空が夕闇に変わる頃   作:琥珀777

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第十三章 【救世主】

 

 

「雪音ちゃん、それ食べたら上がっていいからねー」

 

「あ、はい。わかりました」

 

店の時計を確認する。今帰ったら、ちょうど叔母さんがお風呂に入ってる時間だ。ちょうどいい。店の隅のテーブルで賄いのピラフを頬張っていると、目の前にグラスに注がれた水が置かれた。

 

「働くねぇ、雪音ちゃん」

 

「木下さん、ありがとうございます」水で口を潤し、食事を再開する。「・・・あの、何でしょうか」

 

木下さんはテーブルに腰掛け、動かない。

 

「家に帰りたくないの?」

 

突如かけられた言葉に、咽かけた。喉の奥にいるピラフを水で流し込む。

 

「なんでですか?」

 

「いや、普通仕事終わったら喜ぶと思うんだけど、雪音ちゃんは残念そうな顔するから」

 

そんなに顔に出てるのか、わたし。「いえ、そーゆうわけじゃ・・・」いや、そうだろう。心の中で自分に突っ込む。

 

「雪音ちゃん、今3年生だよね。進学するの?」

 

「え?あ、いえ、就職する予定です」

 

「ふう〜ん。道筋決まってる?」

 

「・・・いや、特には。1人暮らしで普通に生活出来ればそれでいいかなと」

 

「ふう〜ん」

 

木下さんはそれ以上何も言わないが、いなくなりもしない。なんなんだ、いったい。

 

「木下さん何してんすか!オーダー入りましたよ!」

 

厨房からお呼びがかった。

 

「はいは〜い。じゃあ雪音ちゃん、気をつけてね帰ってね」

 

「あ、はい。お先に失礼します」

 

木下さんはのそのそと厨房へ戻って行った。

ここに来た時から思っていたが、変な人だ。いつもボーッとしているし、言葉足らずで何を考えているかわからない。わかっているのは、シェフとしての腕が良いという事だけ。

 

 

 

 

 

家までは自転車で15分。ガレージの隅に自転車を置き、風呂場の窓を確認すると、明かりがついている。この時間、入っているのは叔母だ。入浴ルーティンは決まっていて、夕方の早い時間におばあちゃん、仕事から帰ってきた叔父、夕飯後の伯母という順番だ。

 

静かに玄関のドアを開けて中に入り、居間に顔を出す。パジャマ姿の叔父がお茶を飲みながらテレビを観ていた。

 

「ただいま」

 

「おお、おかえり。ご飯は食べたか?」

 

「うん、店で食べたよ」

 

「そうか。今叔母さん風呂に入ってるから、雪音も次に入りなさい」

 

「うん」

 

 

 

次に、1階の奥にあるおばあちゃんの和室に向かう。

コンコンとノックをして襖を開けると、おばあちゃんは座椅子に座り、テーブルに本を置いていた。

 

「おば〜ちゃん、ただいまっ」

 

おばあちゃんは眼鏡を下げ、上目でわたしを見た。

 

「おかえり。本日もご苦労様、だな」

 

「ふふ」おばあちゃんの隣に座る。「何読んでるの?週刊誌?」

 

「ああ、これで世の中の事を勉強してるんだ。ご飯は食べたか?」

 

「うん、食べたよ。てか、おばあちゃん、テレビっ子だから大体の事わかってるじゃん」先日、有名な俳優が亡くなったのも、わたしはおばあちゃんの口から最初に聞いた。

 

「テレビは耳を鍛える。活字は脳を鍛えるんだ」

 

「ふふ、そっか。あっ、そうだ、おばあちゃんにお土産」

 

先程コンビニで買った物をバッグから取り出し、テーブルに置いた。

 

「おお、この前のパンか?」

 

「そう、メロンパンね。この前のとは違うやつだけど、こっちのほうが美味しいんだ」

 

先週末、お昼に食べていたメロンパンをおばあちゃんにおすそ分けしたら、大変気にいったのである。おばあちゃんはメロンパンを手に取り、指で感触を確かめた。

 

「・・・おばあちゃん、潰れてる」

 

「この皮が美味いんだよな。サクサクっとして」

 

「そうそう、この前のよりサクサクだよ。でも中はしっとり」

 

「ありがとうや。明日のおやつだな」

 

「うん、そうして」

 

おばあちゃんは、しわしわの手でわたしの手を握った。

 

「雪音、おばあちゃんに金なんか使う事ないんだぞ。自分に使いなさい」

 

「って言っても、100円ちょっとだから」

 

「それでもだ。お前は人に気を遣ってばかりで、自分の事には無頓着だからな」

 

「そお?」

 

「ご飯だってまともに食べてないだろう。いつもパンじゃないか」

 

「そんなことないよ?店では美味しい賄いが出るし。パンはね、好きで食べてるの。子供の頃からパンさえ与えておけば機嫌良かったらしいよ、わたし」

 

「家でご飯を食べないのも、叔母に気を遣ってるんだろう」

 

「・・・時間が合わないだけだよ。わたしも自由にさせてもらってるから」

 

 

おばあちゃんは、目にかかるわたしの前髪を横に撫でつけた。

 

「せっかく美人なんだ、あんまり痩せてはみっともないぞ」

 

「えー、わたしこう見えて、標準体重だけど?」本当は、しばらく体重なんて計っていない。ただ、ズボンが少し緩くなったのは事実だ。

 

「ちょっと待て、小遣いやるから・・・」

 

「あー!そろそろお風呂に入んなきゃ!」立ち上がろうとするおばあちゃんの肩に手を置き、自分が立ち上がる。

 

「いいから、貰っておけ」

 

「この前貰ったばっかりでしょ」

 

「だいぶ前だろう。お前が受け取らないから」

 

「受け取らないとは言ってないよ?たまに貰うから、ありがたみがあ・る・の」

 

おばあちゃんはやれやれといったように息をついた。「お前も頑固だからな」

 

「ふふ、いつもありがとう。おばあちゃん」

 

 

 

 

 

──それから1ヶ月後。

季節が春からから初夏へと変わる頃、おばあちゃんは亡くなった。

朝は誰よりも早いおばあちゃんが、起きてこなかった。最初に発見したのは叔父だった。

おばあちゃんは、布団で眠るように亡くなっていた。

 

わたしは、涙が出なかった。状況が理解出来なかった。だって、昨日まであんなに元気だったのに。いつものように、バイトから帰ったわたしに、ご苦労さんと声をかけてくれたのに。

 

なんで、突然いなくなるの。

 

おばあちゃんがいなくなってからも、わたしは毎日、おばあちゃんの部屋に行っていた。

何をするわけでもない。ただ、おばあちゃんの座椅子の隣に座ると、そこにおばあちゃんがいるような気がしたんだ。

 

 

おばあちゃんが亡くなってから2週間後、バイトから帰宅したわたしがおばあちゃんの部屋に居ると、襖が開き、叔父が顔を出した。

 

「雪音、ちょっといいか」

 

「うん?」

 

伯父は手に持っていた物をわたしに差し出した。茶封筒だ。

 

「おばあちゃんのタンスから見つかってな。お前宛てだ」

 

「え・・・」

 

封筒には、達筆な字で"雪音へ"と一言。裏には何も書いておらず、しっかりと封がしてある。

叔父はそれ以上何も言わず、静かに部屋を出て行った。

 

 

この厚みは、なんだろう。

破れないよう慎重に封を開け、中を見て、手が止まった。

 

1万円札だ。それも、1枚ではない。数えると、計10枚だった。そして、2つに折られた便箋が1枚。

 

 

【卒業したら、これで良い財布を買いなさい。

財布は人に見られる。せっかくの美人が台無しだぞ。良い物には良い物が寄ってくる。雪音の人生もそうでありますように】

 

 

──前に、この部屋で話した事を思い出した。

わたしの財布を見たおばあちゃんは、わたしの手から取り上げ、まじまじと見ていた。そして、"何だこの財布は、ぼろ雑巾のようじゃないか"と。その言いように、思わず笑ってしまった。

 

ぽつぽつと、便箋に水滴が落ち、インクが滲む。目から込み上げる物に、抗うことが出来ない。

 

おばあちゃん。卒業したらって、その時、自分で渡そうとは思わなかったの?

そうしてほしかったよ。

 

もしかしたら、おばあちゃんは何かわかっていたのかな。何か感じていたのかな。自分の事は語らないおばあちゃんだから──。

 

死ぬ時は、誰にも迷惑をかけず、家で死にたい。生前、おばあちゃんがよく言っていた。

本当に、その通りになったね。おばあちゃんらしいよ。

 

堰を切ったように溢れ出す涙が、テーブルに溜まる。叔父たちに聞こえようが構わない、嗚咽を漏らして泣いた。

 

寂しい。寂しいよ、おばあちゃん。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

それからというもの、わたしはしばらく無気力状態だった。

おばあちゃんが亡くなってから、家に帰るのが余計苦痛になった。それだけおばあちゃんの存在に助けられていたんだと、後になって実感した。

 

そんなある日、バイト先でいつものように賄いを頂いていると、目の前にグラスに入った水がやってきた。そこには、木下さんの姿。デジャヴだったが、この前と違うのは、木下さんがわたしの隣に座った事だ。

 

 

「・・・ありがとうございます」

 

「雪音ちゃん、疲れてるね。大丈夫?」

 

「あ、はい。あの、ここに居ていいんですか」

 

「うん、一通りオーダー終わったから」

 

「そうですか」

 

木下さんはボーッと前を見ながら、両指でピアノを弾くようにテーブルを鳴らしている。

この前から、いったいなんなんだ。

 

「あの、わたしに何か、話があるんですか?」

 

木下さんは虚を衝かれたようにわたしを見た。「え、わかるの?」

 

「・・・なんとなく」そりゃあ、無言で隣に居座られたら、そう思うだろう。

 

「うーん、そうなんだよね?」

 

なぜに、反疑問形?「なんでしょう?」

 

「うん・・・」それから間があった。何か、言いづらい事なのだろうか。「雪音ちゃんに、相談があるんだよね」

 

「相談?」

 

「うん」

 

その先を待ったが、木下さんは何も言わない。そんなに躊躇するような事なのか?

 

「お金ならありませんよ」

 

木下さんはブッと噴き出した。こういう姿を見るのは、何気に初めてだったりする。

 

「高校生にお金せびったら、俺もう人として終わってるよね」

 

「よかった。じゃあ、なんですか?」

 

「うん、単刀直入に言うけどさ、雪音ちゃん、俺と一緒に働かない?」

 

今度は、わたしの間が空いた。とりあえず、言葉通りの意味を理解する。

 

「一緒に働いてますけど」

 

「あー、そうじゃなくてね。新しい店でってこと」

 

「新しい店?」

 

「うん。俺さ、独立して自分の店持つんだ」

 

「・・・えっ、そうなんですか?」

 

「うん、これは一部の人間しか知らないんだけど。着々と準備は進めててね、来年の春にはオープンする予定なんだ」

 

「ほえー・・・凄いですね」感心して、先程の言葉の意味を理解する。「えっ、そこで一緒にってことですか?」

 

「うん。ダメ?」

 

「・・・ダメって・・・」本当に単刀直入だった。イマイチ頭が追いつかない。

 

 

「雪音ちゃん、来年卒業でしょ?就職したいって言ってたし、時期的にちょうどいいかなって。何より、俺としては雪音ちゃんが欲しいんだよね。・・・なんか今、愛の告白ぽくなかった?」

 

最後のほうはスルーする。「なんで・・・ですか?」

 

「うーん・・・一言で言うと、仕事が出来るから?そして誠実だから?」

 

だから、なんで疑問形なんだ。

驚いたのは、自分の中に芽生えた感情だった。

 

「まあ、無理にとは言わないけどさ。ちゃんとした会社に就職したほうが保証は・・・」

 

「やります」

 

木下さんは固まり、目を見開いた。

 

「え?今、何て言った?」

 

「やります。一緒に働かせてください」

 

「・・・え、いいの?」

 

「木下さんが言ったんじゃないですか」

 

「いや、そうだけど・・・そんなに簡単に決めていいの?」

 

「聞いてすぐ、やりたいと思いました。だからお願いします」話を聞いて、嬉しいという感情が先に来たのが自分でも驚きだった。

 

「いや、お願いしてるのは俺だけど・・・本当にいいの?二言はない?」

 

「はい、お願いします」

 

木下さんの顔がみるみる明るくなっていく。こんなに嬉しそうな顔も出来るんだ。

 

「やった、雪音ちゃんゲットだぜ」木下さんは、やる気の感じられないガッツポーズをした。

 

「ポ◯モンみたいに言わないでください・・・」

 

「よぉーし、じゃあそーゆう事で、ヨロシクね雪音ちゃん」

 

木下さんがわたしに手を述べた。わたしはその手を取り、しっかりと握手を交わす。

 

「よろしくお願いします」

 

木下さんは鼻歌と共に、いつもより軽やかな足取りで厨房へ戻って行った。

 

 

──突然舞い上がった話だったが、不思議とわたしの心の中は、嬉々としていた。

ただでさえ生きづらい毎日に、ポッと光が灯ったような、そんな感覚を覚えた。

道筋が立った事。なにより、必要とされている事。それがこんなにも生きる活力になるんだと、初めて知った。

 

だから、後に店長となるあの人は、わたしにとって救世主その物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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