ご飯を語るな──と言われても、語らずにいられない 作:猫田やなぎ
画面が切り替わると、いつものように柔らかい照明に包まれた配信空間。
セーラー服姿の青年──味見野ナギが、カメラの前にゆっくり現れる。
「こんばんは。味見野ナギです。──今夜は、“パン”の話をしようか」
>『パン!?きたぞ文化の爆発回』
>『絶対やると思ってたけど嬉しい』
>『ナギ、焼いてくれ。俺の意識を』
ナギは軽く息を吸い込むと、少し遠くを見ながら語り始めた。
「パンって、世界で最も“翻訳された”食い物だと思うんだ。ギリシャのピタ、フランスのバゲット、トルコのエキメッキ──ブラジルのポン・デ・ケージョ、日本のメロンパン。全部“パン”なのに、全部違う。つまり、“文化のカケラ”なんだよね」
>『翻訳された食い物って表現、すごい良い』
>『パン=ローカライズ済文化財』
>『噛んだ瞬間、異国の思想が口内に届くってことか……』
ナギは視聴者の反応に軽く頷くと、淡々と語りを続けた。
「“どう焼くか”に、その土地の生き方が出る。柔らかいパンは“包摂”で、硬いパンは“抵抗”なんだよ。──だから、パンは文化の圧縮ファイル。噛めば、味が解凍される。……そして、歴史を変えた暴動。その多くが“パン”に関係してる。たとえば、フランス革命」
ナギが口を開いた、その瞬間──
チャット欄に異変が起こる。
>『wwwwwwwwww』
>『新作水着公開中 #秘密だよ』
>『登録よろしくね!! → https://〇〇〇.xyz✨✨✨』
>『おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい』
>『FOLLWME!FOLLWME!FOLLWME!』
>『うわ、荒らしきた!』
>『スパムいるううううう!』
>『モデさん!?モデさんいない!?』
>『草草草草草草草草草草草』
>『ナギつまんねぇぇぇwwwww』
>『おっぱい!おっぱい!おっぱい!』
>『コメ読めやああああああ!!!』
>『深夜のポエムうぜえええええ!!』
>『しょーもなwwwwwwww』
>『ブロックしろブロックしろブロックしろ』
>『あれ、今日ってモデレーターおらんの?』
>『反応せずに報告&ブロックで』
>『みんなの反応が埋もれちゃう』
>『いつもはすぐ消えるはず……』
ナギは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐにモニターを見て、静かに呟いた。
「──あ、そうだ。今日モデレーターさん、お休みなんだった」
視聴者がざわめく中、ナギの指がキーボードに滑るように動く。
「じゃあ僕がBANするね。ちょっと待ってて」
数秒後──
スパムコメントと荒らしのIDが一瞬で消し飛び、チャット欄が静寂を取り戻す。
>『ナギが自らBANしたwwwww』
>『すげぇ……即処理だ……』
>『自炊配信者、ならぬ自BAN配信者』
>『モデ休みの日でも安心できるこの空気』
>『ナギ、好き……(語彙消失)』
ナギはふっと息を吐いて、何事もなかったかのように話を再開する。
「で、さっきの続き──小麦って、貯蔵しやすくて、徴税もしやすい。つまり、“支配する側”にとって都合のいい食糧だったんだよね。だからパンを握る=権力を握る。パンは、“国家支配の道具”だった」
>『武器じゃなくてパンで戦争する世界』
>『食うって、こんなに政治的だったのか』
>『パン、怖……でも食べたい……』
「さらに宗教もある。カトリックでは、“これは神の肉体である”って言って、パンを信者に配る。……それ、完全に“食による神権の行使”なんだよ」
>『パン=神の肉体=信仰の呪文』
>『咀嚼=信仰の内面化……ひぇぇ』
>『ナギの言葉って口から呪文出てるレベルで響くよな』
「でもさ、日本にパンが来たとき──それは異物だった。米文化の中で、“焼いた小麦”っていうのは、理解されにくかった。だから、最初は定着しなかったんだ。でも、明治。軍用食として採用され、戦後は給食パンが“国民食”になった──それはつまり、“食を通じた国家再構築”だったんだよ」
>『パンで国を立て直したってこと!?』
>『戦後の子どもたちが食ってたの、国家の味だったのか』
>『給食パン、そんな重い背景背負ってたんかい』
>『めっちゃ勉強になる』
「パンは、“衝突”の記録だ。でも同時に、“再翻訳”の余地”もある。フランスのバゲットが、日本でミルクフランスになったように──パンはぶつかりながら、優しく焼き直されていくんだよ」
ナギの言葉が、静かに空間を満たす。
>『俺の食べてたあんパン、平和だったんだな……』
>『口に入れた瞬間、和解が始まる食べ物ってパンくらいだよ』
>『今度から食べるたびに思い出すかもしれん、ナギのパン回』
ナギはそっと笑って、視聴者に向けて手を振った。
「──パンは戦った。パンは奪われた。でも、それでも“食べられてる”。それって、人類がまだ“共存”を諦めてない証拠じゃない?」
パンは、思想だ。
パンは、翻訳だ。
パンは、文化が争って、でも一緒に焼かれた結果。
ナギの配信は、今日も世界を食べていた。
そして、誰かの朝食が、“希望”でありますように──。