あれも必ず完結はさせますので、気長にお待ちください。
「赤城さんは健啖やなぁ、ほんまに」
丼に山と盛られた白米を平らげ、二膳目をよそってきた赤城さんを眺めながら、龍驤が呟いた。驚き半分、からかい半分といった表情だ。声を掛けられた赤城さんは、ちら、と視線を上げると、龍驤に向けて口の端を少しだけ持ち上げる。
「腹が減っては戦はできぬ、と言います」
澄まし顔で赤城さんがそう言うと、龍驤はうへぇ、と呻いてこちらに向き直った。
「本当、よく食べる人やなぁ。加賀さん、一緒に居て胸焼けとかしない? 大丈夫?」
箸を指揮棒のように揺らしながら、龍驤が言う。赤城さんと違い、ごくふつうの定食が載せられた私のお盆に、その視線は注がれていた。
「気にしません。食べ終わる時間が合わせづらいのには閉口しますが」
「あはは、そりゃあ災難やね。赤城さん、おかわり繰り返すしなぁ」
「ええ。どのタイミングで食事が終わるのか、傍目には把握しづらくて」
きらり、と目を光らせて、龍驤が身を乗り出す。
「そや! ならこう、一食分の入ったでっかいおひつから直接米を吸い込んで……ってのはどう? これなら一目瞭然や!」
傍目にも自信の窺える表情で、龍驤は赤城さんの方を窺った。話を振られた赤城さんは、先ほどの遣り取りを繰り返すかのように、視線を上げて少しだけ笑みを浮かべた。
予想よりも遥かに静かな反応に、却って不快にさせたのかと危惧したのだろう。龍驤の顔に焦りが浮かんだ。
流石に気の毒かもしれない。そう思い、助け舟を出す。
「赤城さん、今のは突っ込みを入れてもいいところですよ」
私がそう声を掛けると、赤城さんはしばしの間、静止した。文字通り、全ての動作を停止させて……瞬刻、茫洋とした視線を彷徨わせる。
曖昧に拡散していた視線が、僅かな時間を置いてから、龍驤の目に焦点を結んだ。龍驤が少したじろぐ。
「……? ああ、なるほど……。龍驤さん、それはちょっと出来ませんね、私でも」
今度は微笑むこともなく、赤城さんはごく真面目な調子でそう言った。
対する龍驤は、何とも形容しがたい表情で固まっていた。赤城さんの今の発言が高度な冗談なのか本物の天然なのか、判断しあぐねているのだろう。龍驤はしばし視線を中空に彷徨わせると、
「……あ、そ、そうやねー! 流石に赤城さんにも不可能だったかー!」
「ええ、無理だと思います。肺活量が足りません」
結局、どちらとも取れる反応でお茶を濁すことにしたらしかった。
あははあはは、と空笑いをひとしきりする龍驤に、にこにこと微笑み続ける赤城さん。奇妙な絵面に、周囲の艦娘にも興味を惹かれるものが出てきたらしいことを、私は察した。数人、こちらに視線を向けている者がある。
あまり歓迎すべきことではなかった。
龍驤との会話がこれ以上続かないであろうことを理解したのか、赤城さんは自然な所作で食事の続きに取り掛かった。その様を十秒も眺めてから、ずい、と龍驤は私の側に身を乗り出してくる。
「……なぁ、赤城さんって天然なん?」
龍驤は深刻そうに眉根を寄せて、小声で尋ねてきた。
「ご想像にお任せします。……まあ、少なくとも、あれは笑いを狙ったものではないわね」
嘘はついていない。あれは、そういうものではない。
「せやなぁ……うん……ちょーっとネタ振りを考えなきゃあかんね、今後は」
「そうしてください。経験を積めば意も通じやすくなるでしょうし」
これは、嘘だ。どれほどの時間を掛けたところで、意思の通じることはないだろう。あれは、そういうものだ。
「あはは、お母さんみたいなこと言うんやな、加賀さんってば」
「……こんなに大きな娘は遠慮します」
微笑しながら、私はそう言った―――つもりだった。本当に笑えていたのかは、わからない。
「―――加賀さん」
食堂で龍驤と分かれてから、私たち共用の私室へと至る廊下を歩いていると、赤城さんが出し抜けに呼び掛けてきた。こういった前振りのない発話に、私はもう慣れてしまっていた。
「大筋では間違っていません。多少のズレは天然というパーソナリティで吸収できる筈です」
慣れていたから、赤城さんが何を聞きたいのかも判っていたし、その答えを伝えるのに余計な前置きが必要ないことも解っていた。事実、赤城さんは少しも訝しむことがない。
「では、今後もあのように?」
考える素振りもなしに、赤城さんはそう問うてきた。
「ええ。ただ、愛想笑いは絶やさない方がいいかもしれません。日常会話に於いては」
「なるほど。了解しました」
私達の会話は、赤城さんが納得した時点で終わる。それは必要事項の伝達が終わったということを意味していた。
完全に無言のまま、二人して廊下を歩く。首から上だけで振り返ると、進行方向のどこにも焦点を結ばない赤城さんの視線があった。ややあって、振り返った私の視線に、赤城さんのそれが結ばれる。文章で切り取れば甘やかな交情を見出したくなる情景かもしれない。だが、そこに一切の情感はなかった。
……そう、これが赤城さんの現状だ。一切の自意識を持たず、与えられた判断基準によって全ての外的な刺激への反応を決定する、自動的な艦娘。
視線を睦ませたところで、何が返ってくることもない。監視カメラに捕捉されることと、それは実際、違いがないのかもしれなかった。
長い廊下を無言のまま歩き続ける。規則的な足音と衣擦れの音を引き連れながら、私はいつしか、思考の海に沈んでいった。
―――艤装に宿る戦いの記憶。起きながらにして視る白昼夢のようなそれは、大なり小なり、いまの私たちの人格に影響を与えている。艦娘に少しでも興味や関わりのあるものならば、誰でも承知していることだ。
たいていは無意識の小さな衝迫が植え付けられる程度で済むが、中には軍艦としての記憶が人間としての自我を侵食するようなケースもある。とはいえそれも、長い時間を艦娘として過ごすうちに、程度の差はあれ、折り合いをつけられるようになるのが普通だ。
それはつまり、自己認識に問題が発生するほど艤装の記憶に侵食された者であっても、やがて船としての記憶と人としての記憶との間に境界線を定めることが出来るようになるということだ。自分のものではない記憶や衝迫が自己の中にあったとしても、その範囲や性質を精確に把握できさえすれば、自分を見失うことはなくなる。無論、不快感や異物感はどこまでも付き纏うのだけれど。
ともかく、根本的な解決ではないにせよ、艦娘としての活動に問題を来さないまでに自己を調整できた艦娘の前例は多い。仮に艦娘に成り立ての娘がそういった傾向を示していたとしても、それは憂慮すべきことではあれ、決して艦娘として致命的という訳ではない。大方の認識はそんなものだ。
そんな中、赤城さんの状態は他に類を見ないものだった。
戦闘に纏わる機能以外、一切を削ぎ落としたような自動性を有し―――そして、その自動性が日々の暮らしで全く揺るがない。
赤城さんには境界線がそもそも存在しなかった、ということだ。船としての記憶と相争うための、人間としての領域がごっそりと欠けている。彼女にあったのは、戦闘に関する記憶と思考だけ。境界線を引き直すまでもなく、赤城さんの中は一色に塗り潰されていた。
そんな赤城さんが戦闘に特化していたことは、厭らしい話、好都合ではあった。
仮に、自意識と同様に戦闘能力も皆無だったとしたら、赤城さんを鎮守府で養うことは難しかっただろう。先述したような、自我が混濁を始めた艦娘たちには、耐えかねて退役を選ぶ者もある。そうすれば彼女らは普通の少女に戻れるのだ。赤城さんはそれができない。解体を受けて艦娘でなくなった時、彼女に残る人間の部分がいったいどんな形をしているのか、誰も保証などできないのだから。
幸いにして、赤城さんは試験演習に於いて、極めて高い戦闘能力を示してくれた。赤城さんにはこのまま戦ってもらう、提督も交えてそう決めたところで、問題は、極端に感情の薄い……もしかしたら存在しない赤城さんが、他の艦娘に悪影響を与えるかどうかに移った。
ところで、艦娘とは何だろうか。一般的なイメージの話をすれば、自由意志を持つ人類の相棒であり、差し迫る脅威に対抗するための救世主、といったところだろう。
だからこそ、命の危険を伴うような任務にも、私達は赴くことができるのだ。矜持であったり、承認欲求であったり、全能感であったり。形は様々だが、艦娘という存在への肯定的なまなざしこそが、艦娘の戦いを、その精神を支えている。
そういった構図がどれほど私達の精神を守るのに有用だったのかを、赤城さんという例外を見せつけられた私は、今や誰よりもよく理解していた。兵器としての側面ではなく、助け手としての側面を強く自認することで、私達は自己を肯定することが出来ているらしい。
その認識が揺さぶられることは、艦娘にとっては致命的なのだ。
赤城さんの初陣の時の光景を、今でもよく覚えている。一切の余計な意思を介在させず、しかし高度な戦闘判断を瞬時に可能とする、理想的な戦闘者がそこにいた。澱みなく、情もなく、何を誇るでもなく、ただ破壊していくだけの者。その佇まいは否応なく、自分たちの戦う相手の姿を私に想像させた。
余計なことを考え始めると、何もかもが繋がって見えてくる。深海棲艦の容姿が私達に酷似していること。彼女たちの出現場所が艦娘の轟沈地点に集中すること。稀に強い強迫観念を思わせる行動を採る者がいること。穿った目で見れば、それは出来過ぎた符合だった。
……船の記憶が人に宿れば艦娘になる。であれば、艦娘の記憶が他の何かに変質した時には―――これ以上は考えてはいけない。頭の中の冷静な部分の警鐘に従って、強引に思考を断ち切る。
余計な想像力を殺すのには莫大な精神力を要することを、赤城さんと出会ってからの数ヶ月で私は学んだ。致命的、というのはそういうことだ。赤城さんが何かをしてくる訳ではない。ただ、私達は彼女の佇まいに、最も見たくはないものを幻視してしまう。
私はいい。赤城さんの異質さは理解したし、それでも相棒として支えていこうと思っている。だが、鎮守府の他の艦娘への悪影響は避けたかった。先述したような問題は勿論、もっと基本的な部分でも問題がある。多感な駆逐艦が、眉一つ動かさぬ無表情で―――全く同じ表情をした深海棲艦を淡々と屠る赤城さんの様を見れば、どんな傷になるかわかったものではない。
赤城さんの異常性を悟らせないような方策が必要だということになって、提督と私と、少数の事情を知る艦娘を交えた会議の果て、苦肉の策として考えたのが、赤城山に変人を演じて貰うことだった。
冗談のような話だが、提督の目は笑っていなかった。
『赤城には大食らいの艦娘を演じてもらう……というのはどうかな』
『……提督、正気ですか?』
居合わせた艦娘は、私も含め、みな訝しげな表情をしていた。提督はぐるりと室内を見渡すと、その思い付きの意図するところを説明し始める。
『現状……いや、おそらく今後も、複雑な人格を演じることは困難だ。なら、単純な人格ならどうだ? ただ単純な反応を返すだけには留まらず、赤城に話し掛ける側までもが奴の単純な部分にしか働きかけない、そんな人格を仮構できたら―――どうだろうな?』
『……仰ることは解ります。ただ、なぜ大食らいなのか、と』
『任務で組まない艦娘と会うのは食事時が殆どだとか、食事は毎日あるから繰り返しのアピールにしやすいとか、食事してない時は空腹だとだけ主張させておけばいいとか、色々あるんだが……。本質的には、食事は極めて人間的な行いだから、ってとこだな。いや、美食は、と言った方がいいか。同じ欲求でも、寝汚いのとはまた大きく違うってことだ。赤城の冷たさを隠すには、人間臭すぎるくらいで丁度いいんだよ。これでもまだ足りないかも知れないが―――』
そうやって提案された冗談のような作戦は、赤城さんの配属から数ヶ月が経過した今、拍子抜けするほどにうまく成立している。戦闘中の無機質さも、敵を殲滅した直後に「お腹が空きました。はやく帰投しましょう」と呟かせるだけで、殆ど帳消しになっているらしい。
当初の危惧からいえば、望外の結果だ。
「―――加賀さん」
と、背中越しに、先程よりも少し遠い声を聴いた。どうやら、沈思に耽ったまま行き過ぎていたらしい。振り返ると、扉の前に赤城さんが佇立していた。
「御免なさい。ぼうっとしていて」
ひとつ謝って、二人の部屋に戻る。今日の会話の精査をして、明日の方針を決めて―――繰り返していくうちに、赤城さんはもっとうまくやれるようになるだろう。ずっとずっと時間をかけて、いつかは大食いなだけの赤城さんではなくなって。もしかすると、私たちと対等に会話する赤城さんが、いつか完成するのかもしれない。
それでも、彼女の心に触れるものはいない。私も含めて。無いものには、誰も触れられない。
これもまた考えるべきではないことだと、私は理性で感じていた。
「―――とまあ、そんなことを考えてるん違うかな。加賀さん、あれで解りやすい人やからね」
細部は自信ないけど、と呟いて、ベッドに寝そべったまま、龍驤は長い考察を語り終えた。ここ数日、食堂で赤城と加賀に付き纏っていたのはこのためだったのかと、隼鷹は呆れ半分、感心半分のため息をついた。
「で、龍驤さあ。そこまで解ってるのに踏み込まないのかい?」
「踏み込む? なんで?」
いつになく真面目な表情を浮かべた隼鷹の問いに、龍驤は笑みの抜け落ちた無表情で答える。素っ気なさすぎる反応に、隼鷹は苦笑いを零した。龍驤がこういった、常ならぬ無機質さを披露すること自体は、そう多くはないとはいえ、過去に例のないことではない。
これが相棒の素であるなら、敢えて驚いてみせたりはすまい―――と隼鷹は考えていたし、そう考えるような相手だけを選んで素の自分を見せているのだろうと、当たりをつけてもいた。
さて、理由、理由か。相方の淡白な問い返しに何と答えようかと、隼鷹は頭を捻る。
「なんで、と来たか……。うーん、なんでだろうなあ。あたしなら踏み込んで欲しいから、とかかなあ。秘密を共有する仲間は多い方が嬉しいってのもある。でも……そうだな。そうしなきゃならない理由はないのかもな。放っておくのが優しさって気もするし。ごめん、よくわからなくなっちまった」
纏まりきらないうちに口を開けば、やはり碌な答えは出てこない。だというのに、龍驤の表情は真剣そのものだった。
「ふむ。客観的な理由はないけど、それでも隼鷹はそうしたい、ってワケやね」
「まあ、そうだな。理屈じゃないのかもね」
依然として笑みの抜け落ちたままの龍驤の瞳が、隼鷹を捉え続けている。値踏みするようでもあり、羨望するようでもあり、見下すようでもある―――そんなふうに、隼鷹は感じていた。自分の感情を投影しているだけなのかもしれない、とも考える。それなりに長く相棒を続けてはいるが、隼鷹にはこの小柄なルームメイトの深層が理解できたと思えたことが一度もなかった。
ふと、隼鷹が疑問を口にする。
「なんで、で返して悪いけどさ。関わる気がないなら、どうして探りを入れたんだ? 傍から見てる分にはそこまで楽しそうな食事には見えなかったけどな」
「うーん、なんでやろね。理屈じゃない、のかも?」
そう言って、龍驤は笑みを見せた。先の返答を前提とした、やんわりとした拒絶がそこにあった。隼鷹も曖昧な笑みを浮かべる。この話はここで終わりだと、双方が理解していた。
もう寝ようかとどちらともなく提案して、部屋の灯りが落とされる。
数分も経つと、隼鷹の寝息が静かに響いていた。龍驤は微睡みの淵で、しかしまだ起きている。いつも寝付くのは隼鷹が先だった。そう間を置かずに龍驤も眠りに落ちるだろうが、この数分の空隙こそが、龍驤が素でいられる数少ない時間だった。
「―――はやく人間になりたい、ってね。赤城さんは参考になるよ。違うアプローチで問題を解決しようとする人の振る舞いは。単純だからこそ、基礎が学べるってわけやね」
隣のベッドで眠る相棒の顔を眺めながら、龍驤は呟いた。
「理屈じゃないことなんて、うちにはひとつもないよ。ぜーんぶ理屈。こうすればこうなる、って経験を寄せ集めてるだけ。根本的には赤城さんと全く同じ。それでも、加賀さんくらいなら騙せるようにはなったよ。でも、それだけやね」
きっと赤城さんだって上手くやれるようになる。自分がそうなったように。龍驤はそう信じていたし、ここまで来てからが本番なのだ、とも確信していた。
「理屈じゃない、かぁ……。一度でいいから、本心から言ってみたいもんやね」
けらけらと小さく笑い、龍驤は目深に布団を被った。おやすみ、と相棒の寝顔に一声かけて、すぐに微睡みの向こう側に落ちていった。
「……理屈じゃない衝動を求める、その衝動は理屈じゃないんじゃないかい? なーんて、あたしが言っても頓智にしか聞こえないか。つくづく、シリアスってのは苦手だよ」
ままならないもんだ、と溜息をつく。正真正銘、誰にも聴かれない独り言。それだけを残して、隼鷹は本当の眠りに就いた。
・構成が謎すぎる。何のSSなんだ……
・特に他の短編SSと設定の共通はありません。飽くまでもここではこう、というだけで。
・赤城さんの印象は最初から「異常に自意識の薄そうな、戦闘マシーンっぽい人」で、大食いネタとか出てきたあたりでかなり吃驚したものです。
・大食いで周囲にアピール、というのは『ひめしょ!』のロボ姫だなあと書いてから気づきました。無意識の所作だったんや……。