「残念ながら……この子は、個性の兆候がありません」
診察室の空気が、一瞬にして凍りついた。
僕は、白衣の医師の言葉の意味がわからず、母の顔を見上げる。だが、そこにあったのは、期待も不安も消えたような沈黙だけだった。母は視線を逸らすように黙って俯き、父は唇を噛みしめて、必死に何か言葉を探していた。
「骨の形状、神経伝達、DNA検査。全て正常ですが、個性発現に必要な条件が満たされていませんね。お子さんは……無個性です」
父が「何かの間違いじゃないのか」と詰め寄っても、返ってくる答えは変わらない。
僕は、ただそのやりとりをぼんやりと聞いていた。何もかも、現実味なく響いていた。
帰りの車の中、僕は後部座席でぽつりと呟く。
「……けど、ぼくには妖精が見えるよ?」
父は無言でハンドルを強く握り、母は深い溜息をついた。
「鎮……前にも言ったでしょ。その話は、もうやめようね」
「でも本当に、いるんだよ? ほら、今も肩に──」
「……いい加減にしなさい!」
母の声が鋭く響いて、僕は思わず首をすくめた。
視線を向けると、僕の肩には小さな羽根をもった妖精が、いつものようににっこりと微笑んでいた。
家に帰ると、僕はそっと部屋の隅に腰を下ろして、肩にとまった妖精に話しかける。
「ぼくは……本当に、何も持ってないのかな……」
嘘だと思いたかった。でも、何も言えなかった。
そのとき、僕の言葉に反応するように、肩にいた妖精が、僕の頬にそっと寄り添ってきた。
小さな身体から、不思議と温かい何かが伝わってくるようだった。
見ると、妖精はじっと僕の目を見て、小さく首を横に振っている。まるで、「そんなことはないよ」と、そう言ってくれているかのように。
そして、ふわりと優しく微笑んだ。
あれから、日々は少しずつ、確実に変わっていった。
小学校、そして中学校へと進んでも、僕の状況は何も変わらなかった。”無個性”という言葉は重くのしかかり、教室での孤立は深まるばかり。僕の唯一の話し相手は、誰にも見えない妖精たちだけだった。
両親は、そんな僕を遠巻きに見るようになっていた。
中学一、二年生の間、彼らは心のどこかでまだ期待していたのかもしれない。「いつか“普通”に戻ってくれるかもしれない」と。
だが、その期待は時間と共に静かに削り取られていった。
決定打となったのは、中学二年生の終わりが近づいた頃だった。
来年に控えた「高校受験」という、あまりにも現実的な壁。
無個性で友人もおらず、部屋にこもって見えない誰かと話している息子。その将来を想像した時、両親の心は、ついに折れてしまったのだ。
僕の世界は、もっと静かで、もっと深く閉ざされた。
中学二年生が終わった、春休みのある日の晩。母が言った。
「鎮、しばらく、おばさんのところに行きましょうか」
「環境が変われば……きっと、落ち着くと思うの」
その言葉の意味を、僕はすぐに悟った。
(ああ、見放されたんだな)
僕は、反論しなかった。
正直、悲しくなかったわけじゃない。でも、心のどこかでとっくに諦めていた。
数日後、大きなリュックひとつを背負って、僕は家族と離れた。
母方の遠い親戚の家。
そこにいた夫婦は、形式上こそ僕を預かってくれるということになっていたけれど、歓迎の気配はまるでなかった。
与えられた生活の場は、母屋から遠く離れた所にある古びた納屋だった。
本来は農具を置くための建物で、壁にはひびが入り、天井は低い。
でも、僕は文句を言わなかった。
誰も僕に声をかけてこない。誰も僕を見ない。
それが、逆に心地よかった。
納屋の中、古い畳の上に布団を敷いて、小さな
そして、妖精たちと一緒に過ごす日々。
「……今日もありがとう」
妖精たちは、僕のまわりをくるくると飛びながら、嬉しそうに笑ってくれた。
納屋の扉を開けると、そこには誰もいない。
風に揺れる草の音、鳥のさえずりだけが、僕の世界を満たしていた。
ひとりぼっち。でも、それは悪いことじゃなかった。
僕は毎日、ノートに妖精の姿を描き、“いつか誰かに証明できる日”を夢見ていた。
「君たちは……本当に、いるんだよね?」
その問いに、妖精たちは声を発さなかった。
ある日、掃除をしようと古びた木箱をどけたとき、床下の隙間から何かが覗いていた。
それは手のひらに収まるほどの、錆びた金属片だった。
機械の一部のように見えるが、何に使われていたのか見当もつかない。
それでも、なぜか捨てられず、僕はそれを
その夜、布団に入ってもなかなか眠れなかった。
ふと視線を移すと、
目を閉じてもしばらくその光の残像がまぶたの裏に残っていて、気がつけば夢の中に引きずり込まれていた。
◇ ◇ ◇
──海が、怒っていた。
荒れ狂う波濤の中、赤黒く染まった空の下で、黒い影がいくつも浮かび上がっては沈んでいく。
そのひとつひとつが、声を持っていたように感じた。
「たすけて……司令官……」
確かに、そう聞こえた気がした。その言葉が胸の奥にざらりとひっかかる。
それは悲鳴じゃない。何かを伝えようとする、静かな呼びかけだった。
誰なのかも、何を求めているのかもわからないのに、胸の奥がざわついた。
怒る海は、無差別な破壊の象徴だった。
その中で声を上げていた存在は、ただ必死に何かを伝えようとしていた。
あと十数話ほどストックがありますのでしばらく定期更新です。七時、十九時に放出します。
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