無個性と呼ばれた提督   作:HYDRATION

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第二十六話

 飯田くんが正式に学級委員長となり、昨日までのパニックが嘘のように落ち着きを取り戻した、ある日の朝。

 相澤先生が、いつものように寝不足そうな目を擦りながら教壇に立った。

 

「今日のヒーロー基礎学は、俺とオールマイト、そしてもう一人の三人体勢で見ることになった」

 

 三人体勢。その異例の響きに、教室内の空気がわずかに震える。瀬呂くんが「何するんですか?」と問いかけると、相澤先生は淡々と続けた。

 

「水難事故、土砂崩れ、あらゆる災害を想定した人命救助訓練だ」

 

 先生が掲げたのは、RESCUEと書かれたカード。

 人命救助。それは、艦娘である吹雪にとっても、そして彼女たちを導く提督である僕にとっても、本質的に関わりの深い分野だった。深海棲艦に襲われた人々を救い、海から守る。それが彼女たちの本来の使命なのだから。

 

「場所は少し離れた場所にあるから、バスに乗って移動する。……準備開始だ。コスチュームを着るなり、体操服でいくなり好きにしろ」

 

 更衣室へと移動し、僕は慣れ親しんだ重みのあるタクティカルスーツに袖を通す。

 鏡に映る自分は、どこからどう見ても雄英高校の生徒であり、将来を期待されるヒーローの卵だ。その事実に、僕はまだ、微かな居心地の悪さを感じていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 校内のバス停に停まっていたのは、雄英のロゴが入った専用バスだった。

 飯田くんが「出席番号順に二列で並ぼう!」と笛を吹いてフルスロットルで仕切っていたが、いざ乗り込んでみればバスは横並びの広々とした座席形式で、整列の意味は全くなかった。

 

「イミなかったなー」

「くそう!!」

 

 芦戸さんのツッコミに、飯田くんがガックリと項垂れる。

 僕は苦笑しながら、空いている席に腰を下ろした。隣には当然のように吹雪が座り、窓の外を流れる雄英の広大な敷地を眺めていた。

 

 バスが走り出す。車内では、クラスメイトたちがお互いの個性について語り合っていた。

 すると、向かい側に座っていた蛙吹さんが、その大きな瞳でじっと僕を見つめているのに気づいた。

 

「碧海ちゃん、私、思ったことは何でも言っちゃうのだけど」

 

「うん、何かな、蛙吹さん」

 

「梅雨ちゃんと呼んで。あなたのその吹雪ちゃんっていう個性。……派手で強力で、爆豪ちゃんや轟ちゃんに並ぶレベルだと思うわ」

 

 その言葉に、切島くんや上鳴くんも「確かに!」と同意するように頷く。

 昨日のお昼のアシストや、先日の戦闘訓練で見せた爆発力。クラスメイトたちの言葉には、純粋な称賛と、隠しきれない羨望が混じっていた。

 

「昨日のお昼のアシストも凄かったぜ! あのパワー、マジでどうなってんだ?」

 

 強力。その言葉が、耳の奥で嫌な音を立てて反響した。

 

 瞬間、視界が歪む。

 鼻を突く消毒液の匂い。白衣を着た医師の、感情の欠落した声が脳裏に蘇る。

 

『残念ながら……この子は、個性の兆候がありません』

 

 隣にいた母の肩が、目に見えて落胆に震えた。父が僕を見なくなった。母が腫れ物に触れるような溜息をつくようになった。

 学校では影のように扱われ、家では存在を忘れられ、最後には親戚の家の隅にある古びた納屋へと追いやられたあの日々。

 

 僕が今、こうして吹雪という力を隣に置いているのは、僕の内側から湧き出した才能ではない。

 役所への登録は、入学にあたって『具現化』という名目で書き換えた。今の僕は、世間的には間違いなく個性持ちとして定義されている。

 

 けれど、僕の芯にあるのは、あの暗い納屋で妖精たちとだけ話していた、空っぽの無個性の少年だ。

 強力な個性持ちとして称賛されるたび、自分という存在が偽物であるかのような、吐き気がするほどの後ろめたさが胸を焦がす。

 

「……あ……み……碧海ちゃん?」

 

 蛙吹さんの不思議そうな声で、ハッと意識が現実に戻った。

 どうやら僕は、彼女の質問に答えないまま、数秒間ほど虚空を見つめて固まっていたらしい。車内の空気が、微かな困惑と心配に包まれているのが分かった。

 

「司令官、顔色が……。大丈夫ですか?」

 

 隣に座る吹雪が、僕の手の震えを隠すように、そっとその上から自分の手を重ねた。

 彼女の掌は温かく、その感触が僕を過去の暗闇から力強く引き戻してくれる。

 

「……大丈夫だよ。少し、昔のことを思い出しちゃって」

 

 僕は自分を繋ぎ止めるように吹雪の手を軽く握り返してから、切島くんたちに向き直った。

 

「……ごめん、パワーの仕組みだったね。吹雪のあれは、ただ力任せにやってるわけじゃないんだ」

 

「おう、やっぱり何かコツとかあんのか?」

 

 身を乗り出す切島くんに、僕は吹雪を……そして僕を鍛え上げた『家』の光景を思い出しながら答えた。

 

「一番は、合理的な体の使い方と、徹底的な反復練習の結果だと思う。吹雪自身の資質もあるけれど、家ですごく尊敬している……けれど、死ぬほど厳しい『先生』たちに、一から叩き込まれているんだ。一撃に全神経を集中させる方法や、効率よくエネルギーを伝えるための重心移動をね」

 

「練習であの威力かよ……!? どんな特訓してんだよ、お前の家……」

 

 上鳴くんが少し引き気味に声を漏らす。

 嘘は言っていない。加賀さんや長門さんの訓練は、文字通り「死」を意識させるほどに合理的で、残酷なまでに効率的だった。吹雪はその地獄のような特訓によく耐え、僕の未熟な指揮を補うために自分を磨き続けてくれたのだ。

 

「吹雪が、僕を信じて全力で応えてくれている。その積み重ねがあのパワーになってるだけだよ。僕が何か特別なことをしたわけじゃないんだ」

 

「……吹雪ちゃん本人の努力と、二人の信頼関係ってわけか。マジでストイックだな、お前ら!」

 

 切島くんが感心したように拳を打ち鳴らす。

 その純粋な言葉が、今の僕には少しだけ眩しかった。

 

「はいっ……! 私、もっともっと頑張りますね!」

 

 吹雪が安心したように、いつもの快活な笑顔を浮かべる。その温かさが、僕の荒んだ過去を少しだけ塗り替えてくれる気がした。

 

 そんなやり取りを、窓際で腕を組んでいた爆豪くんが、忌々しそうに舌打ちを鳴らして遮る。

 

「……気に食わねえんだよ、そのツラ。ちょっとマシな個性持ってるだけで、良い気になんなよクソ野郎」

 

 彼の言葉には、剥き出しの敵意が籠もっていた。

 爆豪勝己。彼にとって、『強個性』を持つことは当然の権利であり、その上であぐらをかいているように見える僕が許せないのだろう。

 もし、僕のこの力が自分の外側にある借り物だと知ったら、彼は僕を蔑むだろうか。

 彼が最も忌み嫌うであろう『弱さ』と、僕が地続きであることを。

 

 バスが緩やかに速度を落としていく。

 広大な敷地の向こうに、巨大な白いドームが見えてきた。

 

(……いよいよ、救助訓練か)

 

 吹雪もまた、先ほどまでの明るい表情を消し、時折、何かに怯えるように窓の外を凝視している。

 彼女たちの持つ直感は、時に論理を超える。たとえ人工の施設であっても、そこに水があれば、彼女たちは何かを感じ取ってしまうのだ。

 

「吹雪、大丈夫?」

 

「……はい。ただ、少しだけ、冷たい風が吹いている気がして。……司令官、離れないでくださいね」

 

 バスが停止し、扉が開く。降り立った僕たちの前に、宇宙服のようなコスチュームを纏ったヒーローが姿を現した。

 

「皆さん、お待ちしておりました。水難事故、土砂災害、火災……。あらゆる災害を想定した訓練施設……」

 

 ドームの入り口に降り立った僕たちを、宇宙服のようなコスチュームに身を包んだヒーローが迎えてくれた。

 

「その名も、ウソの災害や事故ルーム!」

 

 僕たちは案内されるままにドームの内部へと足を踏み入れた。

 中央の広場から見渡せば、巨大なプールのような水難ゾーン、廃墟の並ぶ倒壊事故エリア、そして火災エリア……。

 学内施設とは思えないその広大さに、吹雪も驚きに目を見開いている。

 

「司令官、あそこ……。本物の街みたいです」

 

「そうだね。これだけの設備を揃えられるのは、流石は雄英というべきかな」

 

 そんな和やかな空気を引き締めるように、13号先生が静かに、しかし重みのあるトーンで話し始めた。

 先生は自身の個性『ブラックホール』を提示し、「どんなものでも吸い込んでチリにしてしまいます」と、それが一歩間違えれば容易に人を殺めてしまう力であることを説明した。

 

「超人社会は個性の使用を資格制にし厳しく規制することで、一見成り立っているように見えます」

 

「しかし一歩間違えれば、容易に人を殺せる”いきすぎた個性”を、個々が持っていることを忘れないでください」

 

 13号先生の言葉は、静かに、しかし重みを持ってドーム内に響き渡った。

 

「君たちの力は、人を傷つけるためにあるのではない。救けるためにあるのだと心得て帰って下さいな」

 

 その言葉は、ヒーローを目指す者たちへの訓示であったが、僕にとってはそれ以上の意味を持って響いた。

 

 かつて世界を震撼させた深海棲艦。それと対をなす存在として生まれた艦娘。

 吹雪が宿しているのは、本来なら敵を撃沈し、破壊し尽くすための軍艦の魂だ。

 その破壊的な力を、この平穏な社会でどう救助に繋げるべきか。

 

(力は、性質そのものよりも、使う者の意志に左右される……)

 

 それはかつて無個性として絶望の中にいた僕が、提督という役割を得て初めて辿り着いた、一つの解答でもあった。

 

「ステキー!」

「ブラボー! ブラーボー!!」

 

 麗日さんたちが拍手喝采を送る中、相澤先生が「そんじゃあまずは……」と指示を出そうとした、その時だった。

 

 

 

 中央広場。何もない空間が、墨をぶちまけたようにどろりと歪み始めた。

 

「……っ!?」

 

 咄嗟に、肌を刺すような寒気が走る。

 吹雪が瞬時に僕の前に出た。その目は、ヴィランの悪意を超えた、より根源的な不吉を捉えていた。

 

「一かたまりになって動くな! 13号、生徒を守れ!!」

 

 相澤先生の鋭い声が響く。

 闇の中から現れたのは、数多のヴィランたち。

 そして、その中から現れた黒い靄のような男が、静かに、しかし冷徹な声を発した。

 

「……13号にイレイザーヘッドですか……。先日頂いた教師側のカリキュラムでは、オールマイトがここにいるはずなのですが……」

 

 男の言葉と共に放たれた殺気は、訓練施設の空気を瞬時に戦場へと変えた。

 けれど、僕を戦慄させたのは、それだけではなかった。

 

「司令官……来ます。この匂い、間違いありません……!」

 

 吹雪の低い声。

 彼女の視線が向けられているのは、広場のヴィランではなく、その奥にある『水難ゾーン』──ただの人工の巨大なプールのはずの場所だった。

 

 僕の鼻を突いたのは、施設内のプールの塩素の匂いではない。

 何十年も海底で腐食し続けていた鉄の、重苦しく、粘りつくような錆の匂い。

 

(ヴィランの襲撃に呼応して、この人工の『水』に湧いたのか……!?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 男が連れてきた絶望の影に混じって、この世界の理から外れた深海の住人が、その牙を剥こうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 




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