「ハマーン…!」
兄が、怒っている。
リィナはその兄に抱えられながら、一つの記憶をよみがえらせていた。
どんな理由だったかは思い出せないが、もっと小さな頃、近所の子供たちに追いかけ回されたことがあった。逃げているうちに転んでしまい、膝小僧からジワリとにじみ出る血を見ながらその場にうずくまり、とうとう泣き出してしまった。追いかけて来た子供たちは、その様子をみて呆然とリィナを取り囲むだけだった。今思えば、ケガをさせるつもりはなかったのかもしれない。
そこへ、猛然とジュドーが現れた。あの時のジュドーの怒りは凄まじく、年上の子にも躊躇わずに向かって行き、既に意気のくじかれていた子供たちを叩きのめして完全に追い払った。そして戻って来た兄に、リィナはしがみついて泣きじゃくりながら、自分の兄がジュドーで本当に良かった…と思ったのをよく覚えている。
激痛で気が遠くなっているのか、目の前が揺らいでいる。あの時の兄の姿が成長して今の姿に重なり、それがさらに実体を超えてドンドン大きくなっていく…。怒りのイメージというのかオーラとでもいうのか、兄の激しい感情がこの空間を支配していくのがはっきりと感じられた。そしてそれは、もう自分にはどうすることもできないくらい酷く恐ろしいものであった。
「ダメ、だよ。お兄ちゃん…」
文字通り消え入るような声でそういって、リィナは気を失った。
「ハマーン、あんたはそうやって人を見下して、自分の思い通りにならない人間は殺そうってさ…!」
ジュドーは、リィナを抱きながら立ち上がる。自分の意志が、ニュータイプの感応などといわれるものでハマーンに伝わっているのはわかっている。だが、ジュドーは自分の言葉を止められなかった。今のこの溢れ出す怒りを言葉にして、誰にでもわかる形で発しなければ気が済まなかった。
「許せない、許せないんだよ、あんたみたいなのは!人にはみんな大事な人がいるんだ。自分は偉いと思って周りの人たちを平気で踏みにじって、それが誰かの大事な人を傷つけてる…そんな簡単なことも想像出来ないような大人がさ!」
言葉を発する度に、ジュドーのプレッシャーが拡大していく。ハマーンの周りには既に警備の兵たちが集っていたが、金縛りにあったかのように動けなくなっていた。彼らにも自分の意志が通じているのかは分からない。ジオンの軍服を着ている者がハマーンに詰め寄っているのが理解できず、混乱しているだけなのかもしれない。
が、いずれにしても一人の少年が、大人たちを圧していることは間違いなかった。
「子供の…論理だな…!」
語調は強かったが、ハマーンはじり、と後ずさりした。ジュドーはそれを見逃さない。
「何がネオ・ジオンだ!俺はあんたの所へなんかは絶対に行かない!もしリィナが死んでみろ!俺はあんたを絶対に許さないからな!」
そう言い捨てて、リィナを抱えて走り出した。ハマーンらは、動けないままだった。
ジュドーの発した怒りのプレッシャーはダカールの戦場全体を覆った、というより支配した、といっていい。暴力的ともいえるその意志の奔流は、ニュータイプといわれる人であろうとなかろうと関係なく、全ての人の動きを一瞬止めさせるほどのものだった。
金縛りになった人々の合間を、ジュドーは疾走する。このままいけば何とかこの場から逃げおおせることが出来るか…と思ったところで思わぬ足止めを食った。流れ出る人の波にぶつかったのだ。
「何だ、わざわざ裏口に回って来たってのに…!」
見るまでもない、彼らは招かれていた賓客たちだ。そしてよく見ればその先にジュドーが身に着けているのとは全く違うジオンの制服姿の男たちがいる。高級士官、といわれるような出で立ちだ。
「おい、何なんだ、今のは!」
「お得意のサイコミュってやつか!」
「ジオンは我々を洗脳するつもりだったのか!」
身なりは整っていても、醜い言葉を吐く大人たちを見ながら、ジュドーはさっきの自分の意志の表出も、結局こういう人たちには届かないのだな、と思う。そして彼らの非難の矛先が、その高級士官たちの先にいる存在に向けられていることがわかる。
「御身一つでこの場から抜け出そうというおつもりか!」
その言葉に、軍人たちが色めき立った。
「今の言葉、よもやミネバ様に向けたものではあるまいな!」
ネオ・ジオンの士官たちが、賓客たちに銃口を向けた。この場にいるのはエゥーゴとカラバの攻撃に恐れをなして我先に逃げようとしている大人たち…そういうことらしい。
「何やってんだよ…この大人たちはさ…!」
ジュドーの怒りが再燃しかけたその時だった。兵たちの間から一人の少女が現れる。同時に、大人たちがどよめいた。少女はそんな彼らに全く構うことなく、
「ミネバ・ザビだ」
そう、はっきりと名乗りを上げて堂々と兵たちの前に立った。大人たちはそれだけで押し黙る。そしてその声が聞こえたのか、腕の中のリィナが目を覚ました。
「お兄、ちゃん…今の声…」
「リィナ、気が付いたのか!?しゃべるな!じっとしてろ!」
少女の言葉が続く。
「なるほど、ここにお集まりになっているのは連邦議会の方々とお見受けする。面妖なことだ。先ほどまで我らのやりように称賛の声を上げていたと思ったが…その舌の根も乾かぬうちに我らを信じられなくなったといわれるか?」
ミネバの言葉には確かに説得力がある。気勢を削がれたかに見えた大人たちは少しの間を作ったが、
「何をおっしゃられます!これはエゥーゴの奇襲でしょう!我々を閉じ込めておいて、妃殿下やハマーン殿が逃げ出したと、そう思わない方がおかしい状況でしょう!」
一人の婦人がそう、金切り声で叫んだ。肝の座った女がいるものだ、と思ったその時、
「おだまりなさい!」
ジュドーの腕をすり抜けたリィナが、そう叫んでいた。今度はこちらへ、大人たちの耳目が集まる。ジュドーが止める間もなく、リィナが前へ出た。
「エゥーゴとてここを、あなた方を攻撃など出来はしません!何故ここが一番安全だと信じられないのです!何故、ミネバ様を信じることが出来ないのですか!」
リィナは、大人たちのことなど見ていない。そのずっと先にいるミネバと名乗った少女を見ているのがジュドーにはよくわかった。
そして、リィナのいうことは尤もだった。エゥーゴもダカールを奇襲してはいるが、地球連邦の関係者たちに危害を加えてしまっては元も子もない。アクシズを、ネオ・ジオンをダカールから追い出すことこそが作戦の主旨なのだ。
大人たちは、リィナの言葉を前に黙ってしまう。ジュドーの前に立つ少女の凜とした背中は、ジュドーの知っているリィナとは別人のようだった。
が、前方に立つ少女は、今のリィナのことをよくわかっているらしく、その異常に気が付いた。
「そこの者、ケガをしているのか!?」
浮足立つ大人たちをかき分けてミネバが駆け寄ってきてリィナの手を取る。
「ミネバ様…大丈夫です」
「大丈夫なわけが…!おい、医者を!」
追い付いてきた兵たちにミネバがそういうのを、リィナが制する。
「この者に、任せてあるのです。本当に、大丈夫なんです…」
この、ミネバとリィナの仲はジュドーには測りかねたが、信頼関係があるのは間違いなさそうだ。それであれば…悪いが利用させてもらうしかない。ジュドーは再びリィナを抱き上げる。
「悪いけど道を空けてくれないか?一刻を争うんだ!」
ミネバが頷き、
「道を空けろ!ケガ人だ!」
そう裏口へ向けて手を伸ばすと、兵士たちが道を作った。ジュドーはこれ幸いとばかりに駆けだして、一気に迎賓館を後にする。振り返ると、大人たちは大人しく館内へと戻っていくようだ。
「すごいじゃないか、リィナ!あんな風に人前でしゃべったり…あんな人と知り合いだったり…」
「へへ…私だって、いつも助けてもらうばっかりじゃないん…だから…」
「わかった、もうしゃべるな。すぐにみんなの所に連れて行ってやるからな…!」
弱弱しく頷く妹を見て、ジュドーは走る。バイクは幸いにもジュドーが停めた所にそのまま置いてあった。用心深くリィナを座らせ、軍服のベルトでしっかり自分と結びつけるように固定すると、コアファイターのある林に向けて、ジュドーは慎重にバイクを走らせた。
「戦況はどうか!」
サダラーンに入るなり、ハマーンは怒鳴った。部下たちはそれを、カラバとエゥーゴの侵入を許したことに対する叱責であると捉えたが、実際には自分を威圧していったジュドーへの怒りが歪んだ形で現れたに過ぎない。要するに、八つ当たりである。
「カラバのガルダ級から出たMSの数が多く、パイロットの練度も高いようです。ダカールの防衛は困難かと…」
だが、艦長の言葉はあくまで冷静かつ実直だった。それで、ハマーンの怒りが幾分収まる。実際のところ、ダカールを占拠しておくことにはもう、あまり意味がない。ここで撤退することには別に大きな問題はないが…追い出される形になるのは少々気に食わない。
「ン…そうか。例の機体は出られるな?」
「ハッ、準備は整っておりますが…まさか、これから…?」
「MSデッキへ向かう。用意をさせておけ」
それだけいうと、ハマーンは進路を変えて言葉の通り、MSデッキに向かって歩き始める。
「お待ち下さいハマーン様!」
「危険です、どうかこのままダカールからの離脱を!ミネバ様も間もなく収容いたします!」
「黙れ」
ハマーンは、追いすがるニーとランスを睨み、歩みも止めずにそれだけいった。
これは余人にわかることではない。ハマーン自身のプライドの問題なのだ。ジュドー・アーシタは必ずダブルゼータで出て来る。であれば、ハマーンはこれ以上あの少年を好き勝手させるわけにはいかない。自分を拒み、否定した上にその力を見せつけていった以上、あれは最早災いの芽でしかないのだ。
絶対に許すわけにはいかない。ハマーンの中に激しい憎悪が渦巻いていた。
順調に迎賓館を包囲しつつあったMS部隊の一部に、異変が起きた。
まるで風穴が空いたかのように、GMⅢの一小隊が吹き飛んだ。
「ちょっと…あれ何?何だっていうよ!?」
『さっきの強烈なのは多分ジュドーだけど、今のは…!?』
アウドムラ隊を支援しているルーとエルは、その光景を目の当たりにしていた。
『ハマーン様だ!怒ってる!みんな、逃げないと危ないよ!』
すかさずプルがそんなことをいってくる。パイロットとしても超一流であるハマーン・カーン自らがお出ましとなれば、この優位を覆されかねない。ルーは持っていたメガランチャーを背中合わせに立っていたディジェの左肩にあるウェポンラックに乗せる。
『うわ、何よルー!重いじゃない!』
「これがあると変形が大変なの!あいつのところまで乗せてってあげるから文句言わない!」
『あいつって、ハマーンのこと!?』
「そうよ、エル!あれを墜とせばボーナス確実なんだから!」
『お、その話乗った!地球でしっかり買い物したかったのよね!』
戦闘経験に乏しくとも、この余裕はエルの大きな武器だ。ルーは笑いながらゼータガンダムを変形させると、すぐにディジェが飛び乗って来る。上昇すると、アクシズの艦隊と思しきものが何とか見え、そしてそこから黒い何かがダカールの空に舞い上がった。
『何あれ、蝶…?』
エルの言葉に間違いは無いように見えた。だが、あれは…。
「識別はキュベレイ…!?本当にハマーン・カーンみたいね…!」
漆黒のキュベレイが、ダカールの夜空を舞っている。そしてそこから放たれる鱗粉のような輝きが見える度、味方機が墜ちていった。
「ちょっと、冗談じゃないわよ!何よあの動き!?ここは地球なんですけど!?」
重力の縛りなど感じさせないその軽やかさで、たった一機のMSが戦局を大きく変えようとしている。
「イーノ、モンド!ジュドーはまだなの!?」
たまらず、ルーはコアトップとコアベースに呼び掛けたが、
『動いているみたいなんだけど…わからない!』
『ダメだぁ!アクシズの奴ら、すっかり勢いづいてきたよ!』
そんな情けない声が返ってくるだけだ。
「ええい、しゃーない、ここで戦線を乱されるわけにはいかない、か…!ビーチャ、メガライダーを押し出して援護して!私とエルでアイツの相手をする!イーノとモンドはさっさとジュドーを探す!」
ガンダムチームのメンバーからの応答も待たずに、ルーはウェーブシューターを加速させて、乱舞するその黒い蝶に向けて突っ込ませた。
アニメ本編でジュドーに怒りを向けられた時のハマーンの狼狽えっぷりは受け入れ難いものがあります。ここまで築いてきたハマーンのイメージを崩しかねないほど情けない姿で、いくらなんでもあんな風にはならんだろ…と思っていました。
ということで、さすがにあれは嫌ですし、さらにその後ろくに闘いもせずダカールから逃げていくのもちょっと違うかな、と思いますのでハマーンには最低限は闘ってもらおうかなと思います。