氷焔の獣ってなんですか? 作:荒島
狼嵜 光にとって、インタビューを受けることは初めてではない。
ノービスで初優勝し、”天才少女”と呼ばれ始めた頃から、メディア対応にもそれなりに慣れている。
けれど、この日は少し違った──光は、後にそう思い返すことになる。
「狼嵜さん、こちらで少々お待ちください」
編集部のスタッフに案内されて扉を開けた先には、妙な沈黙が張りつめていた。
空調の音すら重たく響くような空気。その中に、ふたりのスケーターの姿があった。
鷹堂 凛一
──“夜鷹純に最も近い”とも噂されている、現役男子スケーターの頂点。
碧芽 葉
──ノービス時代に“第二の夜鷹純”とまで言われた、かつての天才。
そして、自分
──夜鷹純にスケートを教わる、唯一の教え子。
気づけばこの場には、夜鷹純という伝説の金メダリストを軸にした三人が揃っていた。
そのことに、運命めいたものすら感じる。
だが、空気は決して和やかではなかった。
和気藹々どころか、言葉ひとつ交わされていない。あるのは、沈黙だけ。
(なんだろう……この人たち何かあるの?)
視線すらほとんど交差していないその様子に、光は直感的に“何か”を感じ取っていた。
無関心のようにみえる警戒、あるいは対抗心。それとも、もっと別の何かか──
一瞬、足が止まりかけたが、それを見せぬように、光は一拍置いて頭を下げた。
「こんにちは。今日はよろしくお願いします」
鷹堂は、ちらりと光のほうに目を向け、小さく頷いただけだった。
その無機質な視線には、どこか夜鷹純を思わせる静けさと冷たさがあった。
──感情を見せない人間。光にとっては、ある意味“慣れている”タイプだ。
一方で、葉はふっと表情をゆるめ、優しい笑みを見せた。
「また会ったね。全日本ノービス選手権、優勝おめでとう」
まるで普通の大学生のような、優しい声。
あの夜鷹純と同じ偉業をノービス時代に成し遂げたとは思えない、穏やかさだった。
彼女の脳裏に浮かぶコーチは無愛想で、冷酷さを感じさせる男だ。
(……やっぱり、この人は夜鷹コーチとは違う)
彼女の中で“碧芽 葉”という人物は、自分が目指す夜鷹純という伝説の軌跡をなぞった存在。
だから、きっと普通のフィギュアスケーターとは違う内面があるのだと、そう思っていた。
(普通の人に見える)
まるで自分の様に、と。
でも──そんなはずがない。
「ありがとうございます。碧芽さんも、西日本学生選手権、優勝おめでとうございます」
笑顔を向けながら、光は数ヶ月前の名港杯を思い出す。
ジャンプは2回転中心。なのに、あの滑りの熱量は異質だった。
まるで“そのためだけに生きてきた”ような強さがあった。
そして先日の西日本学生選手権では、3回転ジャンプを6種類跳んでの参戦。
(……たった数ヶ月で取り戻した?)
天才と呼ばれる自分だから分かる。これは才能だけじゃない。
この人も、何か──
(……コーチと同じだ)
彼も、夜鷹純と似た何かを抱えている。強烈な執着。氷に喰らいつくような情熱。
そうでなければ、あの成長速度は説明できない。
「そういえば……碧芽さんはいのりちゃんと、同じクラブでしたよね?」
話題を変えるように言ったのは、もうひとり“おかしい”子がいたからだ。
──結束 いのり。
以前、同じリンクで彼女と氷を共にした時のことを思い出す。
隔絶した実力を見せつけられた後に、賞賛でも怯みでもなく「自分もできるようになりたい」と泣きながら言ってきた子。
まるで獣の様な、氷への執着。
あれを見た瞬間から、光は確信していた。
(……この子は、いつか私の前に来る)
葉から、バッジテスト3級まで終えていると聞かされたとき、その感覚はより強まった。
そう遠くない未来に──あの子は、ここに来る。
「えぇ。私、楽しみに待ってるんです」
一緒に滑れる日が、競い合える日が来ることを。
そして、もしその日が来たなら聞いてみたい。
──あなたは、なんでそんなに“おかしい”のか。
「……」
目の前にいる、もうひとりの異質な存在。
彼についても今日、何か知れるのだろうか。
そんな期待をしている光へのチャンスは、インタビュー後半。思ったよりも早いタイミングでやってきた。
「皆さんにとって──フィギュアスケーターとして大切にしていること、“滑る意味”とは何でしょうか?」
そう問いかけられた時、最初に言葉を発したのは鷹堂だった。
"勝つこと"
"どれだけ綺麗な演技をしても、どれだけ努力を積み重ねても──勝てなければ、意味がない"
冷静な声。簡潔で、揺るぎない答え。
シンプルな答えは夜鷹純の哲学と同じ。光にとっても慣れ親しんだ考え方。
無意識のうちに、光も頷いていた。
そして──
次に続いた、葉の言葉。
”見た人の心に何かが残るような。技の正確さや点数だけじゃなくて、もっと深くて強いものを届けられる──そんなスケーターを目指したい”
(……なに、それ)
それは期待していた言葉ではなかった。
きっと求めていたのは、夜鷹の様な隔絶した思想だった。けれど、出てきたのは全く異なる考え方。
それは、光がすぐに受け入れがたいものだった。
(私の滑りで、なにかを届ける?)
そんなこと考えもしなかった。
光にとって、自分の演技は──人を傷つけるものだった。
実力を追い抜かれて、辞めていくクラブメイトたち。
大会で自分に飲まれ、力を出し切れなかったライバルたち。
”狼嵜 光”という名前の通り──
狼のように怖がられて、周りにただ影ばかりを作るから、
そう思っていた。
(……分からない)
もし、これが“普通のスケーター”の言葉だったなら、きっと胸に届かなかった。
けれど──“第二の夜鷹”と呼ばれた彼の言葉は、深く刺さった。
(普通に考えれば、鷹堂さんの方がコーチに似てるはずなのに)
ふと視線を向けた先、葉と言葉を交わす鷹堂の姿が目に入る。
鷹堂は、たしかに今の日本でいちばん強い。
誰もがそう言うし、その演技は一分の隙もなくて、勝つためだけに磨き上げられている。
勝ち方、態度、言葉選び──
どれを取っても夜鷹純に似ている。それは疑いようがなかった。
でも、それでも──彼は“伝説”にはなれなかった。
(なんで、碧芽さんの言葉がこんなにも気になるんだろう)
彼の軌跡が夜鷹と重なって見えたからか。
一度消えて、そして戻ってきた──伝説を継ぐ存在への“期待”があるからか。
それに、と光は思う。
(碧芽さんが滑る意味──まだあるはず)
きっと、彼はまだすべてを語っていない。
その原点となる出来事が、彼の滑りを支えている。それが──気になって仕方がない。
「では、最後に──狼嵜さん。先輩スケーターのお話を聞いて、何か感じたことがあれば、ぜひ教えてください」
記者の声に思考が引き戻される。
会議室の視線が集中する中で、光は迷いを隠して笑顔の仮面を被った。
「……どちらのお話も、とても勉強になりました。私も、まずは結果を残すことが大事だと考えています。それがフィギュアスケートで求められることだと、今まで思ってきたので」
ほんの少し、目線を下げたまま、言葉が続いた。
「でも──今日のお話を聞いて“届ける滑り”という考え方にも、大切な意味があるのかもしれないと感じました。まだ自分の中では整理できていないのですが……とても印象に残りました」
優等生的なコメント──そう見えるかもしれない。
けれどこれは、光にとっての“保留”。今はまだ、自分の中に収まりきらない感情たち。
「自分の滑りを見つめ直しながら、応援してくださる皆さんの期待に応えられるよう、来年の全日本ノービスでも結果を出していきたいです」
──自分が、何故滑るのか。
夜鷹純と、まったく同じ景色を見たいと思っていた。
伝説のオリンピック金メダリストが辿った足跡を歩むことが、自分が滑る意味だと。
けれど今、その“意味”が、わずかに揺らいでいる。
(……全日本ノービス終わった後でよかった)
深く被った仮面の下で、ざわりと何かが動いた。
夜鷹の影を重ねていた、あるいは自分と似ていると思っていた存在──その人の言葉が、確かに残っていた。
「本日の質問は以上となります。ありがとうございました」
記者の言葉に合わせて、全員が頭を下げる。
記者のお辞儀に合わせて頭を下げながら、光はじっと葉を見つめていた。
多分、こんなにも気になってしまうのは──彼が今も勝ち続けているから。
伝説の足跡を、確かに歩み続けているから。
でも、彼が負けたら?
この胸の疼きは、果たして消えるのか──それとも。
(次、なんの大会に出るんだろう)
葉へ向ける関心が強まった事に、光はまだ気が付いていなかった。
この“迷い”を刻んだインタビュー対談は──やがて、大きな変化を連れてくることになる。
そうして3名のフィギュアスケーターの対談は、静かに幕を下ろされた。
直接のお礼が出来ていなかったですが、誤字報告等いつも大変助かってます!ありがとうございます!