無個性と呼ばれた提督   作:HYDRATION

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第九話

 満月の光が、静かに納屋の屋根を照らしている。

 僕は、卓袱台の上に広げた町の地図とノートを睨みつけ、ごくりと唾を呑んだ。手には、先日完成したばかりの、妖精印の無線機が握られている。心臓の音が、やけに大きく聞こえた。

 

『こちら吹雪。海岸線にて待機中。いつでも動けます』

 無線機から、吹雪の緊張を帯びた、しかしクリアな声が聞こえる。僕は、もう一つの無線機を口元に寄せた。

「了解。そのまま待機してくれ」

 そして、納屋の屋根の上にいるはずの、もう一人の仲間に呼びかける。

「加賀さん、聞こえる?」

『ええ。問題ないわ、提督』

 静かで、落ち着き払った声が返ってきた。

 

 作戦は、僕が立てた。でも、その骨子は、ほとんどが加賀さんの知識と経験に基づいている。僕がやるべきことは、三人の”目”と”耳”と”頭脳”を、この納屋で一つに束ねることだ。

 

「作戦を開始する。加賀さん、偵察機の発艦を!」

『了解』

 

 短い返事と共に、納屋の屋根から、数条の光が夜空に放たれるのが窓から見えた。それは上空で実体化し、妖精たちが操縦する小さな偵察機となって、音もなく霧の立ち込める海域へと吸い込まれていった。

 

 ここからが、本当の戦いだ。

 納屋の中では、別の妖精たちが、持ち出した古いブラウン管テレビか何かに、偵察機からの映像を不鮮明ながらも映し出す、という離れ業をやってのけていた。

 

『こちら加賀。第一次偵察隊より入電。目標海域、やはり広範囲に渡って濃霧に覆われているわ。通常のレーダーは機能しないでしょうね』

 無線機から、加賀さんの冷静な分析が聞こえてくる。

「吹雪、そのまま待機。加賀さん、霧の濃度が特に高いポイントは特定できるか?」

『ええ。三時の方向、距離およそ五千。熱源反応も微弱ながら感知できるわ』

「了解した」

 僕は、二人の報告を元に、ノートに書き込んだ地図の上にコンパスと定規を走らせる。風向き、潮の流れ、そして加賀さんからの情報。今はまだ、吹雪を動かす時じゃない。まずは、この断片的な情報を繋ぎ合わせ、敵の全体像を把握することに全力を注ぐ。これこそが、僕の戦場だ。

 

 僕は、ノートに情報を書き込みながら、モニターの砂嵐と、無線機から聞こえる二人の声に、全神経を集中させる。

 

『……! 提督、何かいるわ』

 加賀さんの声に、緊張が走る。

『第二次偵察隊が、敵の哨戒機と接触。数は、二』

「迎撃は可能?」

『不要よ。こちらの速度が上。振り切って、偵察を続行するわ』

 テレビの画面の隅に、一瞬だけ、鳥とも魚ともつかない、異形の影が映り込んで消えた。

 

 静かな緊張感の中で、時間は過ぎていく。

 そして、作戦開始から一時間が経過した頃だった。

 

『……提督、これは……』

 加賀さんの声が、初めて、わずかに揺れた。

「どうした、加賀さん!?」

『第三次偵察隊が、霧の中心部に到達。……信じられない。こんなものが、海の中に……』

 テレビの画面が、激しいノイズの後に、一瞬だけクリアになる。

 そこに映し出されていたのは、海の中から天を突くようにそびえ立つ、巨大な黒い「何か」だった。

 それは、まるで生物の骨と、錆びた鉄骨を無理やり融合させたかのような、禍々しい建造物。無数の砲台が、威嚇するように空を向いている。あれが、深海棲艦の……巣。

 

『敵対空砲火! まずいわ、偵察機が──』

 加賀さんの叫びと共に、テレビの映像は完全に途絶え、砂嵐に戻った。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 撃墜されたのは偵察機一機だけだった。しかし、加賀さんの表情は険しい。

「……私の艦載機が、やられたわ。こちらの索敵能力が、相手に劣っていた証拠ね」

 彼女にとって、自分の目が潰されたことは、自身が傷つくのと同等か、それ以上の屈辱なのかもしれない。

 彼女は、残りの偵察機を速やかに帰還させ、僕たちは再び卓袱台を囲んでいた。そこには、作戦開始前とは比べ物にならないほどの、重い空気が流れていた。

 

「……間違いありません。あれは、深海棲艦の前線基地です」

 吹雪が、青い顔で呟く。

「我々の現在の戦力では、あの基地の攻略は不可能よ」

 加賀さんが、ノートに書き留められた基地の見取り図を指でなぞりながら、冷静に、しかし厳しく言った。

「防衛戦力も、規模も、何もかもが未知数。無策で手を出せば、返り討ちに遭うだけ」

「でも、このまま放っておいたら、被害が……!」

「だからと言って、無謀な攻撃はできない」と、僕は二人の言葉を遮った。「僕たちの目的は、勝つことだ。無駄死にすることじゃない。……継続的な監視を行って、敵の戦力と目的を探る。それが、今の僕たちにできる、最善策だ」

 

 それから数日、僕たちは次の作戦を練りながら、息を潜めて情報を集めていた。

 しかし、事態は僕たちの知らないところで、勝手に動き出していた。

 海上保安庁や、偵察系の”個性”を持つヒーローたちも、あの巨大な建造物の存在を認知したのだ。

 

 テレビやネットは、連日その話題で持ちきりだった。「謎の海上要塞出現!」「大規模なヴィラン組織による海上要塞か?」といった憶測が飛び交い、メディアも連日この話題を取り上げ、ヒーロー社会全体が、この正体不明の脅威に対して、対応を迫られていた。

 

 そして、運命の日。

 僕たちが納屋で次の作戦を練っていると、テレビから、けたたましい緊急速報のアラートが鳴り響いた。

 

『──緊急速報です! 現在、沖合に出現した謎の建造物に対し、複数のプロヒーローが、今、攻撃を開始した模様です! 現場からの中継です!』

 

 画面に映し出されたのは、ヘリコプターから撮影された、荒れ狂う海と、黒い要塞。そして、そこへ向かって突撃していく、見知った顔のヒーローたちの姿だった。

 

「そんな……無茶だ!」

 

 僕の叫びは、けたたましい爆発音にかき消された。テレビの中では、ヒーローたちの放つ”個性”が、要塞に次々と着弾し、凄まじい爆炎を上げていた。装甲の一部が吹き飛び、砲台が沈黙する。確かに、ダメージは与えている。しかし、数秒後には、まるで時間を巻き戻すかのように、破壊された箇所が黒い靄と共に再生し、再び砲門をこちらに向けるのだ。ヒーローたちの攻撃は、決定打には、全くなっていない。

 勝てるはずがない。そこにいるのが、どんなトップヒーローであろうと、関係ない。

 魂を持たない力では、あの怨念の塊には、決して届かないのだから。




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