トレーナーと遭遇したウマ娘達がお花見をするお話です。よろしくね。
「あれ、トレーナー?」
桜の散り行く河川敷で、自転車をこぐ知った後ろ姿があった。彼はよそ見をしながらゆっくりとこいでいるから、少し走ればすぐ追い付くだろう。
「おーい、トレーナー!」
「あ、シチー」
右手を大きく振って呼びかけてみると、彼は自転車を止めて振り返った。
「散歩?」
「うん、トレーナーは?」
「花見がてら走ってるんだ。去年までは部屋から桜が見えてたんだけど、枝が切られちゃってさ」
「ふーん。トレセンのトレーナーで花見とかしないの?」
「仲の良いトレーナーは皆担当掛け持ちで忙しいからなあ、中々休みが被らなくて」
「それで、寂しく一人で花見ってわけね」
「うん、でもシチーと会えたし、寂しくはないよ」
「それはどーも」
昼下がりの路上はぽかぽかと温かく、日曜日の今日は、そこらで花見をするグループがちらほらと散見された。きっと、仲の良い二人でここに集まったなら、レジャーシートを広げてご飯でも食べながら花見をするんだろうが、あいにく今はそんな用意もない。
「これからトレーナーはどうすんの?」
「家に帰るつもり。シチーは?」
「アタシも言うて暇なんだよねー。ゆっくり花見でもしたい気分」
大した期待はしてないけれど、ちらと彼の顔をうかがってみる。辺り一帯に咲き誇る桜を眺めて、シチーのことなんか視界に無さそうだけれど。
「じゃあ、するか。レジャーシートと弁当買ってきて」
「……マジ? 今から?」
「うん。コンビニかホームセンターに行けば売ってるでしょ」
「まあ、そうだね。でもここからだとどっちも遠いよ?」
そう言うと、彼はあごに手を当ててうーんと唸る。
「じゃあ、一緒に走って行こっか。ゆっくり走り込みだ」
「……あはは、マジで行くんだ! いいよ、行こ」
そういって彼はペダルに足をかける。
これじゃいつものトレーニングと変わんないじゃん。そうこぼしつつ、走る脚を速めた。
*
日曜日の学園は、やはりというべきか、やけにというべきか、つまりは静かでした。
トレーナーの皆さんの休日が日曜日になりやすいことも、それにともなってトレーニングも日曜日にオフになりやすいこともわかっていましたが、それにしても人がいなくて、違和感まで感じてしまいます。
ああ、今日は天皇賞でしたか、おそらく皆さん、出走するか観戦するかといった具合なのでしょう。この前のお茶会では、マックイーンも観戦しに行くと言っていました。
そう合点が行ったところで、しかし窓から伺える一部屋に人影があるのが見えました。窓の位置からして、きっと。
今日は他に予定もないので、立ち寄ることにしました。
「……アルダン? どうしてここに?」
「トレーナーさんこそ、どうして学園に?」
やはりトレーナーさんでした。
「えっ、あ、いやね? ちょっと野暮用というか、その……」
「今日はご友人とご予定があったのではありませんか?」
二日前の金曜日、そう言ってトレーナーさんは日曜日のトレーニングをオフにしたのでした。ご友人と遊びに行く予定があるから、アルダンもどこか遊びに行ってみてはどうか、と。
しかし、その時も、今も、トレーナーさんの顔色をうかがうに。
「あーいや、ね、友達が忙しくなったからって、ドタキャンされちゃって……」
「ではどうして学園に?」
「えっと、それで今日学園にいる先輩トレーナーに連絡して話でもしようかと……」
「私の見たところ、今日は私たち以外に学園にいないようですけれど?」
「えっ!? うーんと……」
そうです、私はわかっています。本当は予定を取り付けたご友人も、ドタキャンされたからと連絡した先輩トレーナーさんも、そんな方々はいないことを。そしてきっと、そんな風に言って今日をオフにしたのは。
「……ごめん、嘘ついたんだ。僕って普段、何をするにもアルダンと一緒で、アルダンもたまには僕のいない休日を過ごした方がいいのかなって思って……」
トレーナーさんの気遣いはとっても優しくて、しかし不器用で。私がどうしたいかと聞かないで勝手に優しくされることがあります。
「いえ。私はトレーナーさんと一緒にいたいですから」
「アルダン……!」
「よくトレーナーさんと休日を共にしているのは、私がトレーナーさんと一緒にいたいから、です。それとも、トレーナーさんは、ずっと私と一緒にいるのが嫌でしたか?」
「いや、そんなことない! 僕も、できればずっとアルダンと一緒に……!」
そう言って私の両肩を優しく、同時に力強くも掴んだところで、トレーナーさんはふっと顔を沸騰させてしまいました。
このようなやり方はずるいのかもしれませんが、とにかく私は、そんな凛々しくも愛らしいトレーナーさんの姿が見られて、とっても嬉しいです。
「では、今日は何をしましょうか?」
こうして今日も、トレーナーさんと一緒にいることが確定しました。
*
ピンポーン。チャイムが鳴る。
こんな朝早くの客人が誰か、見当はついていた。
「ねえ、シャワー貸して!」
ドアの前に立つミスターシービー。彼女は盛大に濡れていた。
「どうしたの、それ」
「ちょっとね、川に飛び込んじゃって」
「何それ」
「だってね、川に桃が流れてたんだよ。そんなの拾いたくなっちゃうでしょ?」
「ああ、それで……」
彼女の右手にはビニール袋、パンパンに膨れ上がっている。
……流石に多すぎないか?
「桃太郎の大量発生だ、と思ったんだけどね、上流で農家のおばあちゃんが落としちゃったらしくて」
桃太郎とは真逆だ。
「それをたまたまアタシが回収してて、お礼にってくれたんだ」
「それにしたって多いけど……」
「まあ、どう食べるかはキミに任せるよ。じゃ」
袋いっぱいの桃をどうしようか思案する俺を尻目に、彼女は真っ直ぐと浴室に向かう。
「そうだ。ピクニックに行こう、準備しておいて」
*
「あれ、アルダン先輩じゃん」
ホームセンターの一角で出会ったのは、ゴールドシチーさんでした。
「あら、シチーさん。こんにちは」
「どうも。トレーナーさんも」
「ああ、こんにちは」
せっかくの桜日和だしお花見でもしようか、という提案を受けて、まずはレジャーシートかレジャーチェアを調達することにしたのですが、偶然にもシチーさんと遭遇するなんて。どうやら今日の私は運が良いらしいです。
「今日はどうしたんですか?」
「ええ、お散歩しようと思い学園に行ったらトレーナーさんがいらして。せっかくですしお花見でも、ということで」
「なるほどね、奇遇」
「シチーさんも?」
「はい、アタシもたまたまトレーナーとそこらへんで会って、そのまま花見しようってなって」
やはりシチーさんのファッションは、人気モデルだけあって素敵です。動くたびに光っているような気がして、私もこうなれたら、と思ったりもして。
「って言っても、アイツは別のところ行ってるけど」
「確かに見当たりませんね、どちらに?」
「アイツには食べ物の方を用意してもらおうと思って」
「なるほど、分業制ですね?」
「そんなたいそうなもんじゃないけど」
そうお話をしながら、三人でホームセンター内を巡ります。
「ああ、あったあった」
シチーさんが軽く駆け出して、その先にはレジャー用具が並んでいます。どうやら座り心地の良さそうな椅子がいくつかあって、テントも売っているようです。
「アタシはこっちの安いシートにするけど、そっちは?」
「どうしましょうか、トレーナーさん?」
「そうだなあ……。せっかくだし、ちょっと良いイス買っちゃおうか。車で来ているから運ぶ分には問題無いし」
「良いのですか? 少し値が張りますよ?」
「いいのいいの、こういう時に使わないと一生使わないからさ」
「へえ、アンタ随分太っ腹なんだね」
「それに、突発的に決まったことではあるけど、アルダンと一緒にお花見するんだし、気合い入れたいんだ」
「まあ、トレーナーさん……」
「はあ、付き合ってらんないわ」
さて、そんなやりとりもほどほどにして、お会計を済ませたところで。
「そうだ、ちょっとアルダン先輩借りていっていい?」
「借りてくって、え?」
「いや、ちょっと二人で話してみたいだけ。どうせアンタ、学園でたまたま会ったって言っても、普段はずっと一緒にいるしたまにはアルダン先輩なりに自由に過ごしてもらいたくて、自分は予定があるって嘘ついちゃったんでしょ」
「ど、どうしてそこまで……!?」
「全部合ってんのかよ……。まあ、なんとなく見当はつくし」
「……ではせっかくですし、少々よろしいですか? トレーナーさん?」
「う、うん。じゃあ僕は先に食べ物用意して、自然公園の方で準備してるね。ここから近いし、大丈夫だよね?」
「ええ、もちろん」
「じゃ、決定ね。1時間はかかんないからよろしく」
そうして少しだけ、シチーさんと喫茶店に行くことになりました。
*
「へえ、こんな短時間で作れるんだね。おいしそう」
ちょうど焼き上がった桃のタルトを覗き込むように、こちらもちょうど髪を乾かし終わったシービーがコメントする。
「もともとフルーツタルトを作るつもりだったからね」
「じゃあ、いただきまー」
「たんま」
「いてっ」
タルトに伸ばされた彼女の手を軽く叩く。
「せっかくピクニックに行くんだし、公園かどこかで食べようか」
「うーん、アタシは今食べたかったんだけどなあ」
「たまにはそういうのもいいでしょ、お弁当も用意してあるから」
「余ったおかずとかある?」
「そんなにお腹が空いてるのか……」
「朝ラーに行こうと思ってたんだけどさ、開いてなくて」
「唐揚げの余りならそっちにあるから」
「う〜ん、おいしい!」
俺が指をさした時には、数個余分に作ったはずの唐揚げが無くなっていた。食いしん坊さんめ、と思いながら、久しぶりに引き出しから出した重箱を包む。
「そうだ、トレーナー。普段アタシが使ってるトリートメント、買っててくれたんだね」
「去年だけで何度うちのシャワーを使ったかなと数えてみたんだ」
「やっぱりあれじゃないと落ち着かないんだよね。ありがと」
「どういたしまして。さ、行こうか」
「ブランコがあるところがいいなあ」
歩きながら探してみることにした。きっと彼女はどこかに行こうとしているわけじゃないんだろうし。
*
「んで? 何で悩んでんの、アルダン先輩?」
席についてコーヒーを頼んだ直後に、彼女のおっしゃった言葉、私には一瞬、飲み込むことがためらわれてしまいました。
「悩んでいる……、とは?」
「いや、隠そうとしたってもうバレてるんだし、強がんなくてもいいですよ」
勘が鋭いのか、それとも人を見る力があるのか、きっと後者なのでしょうけれど、それにしても私の心のうちを読まれてしまったのがえらく衝撃的でした。
「……私とトレーナーさんは、やはり、どこまで言っても二人のままなのでしょうか」
「……は?」
ここ最近の考え事を打ち明けてしまいました。
きっかけは先日のこと。
『時々、目に見えるはずなのに、アタシじゃ手が届かないって察しちゃうんだよね』
移動教室の際に、ミスターシービーさんがふとつぶやいたことでした。
『手が届かない……、ですか?』
『うん、すぐそこにあって、手を伸ばして触ろうとしてみるんだけど、なんでか、一緒にはなれなくて。アタシはトレーナーになれないし、トレーナーはアタシになれないみたいに。まるで当たり前のような顔をして、世界がアタシを遠ざけているような気がして』
『……アキレスと亀、のような?』
アキレスと亀、とは、古代ギリシアの哲学者・ゼノンによる議論の一つ、「移動するものは、目的点へ達するよりも前に、その半分の点に達しなければならないがゆえに、運動しない」という主張の際に用いられる例え話です。
とても足の速いアキレスという方と一匹の亀がレースをすることになり、ハンデとして亀はアキレスより前の地点からスタートするのですが、亀のスタート地点だったところにアキレスが着く時、亀はそれより先にいて、その時に亀のいた地点にアキレスが着く時もまた、亀はさらに先にいて……。繰り返し思考すると、どれだけ速いはずのアキレスも亀に追いつけないはずだ、というパラドックスです。
『うーん、ちょっと違うかも。えっとね、アタシはトレーナーのことをすっごく信頼してるし、トレーナーもアタシのことをすっごく信じてくれてるんだけど、どれだけ似たようなことを考えてても、全く同じことを考えてるわけじゃないし、他のどんなところを見てもアタシとトレーナーが全く同じになることはないんだよね』
ゼノンのパラドックスは現実と矛盾するものの、シービーさんの主張は矛盾しません。十人十色という言葉があるように、人やウマ娘はどのような二人でも同じ人にはなれませんし、私もトレーナーさんとの絆を深めていく中で感じていました。二人になることはできても、一人になることはできない。
『たとえば、Aさんって言う人がBさんって言う人に憧れて、私もBさんみたいになりたい!って言ったとするでしょ。Bさんみたいになるために、Aさんは最初に自分のいたところからBさんのところに近付いて行くんだけど、どれだけ頑張って歩いても、Bさんのいるところには辿り着けないんだ』
『言わんとすることはわかります。しかし、どうして……?』
『どうしてなんだろうね? すぐ目の前に見えるところまで来たんだよ、なのにAさんはどうしたってBさんになれない。限りなく近付いてるはずなのに、結局、AさんはAさんで、BさんはBさんのまま。わかっててもさ、時々、疑問に思っちゃうんだ。どうしてアタシが手を伸ばしても届かないんだろう、って』
「私は、どれだけ同じ時を過ごしても、トレーナーさんとは、私とトレーナーさんでしかないのでしょうか」
「えーっと、つまり、アイツと一緒になりたいってことですか?」
「そう言われてみれば確かにそう言えるのかもしれません。すいません、私もこの疑問は曖昧で」
いつかマックイーンの言っていた「一心同体」という言葉を思い出します。
シービーさんとお話しした内容を簡単にまとめた上で、コーヒーを軽く啜ったら、一緒に注文していたサンドイッチを軽く一口食べて、シチーさんは言いました。
「先輩はアイツのことが好きなんですよね?」
突然の言葉に私はひょっとして、同様にサンドイッチを取ろうと動いたはずの右手が固まってしまいました。
「……あの人と一つになってしまいたい、なんてことを考え始めてしまったあたり、きっと、好き、なのでしょうね」
少しずつ咀嚼しながら、確かに私は、彼への想いを整理してみました。
彼はとても優しい人です。それでいて、私のことを信じてやまない人です。力強く抱きしめた私との夢を諦められない、そんな人でもあります。そんな人だから私は、彼と共に走ってきました。数々の足跡を共に辿ってきた彼のことが好き……、だなんて、今まで考えもしなかったけれど、この高揚感ならば、きっと正解です。
「きっと、シービー先輩が言いたいのは、うーんと……。同じように数学で例えるなら、漸近線、みたいなことじゃないですか? 数学に例えるって何か違う気もするけど」
漸近線というのは、あるグラフがあったときに、そのグラフが近付いていくものの、実際にはそうなれない、という値を表した直線のことです。例えば、xという数の逆数、つまりx分の一をイコールyとしてグラフにすると、その漸近線はxとyがそれぞれゼロになるx軸・y軸になります。どれだけxを大きく、あるいは小さくしても、永遠にyをゼロにすることはできませんし、yについても同様に、xをゼロにすることはできません。
「それに、違う人だから好きになれるんじゃん?」
コーヒーのくすぶった香りが窓の春風に運ばれて、若干の花びらが舞い落ちます。
床に転がって優しく散った花びらを拾い集めて、彼女は星を作りました。
「アタシのドッペルゲンガーとか、正直怖いし。それに、アタシはジョーダンともトレーナーとも違くて、ジョーダンはジョーダンなりに、アイツはアイツなりに、アタシには無いものを持ってて、アタシもアタシなりに、他の人が持ってないものを持ってる。だから付き合うのが楽しくて、好きになるもんじゃないですか」
窓からもう一つ、ひらひらと桜の花びらが降ってきて、彼女のブラックコーヒーの上にひらりと彩りを添えました。
「じゃあ、私はどうすれば、彼への心の高鳴りを鎮められるんでしょうか」
「そんなん、決まってるっしょ」
*
アルダンとのティータイムを終えて解散すると、店先に見知った姿があった。
「シービー先輩?」
「あ、シチーだ」
すぐ近くには彼女の担当トレーナーもいる。
「もしかして、先輩もピクニックですか?」
「そうだけど、なんで分かったの?」
「アルダン先輩ともたまたま会って、さっきまでお茶してたんですよ。んでこの後は、それぞれのトレーナーとピクニックに行くつもりで」
噂をすれば、視界の奥に彼が歩いてくるのが見えた。シチーのそばにいる二人にもすぐに気がついて、軽く会釈をした。
「シチー、お待たせ。先輩と、シービーさんも」
「いきなりごめん、ちょっとアルダン先輩と話したくて」
「よーし、じゃあこの後はみんなでお花見だ」
「いや、さっきアルダン先輩と解散したばっかなんですけど」
「それならさっき、アルダンさんのトレーナーと会ったよ。良かったら一緒にどうかって」
「……マジ? まあ良いけど」
「良かったら先輩方もどうですか」
「ああ、シービーもこう言ってることだし」
「ね、タルト食べる? トレーナーが焼いてくれたんだ」
「いや、せめて公園着いてからでしょ」
*
約束の自然公園に着くと、彼の姿が見えました。しかし買ってきた椅子を広げても、芝の上に転がってお昼寝をしているようで。
「トレーナーさん、お待たせしました」
「んぅ…… アルダン……」
夢の中でも私の名前を呼んでくださるようです。そこまで私のことを思ってくださるのは嬉しいのですが。
「トレーナーさん、起きる時間ですよ」
再びそう呼びかけてみるも、今度は彼に無視を決め込まれてしまいました。
彼も多忙を極めていること、それが私のための仕事であることはわかっています。ですから、たまにはこうしてゆっくりとお休みしたい気持ちもわかります。
ですが、ねぼすけのトレーナーさん。これはお仕置きです。
私はトレーナーさんの大きく広げた体、そのうちの右腕をお借りして、枕にすることにしました。そうしたら彼はわずかに寝返りを打って、こちらと顔を向かい合わせるような形になりました。
「トレーナーさん、まだ起きないんですか?」
魔がさして、彼の頬をツンツンともてあそんでみますが、やはり反応はありません。
二羽のカモメが羽ばたいて、そよ風は優しく木々を揺らす。昼過ぎの公園は、あたたかな日差しを浴びて溶けてゆくよう、あなたさえもその一部になろうとして、私だけが確かに、あなたを見つめています。
『隣にいれば十分じゃん』
「ええ、そうですね。私はここで、あなたはここで」
シチーさんのお言葉に応えて、あなたとの距離を反芻します。彼のさらさらとした優しい前髪をそっと撫でて、私も共に、まどろみの中へと溶けてゆく感覚がしました。
霧の中に見えた私は、笑っていた。まどろみの中で、あなたと共に笑っていた。それならいいか、きっと私はここでいい。
ほのかに温かい潮流の中へ、沈殿だった私は溶解していった。
*
「おーい、アルダンせんぱーい……って」
四人が着いた頃、芝生の上にはたった二人が眠っていた。
とても安らかな寝顔だった。
「……ま、起こさない程度で始めちゃいますか」
「二人分のお弁当も後で買ってこないとな」
「タルト」
「デザートね」
透き通った青空に桜色がひらひらと、そよ風に揺られて一輪を添えた。
「ねえ、運命論ってあると思う?」
タルトを一つ飲み込んだ口で、シービーはそう問う。
どこかで聞いたことがある。一つの反応によって次の反応が決定して、幾つもの反応の連鎖の先に今がある、ならば現在は初めからこうなるべくして存在し、現在によって全ての未来が決まっているはずだ、と言う言説だ。
「『手を伸ばしても届かない』ってことですか?」
「アタシは、そんなの無いと思う」
きっとその時は届かなかっただけなんだ、とシービーは続ける。
「たまたま桃を拾って、たまたまトレーナーがフルーツタルトを作ろうとしてたから桃タルトになって、たまたまシチーと会って、たまたまシチーのトレーナーがアルダンのトレーナーと会ってたからこうして一緒にタルトを食べてる。アタシだけじゃない、シチーもアルダンも、『たまたま』の先で今にいる」
「じゃあ、『たまたま』同じことを考える瞬間があったりして」
「きっとあるよ。世界がアタシを遠ざけてるなんてことはなくて、いつになるかはわからないけど、『たまたま』一緒になれる瞬間があるのかもしれない。だって、それぞれの『たまたま』が積み重なった今日は、本当に楽しかったんだもん」
そう語りながら、彼女の瞳は遠く向こうのトレーナー達を見つめている。池に泳ぐ鯉を眺めているんだろうか。
「さ、行きましょ」
「うん」
彼らのもとへ駆け出した。タルトはまだ残っている。