあ、という手振りをしながら言った。

 

「今日はジェルベッドじゃないんだ」

 

 少年は普段はジェルベッドと言われる介護用ベッドに横たわっていた。

 高密度のジェル素材が要介護者の床ずれを防ぎ、老廃物を自動で分解してくれる最新の福祉機器。今は他の病室のものと変わらぬベッドが使われている。

 

 安岐は持ち上げていた少年の片膝を下ろし、「よっし、これでオッケーっと」と呟くと菊岡に顔を向ける。

 

「ジェルベッドってけっこうメンテナンスが必要なんですよ。それに長期臥床(ちょうきがしょう)の患者さんのリハビリは電気刺激よりも人間がやった方が効果がありますからねー」

 

「いつもご苦労さまです」

 

「で、総務省のお偉い方が何しに来たんです? 何か進展あったんですか?」

 

「何も。でも行き詰まったら現場に戻る、ってのが捜査の基本だからね」

 

「現場、ね……」

 看護師と菊岡は揃って少年に視線を移す。

 

 少年の頭部を覆う紫色の流線形をした装置、ナーブギア。

 人間の五感を仮想空間に接続するフルダイブ技術を実現させた高性能VR機器である。

 このナーブギアによって生み出された仮想世界、ソードアート・オンライン。

 現実では体験できない剣を振るってモンスターを倒す大冒険の舞台。だが一万人のプレイヤーを集めたその世界は、開発者である茅場晶彦によって今や死の牢獄と化した。

 

 【ログアウト不可、ゲームオーバーは現実での死を意味する】

 

 茅場晶彦がナーブギアに仕込んだトラップによって、少年たちの肉体はこの現実に置かれても、その脳内では命がけのゲームを強いられているのだ。

 

 眠っているようにしか見えない少年が二年に及ぶ歳月を死闘に費やしていることを二人はよく知っていた。

 

 安岐ナツキは看護師として彼の肉体の保護とリハビリを担ってきた。

 

 そして菊岡誠二郎はソードアート・オンラインの世界からプレイヤーを救出すべく、総務省に設置されたSAO事件対策本部の現場トップの人間であった。

 

 菊岡は慣れた様子で部屋を横切り、壁際の椅子に座る。

 脇に抱えていたノートパソコンをサイドテーブルに置き、勝手に電源コンセントに繋げる。

 さらには手に持っていたコンビニのレジ袋からスナック菓子を取り出してテーブルに広げる。

 横によけられたラタンのかごが揺れ、中の花が甘い香りを漂わせた。

 

「君もどうぞ」

 そう言いながら菊岡は開封したチョコ菓子を自分の口に放り込んだ。

 

「国家公務員様はもっと高級な和菓子とかを用意するべきなんじゃないですかね」

 

 看護師の冷めた視線を流し、菊岡はパソコンを立ち上げた。

 開かれたパソコンに浮かぶデータの数々。

 心拍数や体温や発汗具合、血中酸素飽和度、等々。病院で扱われるのはおかしくないものであるが、これは菊岡ではない他人のデータであった。

 

 覗き込んだ看護師がまた呆れたような顔で言った。

 

「自分でリモートで見れるように手を加えたんだから、そういうの家で見てくださいよ。いろいろグレーなところは置いときますから」

 

「表示させてるだけならただの数字だからね。パラメーターとして見てしまえばNPCもプレイヤーも同じだよ。だけど彼らは人間だ。それを確認したいんだ」

 

 菊岡は少年の顔を見る。

 

 静かに横たわるその表情にはデスゲームに囚われとなった身の苦悩は伺えない。だが痩せこけた頬からは二年という歳月が感じられた。

 その少年の右腕、首筋と胸元、病衣で隠れているが腹部にも細かな装置がいくつも付けられている。

 

 ナーブギアは脳から肉体に送られる神経信号を遮断するが、自律神経など人体を維持するための神経機能に対しては解放されており、それらの働きを感知するための装置であった。

 

 菊岡はSAOのプレイヤーの一部からこれらのバイタルデータを取得していた。捜査に必要なのだと強弁して被害者の家族の了承を取り付けると、最新の軍用ウェアラブルデバイスを手配した。

 

 死地で戦う一万人の生体データ。平和な日本において得られるはずのない貴重なサンプルだった。

 

 とはいえデバイスの数には限りがある。

 彼が選別したのは、ゲームの攻略の最前線に立つプレイヤーであることが判明した数十人だった。

 

 クライン=壺井遼太郎

 別のゲームでも同じプレイヤーネーム、グループ名を使っており、SNSで公表していた者。

 

 エギル=アンドリュー・ギルバート・ミルズ

 家族にプレイヤー名を明かしてダイブしていた者。

 

 そして目の前で横たわる少年―――――キリト=桐ヶ谷和人。

 

 

 二年前のデスゲーム開始の日、ソードアート・オンラインの制作を行ったアーガス社が持つ全ての開発データは、茅場晶彦の仕込んだトラップにより残らず消去、あるいはロックされた。

 スタッフの手によりサルベージできた数少ないデータの一つがベータテスト当選者への体験版ロムの発送記録であった。

 

 ベータテスターならば攻略情報を蓄積している分、よりクリアに近い位置にいるであろう。

 

 SAO事件に関わることとなった当初、菊岡はそう考えてベーターテスト経験済みのプレイヤーに当たった。

 

 だが。

 結果的には逆であった。

 

 SAOに囚われたベータテスター、その多くが初期に命を落としていた。

 ベータテスター1000人の中で製品版を購入したのが800人弱。そのうち300人以上がわずか一ヶ月の間に命を落としていた。

 一般のプレイヤーと比べてはるかに高い4割の死亡率であった。

 

 

 

『ベータテストに参加したからこそですよ』

 

 当時、菊岡が調査への協力を依頼していたアーガス社のスタッフ、SAOのサブディレクターを務めていた男が悲痛な顔でこぼした。

 

『ゲーム内容がベータ版から大幅に変更になってるということなのかな?』

 と菊岡が問えば、

 

『いえ、変更されていないのが問題なんです。イベントの発生上限数、敵の出現ポイントやリポップ間隔や得られる経験値とアイテムがそのままだったんです』

 

 サブディレクターの説明によれば、モンスターはそのポイントに進むだけで出現するタイプと、一日の出現回数が限られていたりイベントフラグを立てておく必要があるタイプとに分かれているという。そして後者の方が得られる経験値も高く、ドロップアイテムもレアなのだと。

 

『あの世界に本当の死がもたらされた以上、テスト時よりもレベルを倍に上げて次のエリアに進まないといけません。なのに一万人のレベルを上げるための経験値が供給されていないんです。それだけじゃありません。回復薬(ポット)も高性能の武器も防具も数が限られていました。テスター千人のときですら奪い合いになっていたんです』

 

 つまり単純にリソースが足りていなかったんです。とスタッフはまとめた。

 たしかにMMORPGとは他者とのリソース争奪戦を楽しむものだが、同時に皆で協力してクエストを進める楽しさも提供するのがセオリーであると。しかしSAOの序盤は異様にプレイヤー同士の競争を誘発していたのだと。

 

『それはいささかゲームとしては問題があるように聞こえるね』

 

『もちろん本来の安全マージンを考えないレベルで進めるのであればかろうじて成立はしていたでしょう。それにテスターに応募するような慣れたゲーマーはそういうジャンルのゲームなんだと受け入れていましたから』

 

 ディレクターは手元のタブレットを操作して、菊岡にテスター時の映像だといって見せてきた。

 

 映し出されたのは崖に渡された木造の橋の上。青色の鉱石でできているかのような質感の巨大なサソリがハサミを広げ威嚇の体勢を取る。それと対峙するのは大きな鎌を持った男。不健康そうなぎょろりとさせた目が特徴で、まるで処刑人を思わせるようだった。

 両者は互いにタイミングを図って動かない。

 

 突然、男は鎌を自身が立つ橋に切りつけた。木板をくくりつけたロープが切断され、橋の中間が崩壊。両者は崖の下へと落ちていった。

 

『…………これはあるプレイヤーのサブイベント中の映像です。このサソリは序盤の強敵で、また別のイベントでレアアイテムを手に入れてなければ突破できない想定でした。ですが今のように自爆で一旦モンスターを排除して、すぐに再スタートしてリポップ時間が来る前に通過する。このプレイヤーが編み出した戦法で、ベータ版ではボーナスイベント扱いされていました』

 

 流された映像の続きでは、鎌を肩にかついだ処刑人が勢い込んで橋に駆け込んできていた。木板が欠けた箇所を大きく飛び越え、不安定に揺れる橋を渡り抜いてその先へと進んでいく。

 男の顔の造形は病的なものを感じさせていたが、今は策が成った嬉しさと興奮を隠せないという表情だった。

 

『本来はSAOのゲームオーバーには大したデメリットはなかったんです。だからテスターは積極的に自キャラの死を前提に攻略を進めていった。そしてデスゲームが宣告されたときに彼らは考えたはずです。このゲームは全員が攻略に動いたら詰むのだと』

 

 MMORPGの一つの醍醐味である皆で協力しあってクエストを進める。これをやれば共倒れになってしまう。全員がそこそこのレベルでは次のエリアに進めずに同じ箇所で長く停滞する。たとえ高性能の武器を手に入れても貧弱な防具しか持てずにいてはボスに挑めない。行き詰まり(デッドロック)という状態に陥るのだと。

 

『ふうん、ではテスター達はどうするべきと考えたんだろう』

 菊岡は自分でも帰結していた結論を尋ねた。

 

『単純です。極一部のプレイヤーがリソースを独占してレベルを極限まで上げてクリアを果たす。彼らが知るSAOとはそういうゲームだったんです』

 

『だが結果的にはそうはならなかった』

 

『はい、テスターが知るのは所詮は命を使い捨てアイテムにした攻略法です。命を守りながら、他のテスターと争いながら進めるのなら、それは全く違うゲームになります。

 

 さらに実際には製品版にはモンスターの戦闘アルゴリズムに手が加えられています。本来はその都度リセットされるプレイヤーとの戦闘で得た学習データを僅かに反映させているんです。ほんの些細な違いでも一手のミスで命を落とす序盤では致命的な(トラップ)となるでしょうね。

 結果が40%の死亡率です。

 

 そして皮肉にも初期に命を落としたテスター達の姿に多くのプレイヤーが攻略を断念しました。よくて序盤エリアでちまちまと時間をかけてレベルを上げるかです。そうして今はリソースが充足状態となった』

 

『そのとおりだね』

 

『ですが、私には分かりません。ベータ版の時点でこれは問題視されていたんです。デスゲームでなくてもあのバランスは調整の必要がありました。バランス調整というものは作品のジャンルすら変えるんですから。

 でも私たちがいくら提言しても受け入れられることはありませんでした。

 

 あの人は……茅場晶彦は何を考えていたんでしょうか。あのバランスを良しとするのなら、まるでベータテスターを死なせたかったみたいじゃないですか。神としてプレイヤーを弄びたかったとしか思えません」

 

 サブディレクターはデスゲームの主催者に対してそう憤りをみせた。

 

 だが結果を見ればある意味適正値に落ち着いていることを思えば、それすら茅場昭彦の計算のうちだったのかもしれない。しかし今も自身の責務に悩むサブディレクターに対し、菊岡ははぐらかすように言った。

 

『どうかな。世間で言われるほど、彼は自分を神だとは思っていないんじゃないかな』

 と、なんということもないように。

 

『茅場昭彦は政府機関宛ての声明文の中で自分のことをGM(ゲームマスター)だとしていたんだ。僕も今回の件で勉強したんだけど、GMというのはロールプレイングゲームの最古の形、テーブルトークRPGではゲームを取り仕切る参加者のことなんだろう。GMはプレイヤーに対して舞台やシナリオを提供するが、必ずしも自身で創る必要はなくて、すでに存在するものを使うことも多いそうじゃないか。だから―――――』

 

―――――ソードアート・オンラインは彼にとってどこかに実在する世界を再現しただけなのかもしれないね。

 

 どこまで自分の言葉を信じているのか、軽い調子で菊岡はそう続けた。

 

『そのために世界の理不尽もあるがままにした…………ということですか。私が知るテーブルトークRPGでは、GM役は設定に固執することなくプレイヤーを導いて世界を楽しませるものでしたが。それはあの人自身も言っていたことです』

 

『さて、天才の考えることを完全に理解することなんてできないさ。まあ僕なんかは国民に仕える官僚だからね。もしも僕が世界を創るのならプレイヤーには存分に腕を振るってもらって、その上で目的(ノルマ)を達成するように徹底的に環境(バランス)調整するだろうけどね』

 

 国家公務員というのは突き詰めればそういうバランス調整が仕事なんだ、と菊岡は(うそぶ)く。

 

『傲慢ですね』

 と、どちらに向けてかディレクターは吐き捨てた。

 

 菊岡は肩をすくめて続けた。

『ベータテスターの置かれた状況はわかった。ところで君ならベータテスターとしてどう動くのがベストだと思うかな』

 

『当然テスター時代に誰よりもソードアート・オンラインの世界を知ること。そして本番においては経験値効率を最大限にし、かつリソースの消費を最小にするためにソロで進むこと。何よりも既知の攻略方法を捨てされること。そんなプレイヤーが生き残ることができるのならクリアに近づけるかもしれません』

 

『分かった。ありがとう』

 

 

 

 そうして見つかったのが桐ヶ谷和人という少年だった。

 

 初めて会いに行ったときはこんな子どもがそうなのか、という印象だった。

 ベッドに眠る身体はすでに痩せ細り始めていたが、それもあって髪を伸ばせば女の子といっても通じそうな外見。

 

 そんな可愛らしい顔をしているのに、ソードアート・オンラインの世界ではソロで攻略の最前線を突き走っているという。

 中ボスから限定イベントに果ては階層ボスに至るまでをたった一人、よくて少人数で突破し、ファースト撃破を果たしていた。

 本人が広めているのか、あるいはそれらの情報を伝える役がいるのか。彼の後に数を揃えたパーティーが続き、経験値効率は落としながらも全体の攻略が進んでいるようだった。

 

 それがベータテスト時代にもトップを独走していたキリトというプレイヤーであった。

 

 何のことはない。予言めいたサブディレクターの言葉は彼を念頭に言っていたのだろう。

 ただサブディレクターもそれがわずか14歳の少年だとは知らなかったようだが。

 

 

 

「キリト君は今どうしてるのかな」

 

 菊岡はノートパソコンを操作し、新たなデータを表示させる。

 開かれたウィンドウには300名の名前が並べられたリスト。

 

 それはゲーム内のプレイヤーの上位ランキングであった。

 レベルと階層到達度やイベント踏破率の総合点によって付けられた順位表。

 

 SAOのサーバーはプレイヤーの意思を変換した電気信号以外、外部とのデータのやり取りの一切を拒否している。

 管理者権限のすべてを奪われたアーガス社も同じことであったが、MMORPGの運営において同社が当然の仕様として用意していたテレメトリーデータ送信、そのための通信経路がかろうじて残っていた。

 

 テレメトリーデータ。プレイヤーの接続時間、滞在箇所、一回の戦闘時間、イベントのどこで詰まるのか、離脱のタイミングがいつか、様々あるコンテンツの利用率、等々のゲーム内部の状況を運営が把握するための情報。

 ベータ版ではそれらは自動で収集・解析されリポートとして排出されていた。アーガス社はそれを元に調整やテコ入れのイベントなりを用意するはずだったのだ。

 

 その機能がまだ生きているのでは、と件のサブディレクターが何等かのコマンドを打ち込んでかろうじてランキングデータの受信を成功させた。

 

 彼は自嘲気味に言っていた。

『恐らくあの人がわざと抜き取れるようにしていたのでしょう』

 

『だろうね』と菊岡は返したのを覚えている。

 

 政府はソードアートオンラインの世界が動くサーバーに対しては、プレイヤーが人質に取られた状態であることを考慮して手出しはしていない。

 だが世界中のハッカーたちはそんな危険性など無視してゲームの内幕を暴いて名を上げようと、あるいはゲーム内容を書き換えてプレイヤー達を救おうとはしているのか。

 どちらにせよ開始から二年たった今もサーバーには繰り返しハッキングが仕掛けられている。それをあの天才は全て守りきっているのだ。

 

 ならばこのランキングも茅場晶彦からすればちょっとしたサービスのつもりなのだろう。

 菊岡はランキング表示をスクロールしながら茅場晶彦の声が聞こえてくるようだった。

 

 どうだ、彼らの名前を見ろ。私のこの無慈悲な試練にこんなにも多くの人間が挑んできているんだぞ。そう誇っている声が。

 

 桐ヶ谷少年に代表される攻略組メンバーはそうして割り出された。

 

 

 そしてこのランキングから分かるのはプレイヤーの攻略進行度だけではない。

 

「まだキリト君は釣りを楽しんでるのかな」

 

 菊岡はもう一つチョコ菓子を口に放りこみながら言った。

 

 ランキングに並ぶプレイヤー名の横には彼等の現在位置が表示されていた。

 どの層の主街区の北西だとか、何という城の3階である、という大まかな位置表示であるが。

 この場所名とランキング順位の推移を記録することで、プレイヤーが誰と組んでいるかや、どんなイベントを進行させているかなどが推測できた。

 

 菊岡がサブディレクターに少年のデータを見せたときなどは、年齢や変わらぬ攻略スタイルに驚いた後に、首をひねっていたが。

 

『6層からカジノへ……これはエルフ絡みのサブクエストを進めているのでしょうが、明らかにイベントの進行がおかしい。なぜモンスター厩舎に行く? ホテルでクエスト報酬を得ている以上正規ルート扱い……なのか? でもどうやって…………』

 

 サブディレクターの困惑からすれば、どうやら少年はストーリーすら歪めているらしい。その意味でもイレギュラーなプレイヤーであったが、彼がこのところ滞在している22層は目立ったストーリークエストは存在しない、素通りして次の階層へ行くことも可能というお遊びのエリアだという。

 

 サブディレクターいわく、『第22層は釣りやアウトドアを体験できるタイトルとして単独で売りに出せるレベル』である。ここならば少年は実際に仮想の大自然に身を委ねていることだろう。

 

「知っているかい、安岐くん。SAOには敵が出ないアウトドアのためのエリアがあるそうなんだ。森に囲まれた大きな湖があってね、ボートに乗って釣りを楽しめるんだ。僕は魚には嫌われてしまうたちなんだけど、ゲームなら釣りスキルを磨いて主を釣ったりできるのかな?」

 

「さあ? 少なくも私はスナック菓子には釣られませんけどね」

 

 君もどうかな、とばかりに差し出されたチョコ菓子の箱を断り、安岐は素っ気なく返答する。

 

 それでも彼女の表情には、少年がゲームの中で釣りを楽しんでいると聞いて安堵する色が見えていた。

 

 

 かつて少年のバイタルデータの提供を彼の家族に願ったとき。

 菊岡は少年が常にランキング上位、攻略の最前線にいることを伝えた。

 

 今は少年のリハビリ記録をつけている目の前の看護師にはひどく非難されたが。

 心配する家族に少年が命を落とす可能性が高い位置にいると伝えるなんて何を考えているんだと。

 

 だが彼はそれは伝えるべきだと思ったし、事実 少年の家族は静かにそれを受け止めていた。

 

 そうでしょうね、と両親は揃って言った。

 もう覚悟はしていたという顔だった。

 

 妹であるおかっぱの少女は兄が攻略組のトップにいる意味を理解すると言った。

 

『お兄ちゃんは、兄はそういう人なんです。すました顔でいっつも無茶ばっかして。私が注意しても困った顔して分かったよなんて言うけど、自分が決めたことは絶対曲げないんです』

 

 瞳に涙を滲ませ、だが必死に笑顔を見せての言葉だった。

 

 菊岡はそれから時折、少年の元に通うようになっていた。

 

 守るべきもの、戻る場所があるものは強い。

 どんな国のいかなる組織であろうと、戦う者の鉄則であった。

 

 SAO事件の解決がプレイヤーの自力救済しかないという結論に流れていく今、それを為してくれるかもしれない。少年にはそう期待させる何かがあった。

 

 

 とはいえ少年は例外的にこの三週間は穏やかな日々を送っていたようだったが。

 そばにいるのはアスナという名のプレイヤー。

 

 位置表示の集計ログからすれば初期から幾度も絡んでいたようである。むしろ少しだけ離れていた時期がある、というくらいか。

 

 アスナというプレイヤーは驚くべきことに本名らしく、であれば現実の顔はいわゆる上層階級のお嬢様であった。

 彼女と周囲のプレイヤーの行動を解析すれば、攻略組織の前線指揮官であることが読み取れるし、安全な圏内でも誰かしらが付き従うのだからゲーム内でも高貴な姫君として扱われているのだろう。

 

 それをソロのはぐれ狼が個人的なパートナーにしているのだ。

 戦闘時の安定感、圏内である街で過ごす間の少年のバイタルの数字が示す感情は明白である。

 最近も二人で湖のほとりに滞在しているのだ。素敵なログハウスでも建てたのかもしれない。

 

 やるじゃないかキリト君。

 

 そんな年下の従兄弟にかけるような軽口を呟きながら、菊岡はランキングをスクロールする。11位と20位の位置に二人の名前を発見した。

 今の二人がやはり共にあることが知れた。

 つかの間の休息を楽しんでいるはずの二人のいる場所は―――――

 

 

「戦うのか……キリト君」

 

 彼がいまパートナーのアスナと共に立つのは75層コリニア市のゲート広場だった。

 攻略の最前線の階層である。

 

 二人だけではなく、多くの上位プレイヤーが同じ広場に集まっている。

 

 キリト少年のバイタルデータが軽い緊張状態を示す。

 クラインやエギルや他のプレイヤーのバイタルも同じ傾向。

 

 明らかに出陣前の様相であった。

 

「菊岡さん……」

 安岐看護師が真剣な表情を見せる。

 

「うん、ここは僕にまかせて。君は他の仕事もあるんだろう」

 

 自分の患者が戦いに動くことを察した安岐が、一礼して病室を出て行く。

 

 そのタイミングでランキング上位者の位置情報が揃って更新される。

 貴重な転移アイテムが使われたのだろう。75層、ボス部屋のあるエリアに。

 

 総勢3()1()()が75層のボスに挑もうとしているのだ。

 

 75層ボス:The Skull Reaper(ザ・スカル・リーパー)

 

 なんの欺瞞か、SAOのモンスターは茅場昭彦自身が用意していたという。

 菊岡はかろうじてプリントアウトされたことで残されていたザ・スカル・リーパーの外観を思い浮かべる。

 

 ムカデ形のガイコツというのか、人の数十倍という巨大なそれに、見るからに獲物の命を刈り取るのだという鎌を両腕に備えたモンスター。

 

 事実、このモンスターはすでに多くのプレイヤーの命を奪っている。

 

 つい先日にこのボスモンスターに挑んだ10名のプレイヤーが僅か5分で全滅するという悲劇が発生した。

 

 ログとしてまとめた過去の位置記録やランク順位を見れば攻略組の上位層中堅のメンバーで構成された先遣隊だった。

 

 今までもいくつもの階層ボスに対してファーストアタックを図り、情報収集を担ってきたグループ。

 防御や回避を重視した装備やアイテムを備えていたはずだ。

 その10名が離脱すらできずに命を落とした。

 

 恐れていたボス部屋の離脱不可指定が始まった可能性が高い。

 甚大な被害と難易度の上昇に攻略の進行が止まるのではないかと思われたが、こうして彼らは集った。

 

 先遣隊の仇をとり、攻略を進めるのだという意志の元に。

 

 いくつか把握されている攻略組織の、精鋭が集合している。

 そこにソロか少人数で何回も階層ボスのファースト撃破を果たしてきた少年も加わる。

 

「頼むぞキリト君」

 

 プレイヤー名の横、現在位置が変わり始めた。

 1人、2人とボス部屋に突入していく。

 並べた十数人のバイタルデータが攻勢に乱れる。

 

 うおおおおお、という吶喊(とっかん)の雄叫びが聞こえてくるような気がした。

 

 菊岡が固唾を飲んで見守るなか、全員の現在位置がボス部屋の中に切り替わって1分もたたない時、それは起こった。

 

「はっ!?」

 

 ランキング二桁中位の2名の名前が消えた。

 アルファベット表記された、西洋風の名前がグレースケールして数秒。スッと音もなく名前が消えて下のプレイヤーが繰り上がる。

 

 

「バカな、攻略組がこんな早くに!?」

 

 攻略組の本隊が、ボス戦の、それも序盤で死ぬことは殆ど無い。

 フィールドエネミーより一回り以上高いパラメータに独自の戦闘アルゴリズムを持つボスモンスター。

 高い障壁だが、攻略組は先遣隊からの情報を元に万全の準備で挑むし、キリトのような例外を除き、できる限りの集団を組む。

 たとえクリティカルヒットを受けても仲間の誰かが追撃を阻んでくれるし、即座に回復結晶を使ってくれるだろう。

 

 命を落とすのならアイテムが尽き、装備が壊れ、仲間が離脱し、集中力が失われた終盤の頃だったはずである。

 

「やはりボス部屋の隔離がされているのか!」

 

 本隊のなすすべもない初動被害。

 これは先遣隊が当たったボスの情報は本隊に伝わっていないと考えた方がよい。

 ボス戦そのものが外から観察されないようになったのか。

 

 先遣隊10名の死亡。

 あの日に部下から受け取った報告書が菊岡の脳裏に浮かぶ。文章だけ見ればあまりにあっさりとしていて、その通りに数字としてハンコを押して流すしかできなかった。

 こうして目の前で突きつけられれば、その重みに腹の底が冷える。

 だがプレイヤーが感じる重圧はそれ以上だろう。

 

 菊岡はパソコンを見る。モニタに映るプレイヤーのバイタルデータ。

 

 交感神経が優位状態

 心拍数、血圧、呼吸数上昇

 血中エピネフリン増大

 

 ウェアラブルデバイスが彼らのバイタルの数値を解析し単語にまとめている。

 

   【Angst】

 

 ドイツ語表記されたその言葉の意味は――――恐怖。

 

 揃って並ぶその単語。

 内の一人、心音を示す波形が急激に乱れ、やがて水平線へと変わる。

 

 3人目の死亡。

 

「ああっ」

 どこかの病院で誰かの脳が焼き切られた。

 

 直接を目撃してはいないが、わずかに残る皮膚と頭髪が加熱された臭いに催した吐き気を、菊岡も何度か経験している。

 

 菊岡はこの部屋に置かれた純白のコスモスから漂う甘い香りを思い切り吸い込んだ。生命の証を感じたくて。

 

 だが4人目の犠牲。

 今度はランキング表に並んだ一人の名前がグレーアウト。

 キリト少年の下、12位にランクしていたそのヒーロー然とした勇ましいプレイヤーネームが消えて13位のプレイヤーが繰り上がる。

 

 思わず少年の顔を見れば、その額に汗が浮かんでいた。

 ブランド物のハンカチを取り出して、菊岡はその汗を拭いとる。

 

 看護師が手術中の医者にそうするように。

 今の彼は看護師と違ってそれしかできない。

 

 5人目。

 ランキング21位のプレイヤー名がグレーアウト。

 ランキングが繰り上がった直後に新たな21位の名前が消える――――6人目。

 

「見てるだけか僕は!」

 静かな病室に菊岡の声が響く。

 

 誰かのバイタルデータが変化し、歓喜の感情が示される。クリティカルヒットを与えたのか、反攻の兆しを見つけて期待する。

 

 その数値のまま、心音が途絶えて7人目死亡。

 

 時計を見る。

 まだ20分も経っていない

 

 5分後に8人目の犠牲。

 間をおかずに9人目。

 

 カウントを続ける。

 後方にいる自分にはそれしか出来ない。

 

 病室の外から子供の甘えた声が聞こえてきた。

 入院していた母親とこれから一緒に家に帰るのだと、嬉しさに満ちた甲高い声が遠ざかっていく。

 壁一枚隔てた落差に自身の身体の質感が薄れるのを感じる。

 

 10人目。

 誰かの息子が、父親が死んでいく。

 

 11 人目…… 12人目…… 

 

 なすすべもなく失われていく命。

 菊岡が阻止するはずだったのに。

 なのに何もできない。

 

 13 人目…… 14人目……

 

 

 それでも。

 それでも、残ったプレイヤーのバイタルが変化を見せる。

 1時間近くもの間、恐怖に耐え抜いた彼らが、ここで決めるのだと奮起するサインを。

 

   【Affekt】 

 

 デバイスが彼らが興奮状態にあることを示す。

 

「いけ、いってくれ……」

 

 菊岡が拳を握ってから、1秒がひどく長い。

 モニタ隅で時刻を表示するデジタル数字が切り替わる瞬間すら見える気がする。

 

 

 やがて、全員の心拍数が落ち着きだし、ランキングの表示が一斉に揺れた。

 

 菊岡が引きつった顔で見つめていれば、グレーアウトは無し。

 数名の表示位置が変動した。

 

 キリトの名が7位の位置へと上がった。

 

 ランキングはレベルと攻略進行度、イベント踏破率によって順位が決められる。ソロか少人数で進む少年のレベルは最高値であろうが、この頃に休暇で攻略から遠ざかっていた分、他のプレイヤーに越されていた。

 それが変動したということはボスの経験値が入ったということである。

 

 討伐隊の全員に膨大な経験値が入りレベルアップを果たし、攻略進行度が更新された。そのためのランキングの変動であった。

 

 ここで命を落とした14名を除いて。

 

「14人も死んだ……」

 

 数字への適性という官僚の必須能力を備える菊岡はこの被害に青ざめた。

 

 先の10人に続いて失われた14名の精鋭の命。この時点でクリアは絶望的となった。例え次の層のボスが75層と比較して弱かったとしても。計算上、最終層にたどり着けるのはわずか1名か2名。

 

 100層に待ち受けるのは最強の敵であるはずだ。

 そこに立つのがこの少年だったとして。果たして彼はラスボスを倒すことができるのだろか。

 

 菊岡は返ってこない答えを求めて少年を見て、その顔にわずかな強張りを感じ取った。

 

 何度もここを訪れていた菊岡だから気づけたわずかなしるし。 

 ナーブギアは表情筋の動きすら遮断しているはずが、不思議と肉体はプレイヤーの心情を表に出すことがある。

 

 彼は戦いの構えを解いていないのだ。

 戦闘は終わったはずだ。被害は甚大だが、ひとまずは命を繋いだはずなのに。

 

 慌てて少年のバイタルデータを表面に呼び出す。

 

 高い緊張状態にありながら心音は穏やかに、呼吸も深く静かに。

 数値に出ているのはスナイパーが標的を前に見せるような、矛盾した身体状況。

 

 何をしようとしている?

 まさかボスの後に連戦が用意されているのか?

 ならばなぜ他のメンバーは動かない?

 

 菊岡が困惑するなか、少年の心音が一瞬だけ跳ね上がり、静かに落ち着く。

 

 あたかもスナイパーが必中の意思を込めた一撃を放ったときのように。

 

 だが何を狙って?

 

 息を飲んで見つめる菊岡の前で、他のプレイヤーのバイタルが一斉に揺れる。

 

 示される感情は怒り、困惑。

 

「何をしたんだ……キリト君」

 

 まさかの同士討ちなのか?

 ドロップアイテムの所有を争って?

 ボス戦の誰かの不手際を責め立てたのか?

 

 あるいは…………絶望の末の狂乱なのか。

 

「…………いや、ないな」

 

 状況だけを見れば少年の突然の凶行としか思えない。

 だがあまりにそぐわない。

 

 人は言葉も顔も嘘をつくが肉体は騙せない。

 少年がかつて共に戦うメンバーが命を落とした時のバイタルデータはその死を悼んでいることを知らせる。

 もしも絶望に狂ったのなら、身体はもっと変調を見せるはずだ。

 

 間違いなく少年は確固たる意志を持って行動している。

 

 ならば彼は何と、誰と戦っているのだ。

 

 それを読み取ろうと菊岡がモニタ画面を注視すると、デバイスが怒り以外の解析結果を表示する。

 

 クライン―――――【Traurig(悲しみ)

 

 SNSを辿れば見るからにお調子者の気の良い青年という彼は何に涙しているのだろう。

 

 エギル―――――【Reue(後悔)

 

 喫茶店のマスターとして家族や地域住民からの信頼厚い彼は何を悔やむのだろう。

 

 

 彼らの感情をどう受け止めたか、少年が動き出した。

 

 フッと鋭い呼気が吐き出される。

 病室のベッドに横たわる肉体から。

 自律神経の働きによる身体調整としての息ではない、能動的な呼吸。

 

 極一部のプレイヤーだけが稀にこれを可能とする。

 

 ナーブギアは人体を維持活動させるための自律神経だけを解放するが、それだけでは足りないと自らの意思を肉体に届かせる。

 酸素をよこせ、もっと脳に血を巡らせるのだと。 

 ナーブギアが脳髄に構成したニューラル・バイパスを突破したのだ。未だ解明されない術理でもって。

 

 ナーブギアの稼働音がわずかに大きくなる。

 少年の高速思考を必死に処理しようと性能の全てを使っているのだ。

 

 菊岡は姿勢を正した。

 力なく横たわっているように見えるやせ細った少年の肉体を前に。

 

 たとえば将棋の対局。

 対峙する二人の棋士が長時間盤面を見つめたまま微動だにせずとも、その静寂の中に尋常ならざる思考の応酬があることは、将棋のルールを知らぬ者であってすら感じ取れる。

 

 菊岡は理解したのだ。ここが最終局面なのだと。

 この沈黙のなかにもたらされる結末が、この少年の、そして残されたプレイヤーの命運を決するのだと。

 

 ならば。

 モニタ画面に並んで大きく乱れる数値は。

 デバイスの限界で他のプレイヤーの今が興奮状態にあることしか分からないが、あれは祈りなのだ。願いなのだ。

 何かと、誰かと戦うキリトに、どうかそいつを倒してくれと心からの声を届けているのだと。

 

 菊岡も無言で声を張り上げる。

 勝て、勝ってくれと。

 

 神にすら願ったことのない彼がそうして祈りを捧げて数十秒。

 

 だが少年の身体から、ふっと力が抜けた。

 事実を言えば1ミリもその肉体は動いていないのだが。

 

 菊岡は察した。

 何か致命的なミスが起こったのだ。

 

 その結果は…………

 

 アスナ―――― グレーアウト

 

 とっさに少年から顔をそらしてモニターに目を向けた菊岡が見たもの。

 少年ではなくパートナーのアスナの名前がグレーアウトした瞬間であった。

 

「そんな……」

 

 少年のバイタル数値が乱れる。

 デバイスはもはや解析結果を示さない。あまりの数値の変動幅に処理が追いつかずに。

 

 ただ一つ分かるのは、少年はもう戦える状態ではないということだけだ。 

 

「くそっ!」

 

キリト―――― グレーアウト

 

 彼が戦う何者かは容赦なくその命を奪った。

 

 菊岡の、そしてきっと多くのプレイヤーの希望の光が、潰えた瞬間。

 

 呆然と画面を見る菊岡はショックで現実を受け入れられていないのだろうな、と己の中の冷静さが他人事のように思考する。

 少年の名前が消えない。いつまでもグレーアウトしたまま。そう感じてしまう。

 

「はっ!?」

 

 違う。

 事実、キリトの名はグレーアウトしたままランク表に残っている。

 

 右側に並べた少年のバイタルデータが指向性をもって揺れる。

 

 心拍数が跳ね上がった。

 血中のエピネフリンが増大。

 現実の肉体がわずかに動いた気配。

 

 戦いを諦めていないのだ。

 否。パートナーたる少女を奪い、己に死を宣告したソードアート・オンラインという世界を絶対に許さないという激しい怒りが彼を突き動かすのだ。

 

 だが一瞬。

 静かな一撃だったのだろう。

 すっと全ての数値が凪いでいく。

 

 そしてついにランキング表から名前が消えた。

 

 菊岡はモニターに向けた顔を動かすことはできなかった。

 

「なっ!?」

 

 無意識に止めていた息が驚愕と共に漏れた。

 

 少年の名が消えたランキング表。彼より下位の人間が繰り上がるはずが、まったく逆の動きを見せた。

 

 目の錯覚だったのだろうか。

 

 菊岡は震える手でパソコンを操作する。

 それはほんの少し表をスクロールするだけで見つかった。

 

 リスト最上位。第1位の地位。

 そこにグレーアウトされたまま、キリトの名前が表示されていた。その下にはやはりグレーアウトされたアスナの名が続く。

 

「やったか、…………やってくれたんだね」

 

 ようやく少年に顔を向けることができた。今の戦いなどなかったような穏やかな表情だった。まるで全てが終わったのだというように。

 

 菊岡は少年が誰と戦っていたのかは分からない。知る由もない。

 だが確信があった。

 彼が倒すべきものを倒したと。

 

 菊岡は倒れ込むようにしてそばの椅子に身を預けた。

 しばしその体勢で固まっていると、懐のスマートフォンが鳴り出した。

 

「もしもし、どうした」

 

 相手は総務省に置いている部下からであった。

 

「―――――はっ!? 何だって!」

 

 告げられたのは予想外の事態。

 だが、たしかにそれを予感していた自分もいる。

 

「――――――そうか、そちらは任せる。僕もすぐに動く。ああ、頼んだぞ」

 

 菊岡が立ち上がると同時、病室のドアが開かれた。

 

 看護師の安岐が顔を出し、菊岡の方を向いてホッとした表情を見せる。

 

「菊岡さん、まだいたんですね。ジェルベッドのメンテが終わったんで桐ヶ谷君は返して下さいね」

 

「いや、もう必要なくなるよ」

 スマートフォンを胸にしまいながら菊岡は笑顔を見せる。

 

「たった今、ソードアートオンラインがクリアされた。茅場晶彦からの通達が政府機関に届いたそうだよ。今より24時間後にすべての生存者が解放される」

 

「えっ……あっ!? じゃあ、桐ヶ谷君も!?」

 

 安岐はベッドにかけよると少年に手を伸ばす。今は穏やかな表情の彼の頬にそっと触れた。

 

「そっか、頑張ったんだね桐ヶ谷君」

 

 大きく安堵の息を吐く。

 メガネのレンズ越しに瞳の端が光るのが見えた。

 彼女は上の人間に報告にいくのだろう。一礼すると足早に部屋を出て行った。

 

 見送った菊岡は自分も片付けを始める。

 一つずつ、プレイヤーのバイタル表示を閉じ、パソコンを終了させる。少し考えて差し入れと言ったはずの菓子も回収する。

 

 全ての痕跡を消すと、静かに部屋を進み、ドアを開けて振り返った。

 

 いつ来ても新しい花が入れられていたラタンのかご。これからは彼の家を彩るのに使われるだろうか。

 少年のかぶるナーブギア。

 すでに色も褪せ始め、ロゴが掠れだしたこれは唾棄すべき凶器として捨てられるのか、あるいは勝利の証として残されるのか。

 

 それは分からない。

 だがそれを選ぶことのできる未来を彼は取り戻したのだ。数千人の未来と共に。

 

 菊岡は背筋を伸ばし敬礼した。

 

「お疲れ様でした、キリト君」

 




 最後までお読みいただきありがとうございました。

 ラストでなんでクリアしても解放されるのが24時間後になっているかというと、キリトさんも目覚めていきなり知らん男に抱きつかれても困るだろうからです。
 それと元々書こうとしていたのがアインクラッド解放記念パレードだったという理由です。
 前からSAOサバイバーの皆はキリトさんへの感謝の心が足りないのでは? と思っていたのですが、これはクリアしてすぐ解放されるのでほとんどの人は事情が分かっていないのがいけないのですね。
 そこで解放まで24時間あれば、誰がクリアしてくれたの? 黒の剣士さんだ! となって感謝のパレードの一つも開催されるのが自然の流れというものでしょう。

 結局は病院側も都合があるから24時間の猶予が必要なんですよ、という前振り部分である本作だけの完成となりましたが。

 原作だと外部でランキング的なのが見れるよ、というのはかなりさらっと出てきたと思いますが、最新巻だとそれどころではなくサーバーを解析すれば個人ごとの二年間分の移動ログが取れると言及されていました。座標レベルで把握できるという。
 多分解放後にサーバーを接収してできるようになったのだと思いますが。本作では大まかな現在地表示を総務省側でまとめているという設定です。
 その他、デバイスやナーブギアの機能やサブディレクターの解説などは全部適当です。

 あと安岐さんがSAO時代からキリトさんの担当をしているのは私が普通にそう勘違いしていたからです。今回wiki見て間違いに気づきましたが、そっちの方がいいよねと思ったのでそうしました。


 宣伝ですが、作者はカクヨムでSAOのパチモノを書いています。よろしければこちらもご一読ください。

デスです! — フルダイブ型VR・RPGでデスゲームに巻き込まれたので実況配信しちゃいます! なおR18タイトルなのですでに社会的に死亡Death —

 という出オチタイトル。

 目指す方向性を簡単に言うと、アイドルが率いる解放軍が、組織の力とリスナーからのサポート(課金)でデスゲームをクリアするお話です。
 私はNPCを囮にしてボス倒すヒロインを書きたいのですよね。

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