吹雪は、まっすぐ僕を見ていた。その瞳は、ただのガラス玉のような無機質なものではなく、確かな意志の光を宿している。
「私たちの戦いの記録は、遠い昔に……人々の記憶から、歴史そのものから消え去りました」
その言葉は、重く、静かに納屋の空気の中に溶けていくようだった。窓から差し込む午後の光が、舞い上がる小さな埃をきらきらと照らし出している。
「艦娘も司令官も、深海棲艦も……全てが『なかったこと』にされたのです」
「そんな……。どうして、そんなことになったの?」
僕の問いに、吹雪はうなずいた。だが、その表情から先ほどまでの確信とは違う、戸惑いの色が浮かび、悔しそうに唇を噛んだ。
「それが……私にも、分からないんです」
「え……?」
「『なぜ』そうなったのか……その理由に繋がる記憶だけが、まるで心からくり抜かれたみたいに、ぽっかりと抜け落ちているんです」
彼女は続けた。その声は、か細く震えている。
「何か、とても大事な約束をしたような……そんな温かい感覚だけが胸に残っているのに、それが何だったのかが、どうしても思い出せない……。それが、すごく、怖くて……」
「……じゃあ、吹雪は、自分が誰かも分からないまま、戦いの記憶だけを背負ってるっていうの?」
僕の問いに、吹雪はわずかに視線を伏せ、自分の胸にそっと手を当てた。
「私も……全てを覚えているわけではありません。ただ、心の奥に焼き付いたものがあるんです。使命のようなもの……『忘れてはいけない』と、誰かに、強く言われた気がして」
それは、記憶というより、魂に刻まれた痕跡。消し去ることのできなかった、最後の祈りのようなものなのかもしれない。
「全ての記憶があるわけじゃない。でも、私は確かに、『司令官』に呼ばれて、何度も戦った記憶を持っている。あなたの持つその資質が、私の中にある何かを目覚めさせてくれました」
「……僕が、君を呼んだ……?」
「ええ。妖精たちは、艤装の欠片に残された力と想いを通じて、呼び声に応えるのです。だから、あなたの声に応じて、私はここにいる」
運命とか、奇跡とか──普段の僕なら笑ってしまいそうな言葉が、今はただ、静かに胸に染み込んでいく。
けれど、ふと、疑問が胸をよぎった。
「……でも、どうして僕が司令官なんだろう。深海棲艦はもういないはずなのに、こんな力を持って生まれるなんて……ちょっと、変な話だと思わないかな?」
吹雪は少しだけ目を伏せ、そして真っすぐに僕を見つめ返した。その真剣な眼差しに、僕は言葉を呑む。
「それは……私にも分かりません。でも、あなたの存在そのものが、何かがまた始まりかけているという兆しなのかもしれません」
言葉を選びながら、吹雪は続けた。
「でも、私は信じています。あなたがここにいる理由は、偶然ではない、と。あの艤装の欠片が、長い時を経てなお力を失わず、そこに残っていたことも。そして、あなたがそれを拾ったことも、すべては……何かの意味があると」
僕がここにいる意味。そんなもの、考えたこともなかった。
無個性で、誰からも必要とされず、ただ静かに息を潜めて生きてきただけの僕に、意味なんてあるのだろうか。
「……でも、たとえまた深海棲艦が現れたとしても、今の時代にはヒーロー達がいる。彼らがなんとかしてくれるんじゃないかな」
僕みたいな無個性とは違う、すごい力を持った人たちが、この世界にはたくさんいるのだから。
僕の言葉に、吹雪は初めて聞く言葉に触れたように、不思議そうにきょとんと首を傾げた。
「ヒーロー……? それは、いったい?」
「あっ……」
しまった。彼女がいた時代には、そんな概念はなかったのか。僕は思わず言葉を濁す。
「あー……今の時代の人たちは、生まれつき“個性”っていう特殊な力を持ってて、それを使って人々を助けるヒーローっていう職業になってるんだ。例えば、身体から電気を出したり、空気の壁を作って防御したり、持っている物の重さを変えたり……本当に、人によっていろいろで。強力なものから、日常生活で少し便利になる程度のものまで、たくさんの種類があるんだ」
「ヒーロー……。なるほど。素晴らしいですね。ですが……」
吹雪は一度言葉を切り、僕の目をまっすぐに見て続けた。
「ヒーローの“個性”が、物理法則を超えた素晴らしい力であることは、きっとその通りなのでしょう。ですが、問題は力の大小ではないんです。問題は、その力の出自と、性質です」
「出自と、性質……?」
「“個性”は、あくまで『生きている人間』から発現する力ですよね? それで、深海棲艦の肉体を傷つけることはできるかもしれません。ですが、あれは『死んだモノ』……海の底に沈んだ艦船たちの、行き場のない怒りや悲しみが形を成した、怨念そのもの。生きている世界の理屈だけでは、その魂を完全に破壊することはできないんです」
その言葉に、僕は息を呑んだ。
「だからこそ、私たち艦娘が必要なんです。同じく『艦の魂』から生まれた私たちだけが、その怨念に触れ、干渉し、そして……”鎮魂”させることができる。魂には、魂でしか届かないんです」
彼女の言葉には、一片の疑いもなかった。それは理屈ではなく、彼女の中に眠るかつての吹雪の魂が、そう告げているのだろう。怖かった。でも、それ以上に、目の前の少女がたった一人で背負おうとしている運命の重さに、胸が締め付けられた。
「……あなたが望むなら、私は再び戦います。世界が気づかぬうちに、深海棲艦が戻ってくるのなら。私たちの戦いは、まだ終わっていないのですから」
その声には、凛とした意志があった。僕と同じくらいの歳の、普通の少女にしか見えないのに、その魂は何十年、何百年もの戦いを経験してきたかのような、強さとしなやかさを宿していた。
僕はただ、そのまっすぐな瞳から目を逸らすことができなかった。彼女がここにいる理由が、僕にある。なら、僕が逃げるわけにはいかないじゃないか。
新たな恐怖が、再び世界に滲み出してきている。誰も気づかぬままに。けれど、彼女はそれに気づいていた。だからこそ、僕の呼び声に応えて、ここにいる。
あの艤装の欠片も、この再出現も、すべては偶然だったのかもしれない。でも、その偶然が重なった先に、こうして彼女がいて、僕がいる。その事実だけが、僕の胸を静かに、けれど確かに震わせていた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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