ご飯を語るな──と言われても、語らずにいられない 作:猫田やなぎ
視聴者数、放送開始から15分で五千人を突破。
画面には、いつものようにふわりと浮かぶ笑顔──
けれど、その口元には、いつもと違う緊張が走っていた。
「……ども。味見野ナギです。じゃあ、今日は──”宇宙のエントロピーとチーズ牛丼”の話をしようか」
>『は!?!?!?!?!?』
>『ちょっと待って開幕から何??』
>『初見殺しすぎて宇宙に飛ばされそうなんだけど』
>『今夜も最高にカオスだ……(大好き)』
ナギは、マイクを少し近づけ、静かに語り始めた。
「宇宙ってさ、放っておくと“エントロピー”が増大していく。つまり、“熱の分散”と“秩序の崩壊”──全てが均質になって、情報が死んでいく。でもさ、チーズ牛丼ってそれに抗ってるんだよね」
コメント欄がざわめく。
>『牛丼で宇宙の熱的死に抗うってどういうこと?』
>『まって、味の混沌が情報量……?』
>『丼の中で、俺たちは秩序を喰らってた……?』
「牛肉、ごはん、チーズ、温玉。それぞれに秩序があるのに、混ぜて、崩して、食べることで、“秩序あるカオス”を味わってる。……それって、エントロピーに逆らう唯一の行為じゃない?。温玉を落とすと、熱が分散していくでしょ?あれが“不可逆の時間”。つまり、“人生”なんだ」
>『くっ……泣いていいか?』
>『俺たちは一口ずつ、宇宙の終末に抗ってたんだ』
>『チー牛……それは反熱死の聖戦……!』
少し間を置いて、ナギの声が低くなる。
「……もしさ、死ぬ前に何食べたいって聞かれたら。僕は、迷わず“チーズ牛丼”って答えると思う」
コメント欄が、一瞬だけ静まる。
>『急に静かになったな……』
>『でも……わかる』
>『最後に食うもの、それってその人の人生観そのものだよね』
ナギは、机の端に目を落とす。
「だってさ、チーズ牛丼って“今しか食えない”料理じゃん。熱、柔らかさ、香り──一瞬ごとに変化してく。それって……”命のメタファー”なんだよ。全部食べ終わって、最後に紅生姜が器の端っこに残る。それが“記憶”──“生きた証”なんだ」
>『あかん、飯で泣くとは思わんかった』
>『チー牛、供養だったのか……』
>『丼=魂の器説、ここで回収されるとは』
>『今日から俺、チー牛食べる時は手ぇ合わせてからにするわ』
──そのとき、コメント欄の一人が書き込んだ。
>『てかさ、思ったんだけど……結局、資本主義の話じゃない?チー牛って、労働の報酬じゃん?』
>『ああ、そんな話してたなあ。労働の対価』
>『してたっけ?』
>『なんか毎回内容が濃いからわからなくなってきた』
ナギの目がきらりと光る。
「……なるほど。じゃあ、“資本論とチーズ牛丼”についても、少し語ろうか。階級闘争の話でもちょっと話したけど、牛丼本体──ごはんと肉。これは“労働”で得た対価、価値そのもの。そこに乗るチーズや温玉は“剰余価値”、つまり贅沢。でも、その“贅沢”を笑う文化がある。“チー牛”って言葉で、欲望を、罪にするんだよ。庶民がちょっと良いもの食べたら、笑うのか?って」
>『ぎゃああ……今、自分の生活が刺された』
>『笑ってた側の俺、猛省中』
>『自由ってなんだ……俺の欲望って、悪だったのか?』
ナギは、真剣な声で続ける。
「一番怖いのは──“自分で選んでるつもりで、選ばされてる”ことなんだ。“牛丼しかない”“これしか食えない”って、思い込まされてる。──それが、資本主義の支配構造なんだよ」
>『くっ……俺はチー牛を選んでたんじゃない、チー牛に選ばれてたんだ』
>『自由意志の偽装……それが丼の底にある真実』
>『それでも食う。それでも抗う。チー牛で』
ナギが、ゆっくりとカメラに寄って、囁く。
「宇宙に抗い、生を燃やし、支配構造の中でも、自分の“うまい”を選ぶ。──それが、チーズ牛丼だよ」
視聴者は震えていた。一杯の丼が、宇宙を語り、命を映し、資本を暴くなどと、誰が思っただろうか。
けれど、ナギはそれをやってのけた。
そして今日も、コメント欄にはただ一つの叫びがこだまする。
>『チギュアアアアアアアアア!!!(宇宙編)』