氷焔の獣ってなんですか?   作:荒島

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02 並走する資格

 

20XX年X月、〇〇県郊外にて乗用車とトラックによる事故が発生。

 

死者2名、重症者1名、軽傷者1名の大事故となった。

乗用車に乗っていた碧芽 大吾(45)さんが死亡。碧芽 みどり(40)さんが意識不明の重体。碧芽 葉(12)さんは軽傷。

トラックを運転していた男性は病院に運ばれたが間もなく死亡した。

 

現場検証の結果、トラック運転手による深夜の居眠り運転の可能性が高いものと結論付けた。

 

なお、乗用車は葉さんのフィギュアスケート大会から帰りの道中だったという。金メダルを獲得した直後の悲惨な事故となった。

 

【XX新聞、20XX年X月XX日号】より抜粋

 

 

 

 

去っていった青年の背中を、光はただじっと見つめていた。

 

リンクの中央での一幕。それは一瞬だった。

 

接触事故の寸前に助けに入った青年──リンクスタッフの彼は、接触寸前だったいのりを寸分の狂いもなく救い出し、「気をつけてね」と一言伝えると何事もなかったかのように持ち場へと戻っていった。

 

氷の上を滑るその姿に、気づけば視線が吸い寄せられていた。

 

(あの人……やっぱり、只者じゃない)

 

接触までの僅かな間にこちらの位置を測ってすぐに到着し、いのりの肩を掴んで軌道を逸らした。

あのトップスピードまで僅かなクロスで加速したブレードの技術、速度を柔らかに落としつつ優しく子供を抱える筋力の使い方──どれを取っても、並の域を超えている。

 

けれど。

 

彼はリンクスタッフ。バイトか何かだ。

 

(……あんな滑りができるのに、選手じゃない?)

 

光は浅くなっていた息に気づき、大きく一息吐いた。

 

彼の偉業は聞いている。

ノービス全日本選手権4連覇、そのまま推薦出場した上の年代であるジュニアクラスでも2連覇を果たした少年。

コーチに「全ての大会で金メダルを取れ」と言われている以上、光にとって彼は目指す道を歩んだ先駆者。

 

しかし、彼はフィギュアスケートの世界から離れた。

その姿と自分を重ねてしまい、思わず恐怖する。

彼に起きた"悲劇"を光は自分のコーチから聞いている。もし、自分だったらどうだろうか。

 

(何故、今もそんなに滑る事が出来るの?)

 

引退から考えると6年間のブランクがあるはず。

氷に背を向けた人間は、氷上の自由を容易く奪われる。いかに天才であったとしても、氷に触れていない分だけ技は錆びついていく。

 

なのにまだ彼があれだけの滑りを維持しているのは、才能ではない。

きっと、一人でまだ滑っているのだと光は察した。

 

氷の世界を離れた後も、きっと氷への衝動が彼を縛り付けていたのだ。

 

(……昔の映像を見せてもらったけれど)

 

コーチが、あの夜鷹純が一度だけ見せてくれたとあるノービス選手の映像。

 

小学生の頃の少年が、信じられないスピードでリンクを滑り、流れるようなステップから高難度のジャンプへと繋げる──羽が生えた様な姿。

 

静かな衝動が、胸の奥で泡立つ。

 

──この人は、未来の私だったかもしれない人。

 

興味がある。

滑ることをやめた天才が、その後に何を得て、何を失って、それでも何を見ていたのか。

そして、その執着から、また氷の上に戻ってくることがあるのかを。

 

(……もし、またこの人が氷の上に戻ってくることがあるのなら)

 

そのときが来たなら。

 

──あなたの、ジャンプを見てみたい。

 

 

 

 

「すみません、さっきは……ありがとうございました」

 

声が控えめに届いたのは、接触事故未遂から間もなくのことだった。

リンク上に残っていた初心者用コーンを回収し、片付けをしていた俺は、下から聞こえてきた声の主に顔を向けた。

 

そこにいたのは、先ほど助けたばかりの女の子。

おでこの上で三つ編みを作った、先ほど泣いていた少女だった。

 

「あぁ!ううん、大丈夫!ぶつからなくてよかったよ」

 

「……はい」

 

声のトーンがどこか沈んでいる。笑顔を見せてはいるが、目がうまく笑っていない。

いかにも不調です、という様子に心配になってくる。

 

「……なんか、大丈夫?具合でも悪いの?さっきので怪我とかしてない?」

 

俺がそう声をかけると、彼女は一瞬だけ驚いたような顔をして、首を横に振った。

 

「い、いえ……大丈夫です。ただ……」

 

そこで言葉を切って、視線を落とす。

何か言いたいことがあるのだと察した俺は、少しだけ距離を詰めて、腰を落としながら柔らかく促した。

 

「どうしたの?話したいことがあるなら聞くよ?……なんでも言って」

 

しばらくの沈黙のあと、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「さっき、一緒に滑ってくれてた子に……言われたんです」

 

「うん」

 

「"フィギュアスケートで本気で上手くなりたいなら、大人にちゃんと伝えないとダメだよ"って……」

 

そう言って、また視線を落とす。

 

「ちゃんと"上手くなりたい"って言わないと、周りには本気で手伝ってもらえないって」

 

俺は静かに頷いた。

どうやら怪我はない様で良かったが、彼女にとってはかなり思い悩む話を抱えていたようだった。

 

「……俺も、そう思うよ」

 

「でも……私なんかがって思っちゃって。わがままでスケート始めたのに、そんなこと言ったら迷惑じゃないかなって……」

 

胸元をギュッと握りながら、彼女は俺の顔を見上げてくる。

 

「さっき、お兄さんのスケートすごい上手でした。あんなふうに滑れる人でも、同じだったんですか?」

 

突然の質問に、俺は一瞬だけ言葉を失った。

 

──昔。

 

スケートを始めた頃の俺は、ただ夢中だった。

ジャンプが跳べたとき、風を切ったとき、一歩、また一歩と出来る事が増えるたびにたまらなく嬉しかったのを覚えている。

 

その衝動のままに両親へ「世界で一番になる」と言ったことはあった。

 

しかし──氷の外。スケート靴を履いていない俺だけではどうにもならない、大人の助けが必要な場面。

本当に自分が助けを必要とした時に、俺は覚悟を持ってそれを言葉にしたことは……あっただろうか。

 

(……いや、今はどうでもいい事だろ)

 

暗い記憶を押し込める。言葉を飲み込み、笑顔を作った。

 

「そうだったよ。実は、俺も昔フィギュアスケートをしてたんだ、たくさん上手くなりたくて……大人に助けてもらいながら、いっぱい練習した」

 

一呼吸を置き、目の前の小さな女の子に目線を合わせる。

その目は、まだどこか不安定で、自信なさげで──それでも、奥の奥に何かを灯していた。

 

思わず、口をついて出た。

 

「君は、どうしてスケートが上手くなりたいの?」

 

そう問いかけた自分に、少し驚く。でもそれ以上に、目の前の少女がどんな想いでそれを口にしたのか、純粋に知りたかった。

 

自分が見てきた"天才"たちは、それぞれに強い理由があった。

その言葉の裏にあるものが、どうしても気になってしまった。

 

彼女は、少しだけ考えるように俯き──ぽつりと呟いた。

 

「……わたし、勉強もできなくて、運動もできなくて。友達も……上手くできなくて」

 

「うん」

 

「でも、スケートだけは……大好きで、はじめて褒めてもらえたんです。みんなと違っても、スケートだけは"すごいね"って言ってもらえた」

 

その声は震えていたけれど、しっかりと届いてきた。

 

「だから、わたし……このスケートで一番になりたい。こんなわたしでも、スケートなら世界で一番になれるかもしれないって、思いたいんです」

 

一言、一言、噛みしめるように語られるその言葉に、なんだか泣きそうになった。

俺は、年下の小さい子が頑張る姿には弱いのだ。

 

(……この子も、必死に、自分を証明しようとしてるんだな)

 

俺は、すぐに言葉を返せなかった。

胸の奥にじわりと熱が広がるのを感じながら、ただ静かに頷いた。

 

「教えてくれてありがとう、素敵な夢だね。でも、難しい目標だ。俺たちは1人では強くなれないし、君はたくさんの人に助けてもらわないといけない」

 

不安そうに揺れる小さな瞳に、笑いかける。

 

「本気で上手くなりたいなら、助けてほしいってちゃんと伝えなきゃ。大丈夫。君の中の"好き"や"なりたい"って気持ちは、迷惑なんかじゃないよ」

 

それに、と言葉を続ける。

 

「君のことを応援して、ちゃんと見てる人は、きっとそばにいる……思い浮かぶ人、いるんじゃない?」

 

暗かった彼女の目が光を取り戻したかのようにきらりと光る。

 

その時だった。

 

「──いのりさん!」

 

明るい声が響いて、振り返ると、輝かんばかりの笑顔で飛び込んできたのは先日顔を合わせた司さんの姿があった。

 

「司先生!」

 

いのりと呼ばれた子が駆け寄る。

 

(あの子、司さんの教え子だったのか)

 

いのりちゃんと一緒にいた俺の姿に、司さんは驚いた様子だったがポケットをまさぐりながら、いのりちゃんに向き直る。

「自主練できて偉いぞ」という言葉とともに司さんは、彼女に小さな袋を差し出した。

 

「今朝、瞳先生から預かったんだ。改めてバッジテストの初級、合格おめでとう」

 

「……」

 

いのりちゃんの瞳が、信じられないものを見たように揺れる。

 

取り出した手の中には、小さな銀色のバッジが入っていた。

震える手でそれを握りしめると、彼女はぎゅっと胸に抱きしめた。

 

「司先生……」

 

「どうした?」

 

「もし、私が"世界一になりたい"って言ったら……助けてくれますか?」

 

司さんの表情が驚きに変わった。

 

「……スケートで、誰よりも上手になりたいです。リンクの上で、本当に一番になりたい。……そのためには、いろんな人に助けてもらわないといけないって思ってます。楽しいこともいっぱい我慢するかもしれない。でも……それでも私は、金メダルを取りたい」

 

彼女の声は震えていた。けれど、言葉には確かな熱が宿っていた。

 

「だから、司先生──助けてください。前みたいに」

「わかった」

 

司さんは、静かに膝をつき、彼女と同じ目線にしゃがんだ。

すぐに返ってきた答えにいのりちゃんが驚きの表情で顔を上げる。

 

固い決意が滲む眼差しを向けながら、司さんが口を開く。

 

「結束いのりさん、」

 

その名前が耳に届いた瞬間、俺は瞬きをした。

 

(──結束?)

 

その苗字には、聞き覚えがあった。

 

「君を、誰が見ても"スケートの天才だ"って思わせられるくらい、上手な選手にしてみせるよ」

 

宣言する司が拳を突き出す。

おずおずとグータッチするいのりちゃんの顔を、俺はその横でじぃっと見つめた。

 

「お、お兄さん、どうしたんですか?」

 

「……もしかして、結束実叶さんの、妹さん……?」

 

「……え?」

 

いのりちゃんがこちらを見る。目を見開き、俺を見つめ返す。

 

「お姉ちゃんのこと、知ってるんですか?」

 

「知ってるどころか……一緒に滑ってたんだ。小さい君も、リンクサイドでよく見かけたよ」

 

「もしかして……お姉ちゃんと一緒にスケートしてた、お兄さん……?」

 

そう言って、彼女は瞳を揺らす。

 

「葉さん、ですよね?小さい頃、一緒に遊んでくれた……!」

 

「覚えててくれたんだ!うわ、凄い偶然だなぁ!!」

 

思わずはしゃいで声を上げてしまった。

実叶ちゃんの8つ下とかだったはずだから……あの時、4歳くらいか。

リンクサイドでお母さんに連れられていた小さい姿が脳裏に思い浮かぶ。

 

「あんなちっちゃかったのに……大きくなったなぁ」

 

確か、実叶ちゃんといるかの3人でいのりちゃんに構っていた。いるかの作った雪だるまを興味津々に見ていた頃と見比べると大人っぽくなったなと思う。

 

横でそのやり取りを見ていた司さんが、驚いたように眉を上げる。

 

「知り合いだったの、2人とも!?」

 

「この子のお姉さんとクラブが一緒だったんです……でも、凄い久しぶりだなぁ。全然分からなかったし」

 

逆にいのりちゃんはよく覚えてくれてたなと思う。

司さんは、その言葉に顔を輝かせた。

 

「それならやっぱり、うちのクラブで少し滑ってみない?葉さんが知ってる子がいるなら、きっと入りやすいと思うし──」

 

「え、葉さん一緒のクラブに入るんですか!?」

 

司さんが言いかけ、いのりが喜びの声を上げたところで──俺はその言葉を遮るように、わずかに首を振った。

 

「……ごめんなさい、司さん。誘いは嬉しいけど出来ないですよ。俺はいのりちゃんみたいにフィギュアスケートを本気で目指す子の横で滑ることは出来ません」

 

司さんが、静かに問い返す。

 

「それは前に言っていた"資格"の話?……でも、なぜ?」

 

「色々ありますけど……」

 

一瞬、目を伏せたまま息を止める。

 

「……俺は、ひとつの才能を潰したんです」

 

思いがけない強い言葉だったのか静かな空気が、空間を包み込む。

 

「だから、フィギュアスケートを本気で目指す子の横を一緒に滑ることを俺が許せないんです」

 

言った瞬間、心がひりついた。でも、それが俺の正直な気持ちだった。

 

スケートリンクの喧騒が、少し遠のいて聞こえる気がした。




※なお、いのりによる光へのジャンプカツアゲはしっかりと行われました
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