空が夕闇に変わる頃   作:琥珀777

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第七章 【本能と抱擁】

 

 

こんなにぐっすり眠れたのは、いつぶりだろう。夜中に1度も起きることなく、目が覚めた瞬間から頭がスッキリしていた。心なしか、身体も軽い。

おばあちゃんのおかげだろうか。

 

外は、どんよりとした曇り空だ。携帯の天気予報を確認すると、23時以降が傘マークになっている。ちょうど早坂さんが迎えに来る時間帯だ。降水確率は50パーセント。残りの50に賭ける。

 

昨夜貰ったポトフとキッシュを温めて、贅沢なブランチタイムとする。

一口食べて、今日も仰け反った。なぜ、こんな物を早坂さんが作れるんだ。料理人と言っていたけど、それが職業って事だよね。フレンチのシェフ?シェフって、そんなに自由なのか?

あの人の行動を考えると、いつ働いているのか疑問だ。

 

改めて、何も知らないよな、と実感する。早坂さんは自分の事をあまり喋らない。──わたしも、聞かないからか。

無意識に、溜め息が出る。考えるのはやめよう。せっかくの至福の時間が台無しになる。

 

 

 

 

 

その日の夕方、更衣室で着替えをしていると、先に出勤していた春香が顔を出した。

 

「雪音っ、急いで着替えて来て」それだけ言って、いなくなる。

なんだ?前掛けを結びながらホールへ向かうと、店長、春香の他に、見知らぬ男性が1人。

 

「あ、来たね。雪音ちゃん、紹介するよ。この子は今日からバイトに入る、滝口 一真(たきぐち かずま)くん」

 

「・・・あっ」──って、もう見つけたのか。

 

「雪音さんですね。一真です。よろしくお願いします」

 

「一真くんね。雪音です。どうぞよろしくお願いします」ペコリと頭を下げる。

 

「ちなみに彼は、凌ちゃんの甥っ子さんです」

 

「・・・えっ!あー!前に言ってた!」

 

「そそ、凌ちゃんのとこ手伝ってる、大学生の甥っ子さん。奪っちゃった」

 

「奪っちゃったって・・・いいんですか?」

 

「いいんですよ。あそこは叔父1人でも十分やれますから」笑い方といい、なんというか爽やかな青年だ。

 

「一真くんは飲食店でバイトの経験も多いから、戦力になってくれるはずだよ。わからない事は、お姉さん2人に聞いてね」

 

店長にお姉さんと言われると、癪に触るのは何故だろう。春香の顔を見て、同じ気持ちだと理解した。

 

「迷惑かけないように頑張ります」

 

 

 

 

 

 

店長の言う通り、一真くんは非常にのみ込みが早かった。ビールの注ぎ方やカクテルの作り方は、これまでの経験で教えなくてもわかっている。接客もスムーズにこなすし、周りをよく見ていて、率先して動いてくれる。

1度言った事はすぐに覚えるから、我々が負担を感じることもない。

なんというか、男版春香って感じだ。

 

「優秀ね」

 

一真くんが接客をするのを見守りながら、春香が呟いた。

 

「うん、わたしも思った。経験値だね」

 

「それもだし、元々頭良いのよ。イケメンだし」

 

「そこかい」

 

「凌さんの言うこと、嘘じゃなかったわね。くう〜、あれで学生じゃなかったら」

 

「やっぱそこかい。てか、バイトって女の子だと思ってた」

 

「あたしが店長に頼んだのよ。出来れば男にしてくれって」

 

「そーなの?」

 

「この前の客みたいなのもいるし、男がいるいないでは全然違うでしょ」

 

「まあ・・・ねえ」

 

「まあ毎日入るわけじゃないみたいだけど、これでだいぶ楽になるわね」

 

「ホントに」凌さんには申し訳ないが、店長に感謝だ。

 

 

 

 

 

「雪音さん、俺ホールやるんで、洗い物のほうお願いしていいすか」

 

最後の客を見送り、テーブルを片しているわたしに一真くんが言った。「あ、ホント?ありがと」量にもよるが、食器運びはなかなか重労働だ。

 

洗い物に回るわたしと春香の元へ、トレーに山積みの皿が届く。

「さすが男子。あたしらじゃ出来ないわ。落とさないようにね」

 

「大丈夫っす。任せてください」

 

次に一真くんを見た時は、全ての椅子をテーブルに上げ終わっていた。

 

「いや〜、男がいると違うねえ〜。頼もしいよ」もう1人の男は、いつものポジションでタバコの煙を充満させている。

 

「これまで女3人でしたからね、本当に助かりますよ」

 

春香の嫌味に、一真くんが笑う。「ここ禁煙じゃないんすか?」

 

「もっと言ってやって、一真くん。何年も言い続けてるけど伝わったことないの」店長はわたしの言葉通り、2本目のタバコに火をつけた。

 

「それよりさ、一真くんの歓迎も込めて、これから軽く飲みに行かない?」

 

「賛成!」挙手付きで即答したのは春香だ。「もちろん、店長のお〜〜?」

 

「だから、いつも奢ってるでしょ」

 

「いんすか?嬉しいっす」

 

 

「あー、ごめんなさい。わたし今日はちょっと、先約があって」

 

「何よ先約って。早坂さん?」

 

なぜ、すぐにその名前が出る。「あー、まあ・・・」

 

「え、この前迎えに来てた彼?雪音ちゃんデートなの?」

 

「違います」

 

「雪音さん、彼氏いるんすか?」

 

「違うって」

 

「えー、雪音さんと飲みに行きたかったな」

 

可愛い事言ってくれるじゃないか。「ゴメンね。今日はどうしても、外せない用で・・・」

 

「まあ、デートならしょうがないわね」

 

「だから違うって」

 

「天然記念物は置いて、3人で行きましょうか。今日は飲むわよー!」

 

「一真くんゴメンッ。今度改めて飲みに行こ」

 

「・・・2人でですか?」

 

「ん?まあ2人でもいいけど」

 

「了解っす。約束すよ」

 

──弟がいたら、こんな感じなんだろうか。なんにせよ、可愛い。お小遣いをあげたいくらいだ。

 

 

 

頼むから、まだ来てませんように。

そう願いながら店を出たが、すぐに、イカつい車が目に入ってきた。

それだけならまだしも、車の後方に、デカいシルエットが2つ。

 

「あれ?早坂さん?と、もう1人誰かいるわよ」

 

「そうだね。じゃあわたしはここで」1歩踏み出し、後ろに引き戻される。

 

「誰よ」締め付けられた右腕が、痛い。

 

「早坂さんのお友達。ということで、また明日」

 

「ほら、こっちに来るわよ」

 

「えっ」──・・・ NO!来なくていいんですけど!

 

「こんばんは。雪音ちゃん、お仕事お疲れ様」

 

デジャヴ感が否めない。「・・・お疲れ様です。早坂さん・・・と、こちら、早坂さんのお友達の瀬野さんです」

 

さっさと紹介して去ろうと思ったが、春香がわたしより1歩前に出る。

「初めまして、雪音の友達の春香ですう〜」

またもや、デジャヴだ。春香の営業スマイルの前でも仏頂面を崩さない瀬野さんが、軽く会釈する。

 

「ごめんなさいねえ、この人、生まれつき愛想を持ち合わせてないのよ」

 

「いいんですよ。愛想がない男ほど、感情を露わにした時、燃え(萌え)ますから」

 

引き気味で、恐ろしいモノでも見るかのように春香を見る瀬野さんが、面白すぎる。

「・・・行くぞ」瀬野さんは足早にその場から居なくなった。

 

 

「じゃあ、わたしはここで。店長、春香にあんまり飲ませないでくださいね」

 

「それ、俺に言う?」

 

「一真くん、またね」

 

「お疲れ様です。雪音さん、約束、忘れないでくださいね」

 

「ん?ああ、オーケイ」

 

 

車に向かいながら、早坂さんが後ろを振り返った。「この前は、いなかった子よね」

 

「あ、はい、今日からバイトに入った子なんですよ。店長の知り合いの甥っ子さんで」

 

「ふうん。約束って?」

 

「え?」

 

「さっき言ってたじゃない」

 

「ああ、これから歓迎会なんですけど、わたしは行けないんで、後日行こうって話です」

 

「2人で?」

 

── これは、過保護モードか?職場の人間にまで?「わかんないですけど」

 

「ふうん」早坂さんはそれ以上何も言わず、わたしを助手席へと案内した。

 

 

 

例の公園までは、30分程かかるという。市街地を抜け、車通りが疎らになってきたところで、早坂さんの携帯が鳴る。

 

「須藤よ。スピーカーにするわね。もしもし?」通話中になっているのに、何も聞こえてこない。「須藤?」

 

ガサガサと雑音が入り、「あ、早坂さん?今何処ですか?」

 

「向かってるところよ」

 

「瀬野さんも?」

 

「ええ、どうしたの?」

 

「・・・すんません、ヘマしちまいました」

 

「どーゆうことだ?」座席の間から瀬野さんが顔を出した。

 

「偵察に行ったんですが、不意を突かれて、高野が襲われて・・・今病院に向かってます」

 

早坂さんの顔が険しくなる。「怪我は?」

 

「かなりの力で突き飛ばされて全身を打ったんですが、意識はあります」

 

「なんでまた行ったんだ?俺達が行くって言っただろう」

 

「・・・前回なんにも出来ずに逃げちまったんで、少しでも力になれればと思って」

 

瀬野さんが呆れたように息を吐いた。「それで、何を見た?」

 

「・・・すみません、動きが速くてはっきりと確認は出来なかったんですが、やはりかなりの巨体で、地面を這って移動する何かが、確実にあそこにいます」

 

「大蛇の可能性はあると思う?」早坂さんの声は冷静だ。

 

「・・・断言は出来ませんが、可能性はあるかと」

 

「わかった。とりあえず、あたし達が向かうから。後で報告入れるわ」

 

「わかりました。気をつけてください。これまで見てきた奴とは比べ物にならないデカさです」

 

「了解」

 

 

 

通話が終了し、車内に沈黙が流れる。

 

「須藤はまだしも、なんで高野が行くんだ。先は見えてるだろ」

 

「そこはあたしも同感だけど。あの子なりに、財前さんの力になりたいと思ったんでしょ」

 

「ったく、余計な事しやがって。下手したら逃げられてるな」

 

「それか、警戒心が増してるかね」

 

「どう思う?」

 

「さあね。行ってみないことにはわからないでしょ。それより・・・」早坂さんが横目でわたしを見る。「やっぱり、連れてくるんじゃなかったわ」

 

「・・・用心します」それには、ふう・・・と溜め息だけが返ってきた。

 

 

 

車は次第に坂道をのぼって行く。街路樹を進み、信号の無い交差点を左折すると、広い駐車場が見えてきた。車のライトに照らされた木の看板に、【森林公園 静寂の森】という文字を確認する。

早坂さんはその近くに車を停めるた。ライトを消すと、辺りが真っ暗になった。

 

さすがにちょっと──「怖い?」

 

「・・・いいえ?」

 

「雪音ちゃん」

 

「車にはいませんよ」

 

「で、しょうね」

 

早坂さんに続いて、車を降りる。空気が澄んでるせいか若干、肌寒さを感じる。それに、静寂の森という名の通り、とても静かだ。

 

早坂さんは車のトランクから懐中電灯を取り出し、瀬野さんに渡した。見るからに小ぶりなのに、照射範囲が広い。

 

「雪音ちゃん」

 

わたしにもくれるものだと、手を差し出し──・・・「なんですかコレ」

 

「ん?ライトよ」

 

「いや、わかりますけど、なんで頭?」

 

「手が不自由だと危ないでしょ」

取り付けられた以上、自分では確認出来ないが、目が上を向く。

「角度調整出来るからね」

 

額についているライト部分を指でつまむと、上下に動いた。「なんか、わたしだけまぬけっぽいですね」

 

「あら、そんなことないわよ。あなたは何をしたって可愛いのよ」

 

自分のヘッドライトに照らされた早坂さんの笑顔は眩しいが、嬉しくない。

 

「工事現場に居そうだな」瀬野さんの意見が、正しい。

 

早坂さんはもう1つ、手に持っていた物をわたしに差し出した。「なんですか?」

 

「今日はちょっと肌寒いから、着なさい。大きいと思うけど」

 

 

白い、長袖のシャツだ。「汚しちゃいそう・・・」

 

「いいわよ。気にしないで」

 

寒いから、甘える。「ありがとうございます」

わたしが着ると、シャツというよりワンピースになった。長すぎる袖を捲る。フワッと良い香りがした。服の匂いを嗅ぎそうになって、留まる。

 

入り口にある案内板のマップを見ると、ウォーキングコースは2つ入口があり、1周が約3キロメートルだ。そのコースに沿って、様々な樹木の案内も記されている。さすが、森林公園。

 

「3キロか。そうでもないな。どっちから行く?」

 

「繋がってるし、どっちでもいいわよ」

 

瀬野さんに任せて、後に続く。

少し歩くと、コンクリートの地面から砂利道へと変わった。暗闇に生い茂る木々の中を3人並んで進む。昼間に来たら、森林浴が気持ち良さそうだ。

 

「雪音ちゃん、離れちゃダメよ」

 

「はい」

 

離れるも何も、両サイドをギッチリ固められているから、離れようがない。

聞こえるのは、自分達の足音と、虫の鳴き声だけ。

 

「・・・ッ、ギャ──ムグッ・・・」大声で叫びかけて、瞬時に口を塞がれた。早坂さんの大きい手がわたしの鼻まで塞ぐ。

 

「なに!どうしたのっ」早坂さんは気持ち、小声だ。苦しさをアピールすると、顔から手が離れる。

 

「今、顔に虫がっ・・・」

 

「・・・虫?怖いのは虫なの?」

 

「だって、顔に・・・大きいのが・・・」

そうか、このヘッドライトを目掛けて来るんだ。スイッチをオフにする。「2人のライトで十分見えるんで」怒られる前に、言っておく。早坂さんの咎めるような視線がよく見えないのは、暗闇に感謝だ。

 

 

それからさらに進むと、広場が見えてきた。

ブランコや滑り台などの遊具が設置されている。

ホラー映画だったら、ここでブランコが勝手に動いたり──なんてね。

 

「・・・・・・ん?」

 

「どうしたの?」

 

「・・・あのブランコ、なんか揺れてません?」

 

少し近づき、瀬野さんがライトを当てる。やはり、小刻みに動いている。

 

「ゆ、幽霊・・・?」

 

「アホか」

 

「なんで!?妖怪が存在するなら、幽霊もいるんでは!?」

 

「にしても、変だな。風は吹いてないし、揺れ方が小刻みじゃないか?」

 

 

「振動よ」

 

「振動?なんの・・・」言いかけた瀬野さんが、辺りを見回す。「近くにいるってことか?」

 

「おそらく」

 

ブランコの向こう側は、柵で区切られた林。一瞬だが、その暗闇の中に動く物が見えた。

そこを、指さす。

 

「何か、います」

 

2人が同時にライトを消した。

早坂さんはわたしの腕を掴み、自分の背中に移動させた。

そのままゆっくりと進み、柵を越える。道という道はない。周囲を見回しながら、立ち並ぶ木を避けて奥へ進む。

 

「出来るだけ足音を立てるな」

 

暗闇に加え、地面は草だらけで足元がよく見えない。だから、そこにあった枝に気づくことが出来なかった。

 

バキッと、鈍い音が響く。3人ともピタリと静止した。

──わたしのアホゥ!言われたそばから!

そんなに大きな音ではないはずなのに、辺りが静かすぎるせいでこんなにも響く。

 

その時だった、決して遠くはない所から聞こえてくる──ガサガサと、地面を移動しているような音。一瞬止まって、また聞こえてくる。

 

早坂さんが、人差し指を口に当てた。

耳を澄ませる。音はするのに、方向が掴めない。まるで、この森全体から聞こえてくるようだ。

 

音でわからないなら、目視。ライトをつけられたら、視力を発揮できるのに。でも、暗闇にも目が慣れてきている。目を凝らし、注意深く、360度見渡す。

そして、木々の間に動く物体を捉えた。瀬野さんが向いている方向の、数メートル先だ。2人の背中に触れ、その方向を指で知らせる。

 

「何か見えたか?」瀬野さんが小声で呟き、頷いた。早坂さんがわたしの前に立ち、慎重に進んでいく。

 

おかしい。距離的に、もう見えてもおかしくないはず。──ここに居るのなら。

わたしはまた2人の背中に触れた。足を止め、周囲に意識を集中させる。

 

動いた!今度は、さっきまでわたし達がいた方向だ。戻ろうとして、早坂さんに腕を掴まれた。やはり、わたしを後ろにして来た道を戻る。

 

どうも、おかしい。確実に目で捉えているのに、なぜ、姿が見えない。移動しているから?

後ろを振り返り、そこに動く物を見て、確信した。

 

わたし達に、気づいているんだ。

 

 

今また戻っても、すぐいなくなるだろう。不意をついて、襲ってくる気か。

どうすればいい?── 追いかけて駄目なら、追いかけさせればいい。姿さえ見えれば、対処法はあるはずだ。

 

今の状況で、"奴"が見えるのはわたしだけ。

追いかけさせるには、どうすればいい。

わたしが走って逃げれば、早坂さんは確実に追ってくる。そして瀬野さんは、早坂さんを追う。

──そんなに、うまく行くだろうか。奴が追ってくる確信もない。

 

迷った時は、本能に従え、だ。

ごめんなさい。心の中で謝罪し、広場へ向かって、スタートを切った。

 

「えっ、雪音ちゃん!?」早坂さんがすぐに、続く。

 

「おいっ!」後ろで2人の足音を確認し、安心した。

 

柵をハードル選手のように飛び越え、広場の中心でブレーキをかけた。後ろを振り返る。

予想より近くに、早坂さん。そのすぐ後ろに瀬野さん。瀬野さんの後ろには、──何もいない。

出てこい、早く、姿を見せろ。

 

「雪音ちゃん!どうしたの!」早坂さんに肩を掴まれた。

 

「中条?」

 

──・・・やってしまった。2人の顔が見られない。

 

「ごめんなさい・・・」

 

「なにが?」早坂さんがわたしの顎を掴み、上を向かせる。

 

そのまま、口が開いていった。

なんだ・・・アレは・・・?

わたしの視線を追って、早坂さんが振り返る。

 

「瀬野っ!」

 

瀬野さんのすぐ後ろにいるソイツは、瀬野さん目掛けて頭を振り下ろした。瀬野さんは間一髪で避け、地面にスライディングする。

 

キシキシと音を立て、その馬鹿デカい胴体を浮かび上がらせる。多数の足が、わたしたちを挑発するかのように忙しなく動いている。

 

コイツは──・・・「ムカデ?」

 

「そんな可愛いもんじゃないけどね」早坂さんは、背中からナイフを取り出した。瀬野さんも、いつの間にか手にしている。

 

「雪音ちゃん、ゆっくり後ろに下がりなさい。出来るだけ遠くに行くのよ」

 

言われた通り、1歩、2歩と後退る。

 

「遊里、前に始末した大ムカデ覚えてるか?弱点は同じだろう」

 

「サイズ的に前の奴と同類にしていいのかしら。5倍はあるわよ」

 

「デカい分、動きも読みやすい。隙をついて仕留めるぞ」

 

「はいはい」

 

 

「弱点って、何処ですか?」

 

早坂さんが一瞬、ぎょっとわたしを見たのは、思ったより近くにいたからだろう。

 

「頭部よ。雪音ちゃん、もっと下がって」

 

「頭部って、あの触覚みたいなのが生えてるあたり?」

 

「そうだけど・・・変な事考えちゃダメよ」

 

「どうやってあそこまで・・・」胴体が起き上がってる状態では到底頭には届かない。高さで言ったら、5メートルもありそうだ。

 

「そこが問題ね。奴の体を登って行くか、這って移動するところを仕留めるか」

 

「登る!?」考えただけでゾッとする。

 

大ムカデは、胴体を上下に揺らしながらこちらを伺っている。

 

「襲って来ないところを見ると、警戒心が強いな。一か八かやってみるか」そう言うと、瀬野さんが動いた。ダッシュで大ムカデの後ろに回り込む。大ムカデはすぐに動かなかったが、瀬野さんが近づくのを待って、尻尾を薙ぎ払った。瀬野さんはナイフの先端を盾にし、吹き飛ばされた。

 

「瀬野さん!」

 

地面を転がり落ちるが、すぐに体勢を立て直す。「大丈夫だ」

 

──すごい。普通の人だったら、大怪我をしてもおかしくないのに。鍛えた身体もそうだが、受け身の取り方を知っているんだ。

 

「怯ませようにも、胴体は硬くて刀が刺さらんな。一気に頭を狙うしかない」

 

「あそこまで行くのは無理そうね。頭を下げさせるにはどうすればいいかしら」この状況でも冷静に考えられるのは、経験値なんだろうか。早坂さんの表情はいつもと変わらない。

 

「誰かが囮になって追いかけさせるか?移動する時は頭も下がるだろ」

 

「そんなに上手く行くかしら。この図体とスピードを考えたら、すぐに追いつかれて後ろからやられるのがオチよ」

 

確かに。さっきの林の中での動きを考えると、かなりの速さだ。

 

「向こうから、攻撃させるしかないんじゃないですか。正面から向かっていけば、さっきみたいに頭を振り下ろすかも」

 

「・・・それ以外に方法はなさそうね。避けられる保証はないけど。雪音ちゃん、そのままもう少し下がりなさい」

 

「はい」下がりながら、バッグからナイフを取り出す。それを見た早坂さんが何も言わないのは、それほど危険ということなのか。

 

 

早坂さんは足元の小石を手に取ると、前に出た。それを大ムカデの頭に向かって投げる。触覚の間に命中すると、大ムカデはピクリと動いた。顔が早坂さんを向くが、何もしてこない。

 

「図体の割に臆病なのかしら?」

 

早坂さんの挑発が通じているかはわからないが、頭がゆらりと動き、触覚の下から鋭い牙のような物が顔を出した。大きい鎌のようだ。それが早坂さん目掛けて襲いかかる。

 

早坂さんは、ギリギリのところで横に回避した。大ムカデは顔を地面に埋めている。今なら頭を狙えるのに──早坂さんも瀬野さんも、動けない。

 

「なにアレ・・・」

 

大ムカデが触れた地面の周りが、暗闇でもわかるほど黒く、浸食されていく。その牙がゆっくりと離れた時、そこは雨でも降ったかのように、水溜りが出来ていた。

 

「毒ね。雪音ちゃん!近づいたらだめよ!」

 

近づくも何も、わたしは2人よりこんなにも離れている。それより、その毒は早坂さんのつま先ギリギリの所まで侵食している。

 

どうすればいい──・・・考えろ。

 

"一気に頭を狙うしかない"

それには、どうすればいい。高い所から狙えれば。林に戻って木を登り、奴の頭に飛び降り、ナイフを突き刺す。

木を登るのは可能だが、そこに至るか?奴の隙をついて運良く登れたとしても、そこまで誘導してもらわないと無理だ。その間に、2人に何かあったら──。

 

クソ・・・あの長い胴体をどうにか登れさえすれば──。

 

「・・・・・・あ」

 

わたしは、頭に浮かんだ事をすぐに脳内シミュレーションした。3通り考えて、2つは失敗に終わったが、残りの1つが思い通り行けば、"イケる"。

 

そうだ。あの長さを、利用してやろうじゃないか。

 

 

「早坂さん!さっきの、もう1回やってくれませんか!」

 

「・・・さっきの?」

 

人間の言葉がわかるはずはないが、念のため、石を投げるジェスチャーで伝える。早坂さんはすぐに察した。

 

「・・・何する気?」

 

「大丈夫!危険な事はしないので信じてください!」暗闇じゃなければ、表情で嘘がバレていたはず。

 

「遊里!やれ!」

 

反応は鈍かったが、早坂さんは言う事を聞いてくれた。手に取った石を、さっきと同じように顔に向かって投げた。奴も、さっきと同じ反応だ。早坂さんを見下ろすが、すぐには襲ってこない。早坂さんはもう1度、石を手に取った。今度は強めに投げる。牙に当たり、カツンと音がした。

 

「ほら、その気色悪い牙へし折ってやるから、かかってきなさいよ」

 

やはり、人間の言葉が通じてるのでは?

まるで怒っているかのように、キシキシと音を鳴らし体をうねらせた。

 

───来る。

わたしは、ナイフを握りしめた。タイミングを間違えるな。

 

奴が動くと同時に、走った──。

お願い早坂さん・・・避けて!

早坂さんがジャンプして攻撃を避ける。その後ろに回る、わたし。ここまでわずか数秒。

そのまま助走をつけて、早坂さんの背中に飛び乗った。

 

「早坂さんごめんなさい!」

 

「・・・えっ」

 

早坂さんの肩を踏み台にして、力一杯飛んだ。

下は、毒だ。落ちたらたぶん死ぬ。でも大丈夫、わたしは跳躍力も人よりも長けている。

 

手を伸ばし、目の前の触覚を掴んだ。──ぎゃあああああああああああ!気持ち悪いぃぃぃぃぃぃ!

大泣きしながら、大ムカデの頭上に降り立った。

 

「雪音ちゃん!」

 

「中条!そこだ!突き刺せ!」

 

あまりの気持ち悪さに、一瞬、反応が遅れてしまった。大ムカデが、わたしを振り落とそうと頭を振り上げた。

わたしは咄嗟にナイフを口に咥え、もう片方の触覚を掴んだ。ぎゃあああああああ!やっぱり気持ち悪いぃぃぃぃぃぃ!身体が宙に浮かぶが、手は離さない。

今度は、頭を左右に振り始めた。バランスを取りながら振り落とされないようにするが、このままじゃナイフを突き刺すどころではない。

 

 

「瀬野!腹の部分は柔らかい!」

 

「ッ・・・わかった!」

 

振り回されているせいで、2人の声しか認識できない。

 

 

それから僅かして、大ムカデの動きがピタリと止まった。

 

「おわっ・・・」その反動で落ちそうになったが、なんとか踏ん張る。

なんで急に動きが・・・?2人が何かしたのか?

 

「中条!すぐ動き出すぞ!今の内に早く頭を狙え!」

 

瀬野さんが全部言い終わる前に、わたしはその頭を、両手で突き刺していた。

硬い──が、刃部分は全部刺さっている。こんなに小さなナイフで、本当に仕留められるのか・・・?

 

大ムカデは消える事もなく、時間が止まったように動かない。やっぱり、このナイフじゃ駄目だったのか?

また、動き出すんじゃ──覚悟をしたその時、変化があった。ヘッドライトをつけて確認する。大ムカデの体全体が、白い石のようになっている。

 

「えっ、なにコレ」そして尻尾のほうを見ると、塵のように消えかけていた。

 

ということは──仕留めたのか?

ヤッタ!と、喜んだのも束の間、えっ・・・このまま体が消えたら──わたしは?

 

「いやいや!ちょっと待ってー!」見ると、もう、胴体の半分近くまで塵になっている。「ギャ──!」

 

「雪音ちゃん!飛び降りなさい!」

 

2人がこちらを見上げている。「飛び降りるったって、この高さ・・・」

 

「あたしが受け止めるから!そのまま飛び降りなさい!」

 

この高さで、受け止められる?下手したら、早坂さんが怪我するんじゃ・・・。

その時ふと、目に入った物。垂れ下がった触覚は、まだ形を残している。考えてる時間は無い。わたしはその触覚にしがみつき猿のように滑り落ちた。

 

「なっ、何してるの雪音ちゃん!」

 

「おいおい、冗談だろ・・・」

 

ギリギリまで下がり、下を見る。大丈夫だ、降りれない高さではない。飛び降り、着地に備える。

 

──なんとなく、予想は出来ていた。こうなるだろうと。

華麗に着地を決める予定が、早坂さんの腕に掴まれていた。

 

「・・・ありがとうございます」

 

こんなに至近距離で早坂さんを見下ろす事は、ない。目を細めているのは、ヘッドライトが眩しいのか、わたしを咎めているのか。前者である事を願いたい。

 

早坂さんはゆっくりと、わたしを降ろした。

 

 

わたしのヘッドライトを外し、地面に放り投げる。「えっ」

 

そして、わたしの肩を掴み身体を離した。「怪我は?痛い所はない?」

 

「大丈夫です。この通り。それより、ごめんなさい。早坂さんのこと、足蹴に・・・」

 

わたしを離した手が、今度は引き寄せる。

気づけば、わたしは、早坂さんの胸に埋もれていた。

本来なら、この状況に動揺して、あたふたしていたと思う。でも、その前に苦しいが勝った。身をよじると、更に強く抱きしめられた。

 

「早坂さん、く、苦しい・・・」

 

早坂さんは腕を緩めてくれない。「心臓が止まるかと思った」髪に、早坂さんの温かい息を感じた。

 

苦しい。── 苦しいのに、身体の強張りがほぐれていくのを感じた。わたし今、メチャクチャ安心してる。良い匂いがするし、たぶん、このまま気を失っても、早坂さんになら身を委ねられる。

そう思った矢先、早坂さんはわたしの身体を離した。

 

 

「さあ、どうしてくれようかしら」

 

「・・・えっ」

 

「1人で突っ走らないって、約束したわよね?」ブラック早坂さん、降臨だ。背後から、地鳴りが聞こえてきそう。

 

「あー・・・でも、その、結果オーライということで・・・」

 

「向こう見ずにも程があるわ!あんな無茶な事して、何もなかったから良いようなものの、下手したら死んでたかもしれないのよ?」

 

「・・・生きてます」

 

「それに、あたしは飛び降りなさいって言ったわよね?なんで言う事を聞かないの?」

 

早坂さんは気づいていないだろうが、掴まれた腕に若干、指が食い込んでいる。

 

「・・・高さが高さだったから、早坂さんに怪我させると思ったんです」

 

早坂さんはわたしを見つめ、手の力を緩めると、溜め息をついた。「あたしの事は考えなくていいのよ。自分の事を優先しなさい」

 

「なんでですか?」

 

「なんでって、あなたのほうが大事だからでしょ」

 

「だから、なんでですか。わたしにとっては、早坂さんも大事です」

 

早坂さんは目を見張った。「・・・少なくとも、あたしはあなたより頑丈よ」

 

「中条の方が身軽だけどな」瀬野さんがわたしに差し出したのは、ナイフだ。いつの間にか拾ってくれていたらしい。

 

「あ・・・ありがとうございます」気付けば、大ムカデの姿は跡形もなく消えている。

 

瀬野さんは、わたしの頭をポンと叩いた。「よくやった。女のくせに、大した度胸だ」

 

 

「ちょっと、褒めなくていいのよ。そして叩かないでちょうだい」

 

「なんでだ?中条のおかげで始末出来たんだろ。褒める以外、何がある」

 

なんだか、瀬野さんが神様に見えてきた。

 

「あたしが言いたいのは、無茶をしすぎってことよ。結果オーライで済む話ではないわ」

 

「それはお前の問題だ、遊里」

 

早坂さんは、顔をしかめて黙った

 

「・・・あんな風に消えるんですね。初めて見ました」

 

「ああ、図体がデカいから、毒が回るのも時間がかかったがな」

 

「毒?」

 

「そのナイフだ。まあ、特殊な素材でな。妖怪にとっては毒みたいなもんだ」

 

「そうなんですか・・・」手の中のパートナーをぎゅっと握りしめた。こんなに小さいのに、頑張ってくれてありがとう。

 

「しかし、まさか大ムカデだったとはな。この公園で被害の報告はないが、早めに対処出来て良かったな」

 

「・・・蛇じゃなくて残念でしたね」

 

「まあ、そんなに簡単に見つけられたら苦労はしないわよ。今回はアイツを仕留めれただけ良しとしましょう」

 

「・・・同じ事じゃないか?」

 

「なにが?」

 

「同じ事を言ってるだろう。俺は、早めに対処出来て良かったってって言ったよな」

 

「だからなによ」

 

「いや、あえて同じ事を言う意味があるのかってことだ」

 

早坂さんは呆れたように宙を仰いだ。「はいはい、どうでもいいわそんなこと」

 

「俺の話を聞いてないという事だろう」

 

「あーうるさいうるさい、アンタより喋れないムカデのほうがよっぽどマシよ」

 

2人が漫才を繰り広げている間に、わたしはヘッドライトを拾い、頭に装着した。良かった、壊れていない。

 

「雪音ちゃん、帰るわよ」早坂さんがわたしの手を取り、そのまま歩き出した。

 

「おい、話は終わってないだろう」

 

「だー!うるさいわね!アンタ、年々偏屈になってるわよ!?」

 

早坂さんのグローブみたいな手が、わたしの手をすっぽりと覆う。

 

「あの、早坂さん。わたし、自分で歩けます・・・」

 

早坂さんは振り返り、握る手に力を込めた。「ダメよ。何処に飛んで行くかわからないんだから。抱っことどっちがいい?」

 

「このままでお願いします」

 

 

その後も続く2人の漫才は、自分の心臓の音で、上手く聞き取れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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