ご飯を語るな──と言われても、語らずにいられない 作:猫田やなぎ
──“勝つ”ことと“食う”こと。その交差点に、社会はあった。
深夜三時。
ナギの配信が始まると、すでにチャット欄は祭りのような熱気に包まれていた。
>『ナギ〜!』
>『来たぞ今夜の哲学飯!!』
>『寝かせてくれないV、No.1』
>『昨日の“丼No.1決定戦”、アーカイブでまた笑ってしまった』
>『チー牛、親子、カツ、天、カレー──誰一人欠けてはならぬ布陣』
画面に現れたナギは、いつもよりちょっと静かに、ふっと笑う。
「昨日、丼について語ったじゃん?いろいろな丼があって、みんな並んでて、どれも一人に効く構造で……」
チャット欄が一気に湧く。
>『うんうん』
>『泣いた』
>『並んでただけ、争ってなかった、のとこマジで名言だった』
>『でもお前ら最後に叫んでたよな、チギュアアアアって』
ナギはにやっと笑い──、唐突に言った。
「……じゃあ、今日は“カツ丼と近代社会”について話そうか」
>『出たな、単品ピックアップ』
>『今度は“カツ丼”一本勝負!?』
>『急に社会学ぶっ込んでくるのやめろ』
>『でも聞く。てかもう語ってくれ』
「カツ丼って、“勝つ”丼って書くじゃん?でもさ、それって実は──“近代以降に生まれた発想”なんだよ」
ナギがマイクに口を近づけて、ゆっくり続ける。
「“勝つために食う”っていう価値観、それが生まれたのって、実は明治以降。近代化によって“個人の成功”が価値になった社会で、ようやく生まれた発想なんだよ」
>『つまり……カツ丼=自己実現の象徴!?』
>『勝利教の聖餐じゃん』
>『カツ丼食って受験行くやつ、今まさに近代人だった』
>『あと相撲取りがよく食ってるの見る』
ナギは笑いながら、さらなる一撃を放つ。
「で、卵でとじるじゃん?あれ、“力”を“やさしさ”で包むっていう、理想の父性モデルなんだよね」
>『また新しい視点がきたぞ』
>『カツ=暴力、卵=寛容、出汁=文化』
>『急に家庭論になってきた』
>『カツ丼=理想の父、定説です』
「カツ丼って、高級じゃないけどちょっと特別な感じあるでしょ?」
ナギがそう言うと、コメント欄が大きく頷いたかのように一斉に反応する。
>『わかる!普段食わないけど、頑張った日に頼む』
>『なんか“ご褒美感”あるんだよな』
>『あれ一杯でヒーローになった気がする』
「そう。カツ丼は庶民のためのヒーロー飯なんだよ。背伸びじゃない、でも誇りを感じる。──それが、“自分を誇っていい”って教えてくれる丼」
>『泣きそう……』
>『俺の親父、合格祝いにカツ丼食わせてくれたな……』
>『“負け続けてても、今日は勝てる”って気にさせてくれる飯だった』
>『カツ丼=祝福の皿』
「でもさ──勝った日しか食っちゃいけないの?って話になるよね」
ナギの声が、ふと静かになる。
「たとえば、“負けた日”にカツ丼食ったら、なんか自分が許されない気がする。それって、勝者だけが許される食卓ってことだよね?」
>『うわ……確かに』
>『負けた日のカツ丼って、なんか“居心地悪い”んだよな』
>『でも食いたいじゃん……』
>『負けてもカツ丼食わせてくれよ……』
「──だから僕、思うんだ。“カツ丼を食う日を勝ちにすればいい”って」
ナギはそう言って、にかっと笑う。
「“負けたけど、今日はカツ丼食ったからヨシ”──それくらいの価値を、飯に置いといてもいいと思うよ。カツ丼って、“勝利の記号”であると同時に、“敗者の救済”でもあると思う。力を示し、努力を讃え、今日を肯定する──そういう飯」
ナギの声が、まるで出汁のように、静かに広がっていく。
「社会が“勝たなきゃ意味がない”って言うなら、僕たちは“食ったから勝ち”って言い返してやればいい。──それが、丼という器に託された、近代社会へのアンチテーゼなんだよ」
チャット欄が、今夜もまた出汁のように染み入っていく。
>『飯を食うだけで、社会に抗ってたなんて……』
>『おれ、今日カツ丼食べていいかな』
>『いいとも。食って寝て、明日も生きるぞ』
揚げたてのカツ、やさしく包む卵、甘辛い出汁、そして白米。
それは、勝つ者と負ける者、すべてを包み込む、食卓の勝利宣言。
──“カツ丼は、近代である”。
勝利と敗北の両方に、名前を与える、最強の飯だった。