氷焔の獣ってなんですか?   作:荒島

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01 2つの金の卵と

気がつけば、なぜか幼児になっていた。

 

そこには見覚えのある天井があった。白く静かで、生まれる前からの染みが残る、懐かしい実家の天井。

もう取り壊されたはずの幼少期の思い出。ありえない光景にぼんやりと思う。

 

(ああ、俺……死んだんだ)

 

元々病弱な身体だったから、直感的に死んだのだと思った。ずっと病院のベッドで寝たきりだったし覚悟は決まっていた。

走馬灯だろうかとも思ったが、その終わりはいつまでもやってこない。初めは生まれ変わったのかと思った。でも、それよりも時間が巻き戻ったように、俺自身が幼くなっていた。

 

混乱の日々が過ぎ、ある程度周りを見る余裕が出てくると、21世紀の日本らしい風景に気づいた。けれど、記憶にある場所とはどこか違う。

 

以前とは違い、住んでいる場所は名古屋。

テレビに映る有名人は見たこともない顔。

でも一番大きな変化は、前世の生まれつきの病弱体質とは違い、俺は健康体になっていた事。

 

誰にも言わなかったが、前世で俺はスポーツ選手になりたかった。その背中で、活躍で人々に希望を、熱を与えるスポーツ選手に。

 

運動なんて絶対にNGだった頃とは違い、今は思い切り走れる。跳べる。外で笑って遊べる。

かつて夢見た“当たり前”が、今の俺には確かに存在していた。

それだけで、世界が輝いて見えた。

今ならかつての夢だって叶えられるかもしれない。そんな事に俺は幸せでいっぱいだった。

 

「まったく、葉は元気いっぱいねぇ」

 

精神年齢に見合わない遊び盛りの俺に、母は苦笑してそう言った。

母は俺の好奇心に応えて、様々なスポーツに連れて行ってくれた。

野球、サッカー、水泳、バスケットボール……どれも楽しかった。

 

けれど、本当に心を奪われたのは、小学二年のある日。

大会が行われているあるスケートリンクに、母親に連れられて俺は足を運んだ。

 

ひんやりとした空気に肌が引き締まり、氷を削る音が遠くから聞こえてくる。

リンクを滑る選手の衣装が光を反射し、まるで舞台の上の役者のようだった。

 

「────綺麗」

 

目が離せなかった。滑っているというより、舞っている。

不安定な氷の上で美しさを競うそのスポーツが俺の目を焼く。

それが俺にとって、フィギュアスケートとの最初の出会いだった。

 

「おかあさん、おれこれやりたい」

 

帰り道、気がつけば母にそう頼み込んでいた。

本来、フィギュアスケーターは4、5歳頃から始めるのが適齢だと言われているらしい。

つまり、8歳になる俺は出遅れてのスタートだったが、それを俺が知るのはずっと後になってからになる。

 

「いいよ。任せて」

 

昔、フィギュアスケートを習っていた母は多分それを知っていたはずだ。

それでも母はどこか嬉しそうに頷いて、俺の頭を撫でてくれたのだった。

 

それが本当の意味での、俺の第二の人生の始まりだった。

 

 

 

 

──名古屋 大須スケートリンク。

 

大学進学を機に、親元から離れてからもう一ヶ月が経つ。

出来る範囲で自分の食い扶持は稼ぎたいと、スケートリンクのアルバイトを始めてからも同じくらい経過していた。

 

大学の授業がない日は、昼からアルバイト。リンクの整備とスケートリンクの監視が主な業務内容だ。

この日も昼の整氷を終えたばかりだった。

 

(入場料払わないで氷に乗れるのは、スケートリンクでアルバイトする特権だよなぁ)

 

スケート教室の参加者も多く、活気のあるリンクは心地よい。

氷を均す作業も、利用者の安全を守る監視業務も、俺にとっては“氷の上にいられる”という、それだけで十分だった。

 

それに、誰もいない隙間時間には、たまに自由滑走だって出来るし。

 

(まぁこの間、お客さんにばっちり見られちゃったけど……)

 

知り合いだった様だから良かったものの、遊んでいたのが社員の耳に入ったら怒られてしまう。

それにしても、全く覚えがないお兄さんだったが……一体誰だったんだろうか。

 

(明浦路 司さん……昔のクラブメイトのお兄さんとかかな。ルクス東山FSCが練習している時間はシフト入れない様にしよう)

 

ばったり会ってしまったら少し気まずいし、と小さくため息を吐く。

整氷のためのバケツを片す。次のリンク監視の時間まで施設内を忘れ物がないか見て回っていると、誰もいないと思った更衣室に小さな影が蹲っていた。

 

「うわっ!?」

 

意表を突かれて驚きの声を上げるが、よく見るとそれは女の子だった。

小学生くらいだろうか。着替え中ではなかったが、慌てて離れようと謝罪の言葉を口にしかける。

 

しかし、それは途中で引っ込んだ。その顔は大粒の涙で濡れていたのだ。

 

「ど、どうした?大丈夫?」

 

慌ててそう言った、その時だった。

 

「あの子みたいなのが邪魔をするから、クラブの成績が伸びないのよ」

 

リンクのベンチに座る、数人の保護者らしき人たちの声が聞こえてきた。

 

「あの歳で1回転もやったことない子、才能あるわけないじゃない」

 

「運も才能のうちでしょう。今頃始めてる時点で才能なんてないわよ」

 

「かわいそうねぇ」

 

直感的に察する。思わず立ち去りたくなるような典型的な陰口。

その悪意に満ちた無責任な言葉の棘が、この子の胸を抉っているのだと。

 

そう気がつくと、沸々と胸の内が熱くなった。

 

(……それは。そんなこと言うのは、違うだろうよ)

 

この子の名前も、実力も、何も知らない。

だけど頑張っている子供を泣かす様な言葉を、外野にすぎない大人が吐いて良い訳がない。

 

ましてや"運も才能のうち"だなんて、そんなことを絶対に言って良いわけがないのだ。

 

「──あの、よろしいですか?」

 

気がつけば、思わず声が出ていた。

保護者たちの視線が一斉にこちらを向く。

 

「突然すみません。ここのスタッフの者ですが……あまりそういった話を大きな声で話すと、他の方の迷惑になりますので」

 

「ええ?別にそんな大声で話してないと思うけど?」

 

つっけんどんな反応。それでも、顔を崩さずに言葉を継ぐ。

 

「話してる側は気づきにくいものですが、結構響いてましたよ。あまり子どもたちに聞かせたくない話だと思いますし。それに──」

 

言葉を選びながら、一呼吸。

 

「……遅く始めたって、世界に行ける子はいます。子どもが頑張ってる姿、否定するようなことは……大人には言ってほしくないです」

 

しばしの沈黙。

 

「……随分と勝手な事を言うのね。図書館でもない場所で話していて注意されるなんて初めてだわ!貴方、お名前は?」

 

予想していた反応だった。喧嘩を売っている様なものだったし。

あとでクレームになるかもしれないなと予感するが、仕方ないと首を振った。だって俺は、間違ったことはしていないのだから。

 

「碧芽と申します。碧芽 葉です」

 

視線を逸らさず、きっぱりと名乗った。

 

「お連れ様をお待ちの際は、休憩室もご利用いただけますよ。では、失礼します」

 

背を向ける。背後からの刺さるような視線は気にしないようにした。

更衣室に目をやると、先ほどの子は別の子が連れ出しているようだった。

 

(ちょっと大人気なかったなぁ……うわ、段々恥ずかしくなってきた)

 

もっと大人なら場を乱さないやり方があったのかもしれない。けれど、胸の中は意外とすっきりしていた。

 

監視員シフトの時間だったのもちょうどよかった。熱った顔に、リンクの冷気が心地よい。

氷に乗るとゆっくりとリンクを一周しながら、危ない滑走をしている利用者がいないか辺りの様子を確認する。

 

(さっきの子、大丈夫だろうか……)

 

ふと視線を向けると、先ほど泣いていた少女がリンクに立っていた。

その手を引いていたのは、別の少女──艶やかな黒髪をまとめ、整ったフォームで滑り出す姿に見覚えがあった。

 

(……あの子、確か去年のノービスで優勝した子だったか)

 

確か、狼嵜 光という名前だった気がする。

トップ選手でも珍しい大技のコンビネーションを10歳の女の子が決めた、と話題になっていたのを見た事があった。

なるほど、確かに氷の一蹴りを見ただけでも年齢に見合わない技量の高さが窺える。

 

……というか、割とスピード出ているけど大丈夫だろうか。

彼女の後ろで手を引っ張られてる子、ものすごい顔してるけど。

 

 

 

 

光は、いのりの手を引きながら氷の上へと進んだ。

リンクの冷気が、まだ残るいのりの涙の痕を乾かしていく。

 

(──本当に、くだらない)

 

氷のことを何も分かっていないくせに、知ったように語る大人たち。

浅い理解で自分のことを"天才"と持ち上げる好奇心からくる部外者の眼差しに、光は辟易としていた。

 

だからこそ、いのりの素朴な眼差しが嬉しい。

"天才少女"として見てくる周囲とは違い、"服が可愛い女の子"として褒めてくれたのは光にとって新鮮だった。

助けの手を差し伸べたのも、特別視しない関係が心地よかったからだ。

 

(この子とは、良いお友達になれそう)

 

そう思った。

だから、滑り出してから、しばらくは速度を抑えて滑っていた。

いのりはまだフィギュアスケートを初めて間もないと知っていたから。

 

でも──

 

(……ついてくる)

 

いのりは、ついてきた。懸命に、真っ直ぐに。

 

速度を上げれば、彼女も加速する。

表情は必死だったが、決して諦めない目。

 

(へぇ……)

 

自然と、光の口元が緩む。

 

(試してみよう)

 

もっと加速しながら、一歩前に出る。

不意に振り返った先には、驚きに見開かれた大きな瞳があった。口元に笑みが浮かぶ。

 

──シャッ、タン。

 

鋭い切り返しから、軽やかなジャンプをいのりの前で披露する。

自分との“フィギュアスケーターとしての違い”を見せつけることで、彼女がどう反応するかを見たかった。

この子は──萎縮してしまうのか、それでもまだ自分のことを追いかけてくれるのか。

 

(もし、諦める子なら──他の子と同じ様に優しくしてあげよう)

 

静かな昂ぶりが──光の集中を、奪った。

 

(あっ)

 

その瞬間、視界の端に影が飛び込んでくる。

 

着氷直後の光の目の前に、いのりが勢いそのまま突っ込んできたのだ。

硬直した様子のいのりと目が合う。速度を落としきれていないし、咄嗟に進路を変更出来ない。

 

(このままだと、接触する──!)

 

予想以上の速度だったのも災いした。

脳裏に浮かぶ"怪我"の2文字。背筋に冷たい感覚が走った。

 

怪我。練習出来なくなる。それも嫌だ。

だが、同時に光のコーチの顔が浮かんだ。怪我をして練習出来ないと知ったコーチはどんな顔をするだろうか。

 

 

『──曲かけ練習で転倒したら、コーチの契約は解除』

 

 

冷たい現実が頭を過る。

 

その瞬間、低く落ち着いた声が、耳元をかすめた。

 

「おっと! スピード出し過ぎは危ないよ」

 

青年の姿が光の側を通り抜ける。

 

いのりの肩を支え、滑らかに進路を修正。

速度を吸収するように、まるで風のように──

 

(えっ……)

 

光は、思わず固まった。

 

あの人、さっきリンクの端にいたはずだ。

リンクを監視するスタッフの人……真っ白な髪色だったからなんとなく位置を覚えている。

 

(あんな距離を、この短時間で?)

 

無事だったいのりにも胸を撫で下ろして、そっと頭を下げる。

そして、青年の顔を見た時。

 

(……あ)

 

どこかで見た顔。

あの声。さっき、更衣室の前で聞こえた──碧芽 葉という名前。

 

記憶が結びつく。

 

それは、コーチの夜鷹純が言っていた名前。

 

『才能は、限られた時間の中で証明出来ないならないのと同じだ』

 

その言葉と共に見せられたのは、自分と年の変わらない少年の演技。

同世代から抜きん出た高難易度ジャンプを携え、ノービス全日本選手権を4連覇した姿。

第二の夜鷹 純とまで呼ばれた少年は、簡単にフィギュアスケートの世界から消えた。

 

『彼は、犠牲と覚悟が足りなかった……君は?』

 

その言葉が蘇る。

 

(そうか、この人があの碧芽選手)

 

そう思った瞬間、胸の奥がどこか疼いた。

 

──この人は、かつて“私と同じ道を歩む人”だった。

 

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