空が夕闇に変わる頃   作:琥珀777

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第六章 【座敷童子の美麗さん】

 

 

「雪音、手が荒れてない?」

 

「え?あ、うん、皿洗いばっかしてるから洗剤負けしちゃうんだよね」

 

「ちょっと見せなさい」

 

母さんはわたしの手を取り、まじまじと見た。「けっこう酷いわね。痛くないの?」

 

「大丈夫、もう慣れっこだから。それより温かいうちに食べよ。今日のカレーはね、豚肉の他に、海老も入ってます!スーパーで半額だったから思わず手に取っちゃった」

 

「・・・ごめんね。あなたにばかり苦労をかけて」

 

──始まった。と、心の中でうんざりする。母さんはわたしに何かある度に、いつもこうだ。

スプーン山盛りのカレーを大口で頬張る。

 

「うん、我ながら美味い!母さんも早く食べて」

 

わたしの半分の量を口に運ぶと、母さんは時間をかけて飲み込んだ。

 

「美味しい」

 

「イエイ。おかわりあるよ」

 

フフッと笑う。「そんなに食べれないわよ」

 

「そお?わたしはするけどね」

 

それでも、母さんの分はご飯を少なめにしているんだが、最近はまた、食が細くなってきた。

目の下の隈も濃くなり、眠れていないんだろう。自分に合う睡眠薬を処方されては、時間と共に効かなくなる。ここ最近は、ずっとその繰り返しだ。

 

食事を終え、2人で紅茶を飲みながらテレビを見ていると、母さんが言った。

 

「雪音、髪洗ってあげるわよ」

 

「・・・え?髪?どしたの急に」

 

「しばらく洗ってあげてないなって」

 

「・・・そら高校生にもなって親から髪洗ってもらってたら、ねえ」

 

「久しぶりにいいじゃない。ね?人から洗ってもらうと気持ち良いわよ」

 

──何を思って、そこに行き着いたんだろう。母さんがそんな事を言うのは、珍しい。

 

「じゃあ、わたしは背中洗ってあげる」

 

 

2人でお風呂に入るなんて、何年振りだろう。

子供の頃はよく、どっちが長いこと潜っていられるかを競っていた。わたしの肺活量にビックリした母さんは、将来は水泳選手ね。なんて言ってたっけ。

 

正直、母さんに洗ってもらうのは凄く心地よかった。自分がとても小さな子供になったような気分だった。

あの頃の記憶と違うのは、母さんの背中。骨が浮き出ていて、力加減を間違うとポキっと折れてしまいそうだ。

元々身体が弱い母さんだが、1年前に父さんを事故で亡くしてから、心身共に弱る一方だった。

 

 

 

 

 

「気持ち良かった。一生の思い出になったな」わたしの髪を乾かしながら、母さんが言った。

 

「何を大袈裟な。毎日だって洗ってあげるよ」

 

鏡越しの母さんは嬉しそうに笑っていた。

 

そして、今日は早めに寝ると、母さんは寝室へ向かった。一旦閉まったリビングの扉が、また開く。

 

「雪音、薬塗りなさいよ」

 

「あ、手?りょーかーい」

 

 

── 翌朝、最初のアラームで起きれなかったわたしは、いつもより20分程起床が遅くなった。昨日、遅くまで携帯のゲームをしていた自分が悪い。

 

でも、いつもなら母さんが起こしにくるはずなんだけど。珍しく、まだ寝てるんだろうか。

階段を下り、リビングの扉を開けると、昨夜寝る前の状況と同じだった。

テレビとエアコンのリモコンはテーブルの上に並び、洗ったコーヒーカップがシンクの上に伏せてある。

 

いつもは早起きなのに。よほど調子が悪いんだろうか。

わたしは足音を立てないように、2階へ上がった。母さんの寝室のドアに耳を当てる。静かだ。やっぱり寝てる?

音が鳴らないようにゆっくりとドアノブを回し、そーっとドアを開けた。

 

 

 

 

 

──・・・しばらく、天井を見ながら呼吸を整えた。落ち着け、わたしの心臓。これは夢だ。

もっとゆっくり、ゆっくり。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ・・・はあ・・・はあ・・・・・はあ・・・・・」

 

汗が首から枕に流れ落ちるのを感じた。唾を呑むと、喉がキリッとする。目を瞑り、深呼吸を3回した。

心臓が通常の速度に戻るのを待って、上半身を起こした。床に落ちた布団を拾い上げ、ベッドから立ち上がる。眩暈がして壁に手をついた。

 

外はまだ、薄暗い。部屋の電気をつけてキッチンへ向かい、頭から水を被った。シンクに手を付き、ここでも深呼吸。

 

頬をバシバシと叩く。「よしっ!」

汗でびしょ濡れのTシャツを脱ぎ、顔と髪を拭いて洗濯機へ放り込んだ。

 

新しいTシャツとランニング用のジャージに着替え、何も持たず、家を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春香のこんな顔は、滅多に拝めない。あんぐりと口を開けて、言葉を失っている。

記念に写メでも撮ろうかと携帯のカメラを向けたところで、我に返った。

 

「あのセクハラジジイの連れ?」

 

「うん。今思えば、あの時、そのセクハラジジイが忠告に来たのかなって思った」

 

「本当に何もされてないの?」

 

「うん。ただつけられただけ」

 

「・・・ごめん。全然見抜けなかった」

 

「いやいや、春香が謝る必要ないでしょ。ていうか何もなかったし」

 

「早坂さんが来てくれたからでしょ」

 

「うーん・・・いや、たぶんあの人、何もしてこなかったと思うよ。早坂さんが来なくても」

 

「なんでわかるのよ」

 

「なんとなく」

 

「天然記念物のなんとなくなんて当てに出来ないわよ。しかし、腹立つわね。正直、あのジジイしか意識してなかったから、印象が薄いわ」

 

「そう!わたしもすぐに気づかなかったもん。最初は何処かで見たことあるなーって感じだった」

 

春香はわたしをギロリと見た。「アンタにも腹立つわ。なんで警察に突き出さないのよ」

 

「だからそれは・・・」

 

「まあ、早坂さんに感謝ね。すぐ駆けつけてくれるなんて、大事にされてるじゃない」

 

「・・・大事と過保護って、イコールなのかな」

 

「なによ、意味深ね」

 

──今日の昼間を思い返す。朝方ランニングに出かけたわたしは、10キロ程走り、帰ってシャワーを浴びた。その後また出かけて映画を立て続けに2本観た。

家に帰ってきたのは昼過ぎで、置いて行った携帯を見ると、不在着信が8件。

1番新しいのは、10分前だ。特に驚く事もなく、折り返す。

通話までのコール数と、その後の流れは、あえて省略しよう。

 

早坂さんが伝えたかったのは、前に言っていた、家に居るという座敷童子に会わせたいという事だった。昨日の電話はその事だったのか。わたしのせいで、それどころじゃなくなってしまったけど。

 

正直、座敷童子と言われても全くピンとこなかったが、興味を惹かれないわけではない。

店の定休日の明日、家まで迎えに来るという約束で話は終わった。

 

 

「早坂さんの過保護ぶりって、なんかこう、娘を溺愛するお父さんみたいな?そんな感じがするんだよね」

 

「不満なの?」

 

「え?いや、不満とかじゃないけど」

 

「あらららら〜〜?そんな顔してますけどお〜〜?」

 

この憎たらしい顔を、どうにかしてやりたい。でも、挑発には乗らない。天然記念物も学習はするのだ。「そんなんじゃないよ。ただ、なんでそこまでするのかなって、思うだけ」

 

「なに大人ぶってんのよ。つまんな。まあ、どんな意味にせよ、アンタの事を大事に思ってるってことでしょ」

 

「だから・・・なんで?そしてわたしは大人だ」

 

「そんなん本人に聞きなさいよ」

 

「聞いた」

 

「それで?」

 

「・・・りたいって」

 

「ヤリたい?」

 

「ぶっ・・・ぶぁっか!!守りたいらしい!」

 

「守りたい、ねえ・・・向こうもアンタの事好きなんじゃない?」

 

「・・・はっ!?てか、向こうもってなんだ!」

 

「知らないけど。普通に考えて、好意がなければそんな事言わないわよ」

 

「好意・・・ねえ」少なくとも嫌われてはいないだろうが。今までの事を考えても、早坂さんのわたしに対する接し方は、過保護な親だ。

 

"あなた、昨日具合悪そうだったから悪化して寝込んでるんじゃないかって心配したのよ。ちゃんとご飯食べてる?"

 

今日の電話で早坂さんに言われたのを思い出す。わたしの体調に気づいてたんだ、と思いながら──やっぱり、オカンだ。

 

「ところで、彼女いるか聞いた?」

 

「・・・聞いてない」

 

「なんでよ」

 

「忘れてた」

 

「次はいつ会うの?」

 

「明日」

 

「じゃあその時ヨロシク」

 

「聞けたら、ね」

 

「聞けない事あるわけ?アンタは気にならないの?」

 

答えられないのが、答えになってしまった。

 

「正直でか〜わい〜わね〜〜」春香に指で頬をグリグリされる。そして力が強い。

 

「やめい!そして痛い!・・・ていうかさ、まだゲイじゃないって確信もないじゃん」

 

「まあ、確信はないわよ。でも、ほぼ間違いなくストレートね。あたしのセンサーが反応しないもの。あれだけ堂々とオネエ言葉使ってるのも納得だわ」

 

そのセンサーとやらを、どうにか分けてもらえないだろうか。

 

カンカンと、ドアベルが鳴った。

 

「いらっしゃいませー」

 

明日、それとなく聞いてみるか。春香のために。

 

 

 

 

 

"5時に迎えに行くわね。晩御飯は食べちゃダメよ♡"

 

起きて、最初に見たメールだった。ご馳走でもしてくれるんだろうか。わたしに対する要求は多いのに、自分は言葉足らずだ。

今日会うわけだし、特に返信はしなくてもいいよね。顔を洗いに行こうとして、すぐに戻った。

駄目だ。返さないと、着信履歴が早坂さんで埋まってしまう。"わかりました。よろしくお願いします"と、返信する。

 

約束まで、だいぶ時間がある。まずは部屋の掃除だ。掃除機をかけて、床を拭く。そのあとキッチンとお風呂場を磨き、最後はトイレで締める。

所要時間、30分。狭い1Kの唯一のメリットだ。

 

窓の外は、これ見よがしな晴天。こんな日に出ないのは罪な気がする。買い物がてら、散歩に出た。

 

スーパーでパンとコーヒー、ストック用の食パン、お菓子を購入し、河川敷に向かう。

ベンチが空いていなければ土手にでも座って食べるかと思っていたが、ラッキー。2つ並んだベンチに先客無し。座りながらどっこいしょと声が出て、周りを見る。オッサンかわたしは。

 

どれどれ、まずはキミからだ。ハムとマヨネーズが入ったミニロールパンを一口で頬張る。が、すぐに後悔した。飲み込む途中に咽せて、慌ててコーヒーで流し込んだ。

 

早坂さんがいたら、誰も取らないからゆっくり食べなさい!なんて言われそうだ。

── ・・・ここで思い出すか、自分。

 

それから3個目のロールパンを食べ終えたところで、来客があった。

こんにちはと声をかけられ、初老の男性が隣のベンチに座る。定年後の散歩といった感じか。

 

男性は小さなクーラーボックスを隣に置いている。何が入ってるのかと思ったら、そこから取り出したのは缶ビールだった。プシュッと開け、一口飲むと、ふうと息を吐いた。

 

わたしは横目でチラチラと見ていた。こんな青空の下で飲むビールは最高だろう。わたしもコーヒーじゃなく、ビールにすればよかったか?

でも、平日の真っ昼間から、外で缶ビールを飲む若い女って、どうよ。

 

 

「お嬢さん」

 

一瞬、聞き間違いかと思ったが、男性はわたしを見ている。わたしに言ったのか。

 

「はい?」自分を指さして言った。

 

「ビール飲まないかい?」

 

「・・・えっ」

 

「冷えてるよ。どうだい?」

 

「・・・いえ、わたしは・・・いただきます」

遠慮がちに受け取ったビールを図々しく喉に流し込むと、辺りが天国へと変わった。「くう〜、すみません、美味しいです」

 

「青空の下で飲む酒は美味いよなあ」そう言って、男性も一口飲む。ゆっくり、飲む人なんだな。あの酒豪に見せてやりたい。

それからは話しかけてくる事もなく、不思議な空間の中、お互い景色を見ながらビールを飲み進めた。

 

「ご近所さん、ですか?」

 

「そうだよ。もう何十年も此処に住んでる。お嬢さんは?」

 

「わたしもこの辺に住んでます。凄く良い所ですよね」

 

「川の流れを見てると気持ちが安らぐね。不思議だよ」

 

「わかります。わたしもここに来ると癒されるから」

 

「若いのに」

 

なんというか、笑い方が控えめな人だ。「いつも、ここでお酒を飲むんですか?」

 

男性はまたゆっくりとビールを口に運ぶ。「今は週に2、3回かな。定年してから妻と毎日のように散歩していたんだけどね」

 

「・・・奥さんは?」

 

「死んだよ。3年前にね。最初は此処に来るのも辛かったけど、時間が解決してくれものだね。今は此処に来ると、妻と一緒にいる気がして気持ちが穏やかになる。これまた不思議だね」

 

「・・・奥さんが、夢に出てくる事は、ありますか?」

 

「ん?」

 

「あっ、いえ、すみません唐突に・・・」

 

「悲しい事に、妻の夢を見ることは今はもう、あまりないな。もっと出てきてくれてもいいんだけどね。お嬢さんも、誰かを夢に見るのかな?」

 

「・・・亡くなった母親が。わたしの場合は、出て来てくれて嬉しいって思える内容じゃないんですけどね」笑いを含めて言った(つもりだ)。

 

「生きていれば、いろんな事がある。生きてる人間に出来るのは、生きる事だ。簡単な様で、難しい事だね」

 

「・・・そうですね」

ビールを一気飲みしたのは、上を見ないと、いろんなモノが溢れ出そうだったから。

「プハ──ッ!美味い!」

 

ククッと笑い声が聞こえた。「良い飲みっぷりだ」

 

「ご馳走様でした」

立ち上がり、袋の中の煎餅を男性に差し出した。「ビールのお礼です」

 

男性はフッと笑い、ありがとうと受け取った。男性の隣に、もう1つ、チョコレート菓子を置く。

 

「2つもかい?」

 

「奥さんに」

 

男性は瞬きをすると、目を細くして微笑んだ。目尻に出来る深い皺に、この人の人生を感じた気がした。

 

「ありがとう。妻も喜んでるよ」

 

 

 

 

 

時刻は16時50分─。

ボディバッグの中身を確認する。携帯、財布、

ハンカチ、そしてナイフ。

よし、と家を出て、すぐに戻った。化粧ポーチからフェイスパウダーを抜き取り、バッグに忍ばせる。

一応、ね。

 

早坂さんはまだ来ていない。この前車を停めた場所には、白いワゴン車が停まっている。

待ってる間、ストレッチでもしとくか。屈伸をして、アキレス腱を伸ばす。

 

すると、停まっていたワゴン車が動き出だした。こちらへゆっくり向かって来くる。

わたしの前で停止すると、助手席の窓が開いた。

 

「えっ、瀬野さん?」

 

「走りにでも行くのか?」

 

「・・・なんで瀬野さんが!?」

 

「遊里に頼まれた。まず、乗れ」

 

「あっ、はい!」

 

車を出しながら、瀬野さんはわたしのアパートをまじまじと観察した。その表情で、言いたいことはなんとなくわかった。

 

「あの、早坂さんは?」

 

「飯の準備をするから代わりに迎えに行けと頼まれた」

 

「・・・そうですか。すみません」飯の準備って、早坂さんが作るんだろうか。「家、よくわかりましたね」

 

「大体の場所と、遊里から写メでな」

 

「写メ?」

 

瀬野さんが親指で後方をさす。「お前んちの」

 

「・・・ああ、なるほど」アパートの外観の写メってことね。いつ撮ったんだ。

 

「やってる事ストーカーだろ」

 

「まあ、あまり驚きません」

 

「今日も、家の前まで行けって何回言われたか」

 

「・・・お手数おかけしてすみません」

 

「それはいいが、写真で見るよりボロいな」

 

瀬野さんの、オブラートに包まないストレートすぎる物言いが、わたしはちょっとツボだったりする。正直なだけなんだよね。

 

「中は意外と綺麗なんですよ」

 

「そうか」

 

──そして、会話が途切れた。

車内に沈黙が流れる。せめて、音楽かラジオくらいかけてほしいんだけどな。静かすぎて、気まずい。

 

「あの、早坂さんの家って遠いんですか?」

 

「いや、遠くはない。道路が混んでるからな、あと15分くらいか」

 

「なるほど」

 

──ふたたび、沈黙。

早坂さんなら、何か聞かなくても喋り続けるのに。この2人って、本当に対照的だ。

 

 

「瀬野さんは、その・・・座敷童子に会ったことあるんですか?」

 

「ああ、アイツの家に行けば必ず居るからな」

 

「可愛いですか?」

 

瀬野さんがみるみる怪訝な表情になる。傍から見たら、前の車を睨んでるみたいだ。

 

「中条、お前の座敷童子に対するイメージってどんなだ?」

 

昔見ていたアニメを思い出した。主人公の家に住みつく座敷童子。「オカッパ頭で、着物を着てて、小さな可愛い女の子」

 

何故か、さらに険しくなる瀬野さん。「オカッパと着物は合ってるが・・・なんにせよ、そのイメージは捨てて行ったほうがいい」

 

 

 

 

それから、約20分後、── その言葉の意味を知る事になる。ちなみに、玄関のドアを開ける前に、その建物自体に十分驚いている。

 

「おお!よぐ来たなあ!オメーが雪音が?」

 

出迎えてくれた、この小さな着物姿の──・・・「おばあちゃん?」

 

「ダッハッハ!おばーちゃんてか!オラァまだ、ピッチピチの96歳だべよ!」

 

開いた口が塞がらないとは、こういう事か。

オカッパ頭に、着物姿、小さい・・・そこまでは想像した通りだった。

 

「だから言っただろ。覚悟しろって」

 

「・・・いや!それは言ってません!」

 

「なんにせよ、これが座敷童子だ」瀬野さんは靴を脱いで上がると、逃げるようにいなくなった。

 

玄関に取り残されたわたしと、青唐辛子をカリカリ食べながら、ニコニコしているおばあちゃん。

── ・・・ 青唐辛子?

 

「オメエも食うが!?」

 

「・・・えっ」

 

「唐辛子は、好ぎが!?」

 

「あ・・・はい、好きですけど、そのままはあまり・・・」

 

顔ばかりに目が行って、おばあちゃんが手に持っていた小さな壺に気がつかなかった。その壺をわたしに向ける。

 

「ほれ、好ぎなの取れ。全然辛ぐねーがら」

 

「あ、そうなんですか。では・・・」壺の中には、大量の唐辛子が敷き詰められている。なかなか手を出しにくい光景だが、1番手前にある物を掴む。

 

「食え!うめーがら!」

 

「はい、いただきます」

 

一口かじって、仰け反った。身体中の毛穴から、一気に汗が噴き出る。

なんなんだこの食べ物は!いや、もはや食べ物じゃない。涙すら、出て来た。

 

「な?辛ぐねえべ?」

 

おばあちゃんは、目が悪いのか!

そんな笑顔で言われたら、頷く以外出来ない。

 

 

「ちょっと2人とも、玄関で何してるの?」奥から木べらを持った早坂さんが顔を出した。「あらやだ!雪音ちゃん、凄い汗じゃない!まさか、走って来たわけじゃないわよね」

 

口の中が麻痺して言葉が出ない。泣きながら食べかけの唐辛子をアピールした。

 

「ああ、美麗ちゃん。食べさせたのね」

 

「美味すぎで泣いでだべこれ」

 

おばあちゃん、違う。

 

「最初に言っとけばよかったわね。美麗ちゃんは会った人に必ず勧めるのよ。美麗ちゃん、それは人間には耐えれない辛さだから、ダメって言ったでしょ?」

 

本当に、そういうことは早く言ってほしい。

 

「ささ、とりあえず上がりなさい。今お水用意するわ」

 

 

 

家の外観といい、こういうのを和モダンというんだろうか。広いリビングは全体的に和風な構造だが、取り入れてる家具など、所々に洋を感じる。勝手なイメージでマンションだと思っていたから、驚きだ。

 

「凄いですね・・・」

 

「何が?」

 

「お家」

 

「ああ、この家自体は財前さんの物よ」

 

「えっ!」

 

「借りてるのよ。内装は全部あたしが揃えた物だけど」

 

「ほえー・・・」としか、出てこない。

 

「さっ、座って」

 

案内されたテーブルの上には、豪華な料理が並べられていた。先に席に着いていた瀬野さんの向かいにおばあちゃんが座る。というか、よじ登る。早坂さんがおばあちゃんの隣に座ったので、わたしは瀬野さんの隣に座る。

 

「・・・デリバリーですか?」

 

「いやねえもう、あたしの手作りよ」

 

並べられた料理を改めて見て、唖然とした。ポトフにキッシュ、黒いソースがかかった牛肉のステーキ。真ん中には切り分けられたフランスパンが入った籠が置かれている。

これぞ、フレンチ?

 

「素人のレベルじゃないんですけど・・・」

 

「素人じゃないからな」と、隣の瀬野さん。

 

「えっ」

 

「そっか、言ってなかったわね。あたし料理人なのよ。一応。まあそれはいいから温かいうちに食べましょ」

 

驚きの連続で、脳内の整理が追いつかない。

フレンチだけど、手を合わせて合掌する。「いただきます」

 

キッシュを一口食べて、仰け反った。今回のは歓喜の仰け反りだ。濃厚なのに、くどくない!ポトフを食べて、仰け反る。スープの旨味!ステーキを食べて、仰け反る。この絶妙なソース!

 

「・・・雪音ちゃん、大丈夫?」

 

「美味すぎて、身体が反応します」

 

早坂さんは、嬉しそうに微笑んだ。「そう言ってもらえると、嬉しいわ」

 

 

「ボロボロ崩れるな」瀬野さんは、キッシュに苦戦しているようだ。ナイフとフォークを置くと手に持ち、食べ始めた。ピザのように。

 

「アンタとは店に行けないわね」言うだけで、止めることはしない早坂さん。

 

おばあちゃんはと言うと、皿に盛られたなみなみのスープをお茶のようにすすっている。おばあちゃんの前には、それと壺以外何も置かれていない。

 

「あの、食べないんですか?」

 

「ん?ああ、美麗ちゃんは唐辛子以外の固形物は食べないのよ。だからポトフのスープだけよ。美麗ちゃん、美味しい?」

 

「味がしねえ!」そう言って、ズズズッと音を立てて啜る。

このおばあちゃん、ちょっとツボかも。壺なだけに。

 

「紹介が遅れたわね。雪音ちゃん、この人が座敷童子の美麗(みれい)ちゃんよ。美麗ちゃん、この子が、あの雪音ちゃんよ」

 

あのって、どの──?「中条 雪音です。よろしくお願いします」

 

「よろしぐ!美しいに麗しいと書いて、美麗だ!」

 

「名前負け・・・」隣から聞こえてきたので、すぐ遮った。「降る雪に、音が鳴るの音で雪音です!」

 

「ダッハッハ!良い名前だ!」

 

「素敵な名前よね」

 

一見、普通の人間にしか見えないが、このおばあちゃんは妖怪なんだよね。財前さんを思い出した。

 

「雪音、子供は何人産んだ?」

 

ステーキを飲み込んだ直後でよかった。そうじゃなければ吐き出していただろう。「おばあちゃん、わたしまだ独身です」

 

「そうが!?べっぴんさんだから、とっくに貰われてっかど思ったべ!」

 

「・・・残念ながら」

 

「遊里、オメエ貰ってやれ!」

 

今度こそ、噴き出した。水で助かった。おしぼりで口を拭う。

 

「あらあら大丈夫?美麗ちゃん、雪音ちゃんにだって、選ぶ権利はあるのよ?」

 

動揺してるのはわたしだけで、早坂さんは大人の対応だ。──ん?ということは、彼女はいないということか?

 

「正輝は駄目だぞ!コイツは全然喋んねーし、ロボットみてえな男だがらな!」

 

「・・・ばーさん、何度も言うが、俺は"まさぎ"じゃなくて正輝だ」

 

「どっつでも同ずだべえ!ガッハッハ!」

 

瀬野さんはいつも通り、うんざりしている。

このおばあちゃん、面白すぎる。

 

 

「雪音、龍慈郎には会ったが?」

 

「あ・・・はい」ここで、財前さんの名前が出るとは思っていなかった。

 

「この前、財前さんちに行ってきたのよ。ね?」

 

「蛇の呪いの話は聞いだが?」

 

「はい」

 

「殺してけろって言われだが?」

 

「・・・はい」

 

「ガッハッハ!オメエの思った通りだったな、遊里!」

 

「言ったでしょ、あたしの目に狂いはないって」

 

──全然、笑えないんですけど。

 

「龍慈郎は、認めた人間にしかそれを言わねーがらな。おなごのくせに、よっぽど肝が据わってんだべ!」

 

「あれから何も話が入ってこないが、進展はないのか?」瀬野さんはいつの間にか、食事を全部平らげている。

 

「そうねえ、ここ最近はこれという目撃情報はないみたい。ただ、偵察してた須藤(すどう)から、ここから北にある森林公園で、巨大で胴体の長い何かを見たようなって報告があったわ」

 

「・・・見たような?」

 

「ええ、暗かったし、すぐに逃げたからよくわからなかったらしいわ」

 

「逃げたって、どっちがだ」

 

「須藤たちよ」

 

「あいつらは、ただ逃げて来たのか?」

 

「しょうがないわよ。財前さんじゃないけど、自分の身を守ること最優先よ」

 

「財前さんには?」

 

「言ってないわ。確信もないし、ぬか喜びさせたくないしね」

 

「胴体が長いっていうのが気になるな。行ってみるしかないな」

 

「わたしも行きます」

 

── 早坂さん、瀬野さん、おばあちゃんの順番で目が合った。

3周したところで、「ガッハッハ!そうが、行ぐが!」

 

「・・・雪音ちゃん、ごめんなさい。話がわからなかったわよね」

 

「なんとなく、わかりました。わたし達のように見える人間がいて、その蛇を捜していて、その森林公園で、それらしきモノを見かけたって事ですよね」

 

「そうだ」すぐに応えてくれたのは瀬野さんだ。

 

「まだわからないわ。勘違いかもしれないし、確信はない」

 

「だから、それを確かめに行くのでは?」

 

「そうよ。でも、あなたが行く必要はないわ」

 

「なんでですか?」

 

早坂さんの目が、険しくなる。「あなたが思うより、危険なのよ。人間の目につかない所に隠れている奴らは警戒心も強いから、何をしてくるかわからない」

 

 

「用心します」

 

「用心って言うけど・・・」

 

「いいんじゃないか?中条は目も良いし、身体能力も高い。何より度胸がある。須藤なんかよりよほど頼りになると思うけどな」

 

「・・・瀬野」

 

「早坂さんは、わたしに協力してくれって言いましたよね。なぜ渋るんですか?」

 

「言ったわ。財前さんのために、あなたのような強い精神力を持つ人間が必要なのは事実よ。ただ、だからと言って危ないとわかってるところにあえて飛び込む必要はない」

 

「・・・それを言ったら、わたしは何も出来ないんじゃ」

 

「その通りだ」

 

「瀬野、ちょっと黙ってて」

 

「中条を巻き込んだのはお前だぞ、遊里。そのお前が、中条の意思を無視するのは道理にかなってないんじゃないか」

 

早坂さんは険しい顔のまま黙った。

 

「早坂さん、さっきも言ったけど、ちゃんと用心するので。・・・それに、何があっても、早坂さんが守ってくれるから大丈夫だと思ってます」

 

"あなたの事は、何があってもあたしが守るわ"

早坂さんの言葉だ。

 

早坂さんは目をパチクリさせると、気が抜けたように笑った。「負けたわ。・・・わかった、一緒に行きましょう」

 

わたしも安心して笑みが出る。「ありがとうございます」

 

「ただし!」険しい顔が再び。「絶対に1人突っ走らないこと。いいわね?」

 

「約束します」

 

「決まりだな。遊里、おかわりはないのか?」

 

「キッチンにポトフとキッシュが残ってるわよ」

 

「遊里、オメエも雪音には弱いんだな!ガッハッハ!」おばあちゃんが、早坂さんの腕をバシバシ叩く。

 

早坂さんは不満そうに息を吐いた。「そうなのよ。まったく、なんでかしらねえ」

 

瀬野さんは、皿に山盛りのポトフを持って帰って来た。もはや、ただの野菜盛りだ。「それで、いつ行く?早いほうがいいだろう」

 

「・・・明日、雪音ちゃんの仕事終わりに合流して行きましょうか。時間的にもちょうどいいわね。雪音ちゃん、大丈夫かしら?」

 

「はい、ヨロシクお願いします」出来れば店には来てほしくなかったが、言える身分ではない。

 

 

食事の後は、デザートに桃のタルトを頂いた。お腹がはち切れそうだったのに、ペロリと完食する自分が恐ろしい。その間、おばあちゃんは青唐辛子をポリポリと食べていて、見ているとタルトが辛く感じた。

 

 

 

 

 

 

「雪音、ちょっとしゃがんでみろ」

 

玄関まで見送りに来たおばあちゃんが帰り際、わたしに言った。言われた通り、おばあちゃんの前にしゃがむと、小さくてシワシワの手がわたしの頬を包む。

不思議な事に、頭の中を、スーッと風が通り抜けるような感じがした。

 

「今日はグッスリ寝れるはずだ!」

 

──なんで、わかるんだろう。最近、母さんの夢を見てから寝つきが悪い。これが、おばあちゃんの力なんだろうか。

 

「ありがとう、おばあちゃん」

 

「ガッハッハ!唐辛子は要るが?」

 

「結構です!!」

 

次に、早坂さんに紙袋を渡された。「なんですか、コレ?」

 

「今日の残りよ。明日のお昼にでも食べて」

 

「えっ!いいんですか!?ありがとうございます」また、あの味が堪能できるとは。

 

「ご飯はちゃんと食べなきゃダメよ!」

 

オカンだ。

 

「俺にはないのか?」

 

「アンタは3人前食べたでしょ!」

 

「正輝、唐辛子は・・・」おばあちゃんが言い終わる前に、瀬野さんは玄関を出た。

 

「瀬野っ、雪音ちゃんのことヨロシクね」瀬野さんは半分振り返り、手を上げた。

 

「早坂さん、また明日。おばあちゃん、またね」

 

「まだ遊びに来いよ!待ってっから!」

 

「ふふ・・・うん」

 

「やん!そんな可愛い笑顔、あたしには向けた事ないのに!」

 

早坂さんの言う事は無視して、玄関の扉を閉めた。

 

 

 

 

瀬野さんに家まで送ってもらう途中、はたと気づいた。彼女の事、聞いてなかった。

──こうなったら、瀬野さんに聞いてみる?仲良いし、それくらい知ってるだろう。というか、これは、色々と聞く絶好のチャンスなのでは?

 

「・・・瀬野さん」

 

「ん」

 

「早坂さんって・・・」

 

──・・・彼女の、"か"が、どうしても出て来ない。

 

「ん?なんだ?」

 

「早坂さんって・・・その・・・男ですか?」聞きたかった事とは違うが、間違ってはいない。

 

「・・・お前はアレが女に見えるのか」

 

「いや、そーゆう意味じゃくて。中身は男なのかなって」

 

「ああ、ゲイかっつー話か」

 

「イエス!」

 

「違う」

 

「えっ!」驚くと同時に、何処か納得する自分。

 

「あの変態喋りだからだろ?・・・前はあんなじゃなかったんだけどな」

 

「前は?」

 

「・・・アイツもいろいろあったからな。俺の口からは言えんが。まあ、ゲイ云々という事ではない」

 

「・・・そうですか」

 

「女はすぐに知りたがるな」

 

 

「・・・というと?」

 

「あいつに会った女はだいたい聞いてくる。なんでだ?」

 

わたしでも、何となくわかるような。「2人は、付き合い長いんですか?凄い仲良いですけど」

 

「凄い仲がいいかは知らんが、付き合いは長いな。かれこれ、20年にもなるか?」

 

「20年!?・・・お2人はいったい、おいつくなんでしょうか」

 

「聞いてないのか。28だ。小学校から一緒だからな。アイツがフランスに住んでた数年を除いては、何かと一緒にいるな」

 

「フランスって、料理の修行とかですか?」

 

「そんな感じだ」

 

初めて会った時、わたしの事ピチピチとか言うから、もっと年上だと思ってた。

 

「その時は、オネエ言葉じゃなかったんですか?」瀬野さんの、アイツもいろいろあったからなという、意味深な言葉が頭から離れない。

 

「ああ、あの時は美晴(みはる)も・・・」

 

正直者の瀬野さんだから、わかった。言ってはいけないことを、口走ったと。

 

「おばあちゃん、可愛かったですね」

 

「・・・アレを可愛いと言っていいのか」

 

「てっきり、子供だと思ってました」

 

「だから言っただろ、イメージは捨てろって」

 

「なんで、あんなになまってるんですかね」

 

「俺に聞くな。8割聞き取れん」

 

「瀬野さんは唐辛子食べたんですか?」

 

「・・・食べないと気ィ悪くするって聞いてたからな、遊里から。アイツは俺より先にばーさんに会ってるから、騙された」

 

「クッ・・・」その時の光景がなんとなく想像出来る。「瀬野さん、さっきはありがとうございます」

 

「あ?何がだ」

 

「明日の件、瀬野さんが言ってくれなきゃ認めてくれなかったかも」

 

「認めるも何も・・・何でアイツはああなんだ。お前が女だからってのもわかるが、過保護にも程があるだろ」

 

「オカンのスイッチ入りますからね」

 

「今時、親でもあそこまで過保護にはならないぞ」

 

「確かに」と笑う。

 

「普段はまったく人に執着しないくせに」

 

「やっぱり、そうなんですか。早坂さんも自分で言ってました」他人に興味が無い、と。

 

「だからこそ、わからん。まあ、外れくじ引いたと思っとけ」

 

「アハ。まあ、無関心よりは良いと思う事にします」

 

 

──"みはる" その名前の女性が、早坂さんに大きく関係しているのはわかった。

この先、わたしがそれを知る日は来るんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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