しかし一方で元来の気質からダンジョン内にいる負傷者を見捨てられないユンネが辿り着いたスタイルは倒れている冒険者と通り過ぎる間際にヒールをかける辻ヒール論者。事情を知る人間からはその他己主義を呆れられ、ギルド内では幸福の女神扱いをされて、でもユンネはこれでいいのだ、目立たなければ万事問題無し。
或る日、何時のようにユンネが倒れている少女をヒールすると魔王の娘だった。
魔王の娘、レーゼ・ガンガリアから話を一方的に聞かされればどうも家臣から裏切られ殺される一歩手前まで行ったようだった。
「拙は絶対に諦めぬぞ! このダンジョンを踏破して全世界を手中に収める! ユンネ、お主も拙共にお父様から世界を強奪しようではないか!」
「むむむむむむむ無理です!」
再起を誓う魔王の娘レーゼ。
しかも治療した対価として自身をユンネの奴隷にしてしまい!?
世界征服を目論む将来の魔王候補の主人になったユンネに平穏な日々は戻ってくるのか!?
今日の報酬は6000ノキアだった。
宿代で3000ノキア、晩ごはんと朝ごはんに1300ノキアと考えて収支的には1700ノキアのプラス。
でも皮鎧をそろそろ買い替えなきゃならないから1000ノキアは貯金しなきゃならない。
自由に使えるお金、700ノキア。
はあ……お金が欲しいなあ。冒険者も世知辛い。
どれだけモンスターを倒せても私個人で稼げるのは日銭プラスアルファ程度の額で、毎日の生活費と偶の出費で飛んでしまうくらいにしかダンジョンで儲かってない。
私がソロでやっているというのも儲からない理由だ。
ダンジョン専門冒険者はパーティーを組む。ダンジョンに1人で挑むのはその時点でリスクが高いし、強いモンスターと戦うことは更に難しい。自然と下級モンスターと呼ばれる弱めの敵、つまるところ稼ぎが出にくい敵ばかり倒すことになる。
それでも圧倒的な戦闘力があるような冒険者ならいいよ?
最近だとソロでダンジョンを踏破したスター冒険者の話でこの辺りは持ち切りだ。新人冒険者の中にはそのスターに憧れてソロで稼業を始めようとする人もいるらしくて、ギルドの人もホトホト困っているとか聞いたことがある。
でも私は圧倒的な実力があるわけじゃない。というか素の戦闘力はそう高くないだろう。見積もってDランク冒険者くらいあればいいんじゃ無いかと思う。良く稼ぎ頭としてお世話になっているコボルトさんがDランク魔物なので。
じゃあ何でソロなんかやってるのかなんて、決まっている。
人と話すのが得意じゃない。
これだった。
いや私は真面目な話をしているんだよ?
確かに馴染みのある武器屋さんからは「不得意だとしてもダンジョンという魔窟に入る以上折り合い付けて上手くやるだろフツーは」と呆れられてしまったけどね、それでも私は人と話したくない。というか人間関係が怖い。相手の言葉一つ一つの裏を考えちゃう。表面上は笑っていても裏では私の陰口を言ってるんじゃないか、一方的に私だけが信頼していて相手からは信頼を返されていないんじゃないか、実は相手は裏切っているんじゃないか、なんて答えの無い思考が巡り巡って、その結果ギルドの受付嬢からも目を逸らされるような哀れなぼっち冒険者が誕生した。それが私だった。私じゃないと思いたかった。
そんなわけで報酬が足りていないと思った私は今日に限って非常に珍しいことに二回行動をすべく、本日二度目のダンジョン攻略に勤しんでいた。
ダンジョン内は基本的に光の入らない暗所だ。
故に腰に魔力火の灯ったランタンを吊り下げて、暗闇の向こう側を薄眼で確認しながら常に警戒を怠ってはいけない。
このダンジョンは階層構造になっていて全5階層。1階層あたりが非常に広く、階層を一つ降りるのに1週間はかかるのだとか。まあ私には関係は無いんだけどね。私はこの一階層の浅い場所でコボルトさんを狩れればそれで良いかな。
コボルトさんを見つけては倒す。これがこの一年間のルーティンワークで、コボルトさんは最早私の生活の一部だ。だから敬意を込めてさん付けだ。コボルトさん、いつも生活費をありがとうございます。
いつものように一階層の見慣れた場所をふらふら周遊していると壁際の大きな岩石に隠れるように人が倒れているのを見つけた。男の人で一人みたい。一層でここまで手酷くやられるってことは新人だろう。
近寄ってみればお腹から刃物で斬られたような鋭い出血があって酷い状態だ。呼吸は浅いけどある。まだ生きてる。
察するに私と同じようにソロ冒険者なんだろう。パーティーであればまだ息のある仲間を見捨てて帰っちゃうなんてことはしないはず。
……じゃあやろうかな。
私は手早く地面に膝を着くと手を倒れた冒険者に翳す。
回復魔法。
緑色の光がじんわりと滲んで、倒れた冒険者の身体を繭のように包みこんだ。繭から解れるように伸びる緑の糸が傷跡を縫合しながら出血を止める。
これでも私は回復役が本職だからこれくらいは出来るのだ。
暫くして私が回復魔法を止めると倒れた冒険者の容体は明らかに好転していた。出血こそ酷く見えるけど傷はもう残っていないはずだ。恐らくすぐにでも目を醒ますだろう。
私はそれを確認して立ち上がる。逃げる為である。
何で逃げるのかって?
いやだって起きたら絶対に喋り掛けられるじゃん。お礼言われて、良かったら一緒に組みませんかとか話を広げられちゃう危険性がある。それは怖い。私に話しかけても何も無いんだよ?
でも死にかけの人を放っておくことも出来ない。だからいつも倒れている人がいたらこうして治療してそっと去る。それがユンネ流処世術だ。処世術なのに全く世渡りの方法じゃないのは見逃してほしい。
その後もコボルトさんを倒して討伐証明部位となっている、コボルトさんに一本だけ生えている鍵爪状の鋭い前歯を集めていく。気付いたら懐に入れられる麻袋一杯になっちゃった。
パーティーを組んでいればもっと集められるけどソロだと20から30くらい倒せば袋がパンパンになっちゃうから引き返さないといけない。今回は26本集められた。これで6000ノキア。今日みたいにやる気を出して頑張れば一日12000ノキアも出来なくはないけど……でもこれは無理かなあ。外は多分深夜だろうし、明日は昼まで就寝コース確定だと思う。結局明日行動不能に陥ると考えたら今日と明日の平均で6000ノキア。結局収支は変わってない。ちょっと虚しい。
一先ず帰るかな。換金は明日しよう。
そう考えて見知った帰路を歩いてる最中のことだった。
ランタンが影を照らし出して、本日二人目の負傷者を発見した。非常に珍しい。何がと言うと一階層でやられちゃう人は新人くらいなもので、それも何かの間違いでソロで潜らない限りはそうは起きない。
近づいてみると綺麗な銀髪の女の子だった。なんというかお姫様のようだ。
美麗。その感想が私の中で生まれた第一印象だ。
12歳とか13歳とか、多分そのくらいだろうと思われる幼い顔つきには確実にこれから美人になるんだろうなと思える面影があって、肌も白くて目が吸い込まれそうなくらい澄み切っている。少なくとも冒険者には見えないなあ。
服も冒険者のそれじゃなくて、まるでこれから舞踏会で踊るかのような華奢な服で、モノトーンな色合いながらレースのフリルが沢山付いていて、なんというかこの場ではとても違和感がある。お腹から滲んだ血潮だけがこの女の子から私がダンジョン感を感じ取れる唯一の要素だった
……それよりも怪我を治さなきゃね。可哀想だし念入りにやろう。
先程同様回復魔法を行使する。
回復魔法は一般的には1日の間に2回ほど使えれば上等な部類に入るらしい。でも私は魔力量だけは多いから10回でも20回でも行ける。試したことはないし、回復役としてパーティーに参加しているわけでもないからこんなの宝の持ち腐れなんだけどね。
因みにそのことを武器屋さんに話したら自分に回復魔法かけながらゾンビアタックし放題じゃんとか言われた。
私もそれはやれるものなら一度はやってみたいけどさ……でも回復するにも時間かかるしその間にモンスターから攻撃されちゃうから無理なんだよ。幾ら傷を受けても即座に回復魔法で治っちゃう系剣士という新たな時代を切り開くことは私には出来なさそうだ。
雑念交じりながらもいつも以上に集中して傷を治していく。こんな可愛い子に古傷を残すのは忍びない。
さっきより少し時間を使って、女の子の治療を完了させた。
よし、これで大丈夫。
まだ眠っているようだけど目が覚めるのも時間の問題のはず。
じゃあ私はこれにて……。
「ちょっと待つのじゃ、拙を治療したのはお主か?」
背を向けて離れようとしたその瞬間、鈴を転がすような声が投げかけられて背筋がびくっと震えた。
考えるまでもなく今の声は治療した女の子のもの。こんな早く目が覚めるなんて……ちょっと丁寧に治療をし過ぎたのかも。
こうなったらやることなんて一つだ。
逃走一択。
「ちょっ……お主! 何故逃げる!? 拙は感謝を……!」
「ご、ごめんなさいー!」
「何故謝りながら逃げる!?」
死に物狂いで走る私に、女の子はぴたりと私の背に追従してくる。
驚くのはその身体能力だ。
冒険者たるもの私は肉体は常に鍛えている。それにこの周辺は日々仕事で何百回と行き来をした場所。
ダンジョン内での警戒を解いて本気で走れば地の利と地力の差で軽く振りきれると思ったんだけど、全然振り切れる気がしない。
というか何で追いかけてくるんだろう……助かったとはいえ重症には違いなかったんだから大人しくしてればいいのに。
「この! 止まるのじゃ!」
そう叫ぶ女の子の声は次第に小さくなっていた。見かけない顔だし新人には違いない。
流石にずっと最短距離で逃げ続ける私を追いかけられるほどではなかったみたい。良かった……本当に良かった。
そのまま走ってダンジョンを出た。既に深夜で、月明りのおかげで外は洞窟内よりも若干明るい。
ダンジョンから町まで私は走り続けた。もう追ってきてはないはずだけど一応ね。怖いから。
街中に入ってずっと利用している宿屋に変えると、最低限の汚れを落とした後自分の部屋で寝た。
なんだかとても疲れた……予定通り明日は休業しよ。
そうして次の日はぐっすりとリフレッシュに充てた。
私は元々回復職だからあまり体力に自信がある方じゃない。それでも今はダンジョンで前衛(といってもソロでやっている以上前衛もなにも無いとは思うけど……)を担っているから筋肉は多少付いたし、持久力だってただの回復職よりはある方だ。回復職としての腕だって同業者よりは多少自信があって、少しの時間さえあればどんな怪我だろうと一発で確実に完治寸前まで持っていけるのが私の数少ない自慢できるポイントでもある。
でもやっぱり幼い頃から身体を動かしていた人達と違って基礎的な運動能力が劣後してしまうから、どうしてもこうやって1日に2回なんて無茶をすると次の日に響いてしまうんだよね。
特に両腕がじんじんする。剣を何度も握ってはコボルトさんを倒したせいで筋肉痛が身体を縛り上げる。1回だけなら翌日まで響くことは無いんだけどなあ……単純に私の鍛錬不足だねこれは。といっても鍛錬する時間も余裕もその日暮らしに近い私には無いから結局はダンジョンに潜って戦ってのループで毎日が終わっていくんだけどさ。もうこればかりはどうしようもないよ。実戦経験を積んで継戦能力が上がっていると信じたい。本当に。
その日は結局ずっとベッドで寝続けることになる。大分マシになったのは夜になってからのことだった。なんだか一日を無駄にした気分だよ……やっぱりダンジョンに潜るのは1日1回が適量かもなぁ。うん。自分の身の程を弁えよう。
そして身体を休めた翌日、仕事の為私はギルド会館まで足を運んでいた。
一昨日の倒したコボルトさんの換金もしなきゃならないし、それに生活費がやっぱり足らない。つまり仕事日和。今日も元気にコボルトさん退治を頑張ろう。おー。
まずはギルドの受付に並ぶ。余裕を持って朝から来たんだけどそれでも混みあっているなぁ……私がここに来た一年前よりも大分人が多いよ。やっぱりここのダンジョンは周辺じゃ一番大きな稼ぎ場とあって、日に日に賑わいを見せているみたいだ。
暫く待って、私の順番が来るとゴソゴソとコボルトさんの牙を提出した。
かなり緊張する。人と話すのは基本、私の毎日においてギルドで換金するときくらいだ。
「か、換金を……換金お願いします」
「はい。ギルド証はお持ちですか?」
私は首から吊り下げていた紐を手繰り寄せると、無くさないように胸元に入れていたギルド証を取り出して渡す。それを見てにこやかに受付嬢は言った。
「確認しましたオリーゼさん。中身はいつも通りコボルトですね」
「こ、コボルト……さんです」
「ふふ、かしこまりました。少々お待ちください」
おかしげに受付嬢は口角を上げた。
この受付嬢とは顔なじみだ。女の冒険者が物珍しいというのもあるけど、私はほぼ毎日コボルトさんを持ち込むから完全に印象がコボルトの人なんだと思う。あと口が下手だからそれも印象あるかも。うう……凄い惨めになってくるから考えるの止めよう。
受付嬢は手慣れたように袋の中身を検めると数を数えて貨幣を奥にある小箱の銭入れから持ってくる。
「ギルド証こちら6000ノキアになります。ご確認ください」
「だ、大丈夫です……」
「それにしても今日は夜通しお仕事されていたんですか? 朝に換金に来るのは珍しいですよね」
「そ……そうですか? あの……これは前仕事した分で……昨日の」
「そうでしたか。では今日はこれからコボルトを?」
「は、はい……その、コボルトさんを倒します」
「なるほど、お気を付けて。貴方のダンジョン攻略に武運あらんことを」
6000ノキアとギルド証を懐に入れて私は列を外れる。
取りあえず今日も今日とてダンジョン攻略。攻略と言っても私は一階層のコボルトを倒して小銭稼ぎをするだけだから実質コボルトハンターだけどね。でもダンジョン攻略と言われると少しテンション上がるなぁ。
それにしてもやっぱり会話は疲れる。ダンジョンにいるよりも神経を使うよ。今でもこれなのにパーティなんて組んだらきっと過労で死んじゃう。
ギルドから出ようとしたその時だった。
「見つけたのじゃ!!」
「ひえっ……!?」
肩を掴まれて思わず声が出た。
なに、誰……!?
振り向くとそれは一昨日ダンジョン内で治療した女の子だった。ただあの時のような儚い雰囲気はなく、快活とした表情で私を見定めるように琥珀色の瞳が全身に向けられる。
服は一昨日見た時と同じく血で薄汚れたドレスで、よく見れば髪なんかも少々土埃で薄汚れているかもしれない。絶対いいところのお嬢様だと思ったのに着替えどころか湯浴みすらしてない様子。ただぱっと見の汚れとは反対にあの時の切り傷の後遺症は無いみたいで、痛みをまるで感じさせない綺麗な相貌を大っぴらに披露している。
辻ヒールで治療した相手の治療後を直接見たのは私、初めてかも。この子は結構大怪我だったけど元気になったようで何よりだねぇ……って違うよ!
何でこの子ここで私のこと探してるの……!?
しかもこの女の子の格好も恰好だから凄い目立ってるし!
「多少雰囲気は違うが……まあよいお主、まずは感謝するぞ。よくも拙を助けて」
「ちょ、ちょっとあのえっと待ってというかこちらへ!」
「うぇ!? 何処に連れて行く気じゃお主!?」
こんなギルド会館の目立つ往来で話すのは恥ずかしい……!
私は無理矢理手を引っ張って、ギルド会館外に出て直ぐ側にある人通りの少ない裏路地へと女の子を連れ込んだ。
説明を要求するように瞳を向けられた私は思わず目を逸らした。
「あ、あの……目立つのはちょっと……良くないので」
「なんじゃそれは。まあ構わぬが。拙は器が広いのでな」
「そ、それで、ええと……何か用ですか」
「だから言っておろう。礼を言いたいと」
「それは別に……ま、まあ受け取ります。そ、それじゃ私はこれで」
「だから待ってと言っておろう。お主は話を聞かず良く逃げる女じゃのう」
女の子は背を向けた私の肩を掴んでくる。
礼とか感謝とか言われたって私は貴方のためにしたわけじゃないし……何か見過ごせないから助けただけで、理由があるとすれば全部自分の為なんだよね。
それよりも早くこの会話を切り上げたい……!
見知らぬ人と話すの、すごい疲れる……!
私の気持ちなど一ミリも通じないようで、女の子は「そうじゃったそうじゃった」と会話を続行させる構えの様子。
「自己紹介をまだしてのうかった。拙をレーゼ・ガンガリア。ガンガリア魔立国家第三王女じゃ。これからよろしゅう頼むぞよ」
「は、はい……?」
「お主は名をなんと?」
「え……ユンネ・オリーゼ……」
「良い名じゃな」
衝撃過ぎて思わず思考停止で流しかけたけど今なんて言った?
ガンガリア魔立国家第三王女?
なにそれ? 他国の王族ってこと?
ええ……本当に何でこんなところにいるの。
衝撃過ぎて口が開きっぱなしになる私に女の子……レーゼは何かを決心するように頷いた。
「ではユンネよ。拙は魔王の娘というやつじゃ。そんな拙は助けられたお主に褒美を与えねばならぬ」
「は、はあ……」
「しかし見ての通り今の拙には何も無いのじゃ。権力闘争に敗北し、家臣にも裏切られこんな場所に捨てられてしまってのう。分け与える財や名誉も拙は持ち合わせておらぬ。正に今の拙は一文無しの最弱無敵って感じじゃ」
残念そうな口ぶりながらも縷々とレーゼは説明をする。さらっとトンデモなく絶望感を覚えそうなバックグラウンドを言われた気がするけどレーゼには悲壮感はない。
褒美と言われても私は何にも要らない……というかもし要るとすれば多少お金が欲しいかな~ってくらいなもんだよ。
「い、要りません……私は貴方を助けたのはその、見捨てられなかったからなので」
「ほう。拙を助けたのは飽くまで自分の為と?」
「そ、そうです」
「ならば拙も反駁しよう。拙がお主に褒美を授けるのは拙のためじゃ。拙の覇道には一滴たりとも淀みは要らぬのじゃ。魔王が恩を享受してそのままというのは拙の流儀に反する。だからお主には嫌でも拙の褒美を遣わそうと考えておる」
「そ、そうですか……」
生返事にも関わらずレーゼはうむと尊大に頷いて見せた。
「しかしここで問題じゃ。先程から言っておるように拙にはお主に与えられる物はない。そこで拙に考えがある」
「あの……無理しなくとも」
「遠慮せずともよいよい。お主、ちょっと近う寄れ」
「は、はい……?」
「お主が女で良かったぞい。それに顔も良いしのう」
「な、何を……!?」
「まあまあお主にとっては損の無いことじゃ」
そう言ってレーゼが胴体を掴んで無理矢理私を屈ませた。レーゼの怜悧な目が刺さる。うっ何か眩しい。容姿が良いと言うのもきっとあるんだろうけど、レーゼには惹き込まれるようなオーラがある。圧倒的上位者というか、王族の気品が私の目を奪う要因を形作っているのだろう。
徐々にレーゼの顔が近づいてくる。良く見れば白雪を被ったような色合いをしている睫毛がしっかり長い。いや違くて。まさかちょっとそういう行為をしようとしてる?
刹那、唇に暖かな感触。甘い香りが鼻孔を擽る。甘い吐息が一瞬レーゼから聞こえる。レーゼの真っ白な頬は仄かに赤みがかっている。
あれ、今私完全にその、キスされた……?
いや初対面でそんなわけ……でも顔近いしなんか唇からはほんのり温まった体温の残滓を感じられるし……。
あまりにも唐突過ぎる不意打ちかつ予想外の行動に私の思考が止まる。
………………なにこれ。
………………なにこれ!?
思考が回り始めるや否や、急いで私はレーゼから離れた。
「ちょ、ちょ……ちょっとあの! 突然何をしているんですか!?」
「必要経費だからの」
「な、何のですか!?」
「拙がお主の奴隷になるために必要な行為なのじゃ。説明が遅れたがの、拙が今出来るお主への褒美はこの身を差し出すくらいなのじゃ」
「な、なのじゃって……はい? 奴隷?」
「これを見れば分かるかのう」
そう言ってレーゼは小首を傾げる要領で首元をこちらに見せるように曝け出した。
朱色の奴隷紋が肌に薄く光り輝いている。こんなのはさっきまでは当然無かったと思うし……つまり私とレーゼがその、接吻をして契約が結ばれたということ?
私が唖然としてながら自分の唇を触っていると、レーゼは説明を求めていると考えたみたいで口を開く。
「この紋章は流石に知っておろう、要するに奴隷契約じゃ。まあ身体に唇を重ねる手法自体は拙の国の技術じゃから知らんかったとしても恥じることは無い」
「は、恥じてなんて……そうじゃなくて……!」
「それともお主が気になっているのは拙がお主の奴隷になったことかのう?」
首を大きく頷かせて肯定を示す。
「奴隷って……いきなりそんな言われても……」
「なに、そう憂うでない。拙は確かに第三王女という立場じゃが今はただの市位の平民じゃ。ここじゃ国も違うしのう」
「た、立場の話じゃなく……」
「ああ、突然奴隷の主となって困惑しているのかのう? それはすまんじゃった。これは拙なりの感謝の形じゃ、諦めとくれ」
「諦めろって……あの……それは勝手というか」
レーゼの目を見れば分かる。本気だと言うことが。だからこそより私は困惑する。
だって今日から主人って言われたってさ……私そんな面倒見れるほどお金無いし……。
レーゼは私の困惑を見て少しを愉悦を覚えるよう目を細めると、無視して話を続けた。
「拙はこれでも結構役に立つと思うぞ? お主は冒険者じゃろ、拙は魔法がガンガン使えるのじゃ」
「は、はあ……例えば?」
「一番得意なのは
指を折りながら使用可能な魔法をつらつらと並べていくレーゼに私は一歩後退った。
なんだか全部物騒過ぎないかなそれ……。
仮に、仮にだよ?
もし一緒にパーティーを組んだとして背後から誤爆されたとする。回復魔法は使えてもそれ以外の魔法はからっきしな私じゃ間違いなく抵抗も出来ず死んでしまう。
「え、遠慮したいです……」
「よいよい、遠慮なんかせずとも拙の力を頼ってくれてよいぞ! 拙に掛かればアプトドラゴンだろうがエスマックゴーレムだろうがちょちょいのちょいじゃぞ?」
「あの……なんというか……ごめんなさい」
もうちょっと強めに断りを入れたい気持ちはあるんだけど、元来のコミュニケーションの下手さからつい謝罪をしてしまった。
正直……私は今日会ったばかりのレーゼを信用することが出来ない。
意固地に拒否を続ける私にレーゼは遂には困るように眉を吊り上げる。
「とはいえ拙は戦闘以外じゃあまり役には立てぬぞ? 家事や些末な仕事はそこらの給仕に任せて生きてきた拙にそういう方面の仕事を求められると困るから先に言っておくがの」
「別に……そもそも、奴隷なんて求めてません」
「しかし現に拙はお主の奴隷じゃ。ほれ、この通りな」
またもや奴隷紋を飄々と見せてくるレーゼに本当に王女様だったのかという疑念が湧いた。普通王女ってもう少しプライドというか、品性があるイメージなんだけど……やっぱり他国だから有り方が違うのだろうか。
いやいやそんなことはどうでもよくて。
色々と頭がこんがらがってきちゃったけど、今一番大事なのはレーゼをどうするかという一点だ。
奴隷になってしまったのは事実。確か奴隷紋には脱走防止機能として一般的に、主人から一定の距離を取った場合に耐え難い苦痛に苛まれるとか。ギルド内でちらっと聞いた話だから良くは知らないけど。
でも浅い付き合いとはいえ自分より小さな女の子を見捨てるのは心苦しいよね……。
「……わ、分かりました。奴隷契約はいずれ解除しますけど、一旦は私の部屋に来てくれれば」
そう言うとようやく話を分かってくれたとばかりにレーゼは目を見開いて喜色を浮かべた。
「助かるぞよご主人様!」
「あ、あの、ご主人様って言うの止めてください……目立つので。な、名前でお願いします……」
「そういうものかの? まあ拙もこだわりは無いが……となるとお主の事はユンネと呼べば良いか?」
「……あ、は、はい」
久しく呼ばれてなかった名前呼びに思わず動揺しちゃった。
まるで私の心の中に踏み入れられた上で心臓をがしりと掴まれたみたいな気分だ。
レーゼからの名前呼びには不快感は無いけど……でも王族ってみんなこんな軽いノリなのかな。だとしたらとてもカルチャーショックかもしれない。
「あ、拙のことはレーゼと呼ぶがいい。もうガンガリアとは縁が切れてしまったのでな」
「わ、分かりました……」
付け加えるようにレーゼからそんなことを言われたけど。
む、無理無理無理!
名前呼びなんてとてもとても畏れ多いと言うか私には艱難辛苦で多事多難な行為そのものだから出来ないって……!
取り敢えず……当分はそれとなく名前を呼ばないようにしてみよう。私の心の安寧の為にも。
「改めてユンネよ、これから長い付き合いになるかもしれんが宜しく頼むぞよ」
「は、はい……分かりました……」
誰とも関わらずに他人から程良く距離を置いて暮らす日常は何処に消えてしまったのか……。
何でこんなことに……。
一週間分の対人経験を一度に摂取したことによる眩暈と疲労と緊張から頭を押さえつつも、私はこの例外的な日々の一刻も早い収束を天に願った。
試作的な何かです。