ご飯を語るな──と言われても、語らずにいられない 作:猫田やなぎ
視聴者数、七千突破。
もはや完全に“日常の狂気”として定着したナギの配信は、今夜も静かに幕を開ける──
が、開口一番、とんでもない言葉が飛び出した。
「……寿司ってさ、存在論的にめっちゃヤバい食べ物なんだよ」
>『!?!?!?!?!?!?』
>『ちょ、寿司!?!?!?』
>『チー牛の話じゃないの!?!?』
>『え、ここって“味見野ナギのチー牛哲学”じゃなかったの!?』
>『※注:ご飯について語る配信です』
>『ちょっと待って心の準備が……』
ナギはケロッとした声で笑う。
「たまには別の話もしようと思ってね。まあ、中身はそんなに変わんないけど」
>『安心の哲学圧……』
>『話題は変われど、狂気は変わらず』
>『寿司でもチー牛でも、ナギの前じゃ全て語られる運命』
ナギはマイクを少し近づけて、いつもの調子で語り始める。
「寿司って、“ネタ”と“シャリ”っていう二項対立から成り立ってるでしょ?この二つが重なったとき、初めて“寿司”になる。でも、考えてみて。どこからが寿司で、どこまでがネタなのか──って、意外と曖昧じゃない?」
>『境界問題だ……!』
>『“寿司”という概念の不安定性、見逃してた』
>『一体いつから俺たちは寿司を食っていたと錯覚していた……』
「例えばね、ネタがポロッと落ちたら、それはもう“寿司じゃない”。けど、シャリだけでも“寿司だった痕跡”はある。──そう。“寿司という存在”は、不安定で、儚いんだよ」
>『寿司、それは一瞬の構成体……』
>『“あった”としか言えない寿司』
>『寿司とは、過去形の哲学』
ナギの語りは、さらに深く潜っていく。
「そしてね──寿司職人が“握る”って行為、あれって、存在への介入なんだよね。
>『神話の職人……』
>『人類最古の創造行為=料理、ここに回帰』
>『海と米の交差点に、命が宿る──それが寿司』
「そして僕たちはそれを食べる。つまり、“存在を消費する”んだ。目の前にいた寿司は、もういない。でも、確かにいた。その“いた”という感覚だけが、記憶として残る──」
>『……寿司って、こんなに切ない食べ物だったんだ』
>『ネタとシャリの別れ、それが人生の縮図』
>『食べることは、別れの儀式だった……』
ナギは少し黙り、息を吸って、ふわりと笑った。
「……存在は儚い。でも、だからこそ寿司は美しいんだよ。一瞬で消える。形も残らない。匂いも、温度も、味も──全ては、その場限り。けどね、それでも僕たちは食べる。だって、確かに“そこにあった”から。それを感じられるのが、人間ってもんだろ?」
コメント欄は、すでに寿司の余韻に包まれていた。
>『寿司=人生論、完成しました』
>『口の中で消えゆく存在、それが俺たちだった』
>『寿司は今ここに、そしてもういない』
>『俺……明日寿司行くわ。ナギの言葉を胸に』
そして、画面の隅に現れる小さなテロップ。
【寿司は、ある。だが、すぐに消える。だから、我々は今を食べる】
その夜、「#寿司と存在論」「#ナギの寿司回」「#ネタとシャリのあいだに私はいる」
──三つのタグが同時にトレンド入りした。
そう、今夜はチー牛の話じゃなかった。
でも、誰もそれを気にしなかった。
ナギが語る“飯”は、常に宇宙だから──。