空が夕闇に変わる頃   作:琥珀777

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第十一章 【喋る鳥】

 

 

わたしの目の前には、1羽の黒いカラス。

気のせいでなければ、わたしを見ている。

営業終了後、店を出た直後の事だ。

 

 

「春香、アレ、見える?」

 

「ん?あれって?」

 

「アレ」わたしはカラスを指差した。つまり地面を。

 

「は?何?虫でもいるの?」

 

やっぱり、そうか。

 

「うん、なんか変な虫いたけど、どっか行っちゃった」

 

「あんた、大丈夫?仕事中もおかしな事言うし・・・」

 

「ヤクはやってない」

 

「あそ、んじゃ、さっさと帰りますか。麦男くんが冷蔵庫で待ってるわ〜」

 

「俺、軽く飲みに行くけど一緒に行く?」

 

「いや〜、行きたいのは山々なんですけど、借りてたDVD明日までに返さなきゃで、今日は徹夜なんです。あー!3本も観なきゃならない!」

 

「大変だね・・・雪音ちゃんは?行く?」

 

「あ、いえ。わたしも今日はやめときます」それより、目の前の物が気になって仕方ない。

 

「つれないなぁ・・・じゃあみんな、気をつけて帰ってね」

 

「はい、お疲れ様でした」

 

「雪音、この前買った本、今日中に読んで明日持ってきて。じゃあね〜」

 

「明日!?・・・まあ、頑張る」

 

 

──2人がいなくなってから、どうしようかと、考えた。

春香に見えないということは、このカラスは"ただのカラス"ではないということだ。

妖怪?にしては、何処をどう見ても普通のカラスにしか見えない。

変なのは、ここにいるという事。

そう、営業中も、このカラスはずっと窓の外にいた。

 

 

「あのカラス、ずっといるよね。気味悪くない?」

 

「・・・あんた、また幻覚見てる?最近、本気で心配してるんだけど」

 

閉店後、いつものように入口でタバコを吸う店長に聞いた。「店長、窓の外に何か見えます?」

 

「え?」店長は立ち上がり、外を覗いた。「ん?何かって、あのイチャついてるカップルのこと?」

 

 

薄々そうじゃないかと思っていたが、店を出た今、確信を得た。

 

しかし、どうすれば?何かしたわけでも、されたわけでもない。ただ、普通の人には見えないカラスが、ここにいるだけだ。

 

早坂さん達に連絡するべきか。どんなものでも妖怪を見たら連絡をくれと言われてるし。

そもそも、このカラスは本当に妖怪なのか──?

 

 

「わたしが見えますか」

 

──辺りを、キョロキョロ見回した。今、誰か喋ったよね。

 

「ここです」

 

──ん?また、見回す。しかし、誰もいない。でも、声は近くからした。

 

「意外と鈍いのね。わたしです。目の前にいるでしょう」

 

「目の前・・・?」って、目の前にはこのカラスしか──「え"っ・・・」

 

「そう。わたしです」

 

今、声と共にクチバシが動いた。

 

「ッ・・・ええええええええ!!・・・カッ、カラスが喋った!」

 

「やはり、あなたはわたしが見えるのね」

 

──落ち着け、わたし。今までいろんな妖怪を見てきたじゃないか。たかがカラスが喋ったくらいで・・・驚愕だ。

 

「何をそんなに驚かれているの?わたしのようなものを見るのは初めてではないでしょう?」

 

「・・・や、そうなんですが・・・喋る鳥は初めてで・・・」

 

「喋る鳥、ね。まあいいわ。わたしを覚えてる?」

 

「え?覚えてる?・・・何処かでお会いしました?」

 

カラスは、わたしにもわかるようにこうべを垂れた。「本当に鈍いのね。今日、お会いしたのを忘れているのかしら」

 

「・・・今日?・・・えと、何処で?」

そもそも、カラスに会った記憶なんてあるわけがない。そこら辺になんぼでもいるじゃないか。

 

「はあ・・・"あなたの家"の近くを流れる川。そう言えばわかるかしら?」

 

鳥に溜め息を吐かれるって、若干癪に障る。

 

「わたしの家の近くの川・・・?」

 

今日の記憶を辿る。

起きて、ご飯を食べて、天気が良いから走りに行って、帰りに河原のベンチで缶コーヒーを飲んで ──・・・「あっ・・・」

 

そうだ、あの時、コーヒーを飲んでたら隣のベンチにカラスが飛んできて、逃げないから人慣れしてるなって思ったんだ。

 

「あの、カラス・・・?」

 

「指を差さないでちょうだい。噛み付きたくなるの」

 

「あ、すみません」

 

「あなた、あの時わたしに話しかけたでしょう」

 

「・・・はて?話しかけた?」

 

「ええ、やっほーって」

 

「・・・ああ、そういえば、そんなような」

傍から見たら、結構危ない人では?

 

「・・・嬉しかったわ。また、わたしの事が見える人に出会えて」

 

「はあ・・・あれ、でも、どうやってここを?」

 

 

「後を追ったのよ。あなたの家もわかってるわ」

 

つまり、つけられたって事か。

 

「それであの、どういったご用で・・・」

 

カラスは、黙り込んだ。当たり前だが、鳥の表情なんてわからない。頭が下を向いているのは、感情の表れか?

 

「あなたに、お願いがあって来ました」

 

「お願い・・・なんでしょう」

 

と、その時、笑い声を上げながら若い女性2人組がこちらへ歩いて来た。

 

「あの、場所変えてもいいですか?」このままだと、地面に向かって独り言を言う変な女に見られてしまう。

 

「ええ。あなた、これから家に帰るのかしら?」

 

「あ、はい。地下鉄で」

 

「では、先に家で待ってるわ」

 

「えっ」そう言うと、カラスは翼を羽ばたかせ、あっという間に夜の空へ消えていった。

 

わたしは、しばらくその場で呆然としていた。

一体、何が起きてるんだ。

ポケットから携帯を取り出す。連絡、したほうがいいかな。早坂さんの事だから、すぐにでも飛んで来そうだ。でも、カラスはわたしの家で待ってるって言ってたし、この流れで行ったら早坂さんも家に来る事になるのでは?

携帯をポケットに戻した。

まずは、あのカラスの話を聞いてからにしよう。危ない感じはしなかったし、わたし1人でも大丈夫だろう。たぶん。

 

 

アパートの階段の下で1度、辺りを探した。

先に家で待ってるって、何処で待ってるんだろう。部屋をわかってるんだろうか。

緊張しながら部屋に入り、電気をつけた。中に入れるはずはないから、だとすると・・・カーテンのレースを開けた。──当たりだ。

暗闇に紛れ、ベランダの手すりにとまっている。部屋、わかってたのね。

 

とりあえず、窓を開ける。「入ってもいいかしら?」

 

「あ、はい」

 

カラスは、わたしの頭上を飛び越え、テーブルへ着地した。

部屋に鳥を招き入れたのは、初めてだ。

窓を閉め、わたしもソファーに座る。

 

「・・・あの、何か飲み物でも・・・」

 

「要らないわ。ありがとう」

 

「・・・はい」

 

テーブルに佇むカラス。それに向き合い、ソファーに正座するわたし。不思議な光景以外の何者でもない。

 

「では、さっきの続きをしてもいいかしら」

 

「はい、どうぞ」

 

 

「あなたにお願いがあると言ったのは・・・単刀直入に言うと、ある人に、渡してほしい物があるの」

わたしがキョトンとしていると、先を続けた。

「数ヶ月前、あなたに会った場所で、あなたのようにわたしの事が見える女性に出会ったの。その人は病を患い、余命宣告を受けていたんだけど・・・母親の形見のブレスレットをいつも身につけていたわ。ここに来ると病気を忘れられる、わたしが飛ぶ姿を見ていると元気が出るって。でも、突然倒れてしまって・・・その時、そのブレスレットが外れてしまったのよ」

 

「いつ・・・その人はどうなったんですか?」

 

「2日前よ。近くにいた人間が救急車を呼んで病院に運ばれたわ。叫んだけど・・・わたしの声は、誰にも届かないもの」

 

「それで・・・?」

 

「追いかけたけど・・・今は病院に入院しているわ。毎日見に行ってるけど、意識が戻っていないの。皮肉なものよね、誰にも見えないこの姿のおかげで会いに行けるんだもの。見ているしか、出来ないけど・・・」

 

「でも、見えないから、そのブレスレットをその人に届けれるんじゃ・・・」

 

「あなた、本気で言ってる?わたしの姿は見えないけど、ブレスレットは現実世界の物よ。人間の目には見えるわ」

 

「あ、そっか・・・」つまり、このカラスがブレスレットを運べたとしても、周りからはブレスレットが空を飛んでいるようにしか見えないという事か。

 

「気づかれないように届ける事は可能かもしれない。でも・・・わたしには、彼女の腕につけてあげる事は出来ないわ」

 

「そのブレスレットは何処にあるんですか?」

 

「誰にもわからない場所に保管しているわ」

 

「そうですか・・・わかりました」

 

カラスは首を傾げた。「本当に?やってくれるの?」

 

「はい。どこの病院ですか?」

 

「・・・中央病院というところよ」

 

「ああ、それならわたしも何度か行った事があるのでわかります。歩いても30分くらいかな」

 

「・・・ありがとう。それで、いつ・・・」

 

「明日にでも。夜は仕事なので、日中なら大丈夫です」

 

「そう・・・わかったわ。ブレスレットを取りに行ってくるから、窓を開けてちょうだい」

 

 

「えっ、今からですか?」

 

「夜のほうが動きやすいもの。すぐ戻ってくるわ」

 

「・・・わかりました」

 

窓を開けた瞬間、カラスはまたわたしの頭上を越え、闇夜へ飛んで行った。早いな。

ベランダの椅子に座り、待つ事にする。

 

すぐというのは、本当だった。10分もしないうちに、暗闇の中をこちらへ飛んでくる物が見えた。

そしてそれは、もの凄い速さでわたしに向かってくる。突進するような勢いで手すりに止まり、驚いて少し身が引いた。

 

「お、おかえりなさい」

 

カラスがクチバシに咥えている物を受け取る。

金色の、シンプルな細いチェーンのブレスレット。あまりにも繊細で、重さを微塵も感じない。その辺に落ちていても、気づかないと思う。

 

「これよ。汚れちゃったから洗ってちょうだい」

 

「あら、ホントだ。土がついてる」

 

「誰にもわからないように、埋めておいたの」

 

「なるほど。わかりました」

 

「明日、また来るわ」

 

「あの・・・よかったら、いてもらっても構わないんですが。その、わたしの部屋に」

 

一瞬、カラスが笑ったように見えたのは気のせいか。「わたしは鳥よ?狭い所は嫌いなの。でも、ありがとう。あなたは優しいのね」

 

「あのっ」飛び立とうとしたカラスを呼び止めた。「お名前とかって・・・ありますか?」

 

「・・・空を舞うで空舞(あむ)よ。彼女がつけてくれたの」

 

「空舞さん・・・わたしは・・・」

 

「雪音」

 

「えっ」

 

「おやすみなさい、雪音」

 

そして、彼女は再び闇夜の空に羽ばたいて行った。

どうして名前・・・ああ、春香達との会話を聞いていたのか。澄んだ声で名前を呼ばれると、ドキッとする。

何処に、行ったんだろう。あの河原かな。だったら、近いな。

 

部屋に戻り、洗面所でブレスレットの土を流した。力加減を間違ったら千切れてしまいそうだ。ハンカチに包み、テーブルに置く。

 

──どうしよう。事が事だし、今回は早坂さん達に伝える必要はないかもしれない。いや、伝えないほうがいい。わたしだけで済む問題だ。下手に心配させるより、事が済んでから報告しよう。

 

 

 

 

 

 

 

9時にセットしていたアラームをオフにした。

こんなに早く目が覚めたのは久しぶりだ。

携帯の時計は7時5分だが、実際に目が覚めたのは1時間前だ。2度寝をしようと思ったが、なかなか寝つけず、今に至る。

 

ベッドから起き上がり、上半身を伸ばす。

若干身体がダルいのは、熟睡出来ていないからか。昨日もなかなか寝つけず、ビールとストロングの酎ハイの助けを借りた。

なんか、わたしも春香みたいになってきたな。

 

天気予報では、今日は1日晴れマークだったはず。換気をしようとカーテンを開けて──「ギャッ!」

 

昨日と同じ場所に、空舞さんがいた。

とりあえず、窓を開ける。

 

「・・・空舞さん、おはようございます」

 

「何を驚いているの?ずいぶん遅い起床ね」

 

まだ、7時なんですが。「空舞さんは早いですね。いつからいたんですか?」

 

「最初に来たのは2時間くらい前かしら。待っても動きがないから、行ったり来たりしてたわ」

 

「はあ・・・あ、どうぞ」空舞さんが中に入るのを待って、網戸を閉める。外は、青空が広がっている。予報通りだ。

 

部屋に向き直り、「・・・あれ?」

てっきりテーブルの上にいると思った空舞さんがいない。

 

 

「ここよ」

 

「ギャッ!」

 

彼女がいたのはわたしの上、つまり、カーテンレールだ。

 

「さっきから何をそんなに驚いているの?」

 

「・・・すみません。慣れていないもので・・・」部屋に鳥が居る事に。

 

空舞さんは次に、テレビの上へと移動した。首を動かし、部屋を観察している。

 

「わたしちょっと、顔洗ってきますね。ゆっくりしててください」

 

 

歯を磨きながら自分の顔を見て、思った。朝なのに、すでに疲れてないか?

こういう時は、血色を良く見せる為、チークが必要不可欠だ。水でバシャバシャと顔を洗い、メイクに取り掛かる。

 

部屋に戻ると、空舞さんはテーブルの上にいた。ハンカチの上に置いたブレスレットのそばに。

 

「綺麗にしてくれたのね。ありがとう」

 

「水で洗っただけですけど。あの、わたしコーヒー飲みますけど、空舞さんも何か・・・あっ、牛乳ありますよ」

 

 

「結構よ。わたしは1度食事をすれば、数日何も食べなくていいの。だから気にしないでちょうだい」

 

「了解です」

 

1回の食事でそんなに腹持ちするのか。羨ましい限りだ。

 

コーヒーを淹れて、ソファーへ移動する。コップをテーブルに置くと、空舞さんは顔を背けた。

 

「人間はその飲み物が好きね。何がいいのかわからないわ」

 

「嫌いですか?」

 

「匂いも味も最悪ね。彼女も、好んで飲んでいたけど。あなた、朝ご飯は食べないの?」

 

「あ、はい。わたしは朝は食べません」

 

「・・・優子(ゆうこ)が言ってたわ。朝食を食べれる日は、その1日を元気に過ごせるって。だから食べれる事が、嬉しいって」

 

──空舞さんにとって、その彼女が世界の中心なんだろう。そう感じる。

 

「彼女、優子さんっていうんですね」

 

「ええ。そういえば・・・少しあなたに似てるわ」

 

「え、見た目が?」

 

「少し、間が抜けてるところ」

 

あれ、悪口?「わたしみたいに、見える人なんですよね・・・」

 

「ええ。物心がついた頃から、わかっていたらしいわ。両親も、誰も信じてくれなかったみたいだけど」

 

「・・・わかります」痛いほど。

 

「彼女の両親はどちらとも他界しているの。あなたは?周りにいるの?同じような人間が」

 

「あ、はい。といっても、最近知り合ったばかりなんですけど」

 

「そう。彼女にも、そんな人がいればよかったのに・・・」

 

2人の顔が、頭に浮かんだ。理解してくれる人。その人がいるだけで、どれだけ心強いか。

「そうですね・・・意識が戻ったら、自己紹介させてください」

 

空舞さんは堪えきれないようにプッと笑った。

「そうね、優子も喜ぶわ。ところで、その頬はどうしたの?」

 

「チークです」

 

 

 

 

 

 

病院までは地下鉄で2駅だが、時間も早いし天気も良いということで、徒歩で向かう事にした。移動中、空舞さんはわたしの肩と空を交互に移動していた。大空を自由に飛ぶ空舞さんを眺めていると、嫉妬心が沸々と湧いてくる。

 

 

「どんな感じですか?空を飛ぶのって」

 

「・・・どんな感じ?」

 

「気持ちいいですか?」

 

「・・・優子と同じ事を言うのね。あなたそれ、地面を歩くのってどんな感じ?って聞かれるのと同じ事よ?わたしにとっては当たり前の事だわ」

 

「まあ、そうなんですけど・・・ちょっと、羨ましいです」

 

「人間にも空を飛ぶ乗り物があるじゃない」

 

「・・・飛行機?あれは、飛んでるのは機体ですからね」

 

「なにか違うの?」

 

「まったく意味が違います。こう、風を感じたいというか」

 

「風ね・・・遊園地にもあるじゃない」

 

「・・・ジェットコースターとも違うんですね」

 

「ああ、あれがあるじゃない。人間がやる、くだらない遊び」

 

「ん?なんですか?」

 

「身体に紐をつけて飛び降りる、馬鹿馬鹿しいやつよ」

 

「バンジー!あー、なるほど・・・それが1番近いかも」

 

「やりたいの?」

 

「今、やりたくなりました」

 

鼻で笑われた気がするが、気のせいと思う事にする。

 

 

 

 

 

病院には8時30分前に到着したが、待合ホールにはすでにたくさんの人がいた。大きな病院って、待ち時間で疲れるんだよな。

前に母親の付き添いで来た事があるが、病院を出るまでに4時間ほどかかった記憶がある。

 

エレベーターへ向かうと、ちょうどドアが開くのが見えた。小走りで駆け寄り、小さな子供を抱いた女性の後に続いて乗り込む。

女性は6階を押し、わたしは7階を押す。

 

後ろへ移動すると、子供と目が合い、手を振る。子供は手を振り返すかわりに、わたしを指さした。

 

「あっ、あー」

 

── えっ・・・。子供の目線と指さす方向で、わかった。この子が見ているのは、わたしじゃない。

わたしの肩にいる、空舞さんだ。

 

「あーっ、あー」目をキラキラと輝かせ、空舞さんに手を述べる。

 

すると母親が気付き、こちらを振り向いた。

「こら、やめなさい」子供の手を取り、申し訳なさそうにわたしに頭を下げた。「すみません」

 

「いえいえ」

 

それでも、その子供は空舞さんから目を離さなかった。すると何を思ったか、空舞さんが突然翼をはためかせた。

 

えええええ・・・。

 

 

子供はおかしそうにキャッキャと笑い、母親がギョッとしてまたこちらを振り向く。

わたしは咄嗟に、いないいないばあーをやって見せた。子供はわたしの事など見てもいなかったが、勘違いしてくれた母親が笑い、ホッとする。

 

そうこうしているうちに6階へ到着し、母親ははわたしに軽く会釈をしてエレベーターを降りた。

 

 

ドアが閉まり、「・・・何やってるんですか」

 

「見えてるか確認したのよ」

 

「確実に見えてましたよね。ビックリした・・・まだ喋れない子で助かった・・・」

 

「まあ、子供はよくあるわ」

 

「え?」

 

「着いたわよ」

 

「あ、はい」

 

エレベーターを降りると、左側が広い待合室になっていて、私服姿の若い女性が2人、椅子に座り携帯をいじっていた。誰かの手術待ちとかかな。勝手にそんな雰囲気に感じた。

空舞さんの案内で病室へと向かう。

 

 

「ここよ」

 

703号室。ネームプレートは、間宮 優子という名前が1つだけ。部屋のドアは開けっ放しになっている。

空舞さんはわたしの肩から飛び、彼女のいるベッドのフットボードへ降り立った。わたしも続いて中に入る。

 

「失礼します」

 

部屋自体は広くないが、個室だ。何も物が置かれていない分、殺風景に見える。

 

ベッドに横たわる彼女を一目見て、思わず足が止まった。

とても、若い。わたしと同じくらいだろうか。

真っ白な顔で眠る彼女の鼻からは酸素が繋がれている。

 

「驚いたでしょ。歳は言ってなかったものね」

 

「・・・はい。正直、こんなに若い人だとは思ってませんでした・・・」

 

彼女の顔が見えるよう、ベッドサイドに移動する。近くで見る彼女は、とても綺麗な顔をしていた。長いまつ毛に、高い鼻、形の良い唇。きっと、誰が見ても美人と思うだろう。

 

「優子はね、祖母がフランス人なの。前に写真を見せてもらったけど、とても綺麗な人だったわ」

 

空舞さんの話を聞いて納得した。「クォーターって事ですね。どうりで、凄い美人なわけだ」

 

「今は見えないけど、瞳も透き通った琥珀色なのよ」

 

想像だけで、彼女に見惚れてしまう。「早く、見たいです」

 

「・・・そうね」

 

 

「ご両親は、亡くなっているんですよね。兄弟とかはいるんですか?」

 

「いないわ。優子は1人っ子なの。少し離れた所に伯父がいるって言ってたけど。ここに運ばれた時来ていたのがそうね」

 

「そうですか・・・」

 

両親はおらず、1人っ子。離れた所にいる伯父か。境遇が似てるな。

この人も、わたしのような幼少期を過ごしてきたんだろうか。誰にも言えず、1人で・・・。

 

「優子が言ってたわ。自分がもう長くないとわかっていなければ、わたしには話しかけなかったって。だから、わたしと仲良くなれたのは病気に感謝だって」

 

「・・・優子さんの言う事が、少し、わかる気がします」誰も理解してくれない。だから怖い。だから、見ないフリをする。

 

 

「ブレスレット、つけてあげて」

 

「あ・・・はい」

 

バッグからハンカチに包んだブレスレットを取り出し、彼女の点滴が繋がれていないほうの手にそっとつけた。色白な手にゴールドがよく映える。

わたしはそのまま、彼女の華奢な手を握った。

 

「優子さん、空舞さんが、ブレスレット大事に持っていてくれたんですよ。ちゃんと優子さんの手にあるから、心配しないでくださいね」

 

──そして、出来れば、目を覚まして話をしましょう。わたし達にしか出来ない話を。きっと、良い友人になれる。

 

 

「雪音。ありがとう」

 

「・・・あ、いえ」

 

「あなた、泣いてるの?」

 

「えっ」瞬きをすると、目から涙が溢れて慌てて拭った。無意識だった。わたしが泣いてどうする。

 

空舞さんがわたしの肩に飛んで来た。そして、クチバシでわたしの頬に触れる。まるでキスをするみたいに。

 

「あなたのおかげよ。感謝してるわ」

 

「いえ、わたしは何も・・・」

 

「ここからはもう大丈夫よ。わたしは暫くいるから、あなたは帰って自分の事をしてちょうだい」

 

「・・・わかりました」

 

「優子が目を覚ますかは、正直わからないけど・・・その時は、1番にあなたの事を話すわ」

 

「・・・空舞さん。優子さんが目を覚ましたら、わたしにも伝えに来てもらえますか?」

 

「ええ、わかったわ」

 

 

最後に病室を振り返った時、空舞さんは優子さんの枕元へ移動していた。

 

余命宣告を受けている彼女。わたしなんかが軽々しく何かを言える立場ではない。

でも、出来る事なら、もう1度、空舞さんの前で笑顔を見せてほしい。

切にそう願った。

 

 

 

 

 

 

病院を出てすぐ、早坂さんに連絡をした。

今、話せますか?とメールすると1分もしないうちに電話がかかってきた。相変わらず、早い。

 

「もしもし」

 

「もしもし雪音ちゃん?何かあった?」

 

謎の警戒態勢に、思わず笑ってしまう。でも、"案の定"早坂さんの声に安堵した。

 

「なんで、何かあった?なんですか?」

 

「え?だって、あなた何かないと電話なんてしてこないじゃない」

 

「あー・・・ですよね」

 

「笑ってるって事は、何かあったわけじゃないのね?」

 

「あったというか、報告したい事がありまして」

 

「なに?」

 

とは言ったものの、どこから話せばいいだろう。とにかく声が聞きたくて、そこまで考えていなかった。

 

「喋る、鳥に会いました」単刀直入すぎだってな。わかってる。

 

「・・・何処で?」

 

早坂さんの対応力に感謝だ。

 

「仕事終わりに、店の外で。わたしに頼みがあったらしく、後を追ってきたみたいです」

 

「うん、待って。後を追うって、その喋る鳥は何であなたの事を知ってるわけ?」

 

「昼間、家の近くの河原で会ったんです。見た目は普通のカラスだし、その時は喋らなかったからわからなかったけど・・・わたしが話しかけたから、向こうも気づいたみたいで」

 

「話しかけたって、カラスに?」

 

「はい」

 

「・・・まあいいわ。それで、そのカラスがあなたを追って店まで行ったと」

 

「はい。あ、あと家に。それで、話しかけられました。わたしにお願いがあるって」

 

「続けて」

 

それから今に至るまでの事を説明した。事細かに説明しようと、周りくどくなってしまった感は否めないが、早坂さんはうんうんと聞いていた。

そして話し終えた後、最初に返ってきたのは、溜め息だった。

 

「まあ、大体話はわかったわ。雪音ちゃん、あたしが前に言った事覚えてる?」

 

「え?」

 

「どんな妖怪であろうと、必ず報告してほしいって言ったわよね」

 

「ああ・・・はい。ごめんなさい。妖怪と言っても、その、悪い感じがしなかったので。それに、内容も内容だったので、煩わせるのもなって思って」

 

空舞さんを妖怪と呼ぶのに、凄く抵抗を感じた。彼女は最初に会った時から、"悪意"を微塵も感じない。

 

 

「何かあってからじゃ遅いのよ。言葉が話せる妖怪は頭も良いし人間をよくわかってるから、何を企んでるかわからないわ」

 

「空舞さんはそんな・・・わたしは、確信がありました。大丈夫だって」

 

「それは、何もなかったから言える事でしょう?つまり、あたしが言いたいのは・・・」

 

「わかってます。早坂さんはそうやっていつもわたしを心配してくれますよね」

 

「・・・雪音ちゃん?」

 

「でも、信じてはいないって事ですよね。現にこうやって、何もなかったじゃないですか」

 

「雪音ちゃん、あたしは・・・」

 

「わたしは、聞いてほしかったんです。早坂さんの声を聞いて、安心したかったんです」

 

「・・・雪音ちゃん」

 

「すみません。地下鉄が来たので切りますね」

 

 

一方的に通話を終わらせた。

 

地下鉄?見渡す限り青空が広がってますけど。

 

すぐに押し寄せる罪悪感。

わかってるのに。早坂さんはわたしを心配してくれてるだけ。そんなの、今までずっとわかってる。今日の事で感情的になったわたしの、ただの八つ当たりだ。

 

電話を切った直後にかかってきた電話がずっと鳴り続けている。

ごめんね早坂さん。今は、冷静に話せる自信がない。

 

罪悪感から逃れるため、携帯の電源をオフにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何よアンタ、シカト?」

 

店の更衣室を開けるなり、春香にかけられた第一声である。

 

「おはよう。もしかして、何か連絡した?」

 

「したわよ。昨日言った本、忘れないようにって」

 

「あー、ごめん。電源切ってた」

 

「・・・なんのために?」

 

「ちょっといろいろあって。ちなみに、はい」本が入っている紙袋を春香に渡す。

 

「おっ、サンキュー。どうだった?あ、ネタバレ無しで」

 

「うん、良かったよ。でも、前作には負けるかな」

 

春香に渡したのは、わたしが昔から愛読しているミステリー小説だ。主人公は警察官の若い夫婦2人。その2人が息を合わせ怪事件に挑んでいくという内容だ。ちなみに、これがシリーズ9作目。1作目を春香に貸したところ、どハマりした。

 

「ふうーん。それで?早坂さんと喧嘩でもしたの?」

 

思わず、シャツのボタンを留める手が止まった。「・・・Why?」

 

「携帯の電源切るなんて、恋人の連絡避ける時くらいでしょ」

 

「恋人じゃない。・・・喧嘩というか、わたしが勝手に怒ってしまったというか」

 

「浮気でもされた?」

 

「だから、付き合ってない!」

 

「何でご立腹か知らないけど、子供みたいな事してんじゃないわよ」

 

「うっ・・・いや、わかってるんだけど、電源切ったらさ、戻すタイミング失っちゃって・・・」

 

電源を入れた後、携帯を見るのが怖い、というのが本音だ。早坂さんの事だから大量に不在が入っているか、もしくは呆れられて何の連絡も無いか。どちらにせよ、知るのが怖い。

 

「それに、店の事で緊急の連絡があったらどーするわけ?」

 

「ですよね・・・ごめんなさい」

 

「まあ、こじらせる前に早く謝って仲直りしなさいよ」

 

「・・・あい」

 

わたしの中ではすでにこじれているんだが。

仕事が終わったら、謝罪の連絡を入れよう。

 

 

 

 

 

22時を回ったところで、店内の客は1組だけとなった。

わたしと春香、一真くんは、その客に注目している。なぜかと言うと、2人の関係性を確かめるためだ。1人は、60歳くらいの男性。もう1人は、20後半から30前半の女性。

一見、親子に見えるが、その行動は恋人同士を思わせるものでしかない。

 

 

男性は事ある度に女性の頭に触れるし、女性は会話をしながら何度も男性にボディタッチしている。さすがに会話までは聞き取れないが、どこからどう見ても──「デキてるわね」

 

「わたしもそう思う」

 

「えー、マジすか。上司と部下とかじゃ?」

 

「だったらただのセクハラじゃない。女のほうもまんざらでもない感じだし、違うわよ」

 

「2人とも私服だしね。会社帰りってわけじゃなさそう」

 

「実はマジで本当の親子だったりとか?メッチャ仲良い親子いますよね」

 

「・・・それはそれで気持ち悪いんだけど。あの雰囲気と距離感は親子じゃないわ、絶対」

 

「あ、そういえば近く通った時、女の人が敬語使ってるの聞こえたから、親子ではないと思う」

 

「そーゆう事は早く言いなさいよ。うーむ・・・不倫か?」

 

「えー、あんな歳離れてるのに?ありえなくないすか」

 

「今時、親子ほど歳の離れてるカップルなんてなんぼでもいるわよ。あたしは理解出来ないけど」

 

「俺もっす」

 

「ていうか、普通に恋人同士なんじゃ・・・」

 

「いいや、何か匂うのよねえ・・・」

 

「不倫だったら、公衆の面前であんなに堂々としてるかね」

 

「確かに、そうすね」

 

「うーん・・・離婚調停中とか?」

 

「一真くん、ひねくれすぎだと思わない?」

 

「ハハッ。でも、春香さんのこーゆう勘、鋭そうすよね」

 

 

それから間も無くして、男性からチェックの指示を受けた。わたしが担当したが、ビール、サワー、カクテルの他にワインを1本空けている。女性は明らかに酔っている様子だった。

 

 

「やっぱり、不倫か・・・」

 

店を出た2人の後ろ姿を眺めながら、春香が呟いた。

 

「まだ言うか」

 

「だって、あの距離感見なさいよ。腕と腕くっついてるじゃない」

 

「だから、付き合ってるんでしょ」

 

「付き合ってるなら腕くらい組むでしょ。彼女フラフラなのよ。それをしないって事は・・・」

 

「不倫すか?」気づいたら、一真くんも後ろにいた。

 

「え、なに、誰か不倫してるの?」次に、タバコを咥えた店長が厨房からのそのそとやって来た。もうオフに切り替わっている顔だ。

 

 

「今帰ったお客さんです。春香さんが不倫だって言うんすよ」

 

「んー、そうかなあ。付き合ってるのは間違いないけどね」

 

「なんで!?」即、春香が食いついた。

 

「テーブルの上で何度か手握り合ってたから。俺厨房から全体見渡せるからさ」

 

「手ェ握るってことは、間違いないすね。不倫かはわかんないすけど」

 

「店の中では手を繋ぐのに、外では繋がない・。人目を気にしてるって事よね。つまり・・・」

 

「不倫すか?」

 

「絶対そうよ。というか、そうであってほしい」

 

「なんで?春香ちゃん、不倫願望でもあるの?」店長はいつもの椅子に座り、タバコに火をつけた。煙がわたしのほうに向かってきて、メニューで扇ぎ返す。

 

「まあ、禁断の恋ってのに、ちょっと憧れはあるかも・・・」

 

「例えば?」今度は一真くんが食いつく。

 

「んー、不倫は当たり前だし・・・教師と生徒とか?」

 

「それで言うと、春香さんは年齢的に教師側になりますよね」

 

「そうね。年下はダメよ。他にあるかしら・・・ああ、人間以外との恋とか」

 

「・・・人間以外?」

 

「一真くん、本気で聞いたらダメだよ。それより、不倫は当たり前に突っ込まないの?」

 

「そうよ、ヴァンパイアとの禁断の恋!」

 

「アホくさ。映画の見すぎだ」

 

「そういえば、そんな映画流行りましたよね」

 

「じゃあさ、じゃあさ、経営者と従業員の恋は?」店長の嬉しそうな顔の意味は、わか

る。

 

春香は、うーんと考えた。「まあ、それもいいですね。大きな会社の社長で、メチャクチャいい男なら」

 

店長は現実から目を背けるように、窓の外を見た。「凌ちゃんとこ行って、慰めてもらおうかなあ・・・」

 

「あ、俺も行く予定でした。なんか、新作の餃子開発したみたいで、試食しに来いって指令が」

 

「あ、そうなの。じゃあ、みんなで行っちゃいますか〜?」

 

「賛成!」すぐに手を挙げたのは、春香だ。

 

「雪音さんも行くっすよね?」

 

「あ・・・」すぐに返事が出来なかったのは、昼間の一件があるからだ。早坂さんに連絡しなければ。

 

「えー・・・また断られるんすか。ガチでへこみそう俺」

 

 

「いや、わたしも行きたいんだけど、今日はちょっと・・・」

 

「早坂さんに連絡なら、向こうでも出来るじゃない。ちょっと抜けてもいいわよ」

 

「あー・・・」

 

「何よ、これから会う約束でもしてるわけ?」

 

「してません」というか、携帯の電源入れるのを忘れていた。

 

「じゃあ決定ね。待っててね〜ん、麦男くん」

 

「雪音さん、大丈夫すか?」

 

「あ、うん。行こっか」

 

「よっしゃ」一真くんは、小さくガッツポーズをした。

 

最近何かと断ってばかりだし、春香の言う通り

、感じ悪い女になりかけている気がする。

早坂さんには、春香が酔っ払って独演会に入った頃に連絡を入れてみよう。

 

 

 

?ラストオーダーを迎え、店内の掃除に取り掛かる。飲みに行くと決まった日の春香は、動く速さが2倍になる。それに加え、鼻歌だ。

わたしの事をわかりやすいと馬鹿にするが、お前も負けていないぞ。まあ、春香の場合、酒に限ってだが。

 

「チェックオーケーっす」

 

「よし、じゃあみんな出るよ〜」

 

4人で店を出て、わたしは思わず、その場で固まった。

 

「えっ・・・なんで」

 

見慣れた車と、こちらに向かってくる大きなシルエット。

早坂さんが、わたしの顔を見ながら近づいてくる。そして、わたしの前で足を止めた。

 

「こんばんは」

 

「・・・こ、んばんは」

 

と、春香がわたしの前にグイッと出た。「あらー!早坂さん、お久しぶりですぅ〜」

 

「お久しぶり。春香ちゃん・・・みなさんも」早坂さんが後ろの2人に微笑む。

 

店長は慌てたように頭を下げた。「ど、どうも、お久しぶりです」なんというか、綺麗な女性でも前にして照れているようだ。

 

「どうも」一真くんは、低い声で一言だけ。

 

「あの、早坂さん・・・」

 

「早坂さん、どうしてここに?雪音と約束ですか?」

 

わたしが何も言わなくても、話が済みそうだ。

 

「雪音ちゃんに話があるんだけど、借りてもいいかしら?」

 

「あっ・・・でもこれから・・・うおっ!」春香がわたしの背中を強く押し、早坂さんにぶつかりそうになった。

 

「どーぞどーぞ、持ってってください」

 

「おい・・・」

 

早坂さんはわたしの肩をガッチリと掴んだ。逃がさないというように。「そう、ありがとう」

 

 

「雪音さん、行くんすか?」一真くんのすがるような目に、返事が出来ない。

 

「あー・・・」

 

肩を抱く手に力が込められ、早坂さんを見上げると、真っ直ぐな目でわたしを見た。そんな眼差しを向けられたら、抗えない。

 

「ごめん、一真くん・・・また今度ね」

 

一真くんは、はあと溜め息を吐き、あからさまに肩を落とした。

「わかりました。あの、雪音さん」

 

「ん?」

 

「じゃあってわけじゃないけど、この前の約束、明日でもいいですか?俺、明日も出るんで」

 

約束って、2人で飲みに行くって事だよね。「あ、うん。オーケー」

 

早坂さんが、強引にわたしの身体の向きを変えた。

「それじゃあみなさん、おやすみなさい」

ほぼ強制的に車に連行される。

 

「雪音さんっ、明日楽しみにしてます」

 

肩に乗る早坂さんの腕で、振り向けない。

「また明日ー!店長、春香ヨロシクです!」

 

「はいはーい、ちゃんと送り届けるよ〜」

 

 

早坂さんは助手席のドアを開け、わたしが乗るとすぐにドアを閉めた。運転席に戻ると同時にエンジンをかけ、車を走らせる。

 

「・・・少し強引じゃないですか」

 

「ごめん」

 

返ってきたのは、その一言だけだった。それからはお互い、無言が続く。

聞こえるのは、車内の音楽とエンジン音だけ。いつもは気にならないウインカーの音が、今日はやけに耳に響いた。

 

──どうしよう。気まず過ぎる。

早坂さんは、怒ってるんだろうか。謝らなければとわかっていても、この重い空気に口が閉ざされる。家に着くまでに、謝るんだ。一言、ごめんなさいと言え。

 

口を開けては閉じるを30回ほど繰り返し、気づけば、アパートの前に車が停まっていた。

この根性無し。自分を殴りたい。ボコボコに。

 

 

「ごめんなさい」

 

そう、その一言がなぜ出ない。──・・・えっ?

 

「怒ってるわよね」

 

早坂さんは前を向いたまま、神妙な面持ちだ。まさかの、先を越された。

 

「なんで、早坂さんが謝るんですか」

 

「いや、頭ごなしに言い過ぎたと思って。あなたの言い分も聞かずに。反省してるわ」

 

ああ・・・こうなるのか。とてつもない自己嫌悪に陥る。

 

「やめてください」

 

「え?」

 

「早坂さんが謝る事なんて何もないんです。悪いのはわたしだから・・・ごめんなさい」

 

「いや、あなたは悪くないでしょ。なんで謝るのよ」

 

「・・・わたしが感情的になってただけなんです。早坂さんは、わたしの事心配してるだけってわかってるのに。一方的に怒って、子供みたいな事しちゃいました」

 

罪悪感と恥ずかしさで、顔が上げられない。

 

 

「あたしが心配してるだけって、わかってくれてるなら、ありがたいわ」

 

早坂さんはわたしの顎に手を当て、自分に向かせた。いつもの、優しい顔だ。

 

「そうね。あたしはあなたの事がたまらなく心配なの。そのせいでつい、感情的になってしまうわ。ごめんね」

 

「だから、謝らないでください・・・早坂さんに謝られると罪悪感で死にたくなります」

 

「なんでよ」

 

「なんでもです」

 

「・・・あたしの事、嫌いになってない?」

 

まったく、意味がわからなかった。だから、そのまま返す。

 

「意味がわからないんですけど」

 

「怒らせたから、嫌われちゃったかなって」

 

「そんな事あるわけないでしょ」

 

思わず、タメ口になってしまった。それほど馬鹿馬鹿しい質問だから。

早坂さんは、ふうと息を吐きながらシートにもたれた。

 

「良かった。安心したわ」

 

そんなふうに思ってたのか。「わたしが早坂さんを嫌いになる要素なんて、どこにもないですよ」

 

「・・・口うるさくても?」

 

自覚はあるんだ。「もう慣れました」

 

「アハハ。そう。感謝ね」

 

早坂さんの笑顔を見て、やっと安心出来た。モヤモヤが全部消え去る。

 

「雪音ちゃん」

 

「はい」

 

「1つ、お願いがあるんだけど」

 

「なんですか?」

 

「携帯の電源を切るのだけは、やめてくれないかしら」

 

「あ"っ!」そうだ、まだ戻してなかった。すっかり忘れていた。「ごめんなさい・・・戻すタイミングを失ってしまい・・・ホント、ごめんなさい」

 

「いろいろ悪いほうにばかり考えちゃって、気が狂いそうになるのよ」

 

「はい・・・ごめんなさい」謝る事しか出来ない。

 

早坂さんはシートにもたれたままわたしの頭に手を乗せ、微笑んだ。胸がぎゅうっと締め付けられる。

 

「それで、その喋るカラスだけど、それ以来あなたの前には現れてないの?」

 

やっぱり、少し警戒しているのか。「はい、今朝会ってからは」

 

「そう」

 

「早坂さん、空舞さんは・・・危険ではないです」

 

早坂さんはわたしを見つめ、頷いた。「ええ。あなが言うなら信じるわ」

 

嬉しくなって自然に笑みが出る。「ありがとうございます」

 

早坂さんは真面目な顔でわたしを見つめると、手を伸ばし、わたしの頬に触れた。そうかと思えば、今度はブニッとつねられる。

 

「なんでふか・・・」

 

「あんまり人前でそーゆう顔しちゃダメよ」

 

 

どーゆう顔?「はひ?」

 

「良い顔で人に笑いかけちゃダメ」早坂さんが頬から手を離し、つねった所をさする。

 

「どーゆう事ですか」

 

「笑うのはあたしの前だけにして」

 

──これは、どう取ればいい。意味深にも程があるだろう。早坂さんの真意はわからない。

 

「・・・なんで?」

 

「ん?見せたくないから」

 

「・・・なんで?」

 

「あ、同性は別よ?あなたは笑顔が素敵だからたくさん笑いなさい」

 

答えになっていないし、言ってる事が支離滅裂なんだが。

ある言葉が、喉まで出かかった。

 

"わたしの事、どう思ってますか?"

 

それを聞いた先は、どうなるだろう。早坂さんはどんな反応をする?困るだろうか。それとも、いつものノリでかわされる?

臆病なわたしは、それを知る勇気がない。だから、喉まで出かかったその言葉を抑え込んだ。

 

 

 

 

 

それから3日後の朝。

窓をコツコツと叩く音で目が覚めた。すぐに空舞さんだとわかった。寝ぼけ気味で慌てて窓を開ける。

 

「相変わらず、寝坊助ね」

 

部屋の時計は6時ピッタリだ。空舞さんは、部屋の中に入って来ない。

 

「空舞さん、優子さんは・・・」目が覚めたら、知らせに来てくれるという約束だ。

 

「優子は、亡くなったわ」

 

「・・・え・・・いつ・・・」

 

「昨日の夕方よ。あなたにも知らせるべきだと思って」

 

「そう・・・ですか・・・」余命宣告を受けていたのはわかっていたとはいえ、亡くなったと聞かされると、さすがにショックだ。

 

「ありがとう。もう1度、お礼が言いたかったの」

 

空舞さんは手すりに止まり、川のほうを見ている。わたしなんかより何倍も悲しいに決まってるのに、その声は気丈だ。

わたしは裸足のままベランダに出て、空舞さんを強引に抱きしめた。

 

「ちょっ・・・と、何よ」

 

「優子さん頑張りました。空舞さんも、頑張りました」

 

空舞さんはふっと笑った。「よく知りもしないくせに。わたしは平気よ。ずっと、覚悟はしてたから」

 

「はい」

 

「それより、離してくれない?暑苦しくてしょうがないわ」

 

「あ、はい」

 

 

「雪音。優子の部屋に花を置いたの、あなたでしょ」

 

「・・・あ、はい。あまりにも殺風景だったので。といっても、プリザーブドフラワーですけど」

 

どうしても気になって、優子さんに会いに行ったその日の夕方、出勤前にまた寄ってしまった。

 

「ありがとう・・・あなたに何か、お礼がしたいんだけど。わたしに出来る事はないかしら」

 

「いや、お礼をされるような事はなにも・・・あっ、じゃあ・・・」

 

「なに?」

 

「お友達に、なってくれませんか」

 

空舞さんは、クイッと首を傾げた。

 

「友達?」

 

「はい。優子さんみたいに、わたしも友達になりたいです」

 

「・・・それがお礼になるの?」

 

「はい」空舞さんは、何も言わない。イコール、拒否ってことか。「あの、無理にとは・・・」

 

「アハハハハ」突然の高笑いに、ギョッとした。「あなた、本気で言ってる?鳥と友達になりたいわけ?」

 

「・・・はい。ダメですか?」

 

「本当に、変な人間ね。まさか、そんな寝ぼけた顔にボサボサ頭で、友達になりたいと言われるとは思ってなかったわ」

 

「えっ、そんなに凄いですか?」確認出来る物がないので、手櫛で髪を直す。

 

「あなた、やっぱり優子に似てるわ」そう言うと、空舞さんはわたしに背を向けた。「また、来るわ」

 

「それは、友達になってくれるって事ですか?」

 

「・・・人間は、友達になるのに口頭の約束が必要なの?」

 

「え!?あ、いや・・・確認?です」

 

「本当に変な人間ね」空舞さんはまた言った。「また来るわ・・・友達として」

 

そう言い残し、空舞さんはあっという間に広大な空へと飛び立って行った。

 

──これは、友達になったと認識していいんだよね。

 

 

 

優子さん。これからは、空の上から、空舞さんを見守っていてください。こっちでは話せなかったけど、わたしがそっちに行ったら、その時こそ友達になりましょう。2人で空舞さんの話をして盛り上がりましょうね。

 

どうか、安らかに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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