ご飯を語るな──と言われても、語らずにいられない 作:猫田やなぎ
その夜も、配信は静かに始まった。
画面に姿を現す味見野ナギ。
昨日、伝説の“チー牛三十分説法”をぶちかました彼の配信に、今夜も三十数人の猛者たちが集まっていた。
その空気を、ひとりの視聴者が破る。
>『チー牛って、行動経済学的にも面白い題材なんじゃないかって思ってさ』
コメント欄が、一瞬だけ静止する。
>『お、おう……?』
>『なに言い出してんの』
>『でも、聞こうか。夜だし』
ナギが、笑った。
どこか楽しげに、目を細めながら──
「面白そうじゃん。語ってよ、教授」
──そして、“教授”は語り出した。
>『まず、チー牛を頼めない人間ってのは、“社会的同調バイアス”に囚われてる。つまり、他人の目を気にして、本来自分が欲してるものを回避してしまう心理な』
「わかる~、たしかに。誰かと飯行った時、“あっ、これ頼んだら笑われるかな”って……あるあるだね」
>『さらに、“損失回避性”も関わる。チー牛を頼むことで恥をかくかもしれない──その“損”を避けるために、本来得られる“うまいチーズ牛丼”という“得”を、自ら手放す』
コメント欄が一気に騒がしくなる。
>『え、めっちゃわかるんだけど』
>『つまり俺がチー牛避けてたの、経済学的に損だったのか』
>『チーズ牛丼、君はそんなに深い料理だったのか……』
ナギは手を叩いて笑い出す。
そして、目がキラキラし始めた。
「でもさ、それって“ナッジ”で変えられるんじゃない?」
>『ナッジ来たーーー!』
>『選ばせるけど誘導するやつ!』
>『経済学強者が集まりすぎて怖い』
「たとえばさ──券売機の一番上に“チーズ牛丼”が大きく表示されてたら?“あ、人気なんだ”って思って、頼むハードル下がるよね。逆に、画面の隅っこにあると……察しちゃう」
>『配置が行動を左右するってやつか』
>『ポジショニング操作による心理的バイアスの誘導だな』
>『お前ら本気出すな!』
そのとき、コメント欄のひとつが、決定打を放つ。
>『つまり、俺たちは牛丼に“値段”だけじゃなく、“社会的コスト”を払っていた──』
ナギは、静かに頷く。
「チーズ牛丼。なんて、重い料理なんだろう……」
コメント欄が、じわじわと震え出す。
>『これが行動経済学……』
>『チー牛ひとつでここまで広がるとは思わんかった』
>『夜中に何やってんだ俺たち』
>『それでも……明日は堂々と頼むよ。チーズ牛丼を』
>『俺たちに必要なのは、経済学でも勇気でもない……食券を押す“指”だ』
ナギが、そっと囁くように言った。
「──その指に、誇りを宿せ」
その夜、「#チー牛行動経済学」がXのトレンド3位に浮上したことを、ナギは翌朝、食卓でしみじみと噛み締めながら知ることになる。
もちろん、冷めかけたチーズ牛丼を前にして──
チギュアアアアアアア!!