妖精女王アリサの治める里はここ最近騒がしい日々が流れていた。
「ニイナ、引越し準備の進捗はどうだ?」
「はい、女王様。滞りなく進んでおります。選抜メンバーの選定も終わり、今日はこれからルートの下見を行って参ります」
「そう、くれぐれも無茶はしないように」
「お気遣いありがとうございます。このニイナ、必ず女王様のお引越しを成功させます」
若いながらも持ち前の責任感と能力から、今回の引越しチームリーダーに選ばれたニイナは張り切って女王の部屋をあとにした。
勇ましい背中を見送ったアリサは側近の一人に声をかける。
「ヒジリを呼んでちょうだい」
そうして、一人の妖精が側近に連れられて部屋に入ってきた。
「ヒジリ、ただいま参上致しました。女王様、なにか御用でございましょうか」
玉座の前に膝をついて形式通りの挨拶もそこそこに、ヒジリは女王へ呼び出しの理由を問いかけた。
アリサはこの不遜な若者が嫌いではなかった。野心と羨望が織り交ざったヒジリの瞳を見つめ返し、女王が口を開く。
「なに。儂たちの引越しも3日後に控えておるからな。出来るだけ長く、お主と言葉を交わしたいのだ」
「勿体ないお言葉。女王様にはまだこの里を治めていただきたいと、小生は考えておりますが……」
「言うでない。里を治めるに相応しい女王が誕生したとき、古き女王は去る定め。先々代の頃からそうしておるのだ。儂だけ我が儘は通らんよ」
妖精の里はいくつも存在し、また各地の里は女王と呼ばれる妖精が治めている。ある程度、里が発展すると古い女王は人口の3割ほどの妖精を引き連れて、新天地を目指す。
これは古くから伝わる伝統だ。
長く住まってきた土地から離れることに寂しい。しかし、一つの里で面倒を見られる民の人数にも限りがある。
自分たちの食料と、同時に神への供物となる“花実”を採取するには里の外へ出る必要があり、危険に溢れている。しかし、生きるためには必要なことなので、より安全に集めるためには遠方への遠征は避けたい。
よって、新しい女王が誕生するタイミングで古い女王は里を発ち、古い里と“花実”の採取場所が重ならない新天地を目指す。
「なに、儂はまだ若い。年老いた女王が引越しを行えば、新天地へ辿り着く前に力尽きることもあるらしいが、その心配も無いだろうよ」
「アリサ女王はお強い。必ずや新天地でも立派な里を築かれることでしょう」
自分を継ぐ者に女王は笑みを濃くする。この若者は野心に溢れ、それでいて他者へ本物の慈しみを与えることが出来る。なんと素晴らしき指導者か。
己が生まれ故郷を離れることに一切の迷いもないかと言えば嘘になる。しかし、ヒジリに託すことに躊躇いはない。
もし、引越しが上手くいかなくとも。そのときは妖精にだけ通じるシグナルを残そう。そうすれば、きっとこの聡明な未来の女王は最大限活用してくれる。
例え、犠牲になっても無駄な屍などにはしてくれぬはず。
頼もしき後輩に女王はありったけの知識と知恵を託すと決めた。
その後も妖精女王アリサとヒジリは会話を続ける。傍に控えていた側近たちはその光景を女王と新女王の他愛のないお喋りにも、また教師から生徒に向けた最後の授業にも、あるいは己の庇護から離れる子へ離別の寂しさを紛らわすための説教のようにも様々な色をもった光景として眺めていた。
そして、その日が来た。
「では、儂らは行くぞ」
「外は快晴。絶好の引越し日和でございます。ですが女王、どうぞ油断せずにお気をつけて」
「言われずとも。儂には優秀な部下も控えておる。貴様こそ、この里を任せたぞ。くれぐれも民は大事にな」
「はい。女王から授かった教えを無駄にせぬよう、このヒジリは一生をかけて民のために力を尽くす所存です」
ヒジリの覚悟に満足した女王は頷き、
「これ以上いても離れがたくなるだけだ。いくぞ」
そう、初めてヒジリの前で微かに弱気な表情を見せたその瞬間、突如として里の天上が白く濁り、女王たちのいる位置まで視界を覆った。
「な、何事か⁉」
ヒジリが叫び、状況を確認しようとする。
「た、大変です! 里の外で太陽が! 太陽がいくつも浮遊しております!」
「そんな馬鹿なことがあるか! 私が確認する! ──女王様は里の奥へ避難していてください。ヒジリが原因を突き止めて参ります」
「行くではない! お主に何かあっては誰がこの里を──っ」
女王の制止を振り切って、ヒジリは里の外へ翅を鳴らして飛び立っていってしまった。
残った側近やヒジリたちの部下が女王を囲む。
「女王様はこちらへ。この白き空気は危険でございます。出来るだけ吸い込まぬよう、女王の間へ避難をお願いします」
「こんな……こんなことが……」
促されるままヒジリへ明け渡したつもりの女王の間へ向かいながら、女王は1つの伝説を思い出していた。
「若き女王が里を離れるとき。天上の神は怒り、太陽が里を囲み、白き空気が世界を覆う」
まさか、伝説は本当だったのだろうか。だとすれば、この伝説の続きまで現実となってしまうのではないか。
そんなことは──あってはならない。
「ヒジリを早く連れ戻しなさい!」
「女王様⁉」
「伝説では新しく女王になる予定だった妖精は……っ、近づく太陽に──」
■
「はいっ! 今日はですね、妖精から採れる花の実の蜜を作る“養精場≪ようせいじょう≫”のバーデックさんにお話をお伺いしたいと思います。こんにちは~」
「はい、こんにちは~」
「早速ですが、今はなんの作業をしているのでしょう? 見たところ巣に火を近づけていますけど……」
「これは妖精の引越しを邪魔しとるんですよ」
「妖精の引越し?」
「そう、引越し。ある程度大きくなった妖精の巣からは女王と3割ぐらいの働き妖精が引越しするんですわ」
「へ~。でも、どうして邪魔するのですか?」
「それはな、3割の働き妖精がいなくなると、その分、蜜の摂取量が減ってしまうからよ。妖精が採ってくる花の実も減ってしまうからなあ」
「なるほど~。じゃあ、この火と煙は……」
「外に危険があるぞ、と教えてるんですわ。それに──、お、出てきた出てきた」
「おお、すごい。今、素手で妖精を捕まえましたけど。どうして、捕まえたんですか?」
「こうやって火で炙るとやっぱり何匹か巣から出てくるけど、その中の一匹。こいつは特別でな」
「特別……、確かに他の妖精よりも少し大きいですね」
「そ、あと頭のところに輪っかの模様がある。これを王冠だなんて言ってて、まあ新しい女王の証なんよ。引越しする女王に代ってこの巣を治める予定だった妖精だでな」
「この妖精を捕まえてどうするんですか?」
「妖精は下手に殺しちまうとフェロモンを残してしまう。ここは危険だ。長居するべきじゃないってな。だから──」
「だから?」
「だからこうやって、燃やすんじゃ」