休みの朝。前日の疲れが額のあたりにたまり、じくじくと妙な感覚を醸すのは、別に今に始まったことではない。時計を見て、9時を指しているのを見て、はてな、と首をひねった。普段ならば、とっくにたたき起こされているからだ。いわく、布団が干せない、とか、そういう事を言われている。結局、床の上で二度寝して、それでまた怒られる、ということがよくあったから、最近は8時まで容赦してもらっている。
同衾、ということについていえば、司令と参謀が一緒にダウンしてはいけない、という理屈で、したことはないのだが。それ以前にいろいろしてるんだから、手遅れだろう。と言うと、気恥ずかしいんだから、察してくれ、といわれて、こちらの顔が赤くなってしまった。
畳の目を見て、布団から這い出すと、ぶる、と体が震えた。ああ、布団に戻って寝て居たい、そう思ったものの、さすがにいろいろと心配なので這い出す。
襖を開け、下を見て、理由が氷解した。
「うー……あれ? てーとく?」
「仕事場じゃないのに提督って呼ぶのやめろって」
顔を赤くして、布団に沈み込んでいる龍驤が、そこに居た。
「とりあえず龍嬢ちゃんに座薬入れたい(仮)」
「……熱、測れるか?」
「うん……体温計……薬箱に入れとるんやけど、わかる?」
体温計を箱から取り出し、パジャマの襟元のボタンをはずし、わきの下に入れさせる。
「ひやっ。んもう。指で温めといてぇや……」
「体温計の意味がないでしょうが……」
すぐにピッ、というピープ音が鳴る。体温計の数字は、38.6度を指していた。
「……風邪だなあ。食欲、ある?」
「……いらん。なんか食欲ない……」
「おかゆ作るけど……」
そう言うと、龍驤は顔をしかめ、唇を尖らせて、言った。普段の元気さ、というよりは、甘えるような弱弱しい声である。まるで子供のようだな、と考えると、それを読まれたのか、眉が動く。
「おかゆさん嫌いや。うどんにしてーな」
「うどんって……まあ、病院行った後にするか。着替え、できるか?」
そう龍驤に言うと、赤かった顔に、もう少し別の種類の朱が差した。
「えっち……」
「病人相手にそんなことするか!」
「えー、でもてーとくの本棚の裏の本、そんなんばっかやろ」
それを聞いて、龍驤の額を軽くはたく。熱が、指に伝わってきた。
「嘘を言うな。まったく、それだけ元気なら早く着替えて準備しなさいって」
「もー、病人たたかんといてぇな……」
結わないままの栗色の髪がするり、と動き、龍驤は身支度を始めた。
「出てた方がいい?」
「……今更やろ……」
「まあ、それもそうね」
そう、本当に今更である。第一、同居している時点でそういうの、はよくあったし、残念ながら子供はまだないが、仮にできた場合、製造物責任者には提督の名前が記されることだろう。
「……せやけど、マスクとかあるかなぁ。うちはアホばっかりやから常備薬もないもんなぁ」
「……ガーゼのマスクならあるよ」
「えー、あれつけたらうち小学生みたいにみえるやん……てーとく、職務質問されたら叫ぶで?」
「はいはい。早くつけて行きましょうね」
「……はぁい。なんや、ちょっとした冗談やん……」
ぶつぶつと文句を言う龍驤の口をマスクでふさぐ。普段は結っている髪に手を差し入れ、耳にそれをかける。普段こんなことをしようものなら、髪にさわらんといて。といわれてしまうのだが。
「……本当に小学生に見えるな」
ゆったりとしたスエットの上にダッフルコートを着て、長めのスカートをはいたその姿は、風邪を引いた小学生、といわれても通用する物だった。顔のつくりが大人のそれに近いため、若干違和感はあるが、おそらく小学5年生と並べたら、年下に思われてしまうに違いない。
「……なんや、それやったらウチに手ぇだしたアンタはロリコンやね」
「……まあ、どうでもいいから病院いこっか」
「……ほんま、いけずやわぁ……」
そう言って、外に出る。そして、龍驤は開口一番、こういった。
「帰ろか」
「薬もらってこないとダメだろ……」
「いやや、寒いねん……」
はいはい、といいながら車まで引きずっていき、何とか助手席に座らせ、リクライニングを少し倒す。
「寒ぅ。なんでこんな寒いん?」
「暖房ついて無いからね。ちょっと待ってって」
エンジンをかけ、暖房をつける。暖房のききはやたら強いため、すぐに車内は温かくなるが、眠くなるのが少し問題だった。
「……あったかぁ」
そう言って、普段だとうるさいほどの龍驤は寝息を立て始める。本当に疲れていたのだな、と考えて、なるべくゆっくりと運転して、病院につくと、すぐに「風邪ですね」と診断されてしまう。
「……なあなあ、お医者さんに言うてほしいんやけど。ちょっとはずかしゅうて」
「……何?」
「……あんな、粉薬とか、錠剤とかそういうの嫌いなんよ」
「……子供か」
「あー、子供か言うた。うちに手ぇ出したくせにぃ」
わかったよ、というと、要望を伝える。咳止めと鼻水の薬は無理だが、解熱剤は大丈夫だ、といわれて、複雑な顔を思わずする。いや、まさかな、という感じである。
で、端的に言うとそのまさかであった。スーパーで関西風のうどんを買って、家について薬の封を開けると、そこには普通の風邪薬と、座薬が鎮座していたのである。
え、これ俺が入れるの。と逡巡していると、龍驤がやってきて、言う。
「おなかすいた……」
うーむ、どうしたものか。と提督は考えながら柔らかめに麺をゆで、関西風の出汁をかける。そこに、龍驤からの声がかかった。げほん、とせきをしているため、少し声がかれて聞こえる。うどんを出すと、うーん、と唸りながら、龍驤は言う。
「なー、卵とか落としてくれんの? やぁらかいやつがええ」
「そういう器用なことができる旦那でなくて申し訳ないですね」
「もう、気がきかんなあ。きみは」
そう言いながらも、ゆっくりと龍驤はぺろり、とうどんを平らげた。食欲ない、って言ってた割には元気だなあ、と思わず口に出すと、きょとん、とした顔で言う。
「えー、せっかく普段家事せぇへんキミが作ってくれたんやし」
「……ごちそうさん」
そして、薬を飲ませた後に、ふともう一つの薬袋を見て、ううむ。と考えこんだ。
「……解熱剤とか、ないん?」
「……いや、あるんだけどね」
アルミニウムの包装を見せる。あー、と龍驤は首を縦に振り、そして。
「キミ、アレやんな、そういう趣味あったん?」
「いや、龍驤さんね、君が錠剤も粉薬もいやだって言うから……」
「……いや、その、わかっとったんやけど……」
もごもごと歯切れが悪い。
「……なあ、入れてぇな」
「……はいはい。ほら、お尻出して」
「なんかやらしーなぁ」
「はいはい!」
なるべく熱で赤くなったすべらかな肌を見ないようにして、アルミの包装を破り、すこし灰色がかった薄い赤のすぼまりに、座薬を押し込んだ。指でぐっと中に押し込むと、するり、とそれを飲み込み、すこししてにゅるん、と出てくる。もう、とうめきながら、指でそれを奥に押し込むと、龍驤の喉から艶っぽい声が出た。出てこないことを確認すると、終わったぞ、と声をかけると、彼女の目じりのあたりに光るものがあった。
「……そういうことせぇへん、って言うたやん……」
「やかまし」
龍驤のお尻を軽くはたき、ほら、早く寝ろ。といって、襖を開け、部屋から出ようとすると、背中に声がかかった。
「……なあ……おおきに」
使っていない方の手を上げて、襖を閉める。いつもは、あんなに甘えてきただろうか。と、ふと考えながら。
「はよ起きーや!」
目じりを揉む間もなく、布団から転げ落ちる。龍驤は、いつものように髪を横で結い、からからと笑う。元気になったのはいいけれど、あの時のしおらしさが恋しい。そう、ふと思わないでも、無かった。
―了―