こたつの上に積まれたみかん。その一つを手にとりつつ、私は東北を揺さぶった。
「東北ぅ、折角遊びに来たんだからさぁ、かまえよぉー」
「嫌です。これ終わるまで待ってください」
さっきからそんなことを言っているけど、東北のゲームは一向に終わりそうにない。東北は「死んだら終わりですから」とかなんとか言いつつ、ゲームの方はは危なげなく順調に進んでいってるみたいだった。
「東北はゲーム上手すぎなんだよ、もうちょっと下手目にやってよ」
「わざと下手にやるプレイヤーが居ますか。もう少しですよもう少し、もうちょっと待っててください」
東北はごろんと寝転がって、私に背を向けた。とにかく今は邪魔して欲しくないらしい。こうなったらもう仕方ないけど、他にやることもないので、私も同じように寝転んで、東北のやってるゲームを後ろから覗いた。
「東北、みかん食べる?」
剥いた一粒を口元に持っていったら、東北は何も言わず口をあけて、食べた。餌付けされた動物みたいでちょっとかわいい。
「美味しいかー?東北ー?」
東北のほっぺたをつんつんする。無愛想なくせに頬がやわっこくてよく伸びるから、なんか面白い。
「ウナ、マジでうざいです……」
もー特に反応してあげないですからね、と東北は言った。よくこうやってちょっかいかけて、うざがられたり怒られたりするけど、東北にかまってもらうのが嬉しくて、つい、なんどもやっちゃう。いつもの経験からしてここらへんが東北の怒るラインだから、これ以上は我慢することにした。ほっぺたを触ってた手を、そのままお腹まで下ろして、邪魔にならないくらいに抱きついた。他の友達から見たらからかわれるだろうけど、東北は何も言わないので、よくやっている。
「……ねぇ、東北」
「なんですか」
「学校、来いよぉ」
――東北は不登校だ。理由はわからないけれど、とにかく学校へ来ない。自宅である程度勉強はしているみたいだけど、自力ではやっぱり足りないところがある。だから私は、連絡帳を渡したり、ノートを少し見せたり、そういう建前で東北に会いに来ている。
「嫌です。行く必要ありません」
「なんでさ」
「いちいち行かなくてもウナはここにくるじゃないですか」
その言葉の中に、私の想いを見透かされているような気がして、どきっとした。けれど、考えてみれば私がここにくることを東北が好意的に思っているということでもあるか、と考え直す。そうだとすると、ちょっと嬉しい。
「じゃあ私がここに来なくなったら、その、東北は学校来るのか?」
「できもしない例えを出すべきじゃないでしょう」
言葉に詰まってしまった。東北はもしかして、気づいているのだろうか。何も言えないまま、私は東北の言葉を待った。
「……まったく、あなたはいつも楽しそうで、羨ましいです」
東北が話題をそらしてくれた。よかった。
「……そうかなぁ。まぁ、実際楽しいことは多いけど」
「あのつまらない学校で、でもですか?」
「それもまぁ、楽しいことの一つ」
ふと窓の外をちらと見やる。今日の放課後、ここに来たときと同様に雪はまだ降り続けていた。このまま行けば、ある程度積もるんだろうか。冷え切った空気の中で東北の体温がぬくい。
「でもさ、一番はやっぱり東北といるときだよ。だからさ、東北にちゃんと学校に来て欲しいんだ。楽しい時間をもっと楽しくするために」
「その言葉が、教師から指示されて放った上辺やおためごかしではないことはわかっていますが……」
東北は無意識にか、頭を搔いた。その隙にゲーム画面は突如明滅し、フッと画面から光が消えた。
「充電切れ?」私は訪ねた。
「そうみたいですね」東北はそう答えた。
「それならさぁ、丁度いいし外に出ようよ。雪降ってるよ、雪」
「嫌ですよ。雪くらいなんですか。あんな白くて冷たいだけの粒に、なにを興奮してるんですか」
「それはそうだけどさあ……」
「こんな寒いのに外出る必要なんてありません。ほら、ちょっと手を離して。飲み物をとってきます」
「えぇー」
「えぇー、じゃない」
手を解くと東北はさっとこたつから這い出して、冷蔵庫へと向かっていった。
暇になった私は、こたつの天板に顎を乗せて東北が戻るまでひとりごちることにした。あと何十分かすれば東北の姉さんが帰ってくる頃だ。東北の姉さんは愛想が良くて、元気があって、一緒にいると楽しい人だけれど、東北と二人っきりのこの時間が終わるのは名残惜しかった。
少しして、東北は小さな盆の上にのった二組のオレンジジュースが入ったコップを連れて戻ってきた。さっきとは違って私の対面席に座す。
「今日はいつまでいるんですか?」
出し抜けに東北はそんなことを聞いてきた。
「んー?帰って欲しくないか?ずっと一緒にいる?」
「ウザいです」
「はは、まあ、東北の姉さんが帰ってきたら、私も帰るよ」
「そうですか……」
東北は冷えたオレンジジュースを少しずつ飲みながら、何かを考えているようだった。私もそれを真似して、同じように飲んだ。お互い何も言わず、何もない時間が滞留した川みたいにゆっくりと流れていく。私はコップを片手にじっと東北を見つめる。東北は変わらず、何も言わない。ただ、私を馬鹿げてるとでもいいたげに、一つ溜息をついて、明かりのつかないゲーム機を手で弄っているばかりだった。
「なぁ、東北」
「なんですか」
「そっち行っていい?」
「駄目です」
ぴしゃりと東北は断る。
「なんでだよぉ」
「あなたがまるで自分のものであるかのように私の身体を触ってくるからです」
「嫌か?」
「嫌……です」
東北は目を瞑った。眉間に皺がよっていて、何かを考えているようでもある。
「あなたが当然のようにそうしてくるのが、正直、苦手です。ウナ、私はあなたがよくわからない。あなたは誰にでもこんな風に過剰に触れ合ったりしてるんですか。私は学校でのあなたをあまり知りませんから」
胸をナイフで刺されたような、そんな鋭さが、東北の言葉にはあった。後悔に駆られながら、私は、必死に言い訳の言葉を探す。
「学校では……あんまり、しないけど。からかわれるし。東北はそういうことしないから」
「からかわれなければ誰にでもするということですか」
「それは……」
私は恥ずかしくなって、目をそらした。
「いえ、私が本当に聞きたいのは、こういうことではなく……つまりですね――」
東北はゆっくり一呼吸置いてから、私の顔をじっと見据えた。
「あなたは、私のことが好きで、そういうことをしてるんですか?」
私はその質問に、すぐ答えることができなかった。答えようと思えば一言で済む話――だけれど、思いを伝えてしまったときの東北の反応が怖くて、言い出せない。時計の秒針が時間を刻む乾いた音だけが部屋中に響く。この空間はただ気まずいばかりで、私は曖昧に逃げることもできず、覚悟を決めるしかないんだと何度言い聞かせても、どうにも勇気が出ない。
私がへどもどしているのを見かねてか、東北は溜息をついた。
「この場で答えられないのは、あなたは自分の気持ちも理解してない考えなしであるか、私の身体は好きにするくせにいざというときには何も言えない意気地なしであるか、そのどちらかですね」
なにもかも東北の言うとおりだった。私はもう何も言えず、自分の不甲斐なさに歯を軋ませることしかできなかった。
「……まったく」
東北はふと立ち上がり、私の隣に再び座った。東北の行動の意図が読めず、私は隣の東北をじっと見た。東北は私に気づいていないかのように正面を見ていた。
「私は、ウナのこと、好きなんですが」
「え……」
こちらに視線を向けない東北の横顔が、耳まで赤く染まった。東北は顔に出やすいことを初めて知る。もともと白い顔な分だけ、違いは顕著で、その言葉が嘘じゃないことは一目瞭然だった。
「だから本当のことを言えば、あなたのスキンシップは、嫌じゃありません……嫌なのは、あなたが軽薄そうにそうしてくることです」
東北が私の手をそっと握った。
「どうなんですか……?ウナ、あなたの中には私だけなのでしょうか、それともすべて私の勘違いなのですか?」
心臓がばくばくする。
「私も……東北が好き、だけど……」
東北からこうまで言われてやっと、この言葉ひとつしか紡ぎ出せない自分を、少し自嘲した。だけどそれを差し引いても、嬉しい。東北が私に、好きだって、そう言った。体が震えてしまう。
「……そうですか」
はっ、と東北はひとつ息を吐いた。東北も、きっと緊張していたのだろう。それはそうだ。私がずっと思いつつ言い出せなかったことを、東北は言ったのだ。
「ずっと前から、好きだった。ごめん東北。いつか言おうって思ってたけど、嫌がられたらどうしようって、思ったら、何も言えなくて。でも東北にかまって……ほしくて。ごめん、ごめんな」
「構いませんよ」
東北は薄く微笑む。私の顔を見つめて、私に、小さな笑顔をくれる。
「それに、私も似たようなものですから……」
「だけど、東北はちゃんと言ったじゃないか」
「そういうことではないんです……あぁ、なんというか、私が懸念してるのは今ではないんです、どちらかと言えば、これから……」
「これから?」
「ええ。でも、今はいいでしょう……ねぇ、ウナ」
東北は私の手を自分の胸まで持っていって、パタリとその場に仰向けに倒れた。引っ張られた私は東北に覆い被さるようになりながら、なんとか体勢を整える。私の体で影に覆われた東北は、私の手を頬にあてる。
「私と、したいことはありますか?」
「したいことって、その……」
「なんでもいいですよ?いくらかは、あるでしょう?」
「ある、けど」
「それを、私にしてください」
そういって、東北は目を閉じた。頭がぐらぐらする。心臓がずっとなりやまない。頬を撫でる。少しくすぐったそうに、東北はみじろぐ。それでも嫌がる様子もなく、おとなしい猫みたいに撫でられている。あの普段はそこそこに素っ気ない東北が、こんな反応をするなんて。夢だったりして、とか、考えてしまう。頭に血液が集中する感覚。熱い。
頬を撫でる手を、私は少しずつ滑らせていった。首から肩、腕と指先、脇腹から腰。布越しのやわい感触がする。強く握ったらつぶれてしまうんじゃないだろうか。そんなことを思った。指先が腿にまで来て、私はその周辺の肌をさらさらと撫でた。こたつにあてられた皮膚の人工的な熱が、私の手のひらを伝わってきた。東北の呼吸がわずかに震える。これはさすがに、まずかっただろうか。
「ウナは、スケベですね」
「…………」
おおむね、その通りかもしれないのでなにも言えなかった。
「ふとももが好きなんですか、ウナは。まぁ、私もそうですけど」
「東北のそれは、少し見境がないけどな……」
くすくすと笑う。滅多にみれないけれど、東北の笑った顔は、本当にかわいい。
「なぁ、東北も私に触ってよ」
「……おっと、解釈違いかも知れませんね。私的には私が一方的な受けだと思ってたのに」
「……受け?どういうこと?」
「おっと、ウナはまだ知りませんでしたか」
いいことです、と東北はにっこりする。東北言うことは時々わからない。
「いいですよ。ウナの弱いところ、私も知っておきたいですしね」
そういって東北の手がするすると、私の背中にまわる。私も真似して、必然的に抱き合う形になった。
「ウナはあったかいですよね……」
東北の手が服の裾から中に入ってくる。直に背中を撫でられる感触が、少しくすぐったい。
「ブラ、外していいですか?」
「いやそれは、ちょっと」
「今日は、そこまでは行かないんですね。へたれ」
うぅ、そうかもしれないけど。そういうのってよくわからないし。そんな私の気持ちも知らず、東北は私の肌をさらさらと撫でていく。くすぐったい感触の中、ときおりすごくぞくぞくするときがあって、妙な気分になる。私のやり方とは全然違う気がする。そういう触りかたとか、あるんだろうか。さっと私の表面を浚っていく東北の手は、まるで私のことをすべて知っているみたいなのだ。皮膚から感じ取れる体温だけでなく、きっと、私の脈拍や発汗量や、瞳孔の収縮や感情の昂りなんかも、それこそ手にとるように、わかっているんじゃないだろうか。もしそうなら、なんだか、嬉しい。私も同じように、東北のことが知りたい。
「ほら、ウナも」
そういって、東北は私にも同じことを促す。私は東北の服の中に手を忍ばせて、なめからな脇腹や堅い肋骨の感触を手で確かめるように這わせていく。私のてのひらは東北の手のようにはいかず、なんだかおぼつかない。私は少し自信を無くしてしまって、東北に救いの目を向けた。
「大丈夫ですよ……指先ですこしなぞるようにするのを、意識してみてください」
言われるままに、私は奮闘する。指先で一本の糸を撫でるようなイメージで、私は柔らかい肌に指先で線を引いた。これで、あっているだろうか。私は、東北を喜ばせられているだろうか。何も見えない暗闇の中に、小さく標をつけていくように、私は東北の体をなぞり続ける。
「そう。そんな感じ。上手いですよ、ウナ」
その言葉に、私はほっとした。わからないなりに、なんとかできてるみたいだ。
私達はそのままお互いの体をまさぐりながら、ぽつぽつと会話を続けた。不思議な感覚だった。いけないことをしている、そんな空気感なのに、東北との間には優しい安心感のようなものがあった。その中で私達は宙に浮くみたいに、お互いを肌で感じあっていた。家族の笑い話、ゲームの攻略の話、欲しい物の話、話題は何でも良かった。お互いいつものように話し合いながら、興奮と鎮静の間を漂っていた。
「……ねえ、東北」
「なんですか、ウナ」
「キス、したい」
「…………」
東北はすっと言葉をとめる。悩んでいるのだろうか。東北のことだから、なにか交換条件を考えているのかもしれない。もしくは、またからかいの言葉の一つでも言おうとしているのか。私は東北の言葉をじっと待った。
「……一応、確認しますけど。本気ですよね?」
「うん」
キスというものに、私は前から憧れがあったのだ。恋の成就、その最初の達成の一つとして、キスがあるような気がしていた。東北とキスをする妄想を、したことも何度かあった。今日こうして東北に言うことになるとは思わなかったけれど。
「ウナ」
「なに?」
「私、本当の本当に本気にしますよ。後戻りは、できません」
そういう東北の目はいつもより少し違っていて、いつになく真面目な表情だった。私にはわからなかった。本気にする、とはいままでと何が違うんだろう。
「いいよ」
私がそういうと、東北は小さく頷いて、軽く咳払いをしてから、目を閉じた。OKの合図だろう。私は少し緊張しながら、東北の頬に手を添える。
瞬間、玄関の方で物音がした。
「あ……姉さまが」
東北がそう言って、私達は即座に離れ、普通を装って東北の姉さんを迎える準備を整えた。
「ただいまー。あら、ウナちゃんじゃない。まってね、今お茶を出すから」
「あ、いえ、おかまいなく……もう帰るところでしたから」
東北とアイコンタクトを取りながら、私はそそくさと帰る身支度を整える。その最中で、東北がぽつりと呟くように、だけれど確実に私に向けて、言ったのだった。
「明日も、来てくれますか?」
私はもちろん、と言おうとして、ふと考え直した。少しいたずら心というか、東北にたいして、意趣返しがしたくなったのだ。
「明日は行かない。だって、明日は東北が学校に来るから」
それを聞いて東北は、一つため息をついた。
「できないことを、言うもんじゃないでしょう……私のことが、好きなくせに」
いつものように、私は教室に入った。昨日の雪は夜中に勢いを増したらしく、外は結構積もっていて、今日は学校へたどり着くのも中々に大変だった。
教室の中へ足を踏み入れた瞬間、どことない違和感を感じた私は、さっと教室内を見渡す。なんだか、人なりがいつもよりざわざわしている気がする。そのざわつきの正体を判別できないまま、私は自分の席へと向かう。
私の机は教室の一番奥、黒板を向いて一番左側の、黒板から一番遠い席だ。机にランドセルを置いて、壁に貼り付けられているアナログ時計を見る。私は学校のチャイムがなるまで、しばらく時間がある。誰かと、ちょっと喋ってようかな……と席を立ち上がったとき、私は気づいた。
私の列の一番前、いつも空席のはずのその机に、座っている人がいた。茶色い髪のツインテール、包丁を模した髪飾り。東北だ。東北が学校に来ている。私は近づくように東北の元へと歩く。
教室内を再度見渡す。そう思えば、誰もが会話の端々、その小休止に、東北の姿を横目に捉えていた。東北へ近づく。その視線の中、東北は、俯いていた。黒いランドセルを机に乗せて、誰かと話すわけでもなく、本を読むわけでもなく、不器用に、ただ時間をやりすごすみたいに、出席していた。
「東北……?」
そう声をかけると、東北は顔をあげて、私の顔をさっと確認した。
「あぁ、ウナ……おはようございます。少し、早く来すぎてしまいました。暇してたところです」
喋っている東北から、いつもの憮然とした態度が感じられない。語気が、弱々しい。
「いや、今朝はまったくひどい雪でしたね……まぁ、今日はまだましかもしれませんけれど。日がさして雪が溶けがかって、それがまた凍りついて滑るようになる明日からが、一番厄介でしょうから」
東北は何気ないように会話を進める。普段通りを装っているけれど、緊張しているのか、声が若干うわずっている。教室内のざわめきが乾いた空気を横切っていく。好奇心の目が、東北に集まっている。
「東北」
私は東北の手をとって、教室を出ていく。
「あっちょっと、ウナ!何処へ……」
どこか人気のない場所はないだろうか。始業前の廊下はどこも雑然としていて、騒がしかった。私はあてどなしに、静かな場所を探すべく歩いた。
その間、東北はなにも言わなかった。私に手を引かれ、新品のように綺麗な上履きを履いて、早足で私の後を歩く。見知ったクラスメイトを過ぎ、下級生の波をかき分け、先生達の脇をすり抜けて、私達は広い学校をさまよった。
たどりついた場所は、屋上へ続く、階段の踊り場だった。試しに屋上への扉を開けようとドアノブを回したのだけれど、鍵がかかっているようで、開かなかった。腰を落ち着かせられるような場所ではないけれど、人がめったに来ない場所ではあった。私は呼吸を整えて、東北の方へ視線を向ける。
「ごめん」
私がそう謝ると、東北は首をかしげる。
「それは、どういう意味の謝罪なんですか?」
私は東北の体を両手で抱きすくめた。東北の髪飾りが揺れるのが視界の隅に入った。
「わかんないけどさ」
たどたどしく言葉を紡ぐ。
「わかんないけど、教室に一人で待ってた東北は、すごい怖かったんじゃないかって、思って。軽々しく学校に来て、とか、そういうこと言ったのは軽率だったって。ごめん」
東北は少し息を吐いて、頷く。
「そうですか」
「怖くなかった?」
「…………」
東北はなにも言わず、沈黙だけを残した。その理由を私は探す。私の勘違いか?それとも、何も言わないだけのことがあったのだろうか。普段の仲が良くたって、こういうとき、私達はどうしようもなく他人だと痛感させられる。東北の、感情を知りたい。
「……それでも……マシですから……」
小さな声で東北はなにかを言った。聞き取れず、私は疑問符の声をあげる。東北はひとつ深呼吸して、少しの間を開けてから、いつものように、芯のある声で、
「怖かったですよ」と、そういった。
「私には、人の気持ちがわかりませんから。普段そこに居ない人間が、今日は居る、そんなときに、人がどんな感情を抱くのかわからない。不登校の児童にたいする、大人の距離感の取り方がわからない。ずっと俯いているからでしょうか。私には、人の表情が見えていないんです」
東北は自嘲気味に少し笑う。
「見知らぬ他人の、優しさも疎ましく思う気持ちも、無感心も好奇も、全部邪魔だと思ってます。私は、一人でいるときより、集団の中でのほうがよっぽど独りでいることをいつも感じて、だから……」
その後の言葉は続かなかった。東北の声が震えて、そのまま消え入ってしまったからだった。溢れた感情を隠すように袖で涙を拭う。
私は、その東北の言葉を聞いて、何故だか、本当になんでだかわからないのだけれど、心がふっと揺らぐのを感じた。それは、言葉にすれば優しさのような……いつもはしなやかな精神性を見せていた東北の、その脆い部分が発露した綺麗さに、いとしい気持ちになるような。私は東北の頭に手を乗せて、その髪の毛をやわらかに撫でた。
「東北は、偉いよ」
「……なにがですか」
「それでも今日、ここに来たんだから」
「……それは、違うでしょう。私は毎日落第でマイナスの日々で、今日は、たまたま周りと同じ、0になっただけのことです。特筆して偉いわけでは」
「偉いの。東北は自分で思ってるより、ずっと偉い」
「なんですか、それ……理屈になってません」
「理屈なしに、東北は偉いの」
「…………」
不意に、東北の腕が私の背を回る。ぎゅっと、そう広くないスペースで、私達は抱き合う。
「ウナ、貴方は本当に、私が求めているものをいつも与えてくれる。貴方のそういう理屈じゃないところが、本当に好きで、貴方に光を見いだすくらい、私は貴方にやられてしまって。本当に、毎日、困っているんです……」
東北は力なく項垂れる。そんな東北が愛しくてたまらなくなって、私は東北の頭をなで続ける。
「……もしかしてさ、東北が今日学校に来たのって、私のせい?」
「……まぁ、そうといえば、そうかもしれません。ウナが家に来ないって言って帰った後、本当に来ないんじゃないか、とか、これが最後で、もう来なくなったらどうしよう、って考えてしまって。そうなったらもう私に選択肢はなかったです」
「そっか」
撫でていた手を東北の頬に当てて、そのままうにうにとこねくりまわす。
「かわいいなぁ、東北は」
「ちょ……やめてくださ、やめ、やめて」
「好きだー、東北」
「……くそ。嬉しいですけど。ウナは軽いんですよ。そういうのはもっと、ちゃんと言ってください。その軽さに、私がどれだけかき乱されてきたかも知らないで」
「ふふ」
私は笑って、あえて言い直さなかった。
「でもなんか、よかったな。東北のこういうとこが知れて」
「本当ですか?」
「そりゃ、もちろん」
「そうですか……」
東北は私の肩に顎を乗せる。柔らかい頬が触れた。
「私の暗い部分を、貴方に知られたら嫌われるって、怖がってましたよ、私は……駄目だ、ナイーブになってますね。あることないこと、なんでも話してしまいそうです」
「いいよ、なんでも言っちゃってさ。このさいだし」
「そうですか……なら」
東北は少し考えたあと口を開く。
「ウナ、本当に貴方のことが好き、です。貴方に愛されるには、私はどうしたらいいでしょうか。私は貴方の中で誰より大切な存在になりたい。何年先だって、貴方の隣りにいて、貴方の体温を肌で感じ取れるのは私でありたい。そのためならなんでもしていいくらいです」
「私はもう、東北のことが好きだけど……」
私は咄嗟にそう返したけれど、でも、きっと東北の言う「好き」はもっと違うのだろうと思った。多分、東北の言っているのはもっと深い精神的な繋がりだ。鎖で繋がれたみたいな、運命とも言える無謬の楔を東北は欲しがっている。私は考えあぐねて天井を見る。ずっと東北のことが好きだっていう自信はあるけれど、証明はどうしてもできないから、東北の不安を拭ってあげることができない。東北が好きで、ただそれだけのこの感情をそのまま伝えられないことがもどかしい。
「……私は東北の全部が好きなんだ。不躾な態度も、ゲームがうまいところも、弱ったときに私を頼りにしてくれるとこも。この気持ちがいつか無くなることなんて無いって思うけど、先のことはわかんないからさ、だから……」
東北は私の声に頷きながら、黙ってその先をひたすら待っている。
「……だから、私に恋愛の仕方を教えてほしい。そういうのは、東北のほうがなんとなく詳しそうだし……ね?私達二人がずっと一緒にいるために、二人で一緒に頑張りたい」
「二人で……」
「そう。どうかな」
「それぐらい、構いません」
東北はそう返事をしたあと、私の頬に手を添えて軽く唇を重ねた。それはあまりに唐突で、私は僅かに時間をおいてから、ようやく東北がなにをしたのか理解する。
「と、東北……」
「いっつも絡んできて、しつこいときもあるけど、そんなあなたが私は大好きですよ、ウナ」
それじゃあそろそろ教室に戻りましょう、と東北が踵を返す。その調子はいつもの東北に戻ったような感じがする。
「待って東北。手、繋いでいこ」
「噂されますよ?」
「いいんだ、東北なら、全然いい」
「そうですか。なら、はい」
私に手を差し出す。その手をしっかりと握って、私達はゆっくりと教室に向かっていった。
「東北、折角遊びに来たんだから構えよぉ」
「嫌です。私も暇じゃないのです」
「暇じゃん。ゲームしてるし」
「遊びじゃないんですよ、私にとってゲームは」
土曜日。暇だった私は東北の家に遊びにいったけれど、東北は今日も素っ気ない。私なんか気にもとめずに、テレビの前で人が人を撃ってるゲームにやっきになってときどき声をあげたりしている。せっかく、東北と近い仲になれたのに、なんだか代わり映えがなくて、少しがっかりな感じ。
「なんか一緒にやれるゲームとかないの?」
「あるにはありますが……ウナはその、あんまり腕の方がよろしくないので。うちにはゲーマーズゲームしかなくて、カジュアルなのは揃ってないんですよ」
「うぅ……確かにゲームはヘタだけどさ……」
テレビからは凄まじい迫力の音が絶えず飛び交っている。画面も忙しなくて何がなんやら よくわからない。東北は鮮やかにコントローラーを意のままに操作していて、それを到底真似できない私がこの中に飛び込んでも、足手まといになるだけだなぁと思う。
東北のお姉さんに出してもらったオレンジジュースを一口飲む。昼を少し過ぎたあたりの時間に、窓から日光が明るく差し込んでいた。本音を言えばせっかく明るい休日なんだから、東北を誘って外に出て、本屋に行ったり、映画の約束を取り付けたり、クレープとかタピオカとか、買い食いしたりして過ごしたかった。けれどそれらの案は、大体が引きこもり体質の彼女に却下された後だった。うーん、私達、趣味が合わない。
「それでも東北のこと好きだけどなー」
隣に座る東北の肩に頭を乗せてみる。
「相変わらず言葉が軽いんですから……重いです、離れて」
私が離れるまでもなく、東北の方から少し距離をとる。つれない。
東北は私のことをどう思ってるんだろう。
あれから、東北は学校にちょくちょく登校してくるようになった。東北なりに周りにも溶け込もうと努力しているようでもあって、多少の話をする友達みたいなのも、それなりにできていた。
だけど、学校での東北はなんだか私にたいしてドライだ。そんな東北に少し距離を感じて、放課後もなんだか東北の家に寄っていいのかわからず、あれから東北の家には寄れてなかったのだ。だから今日は久しぶりに……東北と遊ぼうと思ったんだけど。あの日東北が私に好きだって言ってくれたのは、夢か幻か、私の勘違いか—―そんなことを考えてしまう。私はもっと、東北の近くによりたい。それが、なかなか叶わない。
もどかしい。
「……ねぇ、東北」
「なんですか、ウナ」
「……私のこと、好きか?」
「…………」
東北は画面から目を離さない。流されたのだろうか。……いや、こんなことで傷つくな、私。
「きりたん?それじゃあ二人で出掛けてくるから、ウナちゃんとお留守番、お願いね?」
ふいに後ろから、東北のお姉さんの声がした。東北は「はい、いってらっしゃいませ」と一言返した。出掛けるのか、どこに行くんだろうと、そう思っているうちに玄関の扉の開閉音が聞こえて、なにも聞こえなくなってしまった。
「どこにいったんだろう、なぁ、東北」
東北の方へ振り返る。東北はなにも言わず、持っていたコントローラーを置いて、ゲーム機とテレビの電源を切った。それから私の隣に座って、さっき私がしたみたいに、私の肩に頭をもたれる。
「姉さま達には、何時間か出掛けてもらうよう、手配しておきました」
「え?なんで?」
「なんでって……みなまで言わないとわかりませんか」
東北は私の手を握る。
「ウナと、二人きりになりたかったからに決まってるじゃないですか」
二人きり。その言葉が頭の中を一周ぐるっとまわって、私はようやくその意味を理解した。
「私は、毎日待っていましたよ。貴方が家に来るのを、毎日。ずっと」
東北は淡々と言葉を続ける。その声から感情は読み取れないけれど、少し怒っているような、寂しがってるような、そんな感触がある。
「いや、その、東北があんまり乗り気じゃなさそうで、行きづらくて……」
「恋の熱に当てられて、浮わついてる貴方を、あまり人に見せたくないんです。貴方の愛を知ってるのは、私だけ。だから、外向きはただの友達です。だけど、二人きりのときは」
恋人でしょう、私たち。そう東北が言葉を締めた。彼女の顔を覗くと、東北もこちらを見つめてきて、しばらく二人でなにも言わず見つめあった。ふと、彼女の顎に手を触れると、くすぐったそうにみじろいで、そのしぐさが愛らしい。そのまま私は東北の体のラインをなぞるように撫でていった。その途中で、軽く東北の体を押すと、抵抗なく東北は倒れる。まるでこの前の、あのときみたいだなと思う。血が体の中をぐるぐると巡っている。胸の鼓動が早くなって、なにかの衝動が私の手を動かそうとする。
「東北……」
東北の顔は、上気していた。赤みがかった肌に、吸い寄せられそうになる。顔が無意識に近くなって、いつのまにか後戻りできない距離まで近づいてしまって、半ば混乱のさなか、私は東北に唇を重ねる。
心地いい。そう長くもない時間のあとに唇を離した私は、我慢できずに間髪いれずまた、キスをする。東北の少し乱れた呼吸が頬を掠める。そんな東北の戸惑いに興奮する。かわいい。体の中心からふつふつと欲望が湧きだすような感覚。東北の体にこうして触れると、私が私でなくなるみたいで、怖いような、それでももっと先へ進みたくなるような、不思議な気持ちになる。それは、渇望だった。もっと東北のいろんな反応がみたい。東北に触れたい。東北の、全部がほしい。だけど、触れれば触れるほど、なにか圧倒的に足りない。
「いいですよ、ウナ……」
私の気持ちを推し量ったかのように東北は言う。
「貴方のしたいこと、全部私にやっちゃって。あれだけ毎日くっついていたのに、最近はご無沙汰でしたから、貴方もずっと我慢してたでしょう。私はもう貴方のものなんです。なんでも好きにしていいんですよ」
「わかんないよ、東北……好きなのに、それがどうやったら伝わるのか。体中あふれるくらいなんだよ。でも、キスしても触っても喋っても、全部届いてないような気がして。どうしたらいいのか……」
「ウナは、まっすぐですね」
東北は一呼吸おいて、今度は彼女の方から私にキスをした。それは私のしたような迷いも焦りのような乱暴さもない、包容力のあるやわらかな感触だった。私の中の熱された部分が、そのままどろどろに溶けてしまって丸みを帯びる。東北の唇の温度を、感じる。
「伝わってますよ、と言いたいところですが。多分ですが、それはすぐには無理なんじゃないでしょうか。私達お互いを知っていはいますが、恋人の経験はないのですから。もっともっと、何回でも触れて、喋って。そういうことで、徐々に伝わっていくものなんですよ、きっと」
東北が腕を絡ませてきて、私達は密着する。お互い経験はなくとも、私より多くを知っている東北を信じたかった。なるべくこの好きを伝えられるよう、私はできるだけ想いをこめて、東北にキスをする。唇だけじゃなく、頬や額や首筋にも、軽い音を立てて、東北にしるしをつけるみたいに、一つ一つ気持ちを残す。やってみると、同じキスでも場所によって、親愛だったり、友愛だったり、艶めかしくなったり、雰囲気が結構違う。そんな私の試行錯誤に東北は笑って答えてくれる。
「好きだよ、東北……」
「私もですよ。……貴方の好きを軽いって一蹴する時もありましたけど、そんなときだって毎回、私は内心とても嬉しくなっちゃうんですから。単純すぎて、嫌になるくらい。それくらい、私は貴方のことを愛してしまいました」
愛してるという言葉を使う東北に少し大人っぽさを感じる。東北の好意は私のと毛色が違う。私より穏やかで、ずっとずっと深いようなその愛は、私を少し安心させてくれる。何をしようとも、東北は最後に許してくれそうな、そんな気がして。
東北が私の頬に手を当てる。その甲に私は口づけをする。それが今の私の最大限の純粋な求愛だった。ふと、その中指の付け根にほのかに赤くなっている小さい腫れが目にはいる。
「あれ、虫刺されでしょうか。こんな時期に。いや、恥ずかしい……」
東北が手を隠そうとするのを、私はその手をつかんで阻止させる。細い指先が綺麗に生え揃っている手の甲を、私は再度唇を触れさせて、それから少しの力をいれて吸う。私は血を吸うことはできないけれど、東北の手に赤いキスマークをつけるのには、それで十分だった。
「それじゃあ、これはウナ刺されね」
「なんですか、それ」
東北はおかしそうに目を細めて笑う。
「でも、貴方の跡をつけられるのは、悪い気はしません」
東北は愛おしそうに手の甲を撫でる。それを見ていると心臓がどくどくして、おかしくなる。一体、この衝動はなんなんだろう。これが、愛なのだろうか。東北は、そんなことなさそうなのに。
「東北は、なんでそんなに落ち着けるんだ……?」
「……ふふふ。ウナはなにも知らなさそうですもんね、持て余してしまうのも、仕方ないのかもしれませんね」
そういって東北は、私のまぶたに指先を触れさせる、その指の誘導のままに、私は目を閉じる。唇に柔らかい感触。東北が私にキスをしたのがわかった。東北の手が私の頭を優しく包んでいる。
「うぁっ……!」
不意の感触に、声を上げてしまった。見えなくてもなんとなくわかった。東北が私の唇を、舌で舐めている。言ってしまえばそれだけだけど、舌が私の唇を右から左へ、這っていく度に、経験したことのないような刺激に、ぞくぞくする。体中の毛が逆立つみたいになって、私は身悶えする。気持ちいい。気持ちいいんだ。ふわふわしている頭の中で、私は東北のされるがままになっていた。ときおり水音とともに東北の笑い声のような息遣いが聞こえる。東北は、こんなことを知っていたのか。とぼんやり思う。
東北が私の内腿を指先でなぞる。東北の指から、なにかが私に入ってくるような快感が、私の下半身を襲う。経験したことのない刺激に、足ががくがくと震える。
「はい、ここまでです」
その東北の声とともに、東北は私から口を離して、私はゆっくりと目をあける。東北はにやっと笑いながら私を見ていた。濡れた私の唇が、空気に触れてひんやり冷たかった。
「今のって……」
「はい……あなたの知らない、恋愛。言ってしまえば、ちょっとえっちなことです。いかがでしたか?」
まぁ、聞くまでもありませんでしたかね、と東北は私の表情を覗く。私は腑抜けた自分の表情を普段どおりに戻すよう努める。
「……東北のスケベ」
「こちとら伊達にインターネットやってないんですよ。安心してください、実経験はあなただけですから」
「そういう問題じゃないし……」
「気持ちよかったでしょう?」
東北の言葉に、私は何も返すことができなかった。顔が熱い。きっと赤くなってるんだろうなと思う。
「……次は、私がエスコートするから。私も、色々調べるもん」
「エスコートしてくれるのは嬉しいですけど――できれば、私があなたに色々教えたいなあ、なんて。そう思いますね」
東北はいきいきとした表情でそんなことをいう。まったく悪びれていない。……この先、いつか東北に余裕なんかなくなるくらい、東北をびっくりさせるようなことをやってやるんだから、と意気込む。私は、もっといろんなことを知らなきゃいけない。手始めに、大人向けのそういう本でも読んでみようかな、と思う。
「ウナ。よければ散歩にでも行きませんか?」
「え。珍しいな、東北がそんなこというの」
「貴方は外のほうが好きでしょう。貴方の好きなことも、私は知りたいですから。いいならほら、支度しますよ」
そういって東北は衣装ケースまで歩いていく。私はなんだか嬉しくなって、その背中に抱きついた。
「外歩くとき、手ぇ繋ご」
「貴方と付き合ってるのが他の人に知られたら色々めんどくさそうなんですけど……まぁ、バレませんか、それくらい。いいですよ。私も繋ぎたいですしね」
最後の方はぼそっと呟くようにして、東北はそそくさと着替え始めた。その後姿を見ながら、私はすごく愛しい気持ちになって、東北に触れたくてたまらなかった。着替え終わるのはいつだろう。待ち遠しくて、私はそわそわしていた。今までの放課後来れなかった分を、休日の今日、まとめて返済するくらいの楽しい休日にするのだ。
昼下がりの土曜日。こんな幸せな日ってあるだろうか。