氷焔の獣ってなんですか?   作:荒島

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23 狼と光

狼嵜 光にとって、インタビューを受けることは初めてではない。

ノービスで初優勝し、”天才少女”と呼ばれ始めた頃から、メディア対応にもそれなりに慣れている。

けれど、この日は少し違った──光は、後にそう思い返すことになる。

 

「狼嵜さん、こちらで少々お待ちください」

 

編集部のスタッフに案内されて扉を開けた先には、妙な沈黙が張りつめていた。


空調の音すら重たく響くような空気。その中に、ふたりのスケーターの姿があった。

 

鷹堂 凛一

──“夜鷹純に最も近い”とも噂されている、現役男子スケーターの頂点。

 

碧芽 葉

──ノービス時代に“第二の夜鷹純”とまで言われた、かつての天才。

 

そして、自分

──夜鷹純にスケートを教わる、唯一の教え子。

 

気づけばこの場には、夜鷹純という伝説の金メダリストを軸にした三人が揃っていた。

そのことに、運命めいたものすら感じる。

 

だが、空気は決して和やかではなかった。

和気藹々どころか、言葉ひとつ交わされていない。あるのは、沈黙だけ。

 

(なんだろう……この人たち何かあるの?)

 

視線すらほとんど交差していないその様子に、光は直感的に“何か”を感じ取っていた。

無関心のようにみえる警戒、あるいは対抗心。それとも、もっと別の何かか──

 

一瞬、足が止まりかけたが、それを見せぬように、光は一拍置いて頭を下げた。

 

「こんにちは。今日はよろしくお願いします」

 

鷹堂は、ちらりと光のほうに目を向け、小さく頷いただけだった。

その無機質な視線には、どこか夜鷹純を思わせる静けさと冷たさがあった。

 

──感情を見せない人間。光にとっては、ある意味“慣れている”タイプだ。

 

一方で、葉はふっと表情をゆるめ、優しい笑みを見せた。

 

「また会ったね。全日本ノービス選手権、優勝おめでとう」

 

まるで普通の大学生のような、優しい声。

あの夜鷹純と同じ偉業をノービス時代に成し遂げたとは思えない、穏やかさだった。

 

彼女の脳裏に浮かぶコーチは無愛想で、冷酷さを感じさせる男だ。

 

(……やっぱり、この人は夜鷹コーチとは違う)

 

彼女の中で“碧芽 葉”という人物は、自分が目指す夜鷹純という伝説の軌跡をなぞった存在。

だから、きっと普通のフィギュアスケーターとは違う内面があるのだと、そう思っていた。

 

(普通の人に見える)

 

まるで自分の様に、と。

でも──そんなはずがない。

 

「ありがとうございます。碧芽さんも、西日本学生選手権、優勝おめでとうございます」

 

笑顔を向けながら、光は数ヶ月前の名港杯を思い出す。

ジャンプは2回転中心。なのに、あの滑りの熱量は異質だった。

まるで“そのためだけに生きてきた”ような強さがあった。

 

そして先日の西日本学生選手権では、3回転ジャンプを6種類跳んでの参戦。

 

(……たった数ヶ月で取り戻した?)

 

天才と呼ばれる自分だから分かる。これは才能だけじゃない。

この人も、何か──()()()()

 

(……コーチと同じだ)

 

彼も、夜鷹純と似た何かを抱えている。強烈な執着。氷に喰らいつくような情熱。

そうでなければ、あの成長速度は説明できない。

 

「そういえば……碧芽さんはいのりちゃんと、同じクラブでしたよね?」

 

話題を変えるように言ったのは、もうひとり“おかしい”子がいたからだ。

 

──結束 いのり。

 

以前、同じリンクで彼女と氷を共にした時のことを思い出す。

隔絶した実力を見せつけられた後に、賞賛でも怯みでもなく「自分もできるようになりたい」と泣きながら言ってきた子。

 

まるで獣の様な、氷への執着。

 

あれを見た瞬間から、光は確信していた。

 

(……この子は、いつか私の前に来る)

 

葉から、バッジテスト3級まで終えていると聞かされたとき、その感覚はより強まった。

そう遠くない未来に──あの子は、ここに来る。

 

「えぇ。私、楽しみに待ってるんです」

 

一緒に滑れる日が、競い合える日が来ることを。

そして、もしその日が来たなら聞いてみたい。

 

──あなたは、なんでそんなに“おかしい”のか。

 

「……」

 

目の前にいる、もうひとりの異質な存在。

彼についても今日、何か知れるのだろうか。

 

そんな期待をしている光へのチャンスは、インタビュー後半。思ったよりも早いタイミングでやってきた。

 

「皆さんにとって──フィギュアスケーターとして大切にしていること、“滑る意味”とは何でしょうか?」

 

そう問いかけられた時、最初に言葉を発したのは鷹堂だった。

 

"勝つこと"

"どれだけ綺麗な演技をしても、どれだけ努力を積み重ねても──勝てなければ、意味がない"

 

冷静な声。簡潔で、揺るぎない答え。

 

シンプルな答えは夜鷹純の哲学と同じ。光にとっても慣れ親しんだ考え方。

無意識のうちに、光も頷いていた。

 

そして──

次に続いた、葉の言葉。

 

”見た人の心に何かが残るような。技の正確さや点数だけじゃなくて、もっと深くて強いものを届けられる──そんなスケーターを目指したい”

 

(……なに、それ)

 

それは期待していた言葉ではなかった。

 

きっと求めていたのは、夜鷹の様な隔絶した思想だった。けれど、出てきたのは全く異なる考え方。

それは、光がすぐに受け入れがたいものだった。

 

(私の滑りで、なにかを届ける?)

 

そんなこと考えもしなかった。

光にとって、自分の演技は──人を傷つけるものだった。

 

実力を追い抜かれて、辞めていくクラブメイトたち。

大会で自分に飲まれ、力を出し切れなかったライバルたち。

 

”狼嵜 光”という名前の通り──

狼のように怖がられて、周りにただ影ばかりを作るから、眩しい光(夜鷹 純)をずっと追いかけて生きていくのだと。

 

そう思っていた。

 

(……分からない)

 

もし、これが“普通のスケーター”の言葉だったなら、きっと胸に届かなかった。

けれど──“第二の夜鷹”と呼ばれた彼の言葉は、深く刺さった。

 

(普通に考えれば、鷹堂さんの方がコーチに似てるはずなのに)

 

ふと視線を向けた先、葉と言葉を交わす鷹堂の姿が目に入る。

 

鷹堂は、たしかに今の日本でいちばん強い。

誰もがそう言うし、その演技は一分の隙もなくて、勝つためだけに磨き上げられている。

 

勝ち方、態度、言葉選び──

どれを取っても夜鷹純に似ている。それは疑いようがなかった。

でも、それでも──彼は“伝説”にはなれなかった。

 

(なんで、碧芽さんの言葉がこんなにも気になるんだろう)

 

彼の軌跡が夜鷹と重なって見えたからか。

一度消えて、そして戻ってきた──伝説を継ぐ存在への“期待”があるからか。

 

それに、と光は思う。

 

(碧芽さんが滑る意味──まだあるはず)

 

きっと、彼はまだすべてを語っていない。

その原点となる出来事が、彼の滑りを支えている。それが──気になって仕方がない。

 

「では、最後に──狼嵜さん。先輩スケーターのお話を聞いて、何か感じたことがあれば、ぜひ教えてください」

 

記者の声に思考が引き戻される。

会議室の視線が集中する中で、光は迷いを隠して笑顔の仮面を被った。

 

「……どちらのお話も、とても勉強になりました。私も、まずは結果を残すことが大事だと考えています。それがフィギュアスケートで求められることだと、今まで思ってきたので」

 

ほんの少し、目線を下げたまま、言葉が続いた。

 

「でも──今日のお話を聞いて“届ける滑り”という考え方にも、大切な意味があるのかもしれないと感じました。まだ自分の中では整理できていないのですが……とても印象に残りました」

 

優等生的なコメント──そう見えるかもしれない。

けれどこれは、光にとっての“保留”。今はまだ、自分の中に収まりきらない感情たち。

 

「自分の滑りを見つめ直しながら、応援してくださる皆さんの期待に応えられるよう、来年の全日本ノービスでも結果を出していきたいです」

 

──自分が、何故滑るのか。

 

夜鷹純と、まったく同じ景色を見たいと思っていた。

伝説のオリンピック金メダリストが辿った足跡を歩むことが、自分が滑る意味だと。

 

けれど今、その“意味”が、わずかに揺らいでいる。

 

(……全日本ノービス終わった後でよかった)

 

深く被った仮面の下で、ざわりと何かが動いた。

夜鷹の影を重ねていた、あるいは自分と似ていると思っていた存在──その人の言葉が、確かに残っていた。

 

「本日の質問は以上となります。ありがとうございました」

 

記者の言葉に合わせて、全員が頭を下げる。

 

記者のお辞儀に合わせて頭を下げながら、光はじっと葉を見つめていた。

 

多分、こんなにも気になってしまうのは──彼が今も勝ち続けているから。

伝説の足跡を、確かに歩み続けているから。

 

でも、彼が負けたら?

この胸の疼きは、果たして消えるのか──それとも。

 

(次、なんの大会に出るんだろう)

 

葉へ向ける関心が強まった事に、光はまだ気が付いていなかった。

 

この“迷い”を刻んだインタビュー対談は──やがて、大きな変化を連れてくることになる。

そうして3名のフィギュアスケーターの対談は、静かに幕を下ろされた。




直接のお礼が出来ていなかったですが、誤字報告等いつも大変助かってます!ありがとうございます!
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